ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

密を避けながら、自然を

2021-08-29 22:56:41 | 写真
今年の夏は、前線の影響でお盆の頃から雨が降ったりして天気は良くなかったです。
ようやく天気が安定した夜に愛知県最奥地の面の木園地風力発電所へ。
夜9時に月の出、その前に豊田市の市街地方面
天の川もはっきりと
月が出てくるとまた違った様子




本当は昼に山登りしたいですが山小屋は汚染地帯関東の人達がウィルスばら撒いているし、名古屋もお盆以降、関東から持ち込まれたと思われる感染増。町中に出るのも躊躇する状況。ワクチン接種は我が家は嫁さんも二人とも二回目を打ちましたが、今の状況では感染しないのではなく、重症化しない程度の話も。
いつまで、こんな事が続くのかな。


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8月に観た映画

2021-08-23 08:51:39 | 映画
今からちょうど30年前の1991年に仕事でポーランドへ。ちょうどソ連ではゴルバチョフ大統領が直前に失脚してエリツィンが新大統領になった直後に、ソ連、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアと。その時に時間をやりくりしてアウシュビッツへ。
この映画ではアウシュビッツ内での出来事というよりもアウシュビッツから脱出、それを支える“囚人”の人達、世の中にアウシュビッツの実態を明らかに、そしてその内容に接した人々(赤十字他)の信じられない、という驚きという内容。
やはり実際に行ってみてのショックは大きかったです
入り口にある、このスローガン、働けば自由になる、という虚しいもの。
そして、当時は、この虐殺行為に日本が関わっていなかったこと、これが唯一の救いだったのを記憶しています。
しかし、現代、同じくアジアで大量虐殺、民族浄化がおこなわれていると世界的に非難。なんと、その行為に日本の企業が関わっているとの指摘も。30年前にはなにか、時分には関係無いと思っていたものが、今、まさに自分も関わっているというなんとも言えないことを改めて感じた映画。
志村けんさん主演で撮り始めた映画。急逝されて沢田研二さんが代役に。古き良き笑話の映画の世界へのオマージュ。子供の頃、街には小さな映画館がありました。そこは子供心には憧れの場所。そんな昔の映画が娯楽の中心にあった時代。出演されている俳優さん達も若い人からベテランまで素敵です。そして主演の沢田研二さんも、ダメダメ親父を好演されています。これはこれで良いのですが、でも、なにか泥くさがないか、と。やっぱり志村けんさんの映画を観てみたかったな。
第二次世界大戦末期、日本も原子力爆弾の開発に。その時の大学生の”これが開発されれば戦争が終わる“という強い想い。そのある意味、純粋な想いが実はとんでもない、ということは、実際に原子力爆弾が落とされ、その惨劇を目にして砕け散ります。
戦後、米露対立からの核拡散の動きは激しく、いかに沢山の核兵器を持つこと、そして相手陣営間よりも多く持つこと、その事のみに。でも、どんなときにも実際に使用されなかったのはやはり広島、長崎の日本の惨劇があったためと。
でも、現在は原子力爆弾は無くとも国は征服されます。既に日本でもあちらこちらで、日本のみならず西側資本主義世界が求めていた手法、つまりまし土地、不動産の買い占めという方法で侵略されています。この映画での学生の純粋さとその矛盾におもいをはせながら、現在の更なる深刻な状況に色々と考えさせられた映画
カンヌ国際映画祭で高い評価を受けた映画。村上春樹さんの原作の映画のせいか、観客は高齢者が多く、いわゆるハルキストとかもしれません。
映画は劇中劇を使いながら人間の表と裏、隠れた姿、そして失望と新たな希望を。三時間という長さを全く感じさせず引き込まれた素敵な映画。映画に出ている今は無きスゥエーデンのサーブ、バブル期にはデートカーとして女性に人気が遭ったなぁ、と。
自分が生まれた年に書かれた演劇の名作といわれるものの映画化。
映画のクチコミではかなり酷評されたいますが、映画を実際に観て、批判はかなりバイアスがかかっていると。原爆投下への批判が無い、という批判。
映画は演劇が基になっているせいか、劇場で観ているような雰囲気。原爆により請われた教会とマリア像、それを復興しようとしてもアメリカとの親善関係から認めようとせず。しかし信仰心からなんとか復活させようとする様々な信者達。その純粋さが貫かれた映画。映画の中では、原爆投下への批判もさることながら戦争そのものを批判する場面が多く出てきています。これはこの映画の基になった演劇の書かれた時代背景も。いわゆる安保闘争の真っ盛りの時期であり、戦争に対する嫌悪感はかなり高かったと。
戦後80年近くなり世の中はかなり変化してきており物理的な侵略から経済的侵略となり、世の中は複雑化。そんなことを考えながら、純粋さにおもいをはせた素敵な映画。
長崎は高校の修学旅行で訪問して原爆資料館での目を覆う展示物にソレまではワイワイ騒いでいた同級生達が夕飯を食べられなくなってしまった、そんな事を思い出しました。

世界的なパントマイム役者、マルセル・マルソーのレジスタンス時代の映画。
最初、パットン将軍が演説をはじめた時には、昔のジョージ・スコットの”パットン大戦車軍団“を彷彿させるものが。そして最後もパットン将軍の演説とマルソーのパントマイムで。
パンフレットを見ると英語に堪能であったマルソーはパットン将軍の下で働いていたことが記載されており納得。
ナチスドイツの残虐さ、そして特に映画に出てくるバルビーは残虐さは激しかったと。戦後南米に逃げて結局は捉えられ獄死したと。
ナチスドイツのホロコースト、過去のものとして、そして同盟国でもあった日本は直接手を貸しておらず、寧ろ杉原千畝さんや最近は日本の軍事がユダヤ人救済に手を貸した、という話を聞くと2度とこんな民族浄化、ホロコーストを、起こしてはいけない、と。でも、今のこの現在、アジアの大国では大規模にホロコーストがおこなわれている、そして、それに間接的とは言え、日本の企業が関わっていると。本当にユダヤ人虐殺、ホロコーストが身近な問題と。
映画自体は淡々と、でも最後の国境越えは緊迫感が。ちょっとサウンドオブミュージックのラストシーンを。
色々と考えさせれる素敵な映画。
ただ少し残念なのは主演のパントマイムの演技かな。



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