一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『愛を読むひと』…こんな初恋ができたなら、その後の人生はもういらない…

2009年06月19日 | 映画
この映画の原作本である『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク著)という小説を、私はもう何度読み返したことだろう。
15歳の少年が、母親と言ってもおかしくないような21歳年上の女性と恋に落ちる。
前半は、この少年の初恋の物語として展開する。
だが、中盤、この女性は突然姿を消す。
そして後半、ふたりに終わったはずの戦争が影を落とす……というストーリー。
この作品が、日本で新潮クレスト・ブックスとして訳出されたのが2000年4月。
とくに、3年後の2003年4月に新潮文庫に収められてからは、いつも鞄に入れて持ち歩き、暇を見つけては好きな箇所を何度も読んできた。

私にとって、この『朗読者』は、まぎれもなく「文学」であった。
「文学」なんてそこらじゅうに転がっているだろう……なんて思っている人もいるかもしれないが、現代においてはもうほとんど見かけなくなっている。
「小説」=「文学」ではない。
いま、日本で出版されているほとんどの小説は、「文学」ではなく「ストーリー」だ。
では何をもって「文学」とするかと問われれば、これが実に答えにくい。
あえて言葉にするならば、「文章」が「ストーリー」を創る手段・道具になっていないこと。
「文章」が「ストーリー」と同じくらいに、いやそれ以上に重要な役割をしているということ。
無作為にどこかの頁からワンセンテンス抜き出しても、その一行が見事に「詩」になっているというような……
そういう意味で、この『朗読者』は、どこから読み始めても「文学」を感じさせた。

その『朗読者』が映画になった。
日本では、6月19日(金)に公開された。
普通、新作は土曜日が公開初日になるが、この作品だけは金曜日だった。
6月19日が「朗読の日」だったからとのことである。
金曜日は当然のことながら私は仕事である。
だが、公開初日に見たかった。
仕事を終え、映画館に駆けつけた。

もう何度も原作を読み返しているので、主要な登場人物のイメージは、私の中で出来上がっている。
映画として見たとき、それが違和感として悪い方に作用しはしないか?
それだけが心配だった。
年上の女性・ハンナを演じるのは、ケイト・ウィンスレット。


最初、ハンナ役にケイト・ウィンスレットの配役が決まったが、ケイトのスケジュール(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』の撮影)が合わず、ニコール・キッドマンがハンナ役となった。
2007年8月から撮影開始。
だが、2008年1月に、ニコールが妊娠により降板。
当初配役されていたケイトが、再びハンナ役に起用された経緯がある。
私が小説を読んだ感じでは、ハンナ役は、ニコール・キッドマンよりもケイト・ウィンスレットの方が相応しいと思っていたので、ハンナ役にケイトが決まって私は嬉しかった。


この映画『愛を読むひと』で、ケイト・ウィンスレットは見事な演技を見せている。
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』でのレビューで、私はこの作品を「ケイト・ウィンスレットによる、ケイト・ウィンスレットのための、ケイト・ウィンスレットの映画」と表現した。
『愛を読むひと』でも同様のことが言えると思う。
ケイト・ウィンスレットだけが一際輝いている。


アカデミー賞の前哨戦と言われている第66回ゴールデングローブ賞では、
主演女優賞『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
助演女優賞『愛を読むひと』
の両方を受賞した。
そしてアカデミー賞の方でも、『愛を読むひと』で主演女優賞に輝いた。
文句なしの演技であったし、いままさにケイト・ウィンスレットの時代になりつつあることを我々に知らしめた受賞だった。


私は、この映画のレビューを、ケイト・ウィンスレットだけを語ることだけで終えようと思う。
実際、私の目には、ケイト・ウィンスレットに釘付けだった。
彼女しか見ていなかった。


映画『愛を読むひと』は、とくに前半の少年時代の回想部分が秀逸である。
ふたりが田舎に自転車旅行に行き楽しんでいる場面は、胸がキュンとなった。
少年と年上女性とのひと夏の恋は、かつて見た『おもいでの夏』を彷彿とさせる。




今までに見た映画の中で、好きな作品を一本だけ挙げろと言われたら、これまでは、高校生の時に見た『おもいでの夏』と答えてきた。
それほどこの映画は長く私の「おもいで」に残っている。
少年の頃に、これほど美しい「ひと夏の恋(初恋)」をしたならば、その後の人生は空しいものになるのではないだろうか……そんな風に思ったほど、この映画は私に強い印象を残した。
こんな初恋ができたならば、その後の人生はもういらない……とさえ思った。
この映画で年上の女性を演じたジェニファー・オニールは、私にとっては永遠の憧れになっている。
それから数十年の時が経ち、その永遠の憧れの女性に、もう一人が加わった。
そう、 ケイト・ウィンスレットである。


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