ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

5月に観た映画

2022-05-30 09:15:04 | 映画
江戸末期には全国で20万人、戦後にも1万人ほどいた、と言われる“サンカ”。定住もせず戸籍もなく所有権の概念をもたず、警察からは”山窩“という字をあてて、いわゆる被差別層として扱われてきました。この“サンカ”については戦後、色々と議論になってきて一部は美的に文学的に著され五木寛之さんの”風の王国“も実態とは離れたファンタジーにされてしまっています。
この映画では戦後の高度経済成長の初期に舞台を設定、競争社会の中でついて行けなくなった都会の子供と“サンカ”の親子との出会い、触れ合い、そして”サンカ“の哀しい現実への妥協が描かれています。
右肩上がりで“経済”が上昇しているときには”物質的幸せ“を感じて、それこそが人の生きる目的、幸せとなってきてきました。
しかし、現代、特に日本は経済的に行きづまり、そして人を押しのけてでも勝ち抜く競争社会そのものが疑問となるなか、もう一度ふり返って人間社会をとりまく自然の中でどう生きるのが、“人として”幸せなのか、そんなことを突きつける映画でした。万人受けはしない、でも素敵な映画
流れ星にあたった後に起こる何気ない日常の出来事をおかしく描いた”大人の童話“
小林聡美さんを始め、平岩紙さん、江口のりこさん、そして松重豊さんなどの演技達者な皆さんの不思議な映画。
なんと言っても松重豊さんのラブシーンには驚き。世知が無い世の中で、市井の人達の、普通の、でも、不思議な映画。
素敵な映画
テレビドラマの映画化。
放射線技師という病院の縁の下の力持ちを。
テレビドラマと同じくテンポ良く、そして現代的な問題を並行的に。
とにかく俳優の皆さんが生き生きとしていて素敵な映画。
本屋大賞を受賞した原作を映画化。広瀬すずさんは名前を知っていても演じている作品をじっくりと観たのは初めて。圧倒される演技力。内に秘めた純粋に相手を思う愛情表現は素晴らしかったです。それを受け止める松坂桃李さんも素晴らしい。若手俳優が生き生きとした素晴らしい映画。
今、ロシアからの侵略に曝されているウクライナ。2014年にいわゆる”ユーロ・マイダン革命“。
親ロシア政権への抵抗をした民衆の革命。その結果、親露政権は崩壊して、いわゆる民主的政権が樹立された、とされています。
この映画は2015年に、ポーランドで制作されたマイダン革命の中での1台のピアノをめぐるドキュメンタリー映画。革命直後なので、全面的に民衆の運動側から描いている、肯定的に描かれています。ロシアはこの民衆運動、親露政権崩壊に危機感をもち、今日の侵略戦争を起こした、とされています。
ただ、時間がたつと別の面も判明し始めています。このマイダン革命はアメリカを中心とした西側諸国が対ロシア戦略として利用した、ということも。
歴史をいったいどの段階で区切るか、によって見方は変わって来ると。単純に“今だけ”を取り上げて、
”ウクライナ、西側諸国=善“
“ロシア=悪”
という二律背反的なとらえかたをすると間違えと。勿論、今、おこなわれていることを肯定、是認はできませんが。
我々はあくまでも”西側“の価値観に基づいてものを考えます。しかし、それも一方的な考え方であり、色々と考えさせられる映画。

子供の時に見ていたテレビ。
当時からの突っ込みどころは満載なのは変わらず。しかも、それをこの映画では堂々と。
”なんで日本ばかりに怪獣が出るのか“
“ウルトラマンは裸なのか服を着ているのか”
リアル世代にとっては後から考えると、ウルトラQとウルトラマンは”怪獣““宇宙人”を扱っていても後のシリーズ番組とは違う世界観。非常に人間味がありました。子供心に色々と考えさせられたのも事実。この映画は、観る世代によって感想は異なると思います。リアル世代にはこの独特な世界観を懐かしく、若い世代には、昔はこんなのが流行っていたのか、と。
そしてリアルとこの映画との大きな違いは、自衛隊の扱い方。昔は自衛隊は出てきません、別の怪獣退治の組織。今回はふんだんに出てきます。リアル世代の時には自衛隊はその存在そのものを疑問視することが当たり前の時代、でも、今は全くその逆。これも時代の流れを感じます。

伊能忠敬が日本地図を完成する前に亡くなっていたという史実にもとに作られた落語家の立川志の輔さんの創作落語。その落語の映画化。伊能忠敬亡き後のそれを支えていた人達の歴史からは埋もれていた生き様。そして伊能忠敬がなぜ、齢(よわい)50歳といわれていた時代に、50歳過ぎてから日本地図を作ろうとしたのか。その思いが現代の日本をとりまく厳しい世界情勢に繋がると。
幕末に日本に日本を領土化しようとして来た英国人が伊能忠敬の地図をみて、こんなに凄いものを作る日本を植民地にすることは不可能と諦めた、という話も。
出演されている俳優さん達は皆さん素敵な俳優さんばかり。とても素敵な、日本の映画。

以前から、お名前は聞いていた造園家の矢野智徳さんの活動のドキュメンタリー映画。
矢野さんが大事にしている”自然の呼吸“。
“風”と”水“を封じ込めてきた戦後の日本。コンクリートで全てを覆ってしまった、また、砂防ダムのように表面的な防御のみで対応してきた戦後日本のツケがこの数年の“未曾有”の災害。確かに雨の降り方は激しいものはあるものの、それを吸収する余力のなさ。
大きな山崩れでは必ずと行ってよいほど砂防ダムがあり、氾濫した大城など川の土手は水を吸収しないほど硬くなっており、そして都会のコンクリートの下の土地は硬くなり、有毒ガスがたまっている状況。
戦後の永年にわたりコンクリートで固めた日本国土の悲鳴が、年月がたって今、放出さるている、そんな気がします。
更に、この映画では触れられていませんが、現代では政治的な思惑の強い”メガソーラー“の大規模な山の切り崩し。事態は一層深刻に。
このことは以前から気になっていたことなので、改めて認識を確認。その中で地道に活動をされている矢野さんには頭が下がります。その情熱はどこから来るのか。そして還暦を過ぎた自分には何ができるのか?
色々と考えさせられた映画









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吹雪と新緑

2022-05-23 11:07:58 | スキー
今シーズン最後のスキー、滑り納めに乗鞍岳へ。
天気予報では一時的な下り坂予報
乗鞍岳方面を見ると、どんどんと雲が下がってきています

今年は雪解け早く、三本滝までは下山できないので観光センターから春山バス。料金は同じなので



天気良くないので乗られる方も少なく20人強

途中、三本滝から乗られた方も入れて30人強
ハイカーの方達もいました。
終点の位ヶ原山荘、霧が濃くなってきています
林道を雪の壁が崩れてこないように確認しながら
除雪終了地点から板をはいて。
大雪渓の入口近くまで、除雪は終わっていました


大雪渓の入口で。
雪が降ってきました
雪の結晶が大きく、そして綺麗な形で
乗鞍岳も一瞬だけ見えました。
とりあえず肩の小屋まで。
着いた頃は雪と風で、弱い吹雪のよう

大雪渓は視界が見えたので気持ち良く
ザラメ雪混じりの斜面




今シーズンの滑り納め

位ヶ原山荘近くはデコボコの雪面で苦労しながら12:30の下りのバスに出発直前に乗り込み。
それにしても今シーズンは週末は天気悪く、スキーにはあまり良くなかったシーズンでした。
ただ怪我も無く、無事に。

夜は、もう、30年以上通っているお店へ。
昔、北アルプスを縦走して下山して仲間たちと持ち合わせたお金で食べたお店。
今は山小屋の料理は凄く良くなりましたが昔は良くなく、昼はインスタントラーメン。高山で食べる食事が楽しみでした。少しでも早く食べたくて、下山路を走りながら降りてきました。若かった。
そして高山での素敵なバーへ。入口の灯りにはツバメが巣を作っています。マスターも糞が看板についた、とか言いながら楽しんでいます。
バーのマスターというと寡黙な、というのが定番ですが、よく話をする明るい、そしてとても知識のある素敵なマスター。

嫁さんにはカクテルを


高山の素敵な夜

次の日は飛騨市の“ガッタンゴー”渓谷コースへ

昔の国鉄、JR.神岡線、後には神岡鉄道が廃線となりその跡を自転車で。元々は神岡の町中でのコースだけでしたが、その後、山あいの渓谷コースへ。この日も予約は朝1番しか空いていなかったので朝1番の回へ。


昔の路線跡

周りの山々の新緑は目に染みます


出発すると、明け方まで降っていた雨で新緑の緑が眩しいです。
緑の森の中へ



橋を渡るときに、釣り人の人達も見えました




川の流れも綺麗







乗車の前に注文した写真
秋の紅葉の時も見事ですが新緑の季節も素敵です
レールの継ぎ目の”ガッタン、ガッタン“という音が山あいに響き、そして風を受けながら進んでいくと“生きているなぁ”と感じます
飛驒古川駅の前の美術館でイサム・ノグチさんの展示会他が開催中



閑かな美術館で素敵な光の展示

同時に開催されていた”透かし折り紙“
フラッシュをたいて写真を撮ると“ザルボボ”が輝くと。
難病を患った北海道のかたの作品
素敵です。
飛驒古川駅の跨線橋は、映画”君の名は。“の中でモチー部として出てきます。実際には映画のように特急ひだの入線するホームは違いますが。
コロナ前には外国の若い人達も沢山来ていました
お昼は高山でもう100年以上のお店で天とじ丼を。高山に来るとよく利用させて頂いて、顔馴染みになった若主人さんと話をして、ようやく人は戻ってきたな、と。

とはいえ、昨晩、御邪魔したお店の人達は、確かに宿泊客は増えているが外食が全くダメ、と。
確かに昨晩は高山の夜、町中を歩いても人、特に観光客は少なかったです。ちょうど開かれていた“ジャズフェスティバル”の影響ではないと思いますが。
天気良く、国分寺の三重の塔も青空に


国分寺の横には身代わり猿。
身代わり猿はあちらこちらにありますね。我が家には奈良の身代わり猿を入口にぶら下げてあります。
名古屋へは一般道で。
久々野の”坂本酒店“さんへ。全国からワインの注文が来る隠れた名店。
ここでいつも、シャンパンを。1000円程度の普段吞みのできる安いシャンパンで、餃子を。昔、ソムリエさんから教えて貰いました。餃子を柑橘類の絞り汁で黒胡椒を入れてシャンパンで吞むと最高と。それも安いシャンパンで。

あとはのんびりと名古屋までドライブ









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天気に恵まれなかった今年のゴールデンウィークの北海道(2)

2022-05-06 11:35:09 | スキー
北海道3日目は廃線が決まった函館本線へ
路線バスで倶知安駅へ
ディーゼルハイブリッド車
倶知安を出ると最初の駅、小沢(ござわ)駅。
ここからはとなりの銀山までの勾配が厳しく、かつては日本最大級の蒸気機関車C62の重連の“急行ニセコ”が有名。銀山峠までの登り勾配への登坂のための機関士と機関助手との煙との闘いについては多くの映像が残っています。
最初にニセコに来始めた30年以上前には新千歳空港駅からは今のような直通バスはなく、函館本線で札幌小樽経由で倶知安へ。その時のディーゼル列車もやはり急勾配では耳をつんざくようなエンジンの大音響を出しながら、止まりそうに走っていました。
でも、現代のディーゼルハイブリッド車は難なく速度を落とさず走り抜けます。
時代の流れですね。
然別(しかりべつ)駅での交換




余市に近づくと町中へ


小樽駅。
知人が”小樽にはとんでもなくレトロな喫茶店“がある、とのことで急な雨で飛び込んだアーケードに入ってすぐに目の前に。

店内は撮影禁止ということですが注文したコーヒーと手作りのカステラ?
レトロな店内には数多くのカンテラ、サイフォンが展示されていて、それをみているだけで楽しいです。

アーケードを歩いていると石原裕次郎さんの写真があります。もう閉館されましたが“石原裕次郎さん記念館”が小樽にありました。閉館前に我が家も訪れました。

渋いですね

こんな面白いものも

南小樽駅近くに美味しいおみせがあるとのことで歩いていると桜が満開。



小樽駅と南小樽市の間は結構、上り下り多く、坂の町小樽を実感。
上り下りを歩いていると地元の人たちがドンドン入っていくラーメン屋さん発見。目的のお店変更して飛び込んでみました
目の前でチャーシューを炙っています。
炙られたチャーシューの香ばしさが美味しいラー面積でした。

毎日夜、訪れているTOSHIRO’S BARの奥さんが誕生日とのことで何かを、とと思って観光客向けのお店が集まっている場所へ。北一ガラスのアウトレット店でスマホたてを。どこがアウトレットなのか、よくわかりませんでしたが。

昔ほどではないですが観光客も戻ってきています

そしてその後小樽駅方面へ

昔の手宮線跡へ。
残っている線路の一番端で誰もいなかったので嫁さんと記念撮影

中々線路の上に立つのは難しくなってきました。若いときには問題なく線路の上を歩くとができたのに。歳と共にバランス感覚無くなっていきますね。

色んなポーズで。
こんな人前では恥ずかしい写真も。
そうしたら遠くで我が家を観ていた若い人達がいっせいに似たようなポーズで写真撮り始めました。恥ずかしい!

小樽駅15:05発の倶知安行きで
小樽駅から暫くすると日本海が。
果物産地として有名な仁木。車で以前通ったときにはサクランボが。



リンゴ、ブドウ、サクランボ、スイカなどの果物が沢山あるので色々な果物畑の間をディーゼルハイブリッド車は走り抜けます





小沢駅の跨線橋も風雪を凌ぐためか片側は封鎖されています。

心地良く列車の揺れに身を任せていると、終点倶知安駅の直前で急ブレーキ。
すると目の前を鹿が横切っていきました。
鹿も暫く此方を見ていました。


運転を再開して倶知安駅に入ると駅前のスキー場、旭ヶ丘スキー場が。レルヒさんが指導をしたのがこのスキー場
倶知安駅のかつて使用されていたホームは閉鎖
ここから昔は小樽駅へ向かいました。
もうすぐ北海道新幹線の駅ができる予定
夜は3日お世話になったbangbangの齊藤さんと奥さんと写真
そしてTOSHIRO’S BARのご夫婦と

翌日、北海道を離れる日、フェリーは夕方なので知人宅へ
その前に、以前から気になっていたニセコの”ストーン サークル“へ。



昔、縄文時代に縄文人もこの地でニセコアンヌプリをみていたのですね。
素敵な知人宅からは羊蹄山が見えるはずですが天気悪くて雲の中。
目の前は蕎麦畑でしたが、急遽、国の補助金で小麦畑になるそうです。知人は目の前の蕎麦の白い花が素敵だったのに、と。今年は白い花の代わりに黄金色の麦畑。
これもロシアのウクライナ侵略の影響ですね。国も慌てて小麦の時給率向上を
楽しく知人ご夫婦とお話をして昼過ぎにニセコを出て小樽へ




今回は、久しぶりの出航の銅鑼。
人が集まって“密”になるので中止されていた銅鑼。今回のフェリーは満室ではなく空いているので銅鑼をやったのかもしれません。以前は銅鑼のことを艦内放送で流していましたが、この日はなんの前触れもなく。
この日の夜は和食のコース
ただ、これから低気圧に近づいて行くので大きく揺れる、とのことで微妙に揺れを感じます。

北海道に因んだ新潟県を代表するお菓子を売店で買って北海道のウイスキー呑みながら。
夜は物凄い風と揺れでした。
朝は穏やかになり、水平線からの太陽の輝きで目覚め
朝の光に照らされた飛島
知人からいただいた倶知安の洋菓子店のドーナツをニセコの高野珈琲店さんのアイスコーヒーで。
占冠村のしもかぷ工房さんのククサで。
昔、仲間たちと遊んだ粟島をみたらまもなく新潟港
新潟港に入港する直前に新潟空港から離陸した飛行機が頭の上を





新潟港にはかつて新潟小樽直行便で使われていたフェリー”ゆうかり“が停泊。このふねにも南海も御世話になりました。この船は、なんといっても食事をしながら夕焼けをみることができるようになっていたのが素敵でした。

新潟港に入港して方向転を始めるといつもは下船案内があるのにこの日はその案内がありません。
しかも岸壁に付いても案内がないので、聞き漏らしたかと思って下船口へ歩いていくと、海上保安官が数人、走り回っています。
デッキに上がって外を見ると、車の下船口のタラップがあがったまま。
係員も立ち止まったまま
すると救急車が。
そういえば湾内での方向転換をする直前に救急車とレスキュー隊が港にはいってきました。
近くの人に聞いたら、朝早く、人か倒れていて大騒ぎだったとのこと。フロアが違ったのか我が家は気づきませんでした。
結局、1時間以上下船できず、ようやく10時半近くに下船
“あざれあ”と”ゆうかり“



いつも帰りに寄る”まつや“さん
燕の背脂ラーメンが絶品
背脂が浮いていますがでもギトギトしていません。
美味しかったです。
夜は、知人にいただいた鶏飯を。

天気は悪かったですが、スキー以外でも色色と楽しみを見つけました。






























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天気に恵まれなかった今年のゴールデンウィークの北海道(1)

2022-05-06 09:40:02 | スキー
今年のゴールデンウィークの天気予報は日替わりでコロコロと変化。つまり安定していない予報
姨捨SAからは善光寺平、頚城の山々も雲の中
妙高山も厚い雲の中
妙高SAの中にある桜はちょうど満開。





雲の中から妙高山は見え隠れ
北陸道へ入って米山SAでいつものサバサンド
サバの独特のくさみが癖になります

新潟港山下フェリー岸壁




制限のなくなったゴールデンウィーク、車も多数。三ヶ月前の予約時には空いていましたが、制限が解除されてからはあっという間に満室。
スタッフも久しぶりなのか、色々と。


今回も出航の銅鑼は省略
寂しいですね。
部屋では蘭越町の松原農園さんのワイン。
新潟港近くの鮮魚店でお寿司

曇りがちですが水平線の僅かな隙間から日本海に沈みゆく夕陽

夜は小樽のホテルのフルコースを。

もう何年も馴染みとなった方、若いスタッフの皆さんと記念撮影。
今日も大変美味しかったです。
このフェリーの楽しみのひとつ。
小樽港には予定通り朝4:00過ぎに到着




駐車場はお盆並みの混雑。
乗船時に問題が。
通常、1列おきに駐車させますが、今回は順番に誘導したため、運転手が扉を開ける前に右側に次の列の車。そのため運転手は扉を開けるのも一苦労。更に後席の荷物を出そうにも扉をあけられず窓から荷物の出し入れ。この数年間、これ程混むこともなかったためなのでしょうか、誘導の仕方を忘れてしまったのかな?
更に首都圏の車を中心に外車が増えていて気を遣います。どんなにたいしたことない外車でも、一応外車なので。
我が家は慣れているので荷物はハッチバックからだけの出し入れ。
朝の陽光に輝く“らべんだあ”
今回は、当初、下船後そのまま積丹岳へ行くつもりでした。新潟港出航直前にニセコアンヌプリへ一緒に行く倶知安町の知人から、天気良いのはこの日だけなのでこの日にアンヌプリへ、と。
ということで倶知安町へ直行
途中の小樽を見渡す展望台から。

倶知安町へ入ってすぐに羊蹄山をみながら朝食。
羊蹄山、アンヌプリ、ワイスホルンと。
倶知安町の町中へ入るとレルヒ”中佐“像
日本で初めて上越高田の金谷(かなや)山で軍事教練でスキーを教えたレルヒ“少佐”。
”メテレ スキー“(スキーをはけ)
“オテレ スキー”(スキーをぬげ)
これが日本の最初のスキー。
北海道へ来てから中佐に昇格、銅像も金谷山のものよりも恰幅がよく、中年太り気味かな。
羊蹄山をバックに。天気予報ではこの日以降は拝めなくなりそうなので。

小樽港からは普通に走って1時間くらい、ゆっくりと来ても7:00過ぎには到着
ひらふで天気もよく暖かいのでブラブラと散歩
また、外資のホテルの建設現場。ニセコでは日本のバブル期のような建設ラッシュ。それも普通の日本人が泊まれないような高価なホテル

昭和9年にこの地を訪れた作家の林芙美子さんの記念碑。100年後に、こんなニセコになるとは想像もできなかったでしょうね。
知人達とリフトを乗り継いでニセコアンヌプリ山頂へ。風が強く、立っているのがやっと。
そして北斜面は、一面のアイスバーン。
足を引っかけて体制を崩したら、そのまま最下部まで滑り落ちる状況。なので写真を撮る余裕なし
下部の樹林帯は気持ち良く。
下山してノンアルコールビールで乾杯。
下山してから蘭越町の”松原農園“さんへ。
この松原農園さんのワイン、白しかありませんが葡萄の風味を感じる優しい、そして美味しいワイン。もう何年も我が家で愛用しています。
広島の地からここへ来て一からワイン畑を開墾して苦労されてここまで立派にされたことに頭がさがります。そんなことを感じさせない明るいご夫婦にお会いするのが楽しみ。そしてご主人が大の“スバリスト”、つまりスバルファン。スバルの車の話を始めると止まりません!でもスバル車の愛用者としては楽しいです。
またの再訪を約束しておいとましました
夕方は今回はこの日だけと思われる羊蹄山の夕焼け。
いつもの、(個人的には)日本で一番美味しい焼き鳥の”bangbang“さんへ。
今日も美味しかったです。
滞在しているホテルにあるバー、“TOSHIRO’S BAR”のステッカーとスキットル。
とっておいてくれました
ニセコ蒸留所の新しいジン”ohoro“。アイヌ語で“これから”と言う意味。
翌日、トシローさんが勧めてくれたニセコ蒸留所の見学ツアーに参加。この日は朝から雨なので。ちょうど良かったです。


新潟県の八海山を作っている八海醸造がこの地に作った蒸留所


朝、一番には我が家しかいなかったのでスタッフの方に写真を撮って貰いました。


”TMSHIRO’S BAR“のトシローさんの手作りのボトルライト。素敵です。
昨晩、”TMSHIRO’S BAR“でいただいた
“ohoro”についてガイドの方(醸造所長さん)にうかがったら”これから、というアイヌ語ですが、これからもこの蒸留所がニセコ町と共に“という意味合いがあるそうです。




ジンの原料








ウイスキーはまだ仕込んでから1年半、ジャパニーズウイスキーとしては3年の熟成期間が必要なのであと2年後ですね、市場に出るのは。


その時を待つウイスキー

お土産にオリジナルのモルトグラス。冷酒でも良いかな?と購入
時間があったので近くの函館本線ニセコ駅へ


駅構内にはターンテーブルと防雪用のシートをかぶった蒸気機関車








近づくと9600型、“キューロク”
函館本線と言えば銀山峠越えのC62の重連が有名ですがこの大正生まれのキューロクも貨物中心に活躍していました。
往時が偲ばれる、そして間もなく廃止となる函館本線。駅とともに歴史の中に消えゆく、そんな哀愁を感じます。どんよりとした雨雲と合わせて。

蘭越町の地元の方達が沢山訪れるラーメン屋さん
味噌ラーメンが美味しかったです。

ニセコ町の高野珈琲店さんへ。
ここは地元の隠れた美味しいコーヒーのお店
帰りのフェリーでの朝のコーヒー用にアイスコーヒーを。
夜は焼き鳥

そしてバーで。

朝から雨、でもスキーとは別の楽しみを










































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