ブログスムタ

演劇だの映像だの猫だの犬だのなんでもいくぜ!

ふたつの演劇

2020-03-01 19:58:09 | 公演打とうぜ
「潤う。」を観に行ったら、以前作った「おじさんが、ありがとう。」という演劇に出てくださった役者さんが出演されておりまして、帰り際に「また創らないのか?」と言ってくださいました。
未だにあの舞台がどうだったのか分からないのですが、少なくとも笑い声だけは他の演劇に負けてはいなかったはずだと思っております。がしかし…役者さんの、特に終演後のハイになった役者さんの言葉は信じて良いのかどうか(笑)。

皆んなが自分の演劇を突き詰めてゆく中、私の中では演劇というものに対して、ふたつの異なったイメージがあるのです。

ひとつは、貧乏な演劇。公民館と区の施設を使い、低価格でも集客に苦しむあれで。イメージは黒。黒の演劇。
(なので僕、黒嫌いなんだよね)


もうひとつは、美男美女、絢爛豪華でセットバンバンな、演劇。
イメージは「赤と金」。大人の社交場イメージ。

この二つは僕の勝手なイメージで、他の人には他のイメージがあると思うので、あまり虐めないで欲しいのですが、私は豪華絢爛を目指したいのね。

頭の中では上手くいくのです。ポスターもイメージはイラストに書き殴ってあるのです。龍と女性が睨み合っているポスター。

でも上手くいかないんです。兎に角写真一枚満足に撮れなくて。美人は用意できたんですけどね。
写真には写真のお作法がありまして、ポスターにも多分、法則みたいなものがあるのはうっすらわかるのです。でも手に負えないのです。
苦しんでいます、と書き殴ったところで、何も解決しないことに、今、気付きましたがここまで書いたのでアップしよっと。

萎縮。

2019-11-03 09:46:10 | 公演打とうぜ
「女装した夫が、妻を周囲に紹介した」と書かれたツイート。

ツイートされた方は多分、それだけ愛情がというつもりなのかもしれないけれど、そういうケースが珍しい事と捉えた私には「巻き込んでしまった」そういうことが非常に申し訳なく思えてやりきれない。

男性が女性の格好をするのはやはり普通ではないわけで。ジェンダー的にあーだこーだ言われても女装する男はやはり通常ではないのね。恥ずかしいことに人を巻き込んでしまった、と認識した時から心の萎縮が始まった。

そうだった。演劇って恥ずかしいことなんだよね。

舞台から降りると、真っ先にメイクを落とし来てくださった方に挨拶する。小劇場ならではの面白い風習。

お客様に。舞台上の人物は、物語の中で生きている訳で、私は体と声を貸しているだけに過ぎない。虚構と現実の境を明確にする、私の理解があっているかどうかわからないけど、演劇の人に教わった。

そもそもハリウッド映画に憧れ、邦画に魅せられ、演劇に来た私にとっては、性別や年齢が、現実と異なるということはあまり受け入れられない。

舞台に立って、私以外の人間に恥ずかし思いをさせてしまったのではないか、そう思うとどうしても萎縮してしまう。

本当にごめんなさい。

演劇と助成金と私の思うところ。

2019-10-20 01:16:10 | 公演打とうぜ
キャラメルボックス元顧問会計士から見た演劇ビジネスの困難さ」という動画を観ました。

この会計士の意見の中に「助成金を活用しろ」という意見がありました。これが演劇にとって本当に良くない気がします。

言ってることは正しいと思います。もらえるものは病気以外もらっとけ、と。

ただ、この助成金が曲者です。涙、感動などにしか出ないイメージですよね。私は助成金の内容を確認していないので想像で描くのはよろしくないのですが、客を呼べるものに助成金が出ないような気がします。

そりゃ、感動作品は素晴らしいかもしれませんが、助成金を得た、お墨付き作品はくだらなさに欠ける...というイメージがあり、演劇をあまり観ない私なんかは避けてしまうわけです。

お金貰って、演劇で生きる。そんな事するくらいなら、お客に助成金渡して好きなもの観ろ! という方がよっぽど演劇界のためだと僕は思うのです。

大体助成金がもらえれば...どんなビジネスだって上手くいくわけです。ラーメン屋でもゲームセンターでも。
うちの近くの蕎麦屋だって電気屋だって潰れなくて済んだはずです。

良いもの...というのが何を指すか知りませんが、戦争の悲惨さや原発の何かや、震災や津波などを扱った結果が今の演劇界だとしたら、少なくとも助成金は演劇界にとって有益ではないはずで、キャラメルボックスや劇団四季なんかに出しておいた方が良いはずだと私は思います。

なぜ演劇界が停滞しているか。つまんないからです。

少なくとも、一般人からは選ばれていない、と私は思っています。

キチンとした写真を撮る事

2019-09-14 15:49:43 | 日記
フライヤーにはキチンとプロに撮ってもらった写真を使うべきだ、とU氏に言われていた。

とは言え元が元ですから、僕なんかがプロに撮っていただいても…と思っていましたが、今回はふと、お友達が写真スタジオの社長に成られた、との事で、お願いしてみる事にしました。

軽い気持ちで見積もりとったら20万とか30万とかかかるの(汗)。で、お友達価格で撮るだけなら安くするよ、と言っていただきましたが、提示された価格が安すぎて、これはカメラマンのテンション下がるだろう!と思い、まあまあなお金を出しました。それでも格安なのですが、制作さんからは「なんか桁がおかしい」と言われました(メイクは出してくれました)。

撮ってみて感じたのは、まず反響が凄い。facebookのいいねは、僕の中で最高(友達少ないのであれですが)。ツイッターの閲覧数も僕だけなのに結構な数行きました。

イケメンに撮れる、とかではなく、なんでしょうね、画質が違うというか、スマホが落書きなら、スタジオは高級な油画といったところでしようか。質とかカテゴリーが違う気がします。イケメンならもっと凄い事になるのでしょう。

これが多分、プロフィール写真に使うと、あ、まともな役者さんなのだな、と、ランク付けが変わる気がします。

先日、映画の為のプロフィールを拝見しました。
全部グラビア雑誌かと思う凄まじいクオリティ。
映画学校とかのプロフィールも拝見したことありますが、あんなスナップ写真じゃ誰も使いたいと思いません。
初めて演劇打つ時、誰一人良い人いませんでしたもん。あれ、きっと写真の所為ですよ。


感想:猫好きから見た、キャッツ(劇団四季)

2019-09-14 12:36:34 | 歪んだ批評

劇団四季のキャッツを観ました。感じたこと、私にとって良かった事なんかを綴ります。

良くも悪くも、話の筋が殆どない作品だと思います。話を端的にまとめれば20分で描けそうです。これは良くない部分に捉えられますが前向きに捉えれば、話の筋はあまり気にしなくて良い、とも考えられます。本筋以上にもしかしたら各猫たちの個々の猫たちのストーリーに力を入れているのかも知れません。

キャッツからは、兎に角驚かせよう!楽しませよう! という気概を感じます。

天井からこうやったら、驚くよね! とか、ここが開いて猫が出てきたらびっくりするでしょ! とか、猫のようにお客さんと目があったらじっと見つめて目を離さない! とか。こっちにいた猫が、別のところからいきなり出てきたら驚くよね! とか。

 

規模は大きくても発想は小劇場、みたいな感じを受けました。

休憩時間中に舞台見学できたら喜ぶんじゃないか! とかね、セットと客席が動いたらビビるでしょ! とか、キャスト全員で握手して回るんだ! とか。映画じゃできないことをこれでもかこれでもか! とやる訳です。ミュージカルというか、体感型のアミューズメントパークのようなもので、シルクドゥソレイユなんかの感覚に近いかも知れません。

 

猫好きからみたキャッツ

いいか!お前は猫なんだ! 猫がそんな動きするか? 猫だったらどうするか、考えろ! とか檄が飛んでそうです(勝手な想像)。実際の猫好きからすると「猫はそんなに動かないよ」というところなのですが(笑)、猫としてのイメージ通りの動きだと思います。だらんと休んでいる姿も本物の猫見て研究したんでしょうね。難しいのは、機敏な動作を下手にやると猿に見えてしまうこと。体の構造の問題ですね。腕を水平に開くのも、猫としてはできるのですがイメージにそぐわなかったりして、そういう動きはなるべく入れないようにしている気がします。歩くときの足の動き一つとっても、そういう動かし方はしないけど猫のようだ、という動きが取り入れられている気がしました。そうそう、面白いことに、一般的な猫の仕草「毛づくろい」「耳の後ろを掻く」「ニャーと鳴く」などはやりません。江戸家猫八さん江戸屋子猫さんも失業です。


昭和の香り

どこまで残っているかわかりませんが、浅利慶太さんの痕跡を感じる気がします。たまに演劇やミュージカル、歌舞伎なんかもそうですが、何が大事かなあ、と思うことがあります。キャッツにはとても大事なものがたくさん含まれている気がしました。勇気も貰いました。