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日本刀の魅力

2015年07月10日 | 歴史
日本刀は、日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類

平安時代末期に出現し、反りがあり片刃の刀剣
寸法により、刀(太刀・打刀)、脇差、短刀に分類されます
NHK「歴史ヒストリア」より引用












日本刀(ネットより引用)


著名な日本刀
国宝「大包平」妖刀「村正」「雷切」「一期一振」
「天下五剣」⇒「童子切」「三日月宗近」「大典太」「数珠丸」「鬼丸国綱」
武器としての役割と共に、美術品としても利用されてきました

日本刀の刃文
日本刀の見どころのひとつで、刀身に見ることができる波模様です
刃文は、焼入れの効果によって現れるものです
作者の特定や、真贋の鑑定をする場合重要な見どころのひとつとなっています

鍛え肌・地肌・地鉄
日本刀は折返し鍛錬の結果、刀身の表面に美しい地紋が現われます
鉄の肌模様を地肌と言い、その素地を地鉄と言います
鍛法は時代、流派により異なるため、地肌の現われ方も異なり、鑑定上の大切な見どころです
鍛法により板目、杢目、柾目、綾杉に大別されます
肌合いが極く小さな粒子の集合の様子が、日本刀の美術性の大切な要件です

日本刀を褒美として利用
本阿弥光徳に、名刀探し、名刀と基準を定めさした
折紙(刀の鑑定書)も、この時代より始まりました
豊臣秀吉は、戦争等の戦いの褒美として使用した
織田信長が、『茶器道具』を褒美として与えたのと同様です

正宗
鎌倉時代末期から活躍した刀工で、日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人です
「正宗」の名は日本刀の代名詞ともなっています

豊臣秀吉と「一期一振」
粟田口吉光の作品は短刀ばかりで、太刀はこの1振しか作らなかったため「一期一振」と呼ばれます
朝倉氏⇒毛利氏の物となり、毛利輝元より豊臣秀吉に献上された
豊臣氏滅亡後は徳川家に伝わりました

徳川家康の妖刀「村正」の謂れ
家康が、子供の頃使用していて大怪我をしました
祖父が、「村正」で殺害されています
家康の長男も「村正」で自害している

土方歳三と「和泉守兼定(11代)」
砥ぎ師が、新撰組隊士の刀剣を記録しているが、現存していません
11代は、会津兼定とも呼ばれています

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