ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

“時間”と”エネルギー“

2022-06-27 12:27:39 | 社会・経済
用事があり名古屋東京日帰りドライブ。

朝6時なので道も空いていて豊田インターまで国道、そこから新東名。

2500CCの四輪駆動のガソリン車。遊び道具も積みっぱなしなので、この燃費は、マズマズかな。
ひたすらアクセル踏まずにアイサイトのクルーズコントロールで。
空いていて、食事も安くて美味しい鮎沢PA
天気はここは曇りがちで今日も富士山は見えず。せっかくの“富士見食堂”なのですが。

トラック運転手御用達のPA。トラックの駐車スペースも広く、使いやすいPA。少しはコロナ後を見据えて物流が盛んになっているのかトラックも今までよりも沢山。
東京インターまでは厚木辺りから込み始めましたが、なんとか流れに乗って。

東京インターを降りたときには、走行可能距離は余裕で名古屋へ戻る事のできる数値を。
ところが、天気よく、出かける人が多いせいか、そしてなによりも人の多すぎる東京、道は大渋滞。

しかも炎天下、車もエアコンフル稼働

たった30Km走向するのに3時間、そして走行可能距離は200Kmも減。
東名川崎インターから東名高速に入ると、午後なのに下りは大渋滞。みるみるうちに走行可能距離は減り、名古屋には辿り着けない値。
ナビを見ると

目的地までの距離と走行可能距離は100Km近くも足りません。
どこかのSAでクソ高いガソリン入れないと無理かな?
厚木からは高速道路も空いてきて流れるように。復路もクルーズコントロールで。
するとどんどんと走行可能距離は増えていき、浜松辺りで目的地までの距離と走行可能距離が逆転。無給油で戻れるように。
名古屋まで無事に無給油。

それにしても、人の多すぎる東京、”時間(=渋滞)“も“エネルギー(=ガソリン)”も無駄にしていますね。時間を無駄にするな、再生可能エネルギー、と声高に叫んでいる東京の人達、もう一度、自らの立ち位置を考え直すことが、日本全体にとっても必要なことかと。










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6月に観た映画

2022-06-27 09:41:43 | 映画
映画の評価は散々。でも、実際に観ると全く異なると。普通は皆さん、評価を見て行くこともあるので勿体ないと。多分、水谷豊さん、テレビ朝日が嫌いな人達の書き込みかな。
まぁ、余りこんな評価とか、テレビでの“感動しました!”といっている連中は気にしませんが。
この映画では、中国に端を発したコロナの世界的パンデミックは、日本にも大きな打撃。経済的打撃も大きく、日本が永年内包していた課題、つまり変化を嫌い、新たなものへの拒否反応。特に地方においては顕著。この映画は、厳しい地方都市での文化へのあり方を面白おかしく描いた、コロナ時代の映画。厳しい地方経済の中で、金にもならない文化活動への補助の打ち切り。人類の歴史の中で、”文化活動“は経済的に余裕があって初めてなり立つもの。一日中、食べることに専念している人間以外の動物と人間の大きな差異。
個性的な俳優さんたち、若い人を取り囲むようなベテラン陣。そしてなんと言っても西川智実さんの凛々しさも。ただ、話している声が全く聞こえないのは大人の事情かな?
素敵な映画。
これほど注目される前から気になっていた映画。
カンヌ国際映画祭で賞を取ったので結構、お客さん、しかも高齢者の方達。
映画は、若者たちによる高齢者殺害、というショッキングな場面から。若者たちによれば、高齢者が多いから自分たちへの税金の使い方が十分ではないという”世代間対立“。
将来的、というかすぐそこに見えている“日本の将来”。間もなく、団塊の世代の人達が後期高齢者、つまり75歳に突入。東京の今施設にいる母の関係から施設の方、数人のケアマネジャーさんとお話しをする機会がありました。彼等の一番の心配は、やはりこれから大量に発生する団塊の世代の人達の問題。東京でも、今、都内、若しくは地方に施設を沢山新設しています。でも、いくら新しい施設できてもそこで働く人達がおらず、稼働できない施設、あるいは稼働率が50%などという施設が多いとのこと。現在ですらこの様な状況なのにこれからの団塊世代が後期高齢者となる状況は恐ろしい、と。
そして、今の日本という国の凋落を見ると、若者たちの経済的環境も芳しくないと。高齢者に近親者、例えば、伴侶や子供がいても、同居できる、経済的に支援できることは非常に厳しくなると。
妻子がいるから大丈夫、というのはもう、過去の事になりつつあります。となると、まだ、意識のあるうちに、自らの生き方、つまり自ら死を選ぶ、というやり方はあり得るかも、と。
確かに高齢者の人達が今の日本の繁栄を導いた事は事実であり、それに対して報いる事は理解できます。しかし、日本の状況からそれを許さないくらい若者たちは疲弊し始めています。自分達自身が生きることに大変になっています。
倍賞千恵子さん、その年齢は重ねて老いは感じられても、凜とした美しさは変わりません。
映画の最後は、”希望“とパンフレットには記載されていました。でも、本当にそうなのか?
自らの意識が無い、単なる“生物体”としての存在が本当に”人間として“どうなのか?人としての“尊厳”とは?
映画では”プラン75が好評なのでプラン65も検討中“と。
還暦をすぎた自分にとっては非常に重い映画。
半世紀前に中学校の頃、日曜日の夜にNHKのラジオ番組、“日曜名作座”で初めて触れた小説。
森繁久弥さんと加藤道子さんの迫真の朗読に引き込まれました。長岡藩というものがどこにあるかもわからず(今は新潟県によく遊びに行くので判りますが)、“武装中立”のスイスを日本に作ろうとした、その思いに惹かれました。当時の日本、戦後のいわゆる55年体制で社会党がまだ力を持っていた時代。石橋書記長の”非武装中立論“が世の中で議論されていました。よく“非武装中立論は非武装万歳論”と揶揄されていましたが、本を買って読んで、何もしないのではなく、”日本を武力攻撃することが世界にとって不利益になる、そんな国に日本をする事“と言うことで、本では“医療”をあげていました。日本に行けばどんな難病、難しい手術もできて命が助かる、そんな国。
河井継之助の”武装中立“、石橋書記長の“非武装中立論”どちらも、自ら戦争をせずに日本を護る、という思いは同じことと。
多感な子供時代、感動しました。
ただ、司馬遼太郎さんの原作では、河井継之助のスイスのような”武装中立“の必要性の熱い思いが書かれていたと思いますが、この映画では残念なことにその事は余り出ていません。せっかく、素晴らしい俳優さん達が出ているだけに勿体ないと。コロナの前に完成、コロナの影響で二年越しの公開となった映画。この二年の間には世界は大きく変わり、今、まさに日本を護るということの意味が重要視されている時代。この映画の意味は大きいと。
MX4Dを初めて体験。シーンに応じて座席は大きく揺れ、風が吹き、時には霧も。戦闘機のシーンでは臨場感あります。
前作から40年近くたっての続編。トムクルーズも還暦近く、年相応に指導者として、でも、最後には自ら。
本当に素敵に歳をとっているな、と。
そしてこの映画ほど、中国の世界における立ち位置が大きく変わったことを痛感できます。ハリウッドは中国の巨大な市場のためにチャイナマネーを受け入れ、その結果、中国に都合の悪い映画は作られない、という“暗黒時代”。
この映画も当初は、中国政府、そして軍需産業と密接なネット企業、テンセントが出資していました。その結果、かなりの歪曲された部分が。
トムクルーズが着るフライトジャケットから日本と台湾の国旗が消えて、訳の分からないものに変更されていました(完成した2019年)。しかし、米中の関係悪化からテンセントが手を引き、その結果、当初の日本と台湾の国旗が復活。映画でも最初のシーンでトムクルーズがこの”本来の“ジャケットに袖を通していいます。
当初、この映画について、中国と袂を分かったとのことでしたが、大きな興行成績をあげており、中国市場無くても良い映画は、成功すると。そのため、ハリウッドでも、中国に頼らない映画作りの機運が強くなっていると。この映画、因みに中国では上映禁止とのこと。また、別の記事では、トムクルーズが心酔している新興宗教、スピリチュアル組織を中国政府は禁止、でも台湾は許可、とのことから中国が制裁の意味で手を引いたとも。中国は他国の文化、歴史を都合良く捻じ負けようとしている中で、アメリカ本来の“自由”ガ取り戻せれば良いと。セブンイヤーズインチベットでのブラッドピット、中国を批判したリチャードギアが早く、映画界に戻って欲しいと。
そのようなこと思いながら、懐かしく。
ラストに流れるの”ANTHEM“を聞くと我々世代はゾクゾクと。
今、戦闘のおこなわれているウクライナのひまわり畑が有名な映画。何度も観ていますが今回改めて。ヘンリーマンシーニの悲哀を感じさせる曲、そしてイタリア的な戦争による悲劇の描き方。悲劇を男と女の愛情で描く見事さ。そしてラストシーン。今回の戦闘行為、色々と考えさせられます。ロシア(というかプーチン)の”大ロシア“復活の考え方は、“理解”出来ても”是認“はできないですが。
“このひまわり畑、麦畑にはロシア兵とイタリア兵が埋まっている。ナチスが埋めた”
今も同じかもしれません、80年たった今でも。
カムイと人、精神的なものと人的なものが一体となったアイヌの考え方。それがよくわかる映画。
”カムイ“とは日本語では“神”と訳されますが、本来の意味は”精神をもったもの“という意味で、人間の周りには“カムイ”が沢山。日本古来の八百万の神、に近いかもしれません。”カムイ“から与えられた動物を食し、毛皮を貰う、そしてそれを祭事で送り出す儀式“イオマンテ”。
この”チロンヌプイカムイ“とは“キタキツネ”。
1986年の録画を現代に画像処理をして再生。
イオマンテ、自体は、熊が有名ですが、これも含めて現代ではおこなわれていません。”動物保護““可哀想”という”西洋思想“に基づく批判からと思います。“人と自然”は”相対する“もので“自然は克服、征服する対象”という発想に基づき、それへの反省、贖罪から生まれた考え方。アイヌの考え方、ひょっとしたら日本古来の考え方の対極にあるもの。
現代社会があちらこちらで行き詰まっている中で、アイヌの考え方はもう一度見直されるべきと。アイヌの人達を利用した金儲け、ウポポイのやうなやり方ではなく。








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名古屋市最高峰登山?

2022-06-20 12:27:16 | 
最近、運動不足、それでも若い頃は無理も利きましたが、還暦を超えると如実に運動不足が体に響きます。
天気も昼前から雨の予報なので、手軽に行くことができると言うことで、名古屋市最高峰の“東谷山(とうごくさん)”へ。標高198m。

東谷山フルーツパーに隣接、志段味(しだみ)古墳群の中にあります。


入口には可愛らしい埴輪のオブジェ
東谷山からのルートはひたすら階段。これは結構足にきます。下りは別のルート探さないと。
登山道沿いには古墳群





早朝なのでまだ誰も登っていないので蜘蛛の巣を除けながら山頂の展望台へ。
庄内川と春日井の街並み

山頂には神社。尾張戸(おわりべ)神社。
地元のお年寄り、その他の人達が神社の手入れと朝の掃除。実は展望台でサンドイッチとアイスコーヒーでモーニングをとろうと思っていましたが、お掃除の落ち葉を燃やしていて展望台に煙りが風に流れてきたので諦めました。お仕事しているので仕方無いですね。
掃除をされていたお年寄りのご夫婦からパンフレットも貰い、色々とお話しを。
神社の本殿は名古屋市と瀬戸市にまたがっていて、本殿のまえにたつと両市をまたぐ、とのこと。色々と興味深いお話も
また、幾つか登山道があるので、”階段地獄“を避けて降りることに。“猪が沢山いるから気をつけてね”との声をあとにして。






神社の参道入りに駐車場。
実は初めて来たので駐車場見つからず(フルーツパークの駐車場はどこも9:00からで施錠されていました)、ちょっとした道に路駐していました。駐車違反にならないように気が気でなかったので、次回からはここへ。
周回して1時間ちょっと。戻ってきたら雨がパラパラと。
朝のお散歩コース


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コロナと日本

2022-06-13 12:02:57 | 社会・経済

日曜日に映画とコンサート。
映画内容は別に。
ここで扱われている社会情勢が今後の日本のあり方に色々と考えさせられました。
中国に端を発したといわれるコロナ、そしてパンデミック。日本もその例外ではなく、経済活動の停滞、縮小を。都会も厳しいですが、元々、経済の縮小が始まっていた地方にとっては、場合によってはトドメとなったいるかもしれません。この映画でも、地方経済の衰退により管弦楽団を篤志家の人達の援助だけでは維持できず、かといって地元の地方自治体の援助も受けられず廃止となる事を面白おかしく描いています。
“文化活動”なるものは、毎日生きるための”食うもの“があって初めてなり立つもの。日々の生活に四苦八苦している中で、“腹を満たせない”音楽に金を使うくらいならば、自分達の生活に金を使って欲しい、と思うのは当たり前。
かなり前の事ですが、とある地方自治体の長が、いつかは自分達の市に管弦楽団を作れるくらいに発展させたい、といっていたことも。バブル前の事ですが。
人間以外の動物に”文化が無い“というと批判浴びるかもしれませんが、朝から晩まで、餌を集めることに費やしている中では、文化は出てこないと。現代のコロナ時代の日本にも当てはまるかもしれません。
同じことは、自然保護の世界も。いくら、“自然は大切だ”と言ったところで日々の暮らしが厳しければ、その自然を護ることよりも腹を膨らませることの方が大事とするのは”生物である“人間にとっては当たり前。
自然保護を叫んでも、飯の種にならないものは不要と。環境省も“国立公園を含んだ自然の有効活用”と言ったその言葉には”経済的価値“を追求し始めること、そして、自然を護ることよりも経済的価値を重視すること、これが今、日本の各地でおこなわれていると。山小屋そのものが環境破壊の原因のひとつとされても、そこへ来る登山客のお金のほうが大事と。
それだけ日本に余裕が無くなってきていると。
そこへ、外国人の移民増やしたり、産めよ、育てよと若い人達に子供を産ませて人口を増やそうとする施策は、何か高度経済成長の思考のまま、日本の経済力は大きく変わっているのに。
映画を見終わって、午後は名古屋の管弦楽団の演奏会。美しい音楽はもちろん良かったですが、それ以外のこと、色々と。

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3年ぶりの山菜キャンプ

2022-06-05 19:20:45 | アウトドア
3年ぶりに妙高笹ヶ峰で山菜キャンプ
名古屋から北上していると朝焼け恵那山のシルエット。
信濃町からは天気は曇りがち、そして妙高へ入るとパラパラと雨が
霧の中、笹ヶ峰林道、初めて来たと思われる観光客の車は止まりそう。慣れた道なので我が家の車は道を譲って貰って笹ヶ峰へ。
そして笹ヶ峰牧場に着くと霧が晴れて天気良く。
“笹ヶ峰マジック”
下界は天気悪くても笹ヶ峰だけは天気が良い不思議な気象条件

霧が残っているうちに写真を。予想通りの写真を






笹ヶ峰の駐車場には除雪の雪山。
朝の内に写真を撮ってから一度山を降りて柿崎の代々菊酒造さんへ。

米山は雲の中

”吟田川(ちびたがわ)“
おじさん、おばさんと楽しくお話をさせていただいて、新しいお酒。
そして今日の目的、来週末クラシックコンサートの演奏をする市民オーケストラの団員の方へ、お酒。チケットをいただいたのでその御礼で。昨年末にもこの吟田川を送りましたが、とても美味しかったと喜んでいただいたので今回も
間もなく代える車の最後、と言うことで記念撮影
柿崎から朝の妙高笹ヶ峰へ再訪。
林道沿いの大きなミズナラの木。春先に訪れて依頼
焼山は雲の中から段々と

いつものメンバーで。

集合後、山菜を採りに。

笹ヶ峰牧場は、周りの雪山を見ていると、ヨーロッパのような風景。

牧場が開発される前からの笹ヶ峰神社



戻ってきてからは夜の宴会用に
山小屋を降りて今年辞めた管理人さん親子が手作りのブランコで


素敵な管理人さんでした。山小屋は単にそこにあるのではなく、その山小屋のスタッフの魅力が大事と。この山域を熟知されていた上に素敵な人柄に惹かれて通っていた登山者も多かったです。
残念ですね。

夜のキャンプファイヤー用に準備



日が沈むとテント
山菜は勿論、鹿肉、猪肉、そして熊肉。
そして皆さん持ち寄ったもので美味しく。

そして大人の火遊び



火を見ながらお酒を吞んで。素敵な時間を。

朝早く目が覚めるのは、年寄りが多いせいか?な

朝食後は、夢見平へ
笹ヶ峰ダムからは残雪の雪山










夢見平は、今はニリンソウの群落があちらこちらに




ニリンソウ以外も沢山の花

























戻ってくると猿がお出迎え
山菜をしきりに食べていました。我々のご先祖様、同じことを。
昼前に素敵な仲間たちと別れて、名古屋へ

暑くなってきたので信濃町インター近くのお蕎麦屋さんで。
とても美味しいおそば。
あとは名古屋へ







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