一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

「剱岳・立山連峰・大日三山」ソロトレッキング ①佐賀から室堂へ

2010年08月01日 | 北アルプス(剱岳・立山三山・大日)単独行
かつて、山へ向かうパーティは、それぞれが自立した登山者の集団であった。
自立した登山者とは、「ひとり歩き」ができるということである。
ひとりで歩き通せる体力があり、
正しい道具の使い方と、いくらかの技術が身に付いていて、
トラブルに対応できる山の知識と判断力がある……
そんな自立した登山者たちが、よりレベルの高い登山に挑むためにパーティを組む……というのが本来の姿であったような気がする。
ところが、いつの間にか、それらパーティは、ひとり歩きができない人々の集団になってしまった。
と言うか、ひとり歩きができないからこそ集団を組む……という風に姿を変えつつあるのではないか……
「足がツっても誰かが肩を貸してくれるだろう」
「膝が痛くなっても誰かがザックを持ってくれるだろう」
「方向が分からなくても誰かが導いてくれるだろう」
「天候が悪化しても誰かが何とかしてくれるだろう」
というように、多くの自立していない登山者が、少人数のリーダーにただ付いていくだけの登山が増えている。
昨年の夏に起きたトムラウシ山での集団遭難死亡事故は、まさにそのような風潮を象徴する事故であったような気がする。
では、自立した登山者になる為には、どうしたらイイのか?
それは、まず「ひとり歩き」をすることだ。
山をひとりで歩けば、自分に足りないものが分かる。
それは、体力であったり、山の知識であったり、技術であったりするだろう。
足りないものが分かれば、自然にそれを補う努力をする。
せざるを得なくなる。
「ひとり歩き」には絶対必要だからだ。
そして、そんなソロ山行を続けるうちに、体力も知識も技術も身に付いてくる。
他人に頼らない登山ができるようになれば、それまでとは比較にならないほど安全な登山ができるようになる。
「単独行の登山は危険だからやめよう」
と言われて久しい。
山岳ガイドも、商業ツアー登山の会社も、この言葉をことさら強調してきたように思う。
登山者をひとりで歩けないようにしておけば、顧客が減ることはないからだ。
単独行を危険なものにするかどうかは、すべて自分に掛かっている。
下調べもせず、何の準備もしないで山に入れば、当然のことながら危険度は増す。
だが、十分に研究し、それに必要な筋力を鍛え、体力を備え、あらゆるトラブルを想定し、それに対処できる方法なり技術を習得していれば、そのソロ山行は驚くほど安全性を増す。
そして登山者としての真の実力が身に付く。

昨年の夏、からつ労山の夏の特別企画で、上高地から槍ヶ岳に登り、大天井岳を経由して常念岳まで歩いた。
初めての北アルプスだったので、とても興奮した。
そして、その遠征の帰路、「次は剱岳に登りたい」と思った。
「槍」の次は、やはり「剱」でしょう……という単純な発想も確かにあった。
だが、それだけではない。
剱岳はやはり特別な山だったからだ。
一般登山者が登ることのできる山では、おそらく、奥穂から西穂間のジャンダルムと共に最高難度の山だろう。
体力のある今のうちに登っておきたい。
10人ほどの希望者があれば、来夏の特別山行として企画できるということで、槍ヶ岳に一緒に登ったメンバーを中心に声を掛けたが、思ったほどの同調者はなかった。
それでもアンケートの結果、「東北の山」の次に数が多かったということで、
7月下旬に「東北の山」、
9月中旬に「剱・立山」と決まった。
ところが、その9月に私は休みが取れない。
仕事が忙しい月なのだ。
2連休はなんとか取れるが、4連休はとても無理だ。
さて、どうしたものか……
他の山岳会の予定にあれば便乗しようかと、知り合いのいくつかの山岳会に訊いてみたが、今夏に剱・立山に行く山岳会はなかった。
ツアー登山も調べてみたが、3日~4日間で14万円前後と高額なのでとても無理。
いろいろ考えている時、ふと、
〈ひとりで行けばイイじゃん〉
という心の声がした。
その声に、私自身が驚いた。
「剱・立山」に単独行という発想がそれまでまったく無かったからだ。
例の「単独行の登山は危険だ」という言葉に毒されていたからかもしれない。
九州内の山ならともかく、「剱岳に単独行で……」とは、それまで一度も思わなかった。
万事が休し、最後に「単独行」が浮上した……と言っていいだろう。
だが、その「単独行」という言葉に、私自身が魅了された。
そして、時の経過と共に、私の心は、
〈絶対ひとりで登りたい〉
と変化していった。

自分のなかで単独行が決定し、やるべきことはまず計画だった。
計画を立てる為には、まず「剱・立山」のことを知らなければならない。
あらゆるガイド本や山岳雑誌、ネット情報を漁り、知識を吸収した。
そして、立山連峰から剱岳を経て、大日三山へ縦走する行程を決めた。
期間は、8月1日(日)~8月4日(水)の4日間。
8月初旬にしたのは、天候が安定していると思ったのと、高山植物が見られるから。
昨年は7月下旬だったので、梅雨明けしていなかったこともあって雨の日が続いた。
「登った日がベストの日」を信条とする私であるが、今回ばかりは晴れてほしい。
立山連峰からの大パノラマを見たいし、悪天候だと肝心の剱岳に登れなくなる可能性があるからだ。
高山植物がたくさん見られるのは7月下旬から8月初旬。
高山植物の美しい花々を見たいという欲求は、私のなかでは登頂欲求と同等だ。
北アルプスに行って高山植物を見られないとしたら、私の場合アルプスに行く意味を成さない。
だから8月初旬なのだ。
スケジュールは次のように決定。

8月1日(日)肥前山口~博多~京都~富山~立山~立山室堂山荘(泊)
8月2日(月)立山室堂山荘…浄土山…雄山…大汝山…別山…剣山荘(泊)
8月3日(火)剣山荘…剱岳…剣山荘…別山乗越…奥大日岳…大日小屋(泊)
8月4日(水)大日小屋…大日岳…大日小屋…大日平…称名滝…立山…富山~京都~博多~肥前山口

移動はすべて公共の交通機関を利用。
室堂までは、公共の交通機関だけで移動できるのだ。
JRを乗り継いで、ちょっと時間はかかるけど、本を読んだり車窓からの風景を楽しんだりしながらの夏の旅。

スケジュールが決定し、「剱・立山」の知識吸収と共に、体力強化も開始した。
昨年同様、なるべくハードなルートを選び、歩いた。
特に、8月3日は、剱に登頂した後に大日三山を縦走するので、10時間以上歩ける体力が必要。
バテない体作りを目指した。

そして、いよいよ8月1日(日)を迎えた。
前日の7月31日(土)は、そよかぜさんから多良岳のソーメン・パーティの招待状を頂いていたが、出発前日だったのでしっかり仕事をしていた。
そして早めに就寝。
当日は、午前3時に起床。
準備と、最後の持物チェックをし、配偶者に車で肥前山口駅まで送ってもらった。

5:22
まだ薄暗い肥前山口駅を出発。


6:04 鳥栖駅着
大牟田発の快速に乗り換え。
6:23 鳥栖駅発
6:51 博多駅着
新幹線に乗り換え
7:00 博多駅発
9:51 京都駅着
北陸線に乗り換え
10:10 京都駅発
途中、芦原温泉駅で、列車が停止する。
金沢駅手前の野々市駅で人身事故発生とのこと。
しばらく後、加賀温泉駅まで進むが、そこで完全にストップ。
私が乗ったのはサンダーバード11号(富山行き)だったが、


先行するサンダーバード9号(金沢行き)も足止めをくらって、反対側のホームに停車中であった。


もし運転再開の場合は、サンダーバード9号が先に動くので、金沢まで行く方は9号にお乗り換え下さいとのマイク放送があり、ほとんどの人が9号に移動する。
私は富山までなので、そのまま11号に残った。

なかなか電車が動く気配がないので、ホームに降りる。
人気のない駅周辺。


こんなことでもなければ降り立つこともなかった加賀温泉駅で、駅の傍に建つ住宅を撮る。
暑くて誰もが家のなかで涼んでいるのかもしれない。
静かな町だ。


〈このまま電車が動かなければ今夜はどこに泊まろうか……〉
ふと、そんなことを考える。
今夜は室堂で宿泊の予定だが、最悪の場合「富山」まで移動できれば、富山泊。
翌朝一番の電車で立山まで向かい、ケーブルカーとバスを乗り継いで室堂に行き、すぐに歩き出せば何とかスケジュール通りに動ける……そんなことをボンヤリ考えていた。

電車に戻り、自分の席に着くと、通路をはさんで反対側に座っている40歳くらいの女性が話しかけてきた。
美しい人だ。(コラコラ)
近くに乗客はいなくて我々ふたりだけ。
この女性も富山まで行くとかで、「早く動くとイイですね~」と微笑む。
とりとめもない話をしていたら、放送があり、事故現場の現場検証も終わり、まもなく動くとのこと。
予定より1時間20分ほどの遅れで運転を再開した。

14:15 富山駅着。
かの美しい女性は、電車を降りるとき、
「お疲れ様でした~」
と私に言って、またニッコリ微笑み、去って行った。
つかの間の出逢い。
列車のトラブルがなければ、多分言葉を交わすこともなかったであろう。
一瞬の邂逅と別れ。
……これぞ旅。

JR富山駅に隣接する電鉄富山駅に向かう。


14:26 電鉄富山駅発
この電鉄富山の電車もかなり古い。
映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に出てきた一畑電車(バタデン)を思い出した。
なかなか味わいがあって好い。


市街地を抜けると、山間部に入って行く。
美しい川が流れている。


とうとうやってきたのだな~と嬉しくなる。


15:42 立山駅に到着。


15:50 ケーブルカーにて立山駅を出発。


物凄い急勾配の斜面を登って行く。


写真ではそうは見えないが、ここら辺りの傾斜は凄かった。
ケーブルが切れたらどうなるのだろう……と、馬鹿なことを考えていた。


15:57 美女平駅着。
16:00 室堂行きの高原バスに乗り換え、出発。

車窓の風景が、これまでのものとは違ったものになってきている。


ぐんぐん高度を上げていく。


ネハンノ滝が見えた。


雪渓も至る処に見られる。


16:50 室堂に到着。
室堂はガスに覆われていた。
〈明日は大丈夫だろうか……〉
と、ちょっと不安になる。


立山室堂山荘に向かって歩き出す。
ほどなく山荘が見えてきた。


17:06 立山室堂山荘着。


受付で手続きを済ませ、指定された部屋に入る。
10畳ほどのスペースの部屋で、最終的に私を含め5名の男性でこの部屋を使うことになった。
東京から来た20代の若者、名古屋から来た白髪交じりの眼鏡をかけたおじさんなど、全員が単独行の登山者で、すぐにうち解けて話ができた。
単独行の、不安と期待が入り交じった複雑な思いが共通なだけに、山の話は尽きることがなかった。
〈明日、晴れてくれれば……〉
誰もが同じ思いだった。

18:00 同じ部屋の5名で食堂に行き、夕食を食べる。
なかなか美味しい。
食べ終わる頃、窓の外が妙に明るい。
「あれ~、晴れてるよ~」
誰かが嬉しそうな声を出す。
私は急いで食べ終え、部屋に戻り、デジカメを持って外に出る。
山荘に来た時は、周囲の山々はまったく見えなかった。
それが、今は全部見える。
もうビックリだ。
明日、まず登ることになる浄土山。


左に目を転ずると、鞍部になる一ノ越と標高3003m(三角点は2991.6m)の雄山。


さらに左に目を転ずると、大汝山(3015m)と富士ノ折立(2999m)。


真砂岳(2861m)を経て、


別山(2874m)への稜線も見える。


ずっと向こうには、大日三山。


室堂は、ぐるっと山々に囲まれているのだ。
そして、その室堂を囲む山々を、私は明日から3日間をかけて歩くのだ。
嬉しさがジワ~とこみ上げてくる。

日没までには少し時間があったので、山荘周辺を散策する。
チングルマがたくさん咲いている。


コイワカガミの花も……


ミヤマハハコグサは山荘のすぐ傍に咲いていた。


ヨツバシオガマの花は、夕陽を浴びて美しかった。


部屋に戻り、しばらくすると、大日岳方面に沈む夕陽が見られた。
明日からのソロトレッキングに期待を抱かせる美しい落陽であった。


【②大パノラマの立山連峰】へつづく。
※今日から5日間、毎日更新します。
 乞うご期待。

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