ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

バックカントリースキー

2023-01-31 09:33:48 | スキー
今年も、バックカントリースキーでの遭難事故、多く報道されています。
特に外国人スキーヤー。




無謀な、と批判あります。しかも救出に基本的に”無料“な警察による救出となると税金が投入されます。

でも、スキー場の中には、公式、非公式問わず、外国人向け“英語”のSNSでは、コース外と思われる林間のパウダーを滑る映像をアップしています。日本語の日本人向けのSNSではゲレンデ中心のものをアップしていますが。

これは、無謀な外国人、と批判するだけでは無く、スキー場並びにその関係者そのにも大きな問題あると。

管理外のバックカントリーといえば北海道のニセコが世界的に有名です。でも、このニセコも外国人がおしよせる前から、地元の篤志家の方がボランティアで長年活動され、スキー場、警察と連携するようになって”管理外の管理“をおこなってきた結果です。


しかし、そのような事をせずに、インバウンドの外国人スキーヤーを呼び込みたいために、林間のバックカントリーのみを強調している、そのやり方に課題が多いと。

特に、複雑な沢が入り組んだ地形でのバックカントリーは、やはり熟知したガイドとの連携が必要と。














海外の“広い”スキー場とは異なり、”縦に狭くて長い“日本のスキー場に外国人スキーヤーを呼び込むためにバックカントリーを強調したいのは理解できますが。

やはり、何らかの、“認定ガイド”をつける等の規制は必要かと。そうしないと日本人も、含めてバックカントリースキーそのものへの規制がかかってしまいます。

客を呼びたいスキー場の後始末を日本国民の税金で尻ぬぐいするのには複雑な気持ちの人達も多いかと。
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日本酒の楽しみ

2023-01-30 10:48:53 | 食・レシピ
先月に続いて、少し、日本酒についてのお勉強

先月の復習を地下鉄に乗りながら。

愛知県有数の錦三丁目の朝
毎夜のきらびやかしさは無く、閑かな顔を見せています。
いつも、美味しいお酒と素敵な料理を楽しませていただいているお店。
ここの、女将さんが、日本酒の”利き酒師“。女将さんが講師。
元々、日本酒は、大学入学時に一気飲みさせられて倒れて以来、その匂いを嗅いだだけで倒れていました。大学のサークルの新歓コンパで、当時二十歳の新入生(2浪したので)だったため先輩達から、気兼ねなく?安酒のコップ酒を18盃までは一気飲み、19盃めで半分、20盃で倒れて記憶無し。先輩の部屋に担ぎ込まれて朝起きたら洗面器が横に。
後で聞くと、気持ち悪いと言っても吐きはしなかった、でもタクシーからは当然乗車拒否された、と(当たり前ですが)。でも、倒れている自分を先輩達が隠してタクシー停めて放り込んだ、とのこと。地方都市の大学、大学生が”学生さん“と大切にされた時代だから許されたのかもしれません。
日本酒の匂いをに反応し無くなったのは、社会人になってから美味しいお酒をいただくようになってから。
日本酒の醸造学として色々と奥深さを、改めて還暦越えて感じられました。山梨の従兄弟が実家の酒屋を継ぐために東京の実家に下宿していたのも思い出。
歳なので沢山ではなく、少しでも、美味しいお酒と素敵な料理をいただいていきたいと。
今回は試飲として(昼間としては!)結構な量のお酒いただいて気持ち良く。

話し上手な女将さんの講習会、楽しませていた出しました。

お昼に映画を観ようと名古屋駅(名駅、メーエキ)へ。そこでお昼に名古屋の老舗の味噌ラーメン。
なぜか呑んだ後にラーメン食べたくなるのは夜も昼も同じ?
ここの味噌ラーメンは名古屋来たときから味噌ラーメン食べたくなると来ます

子どもの頃、東京では、今でこそ東京ラーメンとして物凄い人気ですが、昔は、いわゆる“中華そば”。そんな時にたまには他のものを食べたいというときには必ず、”サッポロ味噌ラーメン“。
今は味噌ラーメンといえば、色んなの人気店で色々な味噌ラーメンありますが、子供の時の記憶から、シンプルなサッポロ味噌ラーメンが一番美味しいと。
このお店のあるエリア近くの名古屋駅前の地下街“メイチカ”も再開発で間もなく1957年からの歴史を閉じます。
地下鉄東山線が当時トンネル工事ではなく露天掘りで建設。その後屋根(道路)をつけて今のメイチカ。そのために東山線の線路に沿って微妙に曲線をえがいています。
このお店はどうなるのかな。

帰宅途中に、日本酒を買いに酒屋さんへ
酒屋さんで日本酒を見ているとやはり講習会後なのでラベルを色々と。見ているだけでも楽しいですが、目移り。
結局は、我が家の苗字と同じ名前の長崎県壱岐のお酒を。

日本酒を楽しませていただいた一日
















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閑かな冬の京都旅

2023-01-23 20:21:11 | 旅行記
冬の閑かな、寒い京都へ
ネット予約で二人で7,000円と格安でホテル予約
名古屋からは高速バスで。
土日早割で二人で往復8,000円弱で。
朝7:00に名古屋、名鉄バスターミナル。
往路は名神高速で。
伊吹山も雪はあるものの少な目
多賀のSAで休憩
京都駅には京都市内の渋滞で予定の9:47よりは若干遅延で着
今回も、案内をしていただける知人と先ずは東本願寺へ
なんといってもその巨大さ、に圧倒されます








その壮大さに圧倒されて、西本願寺へ

これまた、その大きさに圧倒されます

新撰組ゆかりの場所
不思議なのは、未だに新撰組は日本人の間では人気あります。こんなこと言うと怒られそうですが、所詮、幕末のテロリスト集団、と思ってしまうのは特に思い入れもないせいかもしれませんね
西本願寺の巨大さを写真で

門前を歩いていると素敵な洋風、そして説明書によるとイスラム洋式も取り入れられている西本願寺の伝導院。


周囲にはユーモラスな像。



ユーモラスな阿吽の像を入れて記念撮影

すると突然扉が開いて中から僧侶の方、人達も。うかがうと、講演会をおこなっていたそうで、僧侶の方(多分、物凄く偉い方と思われますが)、“たまたまいらっしゃったのでどうぞ、中を覗いていただいて結構ですよ。写真もどうぞご自由に。ただSNSだけは勘弁”とのことで写真はなし。でも、中の調度品の美しさは歴史とモダンが入り混じっていて素晴らしかったです。
お昼は”ランチ難民“となって京都駅前で。
その後、東本願寺の別邸、庭園、渉成園へ。
園内は工事中でしたが、特別展として東京芸実大学の“クローン展”
3D、コピーで復元された様々な展示物
クリスタルの釈迦三尊像







庭へ出て散策





新緑、紅葉の時の美しさは素晴らしいと思いますが、冬枯れの光景も好きです。

庭園から京都の昔ながらの街歩きを
任天堂の創業地。
その和洋折衷、というかどちらかというと洋風寄りの建物、当時の社長宅は高級ホテルとして。




古い公衆浴場。
知人によると京都には沢山の公衆浴場があるそうです。京都の人は大きな風呂が好きだそうです。

夜は京料理の”およね“さんへ。




美味しいお酒を
そして見た目にも綺麗な料理
この日は特別に富山氷見の鰤を
最後に鮒寿司

楽しく美味しいお酒と京料理。

ごちそう様でした。
ホテルに戻ったらバタンキューと

翌日は嵐電に乗って。
嵐電の停車場(駅、というよりは停車場という表現がピッタリ)の前にある“車折神社”。
芸ごとの神社。ということで著名芸能人の名前が沢山。















知っている名前をみつけるのも楽しいです。
若い人達も沢山。

ここから少し閑かな京都の町を歩いて鹿王院へ

苔も綺麗な、そして紅葉が美しいお寺のようです。


庭園もコンパクトながらとても美しいです。





我々だけしかいません。
閑かな、冬の京都を満喫
嵐電に乗って仁和寺、大徳寺へ。




仁和寺に着いた時には昼前。
前日のランチ難民のこともあり、知人が素敵なお店へと連れて行ってくれました。
仁和寺前のお店で冷酒。






素敵なランチでした。
昼食後は仁和寺へ。
広大な伽藍のお寺



特別拝観の庭園へ。



本当に日本の歴史を感じさせられます。

水煙も。


この庭園では将棋の対局もされているようです。
素晴らしい場所ですが、当人達にとってはそれどころではないのでしょうね。

手入れの行き届いた白砂は美しいです。
市バスに乗って大徳寺へ
ここも大きな伽藍、というかとても広大な寺院
石田三成を弔っているそうです。


特別拝観で庭園を。
写真禁止なので画像はありませんが、素晴らしいお庭でした。

閉園時間となり京都駅へ。

知人に御礼を言って、別れました。

そして名古屋へ高速バスで。

ところでインバウンドの外国の方、それなりにいました。でも、1番問題な中国本土の観光客は殆どいませんでした。
アジア系の方、西洋の方、皆さん、少人数で、しかも閑かに日本の冬の京都を楽しんでいらっしゃいました。
やはり、中国本土の人達がいない、ということはとてもよく、古き良き日本の伝統を楽しむことが出来ました。やはり金を落とす以外にはご遠慮願いたい人達。

閑かな、京都を堪能できました。これも京都をよく知っている知人のおかげ。

ありがとうございました!



























































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運良く幻想的な富士山の夜景に

2023-01-16 09:55:16 | 写真
土砂降りの雨の名古屋を早朝に出発して東京日帰り
現在営業している東京の喫茶店では最古の喫茶店(と言われる)の一つの喫茶店へ。
いかにも“喫茶店”というたたずまい


モーニング。
セットについてくるゆで玉子、殻を剥くのもコツがいります。少し、ゆで玉子をテーブルの上で手で抑えながら転がして殻とゆで玉子との間に隙間ができて、プルンと殻が剝けます。
どこかの山、いつも思いますが、どこの山かな?
半世紀以上前に通った小学校。
校歌も昔のまま。
懐かしいプール。
このプールには思い出。今は隣接して大きなスーパーが建っていますが、元々は住宅を取り壊した広い駐車場。そこへ新しく建物ができることに。それが、なんと!今の世の中でいう風俗店、ソーブランドでした。当然、PTAは反対、そして著名な政治家の人達も反対運動を。故市川房枝さん、故青島幸夫さん、など。
駅前の一等地、しかも小学校のプールの真横。
子供ながら激しい反対運動目にしました。と同時にソーブランド、当時は今は使えない”●〇●風呂”(三文字の国の名前)とは何?と子供ながらに関心を持ったのも事実。
結局は行政も入って調整した結果スーパーに。
校庭の端には体育倉庫。ここには運動会で使う”たま転がし“の赤玉、白玉などが入っていました。”隠れんぼ“とか、”缶蹴り“していると必ず最後までみつからないのはこの中に隠れたとき。
そういうときは皆で外から鍵をかけて中に隠れている友達を閉じ込めたり、自分も閉じ込められたのも思い出。結局は、“ここに隠れてはダメ”という遊びの不文律ができたと。
学校の隣には東京の唯一の伊勢神宮の分社、神明社。昔の地元の人達は“天祖神社”と。

昔の通りを歩いていると懐かしい名前。
この”キリンヤ“とは、ここに昔あった小さな食料品スーパーの名前。だいたい家での食材はここで手に入りました。確か、レトルトとか、乾物が多くて昔は“乾物屋さん”と呼んでいたような。
雨が強くなってきた、神奈川県登戸の父の墓参り

ここからはこの日は箱根超えをせずに国道246号線でひたすら西へ
裾野市では、懐かしいナポリタン。
現役時代、東京本社へ出張のたびに、御徒町にあるこのナポリタンのお店へ。懐かしい、でもやみつきになる味。
その支店が裾野市に。
大きなタバスコと大きな入れ物に入った粉チーズも東京のお店のとおり。
美味しいです。

雨もあがった静岡県。富士山は東側からは雲に覆われて観ることができませんが、天気の回復しつつある西へ進むと次第にその姿が雲の中から。
ということで、日本平へ。
ここには静岡県が設置した”日本平夢テラス“という回廊があって土曜日は夜21:00まで無料で入ることができます。
霧に覆われた中、回廊を歩いて富士山の方面を観ると雲が少し白くみえます。
人間の目で見るとうっすらと、ということでカメラの感度を上げてみたら驚きの画面
清水の街の灯りが雲に反映して白く輝いています
昼過ぎまで降っていた雨、そして冬とは思えない暖かさ。降った雨が蒸発して低層雲を。

よく見ると清水の街の灯りがみえます。

地元のアマチュアカメラマン方がいらっしゃったのでお話しをしたら、こんな光景初めて、と驚いていらっしゃいました。“初めて来て、この光景にあえるなんて、なんとラッキーですね”、と。
また、夢テラスの職員の方とお話しをして、撮った写真をみせたところ、こんなの初めて、と。

30分くらい写真を撮っていたらあっという間に霧に覆われて何も見えなくなってしまいました。

ほんの一瞬の、”一期一会“

素敵な贈り物でした。





















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暖かい正月休み明けの連休、そして“鉄分”の多い連休を

2023-01-11 10:30:49 | 鉄道(模型)
毎年、正月休み明けの休日には愛知県最奥地の面の木園地へ霧氷、樹氷の写真を。
いつもは駐車場に多くのアマチュアカメラマンの車が停まっていますが、今年は数台。今年は暖かくて雪がありません。
少し様子を見に行くと、赤い傘を持った数人。よく見ると髪の毛は紫色、どうもコスプレイヤーが写真撮影。朝8時、わざわざこんなところに来なくてももっと近くに似たような素晴らしい所があるのですが。
20年以上毎年訪れて初めてのこと。
時代の流れを感じます。

あまり期待せずに愛知県最高峰の茶臼山へ
どこにも雪無し。
愛知県唯一のスキー場も、芝生の上にかろうじて人工雪
家族連れが橇遊びをしています。
暖かくのどかな冬景色
写真撮影を諦めて南下、いつも行く湖西市の鰻屋さんに行こうと山道をドライブしていると、突然一瞬目を疑う光景
道路脇の神社にある銅像、ナチス式敬礼?
近寄ってみるとまさにナチス式敬礼。指さしているのではなく。
後醍醐天皇のご子息関係の方の像
神社としてはとても由緒ある神社のようです。






ただ、過疎も進んでいるため氏子さんも減っているのか、無人の神社。お巡りさんの巡回の掲示。
それにしても豊根村として、この銅像、どう考えているのだろうか?
それともこのポーズにナチス式敬礼以外、別の意味あるのだろうか?
新所原駅にある鰻屋さんで今年初めての鰻を。
途中、蒲鉾屋さんへ。ここ三河地方には蒲鉾屋さん結構あります。
夜のおつまみ用に。

翌日は嫁さんを初釜に送ったあとは三重県へ
国道には歴史的な鉄橋もあります。リベットの沢山ある美しい鉄橋。

突然、不発弾処理の掲示板。
ここ、静岡県西部から愛知県、三重県の海沿いには、第二次世界大戦では重要な地域。零戦を初めとした戦闘機の製造拠点、さらに爆薬を製造する拠点もあり、アメリカ軍からの空爆は非常に激しかったです。今でも、年に数回、不発弾処理を。
そのためにJR、名鉄(名古屋鉄道)の運休もたまにありますし、数年前には東海道新幹線も運休。
その航空機製造の歴史もあってこの地域は今でも航空機関係の製造拠点あります。失敗して撤退したMRJも。
三重県には今では日本に数少なくなったナローゲージの鉄道が。元は大手の近鉄の一路線でしたが経営不振のために今では三岐鉄道に
この三岐鉄道北勢線には、日本最古のコンクリート眼鏡橋があります。
昨年くらいまでは三つの”眼鏡“が綺麗にみることができましたが、手入れされていないのか河原の草が伸び放題。一つの眼鏡が消えかかっています

鈴鹿の山裾をのどかに走っています。
“軽便鉄道”という懐かしい言葉もある案内板。
この眼鏡橋のすぐ近くには、土木建築的にも珍しい”ねじれ橋“




雲の中に、藤原岳の採石場も。
いつもならばこの季節、雪に覆われていますが、今年は暖かく、採石の跡もくっきりと。
この採石場から中部国際空港、通称“セントレア”の埋め立てに土砂も運ばれました。
本来はセントレアのある知多半島の南知多町、美浜町の土砂を使う予定でした。しかし、地元が足元をみて土砂の価格をつり上げました。すると、日本初の民間運営飛行場であるセントレア、その運営は世界的な自動車会社の出身者。足元をみる相手が悪すぎました。セントレアは地元からの土砂購入を拒否、他の地区からの土砂を。こうなると既に時遅し。どんなに地元自治体が頭を下げても採用せず、結局は、地元自治体は財政再建団体直前まで追い込まれました。しかも、両自治体は合併して”南セントレア市“という新しい市になる計画でしたがこれもご破算に。自治体の長は辞職に追い込まれました。
そんなことを藤原岳をみるたびに思い出します。

同じ三岐鉄道の三岐線沿いには日本唯一の貨物鉄道博物館があり、毎月第一日曜日に開館。
ボランティアの方々が保護、維持活動を。皆さん、つなぎ服を着てペンキ塗りを。
近づくと、ペンキと油のにおい。昔の貨車のにおいです。

日本最大の貨車、“シキ”
巨大な変圧器を運ぶための貨車。現役時代には変圧器の材料も扱っていたので、この貨車には馴染みがあります。
巨大重量物を運ぶので、まさに”鉄の塊“
日本の戦後の復興、そして高度経済成長を支えた陰の立て役者、今はその役目を終えて閑かに余生を送っています。
使い込まれた“鉄”も美しい


三岐鉄道の車両はかつての東京の西武鉄道の車両。子供の時に見かけた、懐かしい車両。そのモーターの唸り音は、独特、今の新しい車両とは異なり、なにか人臭さを感じます。
昔の塗装に復刻された車両も。

少し戻って桑名駅へ。
ここには日本唯一の踏切
広軌(1435mm)
標準軌(1067mm)
ナローゲージ(762mm)
日本唯一の広軌、標準軌、ナローゲージをまたぐ踏切。
近鉄(広軌)、JR(標準軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)

この日は朝から鉄分の多い日。

正月とは思えないくらい寒さの無い連休。















































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