一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

新聞配達をしていた頃の、ある雨の日の出来事。

2016年10月24日 | その他


新聞週間は、
毎年10月15日から1週間行われ、
週間中には新聞大会が開催されている。
新聞大会では、新聞協会賞が授賞されるほか、新聞大会決議が採択される。
また、
10月20日は新聞広告の日、
新聞週間中の日曜日は新聞配達の日で、
それぞれ記念行事が開催されている。

私の住む県の地元紙では、
ここ数日間、
「第23回新聞配達に関するエッセーコンテスト入賞作品2016」
と題し、入賞作品が紹介されていた。
大学・社会人部門で最優秀賞に選ばれたのは、
熊本市在住の水野貴子さん(49歳)の作品であった。

「新聞がくれた勇気」
平穏な夜に突然、熊本に地震が来た。
避難先で夜を明かし、自宅へ戻ったら、いつものように新聞があった。いつもと変わらず玄関ドアのポケットに新聞があった。ああ家に無事帰れたと、ほっとした。
ほっとしたその夜、また熊本に地震が来た。一瞬死を覚悟するほどの大きな地震だった。揺れやまない大地、漆黒の夜、サイレンとヘリコプターの音。バッテリー残量が心もとないスマホを握りしめて、車中で震えて過ごした。
一睡もできず、もうすぐ夜明けかという頃、一台のバイクが走り抜けた。わが目を疑った。前かご、後ろかごに載っているのは新聞である。こんな非常時の朝、定刻に新聞が配達されている。
熊本の人はみんな被災者だ。配達員の彼も被災者だ。なのにいつものように、当たり前に新聞が配達されている。ここに日常がある。いつもの朝がある。
停電の日々、毎朝夜明けとともに避難先から帰宅すると、玄関ドアに新聞があった。日常はきっと取り戻せると確信した。



私もかつて新聞配達をしていたことがあった。
エッセーを読んでいる時、そのことを思い出した。
思い出しているうちに、
ある雨の日のことが、鮮烈に蘇えってきた。


今から40数年前、
高校を卒業し、上京した私は、住込みの新聞奨学生として働いていた。
新聞奨学生とは、新聞社の奨学金制度を利用する学生のことで、
学費の一部もしくは全額を新聞社が肩代わりする代わりに、
在学中に新聞配達業務(朝刊、夕刊の配達や、集金、勧誘など)を行うというもの。
新聞配達を始めて間もない頃、ある家から、
「新聞が濡れているので取り替えてほしい」
と電話があった。
配達後に雨が降り、ポストからはみ出ていた新聞が濡れてしまったようなのだ。
取り替えに行くと、その家のおじさんから、
「ポストの奥まで入れないからこんなことになるんだ」
と怒られ、18歳の生意気盛りの私はそのおじさんを睨み返し、
謝りもせずに帰ってきた。
このようなことは日常茶飯事で、
配達や集金のときに、私はよくトラブルを起こし、
専売所の所長さんによく怒られていた。
数日後のひどいどしゃ降りの雨の日、
カーブで自転車がスリップし、積んでいた新聞全部を雨の中へばら撒いてしまった。
40数年前は、新聞を個別にビニールで包装する機械もなく、
自転車に積んだ新聞をビニールで覆っただけだったので、
地面に散乱した新聞は、すぐに濡れてしまった。
私はその濡れた新聞を拾い集め、仕方なくそのまま配達して回った。
苦情が殺到することが予想されたので、私は暗い気持ちで専売所へ帰り、
所長さんに事情を話し、電話の前で正座して待った。
取り替えて回る余分な新聞はないので、ただひたすら謝ろうと思っていた。
新聞配達を始めた頃は、
配達先を間違えたり、入れ忘れたりして、
よく「不着」の電話がかかってきた。
びしょ濡れの新聞を配達してしまった今日は、
たくさんの苦情の電話がかかってくると思い、電話の前で待っていたのだ。
待つ間、これまでに私がトラブルを起こし迷惑をかけたお客さんの顔が一人ひとり思い出された。
だが、いつまで待っても、苦情の電話は1本もかかってこなかった。
あのおじさんからも……
あの日、私は、上京してから初めて泣いた。
40数年が過ぎた今も、あの雨の日のことは忘れることができない。




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