一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『小さいおうち』 ……松たか子と黒木華の演技に魅了される……

2014年01月30日 | 映画
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしていると 
われ等の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでいく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る


昔、
アポリネールの「ミラボー橋」(堀口大學訳)という詩を目にしたとき、
ほとんどの真実の物語は、
誰にも知られず、
川の流れのように、
橋の下をたゆたい、消え去っていくものだと思った。
そして、
なんと多くの恋が、
橋の下を流れてしまったことだろうと思った。

数年前より、「自分史」がブームである。
自分史作成キットや、自分史交流サイトが話題になっているし、
あの立花隆氏までが『自分史の書き方』(講談社)なんて本を出版している。

従来から存在していた「自伝」あるいは「自叙伝」が、
何らかの意味で成功した個人の記録・立志伝であるのに対し、
「自分史」の方は、
平凡に暮らしてきた人の、
それまでの人生を書き綴ったもの……と言えるだろう。

ネットの某サイトで、自分史を書く理由を列挙していた。
① わが「心情」と「生きた存在証明」
② 体験的な「知恵」を後世に伝えたい
③ 子孫・後輩への「伝言」
④ 事実を「明白」にしたい
⑤ 「活字・本」になる喜び
⑥ 過去を「検証」し、これからの「生き方」を探る

やはり、いちばん大きな理由は、
「生きた証しを残したい」
ということだろう。
書き記すことで、
誰かに、自分の生きてきた歴史を知ってもらいたいということではないか。
他人から見れば、平凡なつまらない人生に見えるかもしれないが、
実は、こんなにも激しい情熱が秘められていたのだと、
誰かに訴えたくて書き記すのではないか。
書き残すことが、
時に埋もれていく真実の恋を残す唯一の手段とでもいうように……

映画『小さなおうち』は、
大伯母であったタキ(倍賞千恵子)が残した大学ノートを、
大学生の健史(妻夫木聡)が読むところから始まる。
映画の公式サイトでは「自叙伝」と書いてあるが、
この大学ノートに書かれてあることは、
何らかの意味で成功した個人の記録・立志伝というものではなく、
平凡に暮らしてきた人の、それまでの人生を書き綴ったもの……
であるので、「自叙伝」というよりも「自分史」の方により近いものだろう。


こういう設定の映画は、特に珍しいものではなく、
過去には、
『マディソン郡の橋』(1995年)や『孤高のメス』(2010年)などがある。
どちらも、遺品の中から日記を見つけ、遺族がそれを読むことで物語が始まり、
数十年の時を経て、秘めたる恋が明かされる。
よく似た設定である。

昭和11年、
田舎から出てきた若き日のタキ(黒木華)は、
東京の外れに赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家のお手伝いさんとして働くようになる。


そこには、
主人である雅樹(片岡孝太郎)と、
美しい年下の妻・時子(松たか子)、
二人の間に生まれた男の子が暮らしていた。


穏やかな彼らの生活を見つめていたタキだが、
板倉(吉岡秀隆)という青年に時子の心が揺れていることに気付く……


この物語は、
東京郊外に佇む赤い屋根の家に奉公する女中タキが見た、
ある“恋愛事件”を扱っている。
その時、タキが“封印した秘密”が、
60年の時を経た今、
タキにつながる青年の手で紐解かれていく……


素晴らしい映画であった。
特に、松たか子と黒木華の演技が素晴らしかった。
松たか子は期待通りの演技であったが、
黒木華に関しては、期待以上の演技だったと言える。
黒木華の出演した映画は、これまでほとんど見てきたが、
本作は、彼女の代表作のひとつになろうであろう作品だと思った。


タキが山形から東京へ奉公に出るために、雪の中を歩いているシーン。
恭一が小児麻痺になり、毎日おんぶして、日本橋の病院へ通うシーン。
京一の足をマッサージしてやるシーン。
雨の中、板倉を送っていくシーン。
板倉に会いに行こうとする時子を押しとどめようとするシーン。


どのシーンも忘れがたい印象を残す。
このタキの役は、オーデションで射止めた役とのことだが、
よくぞ選んでくれましたと、
山田洋次監督にお礼を言いたいほどの好キャスティングであった。



某インタビューで、
タキを演じる上で、特に気を付けたことは?
という問いに対し、

あの時代ならではの所作です。
着物での立ち居振る舞いなど、現代では馴染みのないこともたくさんありますので、
普段から慣れているように見せることをすごく気を付けました。
女中の仕事は料理だったり、お掃除だったり、普段の生活のことなので、
実家の畳の部屋を掃除して練習したことも(笑)。
ただ、着物でやるという点が今とは違いますので、難しかったです。


と答えている。
彼女自身も答えている通り、各シーンでの所作が本当に素晴らしかった。
山田洋次監督から、
「日本一、割烹着が似合う女優」
と絶賛されたそうだが、
23歳(1990年3月14日生まれ)なのに、
古風ささえ感じさせる佇まいは、
稀有な才能を感じさせた。
昨年(2013年)見た
『草原の椅子』や『舟を編む』での彼女も良かったが、
本作『小さいおうち』では、無限の可能性を感じさせてくれた。
黒木華という女優は、きっとスゴイ女優になっていくことだろう。
またひとつ老後の楽しみが増えたような気がする。(笑)


黒木華のことばかり書いてしまったが、
松たか子もすこぶる良かった。
なによりも美しかった。
松たか子という名女優が居たればこその、
黒木華の演技だったとも言える。
いまさらだが、
この映画は、なにより、松たか子と黒木華の映画であったのだ。

この映画『小さいおうち』には、
松たか子、黒木華の他、
私の好きな夏川結衣や木村文乃も出演している。
出演シーンは少ないが、とても好い演技をしていた。
私としては、実に楽しい2時間16分であった。


最後に、
最初の述べた「自分史」についてだが、
ちなみに、私はというと、
「生きた証しを残したい」とは思わないし、
自分史みたいなものも書かないだろう。
むしろ逆に、
人生の終末に向けて、
自分の所有しているものを徐々に減らしながら、
自分の生きた痕跡をひとつひとつ消去し、
死んだときには、なにも残らないようにしたい。
私という人物がこの世に存在したという痕跡が残らないようにしたい。
配偶者と子供たちと孫たちの記憶に、
負担にならない程度に少しだけ残ってくれれば……と思っている。
それ以上のものは望まない。

いずれ、このブログも、消去するときが来るだろう。
5年後か、10年後か……
ひょっとすると、それは明日かもしれない。
それは、私自身にも分らない。

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