慶喜

心意気
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信長の暗殺の黒幕(イエズス会)?

2017年12月01日 | 歴史
『本能寺の変』首謀者は誰か?3説の共通点
 
 ①信頼できる史料に基づいていない、②史料の誤読や曲解などに基づいている、③著しい論理の飛躍

イエズス会が『本能寺の変』の首謀者である要因
 ☆南欧勢力(イエズス会)が頼りにしていたキリシタン大名豊後の大友宗麟
 ☆信長は大友氏を通して、イエズス会から鉄炮を提供されていた
 ☆信長にとってイエズス会は不可欠な存在だった
 ☆南欧勢力はイエズス会を通して信長に資金援助等を行う
 ☆南欧勢力の最終目標は、信長を使って中国を征服すること
 ☆信長は独自の路線を走り、イエズス会にとって厄介な存在になっていった
 ☆信長はキリスト教の教えに関心はなく、イエズス会が信長を操ることは困難になった
『本能寺』でイエズス会の行動
 ☆『本能寺の変』は、朝廷がイエズス会の意向を受け、光秀に信長討伐の命を下した
 ☆結果、イエズス会は、朝廷を通じて光秀に信長を討つよう命じて成功した
本願寺教如が『本能寺の変』の首謀者である要因
 ☆大坂本願寺は、織田信長と抗争を繰り広げていたが、正親町天皇の仲介で和睦を結んだ
 ☆大坂本願寺の顕如は無念の思いを抱きつつ、紀州の鷺森別院へ去った
 ☆顕如の長男教如は、信長との徹底抗戦を主張し親子の縁を切った
『本能寺』で教如の行動
 ☆織田軍は、紀州雑賀の顕如を攻撃しようとしていた
 ☆正親町天皇は、教如の意向に基づき、光秀に信長討伐を命じた
 ☆教如は、朝廷を動かすことにより光秀に信長を討たせた
朝廷と、室町幕府か『本能寺の変』の首謀者である要因
 ☆信長は、足利義昭を追放し「信長政権」を樹立した
 ☆京都には「室町幕府」は存続し、その中心になっていたのが明智光秀だった
 ☆信長は、自身が太政大臣になり、家康を征夷大将軍とし「室町幕府」を滅ぼそうとした
 ☆光秀らはその動きを阻止すべく信長らを討とうとした
『本能寺』で明智光秀、朝廷の行動
 ☆細川幽斎の裏切りで、光秀は信長の討伐に成功したが家康を逃がしてしまった
 ☆幽斎は、備中高松城の秀吉に本能寺の変の情報を伝え帰京するよう依頼した
 ☆山崎の戦いで、光秀は秀吉軍に敗れ、「室町幕府」は滅亡した
 ☆光秀は「室町幕府」を存続させるため、信長に反旗を翻した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『IRONNA』 




信長の暗殺の黒幕(イエズス会)?(『IRONNA』記事より画像引用) 





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