高校の時、缶コーヒーが大好きだった。100円を自販機に入れて、ボタンを押して、缶が出てきて。プロセスが好きだったし、何より開けるまで密閉された状態なので衛生的な気がした。
先日の事、お昼ご飯をSNS に載せた。
色々な理由はあるのだけれど、僕の後ろの席の女性がご飯に缶詰をぶっかけて食べていたのが衝撃で真似して見たのだ。
見た目はひどいけど、秋刀魚の蒲焼美味しい。しゅうまいはまずかった(笑)。
周囲を見ると結構自由なお昼で、でっかいタッパーに茹でたパスタを持ってきている人(まずそう)とか、奥様のお弁当を持ってきている方(可愛らしいお弁当)、缶詰弁当の人、アボカド半分とプチトマト数個をコロコロと持ってくる人(外国人か!)、カップラーメンの人(アジアな感じね)、などなど…。
某外資系企業の会長はみんなに混じってコンビニ弁当だったり(可愛かった)、サラダをタッパーに入れて持ってくる外国人のランチも綺麗で独特だった。食は自由なんだ。
なるほど、自由なら「流水麺だ!」と麺とカニカマとカットサラダをモリモリにして見た。カットサラダまずい。。。しかしカップ麺のうどんって、あれ、麺がうどんじゃないじゃない? 美味しいけど違う、という。たまに素うどん食べたくなるけど、要するに同じでしょ?
そして今日のお昼。ごてっとねw。
なんとなくなんだけど、食べ物が「そこらへんに生えているものや、とっ捕まえた生き物を食う」ということを忘れている気がして。
工場できちんと作られ、管理されたものを食べる感覚に近いのではないかなあ、と感じる。…何か保証されている気がするじゃない? 衛生面や栄養面。
まあ流石に僕も歩いている鶏の首を鎌でスパンと落としたり、近所の道端に生えている草をみて「これは食える(近所の外国人カップルがやってて楽しそうだった)」とかはやらないけど、自然から口に入るまで、見たくないものや、面倒なもの、ダサいものを避けております。金払うからやってくれ、と。
それに、魚を〆たり、した後の塾生なんかはお金を払う価値がある、プロにやっていただきたい仕事だ。これはできない気がする。
徐々に、綺麗に盛られた食べ物や、綺麗にパッケージングされた食べ物が魅力的に見えなくなってきて、遊びではないけど、楽しくカスタマイズしてゆくご飯が好きになってきた。
缶コーヒーは卒業したんだ。