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世界史(明時代の東アジア)

2017年06月20日 | 歴史
明の東アジア支配に挑んだ豊臣秀吉

中華帝国の明を中心にした秩序が東アジアに確立する
明の冊封体制確立
 ☆中国皇帝が周辺諸国の王に称号を与えて、その国の王であることを認める
 ☆彼らから貢物を受け取る(朝貢される)ことで成立した
東アジアでは元の末期の混乱以来、私貿易がさかんとなっていた
倭寇(私貿易商人が武装して朝鮮半島の高麗や中国沿岸を襲撃)が活躍する
明は倭寇への対策と国内経済の安定を図るため中国人商人の交易、渡航を禁止する
朝鮮半島高麗では、倭寇の侵入で高麗国の力が衰える
日本を統一した豊臣秀吉が、明の東アジア支配秩序に挑戦する
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』




明の冊封体制確立(『世界史(成美堂)』記事より画像引用)

朝鮮半島高麗国
モンゴルの属国となっていた高麗は、明の成立後はその冊封を受けていた
倭寇の侵入などにより国力が衰えていた
倭寇撃退にも功績のあった李成桂が、王位に就き国号を朝鮮と改めた
朝鮮(李朝)は、引き続き明の冊封を受ける
朝鮮(李朝)は、朱子学を国教化し、官僚・地主でもある両班が支配階層として国を動かす
中央集権的な国家体制を確立し、独自の文字ハングルもつくられた

中華秩序に挑んだ秀吉の朝鮮侵攻
足利義満が日本国王として明の冊封体制下に入る
勘合貿易を行っていたが、室町幕府が弱体化して戦乱の時代が続いた
豊臣秀吉が国内を統一し、東アジアの中華秩序に反発して明の征服を図る
先鞭として2度朝鮮半島に侵攻したが、朝鮮により日本軍は撃退された

明が減び清が成立
朝鮮、琉球、東南アジア諸国は、中華帝国の冊封体制に組み込まれ交易を続けた
日本は、江戸幕府が朝鮮との国交を回復したが江戸幕府は鎖国へ転じた
清や朝鮮との交易は江戸時代を通じて維持された
朝鮮からは朝鮮通信使が日本へ派遣された

日本軍を撃退した亀の形をしが軍船
朝鮮が、倭寇の撃退用撃退用につくられた船
船全体を亀の甲羅のような屋根で覆う
 ☆敵船にのり込んでの斬り込みを得意とした倭寇に対抗して作られた船
屋根一面に刀を上に向けて差し込んでいる
秀吉の朝鮮侵攻は、この船の活躍で壊減的な打撃を受けた



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