劇団四季のキャッツを観ました。感じたこと、私にとって良かった事なんかを綴ります。
良くも悪くも、話の筋が殆どない作品だと思います。話を端的にまとめれば20分で描けそうです。これは良くない部分に捉えられますが前向きに捉えれば、話の筋はあまり気にしなくて良い、とも考えられます。本筋以上にもしかしたら各猫たちの個々の猫たちのストーリーに力を入れているのかも知れません。
キャッツからは、兎に角驚かせよう!楽しませよう! という気概を感じます。
天井からこうやったら、驚くよね! とか、ここが開いて猫が出てきたらびっくりするでしょ! とか、猫のようにお客さんと目があったらじっと見つめて目を離さない! とか。こっちにいた猫が、別のところからいきなり出てきたら驚くよね! とか。
規模は大きくても発想は小劇場、みたいな感じを受けました。
休憩時間中に舞台見学できたら喜ぶんじゃないか! とかね、セットと客席が動いたらビビるでしょ! とか、キャスト全員で握手して回るんだ! とか。映画じゃできないことをこれでもかこれでもか! とやる訳です。ミュージカルというか、体感型のアミューズメントパークのようなもので、シルクドゥソレイユなんかの感覚に近いかも知れません。
猫好きからみたキャッツ
いいか!お前は猫なんだ! 猫がそんな動きするか? 猫だったらどうするか、考えろ! とか檄が飛んでそうです(勝手な想像)。実際の猫好きからすると「猫はそんなに動かないよ」というところなのですが(笑)、猫としてのイメージ通りの動きだと思います。だらんと休んでいる姿も本物の猫見て研究したんでしょうね。難しいのは、機敏な動作を下手にやると猿に見えてしまうこと。体の構造の問題ですね。腕を水平に開くのも、猫としてはできるのですがイメージにそぐわなかったりして、そういう動きはなるべく入れないようにしている気がします。歩くときの足の動き一つとっても、そういう動かし方はしないけど猫のようだ、という動きが取り入れられている気がしました。そうそう、面白いことに、一般的な猫の仕草「毛づくろい」「耳の後ろを掻く」「ニャーと鳴く」などはやりません。江戸家猫八さん江戸屋子猫さんも失業です。
昭和の香り
どこまで残っているかわかりませんが、浅利慶太さんの痕跡を感じる気がします。たまに演劇やミュージカル、歌舞伎なんかもそうですが、何が大事かなあ、と思うことがあります。キャッツにはとても大事なものがたくさん含まれている気がしました。勇気も貰いました。