ブログスムタ

演劇だの映像だの猫だの犬だのなんでもいくぜ!

奴隷商人と私、終演したよ

2018-08-27 00:01:15 | 公演打とうぜ


お手伝いをさせていただきました。

色々と勉強になりました。作家さんが作ろうとした世界は私の描きたい世界とは正反対で、きちんとした設定が必要でした。

役者さんは勿論、生きていなければいけないのですが、生き生きするとキャラクターから外れてしまうようで、現代劇とは随分違うものだなと感じました。

成る程、この役はこんな人で、そこから外れると魅力が半減してしまう。とても驚きました。

あと、広告についても考えさせられました。上の写真はツイッターで「いいね」とか「リツイート」とか少ないものの、閲覧数は500を超えました(普段は20〜40ですはっぽこですまぬ)、写真をつけないともうそれは酷いもので、まず写真、しかもそれなりに見栄えするものが良いのかなあ、と感じました。




食べ物。

2018-08-18 12:26:22 | エキストラ
高校の時、缶コーヒーが大好きだった。100円を自販機に入れて、ボタンを押して、缶が出てきて。プロセスが好きだったし、何より開けるまで密閉された状態なので衛生的な気がした。

先日の事、お昼ご飯をSNS に載せた。



色々な理由はあるのだけれど、僕の後ろの席の女性がご飯に缶詰をぶっかけて食べていたのが衝撃で真似して見たのだ。



見た目はひどいけど、秋刀魚の蒲焼美味しい。しゅうまいはまずかった(笑)。

周囲を見ると結構自由なお昼で、でっかいタッパーに茹でたパスタを持ってきている人(まずそう)とか、奥様のお弁当を持ってきている方(可愛らしいお弁当)、缶詰弁当の人、アボカド半分とプチトマト数個をコロコロと持ってくる人(外国人か!)、カップラーメンの人(アジアな感じね)、などなど…。
某外資系企業の会長はみんなに混じってコンビニ弁当だったり(可愛かった)、サラダをタッパーに入れて持ってくる外国人のランチも綺麗で独特だった。食は自由なんだ。



なるほど、自由なら「流水麺だ!」と麺とカニカマとカットサラダをモリモリにして見た。カットサラダまずい。。。しかしカップ麺のうどんって、あれ、麺がうどんじゃないじゃない? 美味しいけど違う、という。たまに素うどん食べたくなるけど、要するに同じでしょ?


そして今日のお昼。ごてっとねw。

なんとなくなんだけど、食べ物が「そこらへんに生えているものや、とっ捕まえた生き物を食う」ということを忘れている気がして。
工場できちんと作られ、管理されたものを食べる感覚に近いのではないかなあ、と感じる。…何か保証されている気がするじゃない? 衛生面や栄養面。

まあ流石に僕も歩いている鶏の首を鎌でスパンと落としたり、近所の道端に生えている草をみて「これは食える(近所の外国人カップルがやってて楽しそうだった)」とかはやらないけど、自然から口に入るまで、見たくないものや、面倒なもの、ダサいものを避けております。金払うからやってくれ、と。
それに、魚を〆たり、した後の塾生なんかはお金を払う価値がある、プロにやっていただきたい仕事だ。これはできない気がする。

徐々に、綺麗に盛られた食べ物や、綺麗にパッケージングされた食べ物が魅力的に見えなくなってきて、遊びではないけど、楽しくカスタマイズしてゆくご飯が好きになってきた。

缶コーヒーは卒業したんだ。

みんな どんなふうに かいて いるのかなあ?

2018-08-05 23:59:26 | エキストラ
いろいろと自分語りがしたいわけですが、ツイッターだのfacebookだのに書くと、みんな俺はね〜的なことになってしまうので、ブログならまあいいかなあ、なんて思って書きます。

まず、自分が必要だと感じた所から書き始めます。

序盤の見せ場を書きますね。で、ここから広げてゆくのですが、序盤の見せ場を書きつつ、その前の場面に戻って後々の見せ場につながる説明を継ぎ足してゆきます。

例えば、猫を捕まえる話なら、猫と乱闘の末とっ捕まえる一番楽しい所を書いて、後になぜ猫が逃げたか…とかどんな環境にいた猫か、とかを書きます。

で、のちに見せ場の後ろを書くことになります。
見せ場の前で話を広げてしまったので、収集がつかなくなっているので、書かざるを得ないのです。

で、読み直すと、あちらこちらに無理があります(笑)。接続詞がおかしかったり、同じ説明が繰り返されていたり。
ここら辺を直して、今度はひたすら削り始めます。

3行ある文を1行に、とか。もっと分かりやすく、とか。伏線あったからここで回収しておこうとか。

で、声に出して読むと、語尾やなんだろう、ちょっとした言葉がきになるので、そこを何度も何度も整えてゆきます。

俺ふと思ったんですけど、この語尾だのナンダのは、実際練習が始まってから役者さんに依存したほうがいい気がしているのですよね。言いやすい、個性的な語尾だの何だのに。

楽しい部分は朝、筋を見直したいところは夜、作ります。

ついでに、なんか無理があるなあ、と思っても書き進めることにしました。あとで整えるからなんとかなる気がする(大変だけれど)。

おしまい。

俺も書いている。

2018-08-04 12:12:18 | 公演打とうぜ
9月にリーディング会をやらせていただきます。と言っても元戯曲セミナー生の内うちの会です。

前回は小劇場を借りてやりました。だって、演劇は目ぇで見て楽しめるんだぜ、ということに気付いたから。

で、今回もそうしようかなあ、と悩んでいましたが、ふと「紀伊國屋ホワイエが借りられる!」という情報を手にしました。いや、耳にしました。いや、見たから目にしたのかな?まあ、兎に角情報を得たわけです。

あの紀伊國屋ホール! のロビーですよ。ミーハー心が疼きますし、ロビーかよ!という可愛いオチもつくのがお気に入り。
で。借りたはいいのですが、なんと読み上げる戯曲が1編しかない。みんな出してよねえ。。。と思いつつ、慌てて僕も書きました。もう、読み物としてしか考えていないので、代名詞も避け、目をつむっていてもわかるように書きましたがしかし。

「情報システム室」の話で、サーバーとか、ソーシャルゲームとか、出て来ます。これが伝わるかなあ。。。という。

心配で心配で仕方がない。

よく、この手の問題で引っかかるのが「モンプチ」「カルカン」などの猫エサ。人生の8割りを猫と過ごして来た僕としては、この猫エサと猫エサのCMが「常識」なのですが、結構知らない人が多くてびっくりします。脚本に打ち込む時は、知ってる人だけ笑えばいいや、という小ネタとして挟む場合が多いのですが、それでもああだこうだいう役者さんがいて、まあ、じゃあいいや…なんて消したりします。一応言っておくと、100人中100人わかる必要はなくて、言葉だけ放っておいてくれればいいんですけどね。

サーバーはカルカン(猫エサ)と違い、これがわからないとお話しにならない。わかりやすいように「大型コンピュータですよ」と描くと、今度はコンピュータに詳しい人が「違う!」と怒る。テレビや映画なら現物を映して、更に図解を入れてやるわけで、舞台なら、プロジェクターで説明を入れてもいいと思うのだけれど、「リーディング!」という。

そもそも、今時自社にサーバーを置いておくなんてのはナンセンスで、どこの会社も20年以上前からデータセンターにサーバーを置いていて、それですら古くいまはもうクラウドの時代でサーバーの現物を目にすることすらなくなって来ています。なので…

「会社にサーバーがあるの?」というところからエンジニアは引っかかり、素人には「サーバー?ってなんすか?」から始まり、どうしていいやら。

更に、劇中、このサーバーを「コンセントを抜いて止める」という部分があるのですが、あのね、サーバーは止まらないように無停電電源装置(要するにバッテリー)が二重にくっついていて、更に電源ユニットが二重になっていて、何をどうあがいても電源は落ちないの! というね。

ここをちまちま描いていくと踊る大捜査線やダイハードのような、なかなか手応えのある話になるんだろうけど、持ち時間はせいぜい15分。できればコンセント引っこ抜いて終わりにしたい。

色々と難しいなあ〜。

船橋駅前

2018-08-01 19:29:50 | 日記
ギターを抱えた女性が歌っています。

派手なポップもないし、CDもない。リズムマシーンもないしスピーカーもない。

出で立ちは、「あのね、うたうからね」程度で、容姿を売りにするでもなく、派手な歌やギターのテクニックを見せるわけでもなく。

客も、自分の家族を見守るような温かさで、こちらもこちらで下心が感じられない。まあ、きっとあるのだろうけど、それ以上に優しい見守り感が強い。

なんか素敵だなあ、と思います。年取ったな。


演劇もほら、それは卑怯かもしれないけど、一体感を楽しみたいです。