昨日、厚岸町の「あやめまつり」が始まった。
数日前に書いたあやめケ原が会場だ。
10年以上前、現役で働いていた時、別の職場にいたR子さん。
年齢は私と同じでシャキシャキ動くリーダー的存在。
細かいことなど気にしないしっかり者の彼女とテキトー人間の私は妙にウマが合い偶然通路で会うと、しばしの長話。
私は定年と同時にサッサと辞めて念願だった車中泊の旅に出たが、彼女はさらに5年も勤めた。
会う度に「いつ死ぬか分からないから、仕事なんかサッサと辞めて遊んだら」と云うのだが彼女のヤル気か衰えることはなく、延長期間ギリギリまで働いて退職した。
一生懸命働いたので市街地からあまり外へ出たことが無いらしい。
車は持っているのに運転は苦手なんだって。
実は彼女の母親と私の母は女学校の同級生らしい。
そんなこともあって「あやめケ原へ行こう」と誘ったら友人M子ちゃんも連れて日帰りの3人旅になった。
その他にも色々な場所へ何度か行ったが「あやめケ原」はやっぱり彼女との思い出の地だ。
牧場横を通ると、車窓から見える牛や馬に大騒ぎ。
地吹雪防止用のフェンスには「あれ・・・・・何❓」と質問をする。
北海道に住んでいる人なら誰でも知っていることを彼女は知らないのだ。
「私って意外にバカなの」と云う彼女に大きく頷く私。
そのバカを払拭するために一生懸命観光ガイド兼運転手は頑張った(笑)
彼女は初めてのものが周り中にあるので大喜びの連続。
こんなに案内し甲斐のある人は初めてだった。
その彼女が一生懸命歩いたのが「あやめケ原」の遊歩道だ。
今でも楽しそうに歩いていた姿が目に浮かぶ。
私が「がん」になった時、「大丈夫なの❓」と心配してくれたが、「誰にも云わないでよ」と云う私のオネガイに「分かった、誰にも云わないから」と約束しながら、あっと云う間に私の病名は広がった。
女はお喋りなのだ。
SNSなんかよりも広がるスピードは凄まじい。
花火大会の時、Pが満車で困った私は彼女の家が会場に近いことを思い出し、携帯で電話して「車を置かせて」とオネガイしたら「良いよ、何台でも停めな」と軽い返事。
彼女は川の対岸でM子ちゃん達友人と見物しているようだ。
実はこれが彼女の声を聞いた最後になった。
その後、彼女も「がん」を発症したのだ。
東京で化学療法を頑張っていたR子ちゃん。
「もう少しで治療が終わるから、早く帰りたい」と云うメールを残し、彼女が帰ることは無かった。
だからアヤメを見る度に私は彼女を想い出す。
元気で気さくで、それでいて自分のことを「本当はバカなの」と云っていた彼女。
今年もアヤメが満開の時期を迎えた。