独断偏見妄言録 China's Threat

中国は人類の命運を左右する21世紀最大の不安定要因

グローバル化における中国の代償

2007年01月09日 08時35分40秒 | 中国
大紀元に「グローバル化の過程における中国の代償及びその問題 : グローバル化における大国の迷路」と題する論文が紹介されている。
中国ではインターネットで広く流布され、読者から2006年最良の経済論評との賞賛を得たという。

肩書きから判断して、筆者は体制側の人物と見られる。興味深い内容ではあるが、ひどく読みにくい文体で、長ったらしい。できるだけ簡潔に書き直してみた。
筆者の言う「底辺競争」から脱出する方策がこの論文には示されていないことが気にかかる。おそらく続編があるのだろうが、「日本を支配することによる競争力の確保」ではないことを祈る。

筆者の論点を要約すると:
中国は経済競争における優位を確立するために、「底辺競争」(race to the bottom)とでも呼ぶべき手法を取り、その結果、労働者の虐待、環境破壊、文明の退化をもたらした。価格面での競争力は底辺競争により獲得したものであり、民族道徳の野蛮な状態への回帰をもたらした。


 激しく波打つグローバル化の潮流は、80年代を起点とする中国の姿と重複している。その結果、中国の転換は閉鎖的なものではなく、グローバル化の影響を強く受けるものとなった。中国はいま、全く未知の歴史の中にある。

グローバル化は、中国の転換において、ほぼあらゆる方面に深く浸透していった。十数年前、中国人にとって夢に過ぎなかった自動車が家庭に入り込み、遥か遠い他国で起きたニュースをリアルタイムで共有している。

 WTOに加盟して4年、中国のグローバル化は急速に進展し、「中国の脅威」、「中国の世紀」という驚きの声が上がる中で、グローバル化の巨大な受益者というイメージが顕著なものとなった。しかし、それは疑う余地のないほど確かなものだろうか?

底辺競争による抑圧か、要素賦存の結果か?

 学者や政府が十数年間にわたって啓蒙し続けた結果、「競争」という単語は、ついに中国人にとって核心的な語彙であると共に重要な経済哲学となった。その結果、競争による創造の刺激や進歩の促進といった良い面ではなく、個人および国家の道徳的規律のゆるみと、手段を選ばず競争上の優位を得ようとする傾向が生まれた。

 グローバル化時代において、国家が経済競争において優位に立つ方法は二つある。
一つは、科学技術や教育への投資を増やし、国民の福利を向上させる中で、経済活動の生産性を向上させる方法である。
もう一つの反対の方法は、労働者から各種の保障を剥奪し、給与を引き下げ、自然環境破壊を放置することにより、価格面での優位を獲得する方法である。
後者の方法は、これを形容して「底辺競争」(race to the bottom)と呼ぶ。すなわち、どん底へと突き進む競争である。
文字通り、底辺競争のゲームの中で、比較の対象は、誰がより優れているかということでも、誰が科学技術や教育により多くの投資をしたかということでもない。誰がより自国の労働者を虐待し、自国の環境を破壊したかということである。言い換えれば、誰が、より人類文明の底辺へと退化する能力を持っているかということである。

 底辺競争で獲得した「競争力」は民族道徳の野蛮な状態への回帰を意味する。「どん底に突き進む競争」は、中国がグローバル化において実践した内容を最も良く表現する言葉である。

 中国の超低価格労働力は、これまで比較優位であり続けた。米国、日本と比較すると、中国の労働コストは、両者の約4%に過ぎない。こうした格差について、人々は、先進国との「天然の格差」として平然と受け入れてきた。しかし、詳しく研究していくと、この低廉な労働力価格は決して「天然」でも、正常でもないことがわかる。

 中国が高度成長をした27年間において、GDPの伸び率は先進国の数倍であったが、賃金の伸び率は、このペースを大きく下回った。最下層の労働者の賃金はほとんど変化していない。
日本の高度成長期において、賃金の伸び率は米国のそれを70%上回っていたが、1980年にはついに米国の賃金と並んだ。日本の賃金が米国に追いつくのに、1950年から1980年までの30年間を要した。他方、中国経済もまた、1978年から2004年まで、30年近く高度成長を実現したが、賃金は米国の4%程度にとどまっている。
中国で最も発展した珠海デルタ地区において、出稼ぎ労働者の賃金は、この10年間全く上昇していない。これは、中国における賃金の伸びに、ある種の「不自然さ」があることを証明している。

 このように、賃金と経済成長が逆方向に向かう現象は、最下層の出稼ぎ労働者から、知識階層へと拡大しつつある。ここ数年、経済が過熱すると同時に、大学卒業生の賃金が顕著に下落している。2005年初め、大学卒業生の賃金は、月500元~600元という超低水準にまで下落た。こうした趨勢が続けば、30年後、中国と先進国との格差はますます大きくなるおそれがある。

 経済が不断に成長を続ける一方で、賃金が停滞する現象を、労働力の無限供給に帰することは容易だ。しかし、人口密度が中国を遥かに上回り、国内市場の潜在成長力が中国を遥かに下回る日本において、なぜこうした現象が発生しなかったのか?また、数が驚異的に多い出稼ぎ労働者において供給過剰の問題が存在するならば、人口比率がごくわずかな大学生においても無限供給という状態が存在するのだろうか?労働力の無限供給という説明は、全く説得力のない浅薄な理屈である。

 労働力価格は、市場における需給関係だけでなく、政治、経済、社会、要素賦存等、様々な要因が総合的に作用した結果により決まる。中国の超低価格労働力も政治制度の影響を受けている。中国においては、賃金の集団交渉権が認められていない。労働者の権利の保護を呼びかけることは、事実上非合法である。

 このため、賃金はコストの中で最も圧縮が容易な部分となる。中国の経済成長において、労働力価格は再生産を維持できる最低水準へと圧縮されてきた。沿海地区において、外資に最大限迎合するため、自然資源を低価格で譲渡した後、労働者の自発的、合理的な訴えを最大限に抑圧し、人為的に価格競争における優位を維持してきた。こうした人為的な抑圧は、労働力価格を大きく引き下げた。

 民衆の意識の中に次のような神話が作られた。・・・中国は、熾烈な国際競争に直面しており、かりに人民の労働時間を延長せず、賃金、保障水準を引き下げなければ、彼らは失業の危機に直面する・・・。しかし、低賃金の多くは、分配の深刻な不均衡の結果である。これは、国際競争の結果でもなく、要素賦存がもたらしたものでもない。

 低廉な労働力価格によって、グローバル競争においてコスト面での比較優位を勝ち取ることができ、外貨準備の拡大、貿易の成長により、国家が強大であるというイメージを勝ち取ることもできる。
しかし、こうした、人民の福利を犠牲にし、社会の倫理基準を引き下げることを代償として国家競争力を得る方法は、典型的な底辺競争である。これは、野蛮、冷酷な原始資本主義時代への後退を意味する。
この結論については、正常な水準を遥かに上回る労働災害を見るだけで、疑う余地がなくなる。こうした野蛮な力を借りなければ、著名な資本主義国を震え上がらせることはできないのだろう。しかし、野蛮な力はしょせん野蛮であり、文明の力と長く競争を続けることはできない。

 人力資源は、民族国家における最も重要な生産要素として、国家競争力の根本をなすものである。国家が人力資源を、簡単な再生産を行うための最低水準にまで抑圧することは、工場が減価償却費を計上しないのと同様に荒唐無稽なことである。等しい付加価値の生産に要する労働力コストは、米国は中国のわずか1.3倍、日本は1.2倍である。これが意味することは、中国が、米国、日本の25分の1近くというわずかな賃金と引き換えに得たものは、労働力コストにおけるわずかな優位であり、この優位は、いつでもその他の要素により相殺され得るということである。

FDI(海外直接投資)の背景

 グローバル化の競争環境の中で、中国が採用した底辺競争は全方位的なものであった。
それは、中国のFDIにおいて突出して現れている。改革開放以来の20年余りの間に、中国が吸収したFDIは、既に5000億ドルに達している。この数字は、戦後の50年間に日本が吸収したFDIの10倍である。中国はFDIを世界で最も吸収した国家となった。多数の人が、このことをもって、中国の世界競争力が破竹の勢いであることの明らかな証拠と見なしてきた。
しかし、前述の低賃金における秘密と同様に、FDIにおいても、巨大な代償が隠されているのだ。低賃金のほかに、FDIが押し寄せてきたもう一つの大きな理由は、地方政府が、底辺競争の方法で、自然資源、環境、市場、さらには税収までも叩き売りしてきたことである。

 90年代中期以降、中国経済が内発的に高度成長を実現する原動力は、既に衰弱していた。こうした状況の下、外資の導入は、地方政府が、当地の経済成長を維持するための、唯一実行可能な手段であった。また、外資の導入は、国家戦略としても奨励された。地方官僚によって、一切を惜しまずに外資を導入することは、最小のリスクで最大の収益を得る手段であった。これが、90年代中期以降、中国のFDIが高成長した重大な背景である。
しかし、あらゆる地方政府がこの秘密を熟知するとともに、これを、経済発展のための最良の方法と見なした時、競争が白熱化の方向に向かうのは必然であった。中国における外資導入の風が最も熱く吹いた長江デルタ地区においては、地方政府による叩き売り式の競争は、非常に惨烈だった。蘇州は、中国が、外資導入において最も成功し、外資導入戦略が最も発揮された模範例であった。このため、蘇州は、一連の賞賛と政治上の褒賞を得た。しかし、このために蘇州が支払った代償について言及する人は極めて少ない。
蘇州の土地開発コストは、1ムーあたり20万元であった。しかし、外資を導入するために、価格を1ムーあたり15万元に引き下げた。こうした悪性競争に駆り立てられ、周辺の呉江、寧波、杭州地区は、地価を1ムーあたり5万元前後という超低水準に抑えるほかなかった。上海郊外でも、土地の価格が5万元~6万元に下落した。こうして、中国経済が不断に成長を続ける一方で、商業用地の価格が不断に下落を続けるという奇怪な現象が発生した。


FDIの効果についてのマクロの推計によると、FDIの投資収益を10%と仮定すると、主にFDIによって形成される国家外貨準備の投資収益率を3%に過ぎず、両者の差7%は、資本効率の重大な損失を意味する。
中国において、驚異的な資本の浪費が存在しているのであり、我々が支払った代償は国民福利の純損失であった。これが体制による選択である以上、体制が変わらず、底辺競争戦略が許容できない段階にまで達しなければ、方向転換をするのは非常に難しい。

 中国の、グローバル化競争における底辺競争の手段は、賃金を人為的に低く抑えることや、土地収益、財政収益の贈与に止まらない。環境破壊の容認、自然破壊を消耗する開発、自国市場の譲渡等の全てが、この、底辺競争の体現である。
中国は、“世界の工場”の美名を勝ち取ったが、その一方で、中国の環境破壊、エネルギー消耗率、自然資源の消耗率は、全て、耐え難い段階に達している。しかし、これこそが、“世界の工場”を打ち立てるための基礎なのである。

政府中心主義の誤り

 グローバル化の時代、一国の競争力は、主として、国家に属する企業が備える競争力に体現される。政府を離れた力として、企業は、政府の力よりも容易に国家の境界を越える。グローバル化の過程において、多国籍企業が及ぼす影響がますます顕著になっていることは、このことを証明している。
しかし、90年代、中国は経済競争において政府中心主義という戦略を固守した。この戦略は、企業や人民ではなく、政府が競争の主体となるものである。この政府中心主義は、国内における政治体制の延長であり、財力を最大限政府に集中させ、ある種の「調整」能力を形成し、実体を伴わない、指標によるイメージを作りだすものであった。
中国は、政府による統制を基礎とする為替制度によって膨大な外貨準備を形成し、廉価で資源を売り払う手段で超高額のFDIを形成し、賃金の抑制及び財政補助によって輸出を刺激し、政府投資によって経済成長を牽引することなどを実施したが、全ては、こうした政府中心主義戦略の結果なのである。

 他国とは逆に、中国は、自国市場を保護することも、自国市場をできるだけ国内企業に開放することもしていない。それどころか、様々な手段で、民間企業を抑圧している。これによって、中国企業は、市場がもたらす貴重な成長の機会を十分に利用できなくなった。これが、巨大な潜在力を有する中国市場において、26年もの長きにわたり、国際的大企業が一つも出現しなかった原因の一つである。

不満を持つ出稼ぎ労働者と低技術

 出稼ぎ労働者と低技術を主な構成要素とする国内企業が真の競争力を備えることは想像し難い。上述のような「原始」的な競争力をもってしては、中国は、アフリカに資本主義を輸出する能力しかないであろう。こうした競争力の欠如は、中国の貿易において既に表れている。
改革開放以来、中国の貿易総額は急速に増加しており、WTOの統計によると、2003年、中国の輸出入額は、既に世界第四位から第三位に躍進していた。しかし、貿易総額の高成長に伴い、奇怪な現象が発生した。それは、中国の輸出製品の価格が不断に下落を続け、輸入製品の価格が不断に上昇を続けているということであった。
輸入製品の価格上昇と輸出製品の価格下落は、交易条件悪化の典型的な症状と認識される。ある統計によると、2002年、日本の対中輸出製品の価格は3%上昇し、対中輸入製品の価格は、18.4%下落した。この点だけでも、日本は、対中貿易において、毎年200億ドル節約していることになる。
これと対比をなす現象として中国華南のある輸出工場において、扇風機、ジューサー、トースターの平均卸売価格は、10年前の7ドルから、2003年の4ドルへと下落している。この工場の責任者は、「最も安い者だけが生き残ることができる」と嘆いている。中国企業の相対的競争力は、経済成長に従って上昇しないばかりか、かえって、不断に下落を続けているということである。

 多国籍企業に象徴されるグローバル化の力は、新たな経済局面を作り出した。
一方で、多国籍資本は、ブランドと文化的影響力により、中国における少数の富裕者と中産階級の大部分の消費力を独占した。富裕者と中産階級は、中国で最も消費能力を備えたグループであり、多国籍資本による製品が内包する文化の内容は、彼らのブランドへの欲求、ステータスを確認するニーズを満たすものであった。多国籍資本が一旦彼らの消費能力を独占すれば、中国の市場は、実際上、民族国家の内部から移転し、世界市場の一部となるのである。

 他方、多国籍資本は、技術レベルと生産性が低い中国国内の製造業を、世界生産体系に組み入れ、簡単な組み立て、加工、部品の生産等に利用した。このため、中国の下層労働者は、世界経済体系の最下層に変化していった。中国の階層分化が、世界的な階層分化と緊密に融合していることは明らかである。中国の政治体制、国際資本の二つの力を借り、中国の膨大な下層労働者の地位は、更に固定化されたものとなるだろう。

 こうして、中国の経済体系は、グローバル化に組み込まれ、分裂、分解されている。中国中産階級の消費需要に対応しているのは、国際資本からの供給であり、中国国内の製造業は、最終的な販売ルートを掌握することができないことから、多国籍資本の組立部門へと変化している。多国籍資本にとって、こうした組立部門は、世界のどこででも探すことができる。彼らは、いつでも、コストが最も安いと考える場所を選ぶことができる。すなわち、中国の製造業が直面しているのは、自国の同業者との競争だけでなく、世界規模での熾烈な競争なのである。

 中国の消費需要が、国内産業の合理的な利潤へと転換することができない場合、中国の産業競争力の高度化は、全く想像できないものとなる。
言い換えれば、彼らは、相当に長い期間において、簡単な再生産を維持することができるのみであり、世界経済体系のバリューチェーンの最下層に固定され、上流には移動できないのである。
しかし、これが、最も深刻な結果というわけではない。更に深刻なのは、中国に最も多くの就業機会を提供している国内製造業が、生存が困難であり、利潤が薄く、労働者の賃金を引き上げることができないために、労働者が貧困の罠に嵌っていることである。これは、中国のマクロ経済のパフォーマンスにおいて、常に内需が不足している重要な原因の一つである。内需不足であれば、必ず外需を拡大する必要があり、外需の増加は、必ず他の貧困国との競争が必要になる。こうした競争は、再び、賃金及びその他コストの不断の引き下げを引き起こす。そして、これが、更なる内需の萎縮をもたらす。これは、抜け出すことが難しい需要の罠である。

押し寄せるグローバル化の力は、短期の経済成長を促進したが、長期的な発展の道を断ち切ってしまった。

グローバル化官僚の隆盛

 改革開放期において、中国の官僚は、民間経済の発展に努めてきた。金融、土地等の要素資源を平等に分け合うことができない状況の下で、多くの企業は、官僚と同盟関係を結ぶか、あるいは、唯一の優位である廉価な労働力を掘り起こし続けた。この二つは、いずれも長期的な企業の競争力を形成することはできなかった。
中国は、国内経済を抑圧するだけでなく、外資を税制面で優遇した。これによっても、国内企業は、長期的に極めて不利な競争の位置に立たされた。国内企業に対する蔑視、外資への優遇は非常に鮮明な格差を形成した。
「現在、外資企業の所得税は15%に満たないが、中国資本の企業は33%である。これは、完全に不平等である。WTOの枠組みの中で、中国資本の企業を優遇せよとは言わないが、少なくとも同等に見なす必要がある。」と不満を述べる一部官僚もいるが、こうした外資のみを優遇する怪現象の背後に、「グローバル化官僚」の隆盛がある。

 いわゆるグローバル化官僚とは、国際的慣例に詳しく、グローバル化の視野を持ち、意識において、多国籍企業に対する理解が深い官僚である。グローバル化官僚には、政府に対して強い影響力を持つ学術団体も含まれる。こうした官僚と多国籍企業との間には必ずしも利害関係はないが、多国籍資本に対し、深い文化的な理解がある。まさに、この文化上、意識上の理解により、グローバル化官僚は知らず知らずのうちに国際資本をひいきするのである。

中国企業と比較すると、国際資本は、より健全な企業文化と商業倫理を持っている。しかし、利益の誘惑、中国の腐敗した政治文化に駆られ、一緒になって悪事を行うことは避け難い。様々な事象から明らかなこととして、多国籍資本は、既に、経済利益のため、ますます広範に、中国官僚の腐敗に巻き込まれている。他方、国内企業は、発言権を完全に失い、危険な依存的地位に置かれている。これが意味するのは、国内企業は、最も利益の薄いバリューチェーンの最下層に固定されるということである。

 以下の数字は、バリューチェーンの最下層にある企業の依存的境遇が、一体どのようなものかを直感的に明らかにしてくれるだろう。
2003年、中国は53億足の靴を輸出したが、中国企業が得ることのできる利潤は、総利潤の20%しかなく、残り80%の利潤を獲得するのは、全てブランドと販売ルートを持つ先進国の企業である。モルガンスタンレーのエコノミストは、中国が得ているのは、わずかなパンくずにすぎないと説明している。
中国国内企業は、競争力が欠乏しているために次第に、付加価値が極めて低い、世界におけるバリューチェーンの最下層に追いやられている。一方、外資は、中国において、付加価値が極めて高いバリューチェーンの最上部にある輸出を独占している。1993年以後の10年間、中国の工業機械の輸出総額は20倍に増加した。しかし、このうち、外資企業の輸出割合は、35%から80%近くに躍進している。同時期、最も付加価値を体現しうるコンピュータと周辺機器の輸出において、外資企業が占める割合は、92%という絶対的な割合に達している。その他のハイテク産業における状況も、基本的にはこのとおりである。外資が中国において占める突出した高比率を占めている状況は、韓国、タイといった後発工業国の状況と比べても、相当に異常である。

 このように、中国は、単に、外資に対して廉価な労働力、土地を提供し、環境保護、社会責任基準が超低水準な生産基地を擁しているにすぎないのである。

 つまり、90年代以後、グローバル化の波の中で選択した急進的な底辺競争戦略により、中国は、既に、国際資本が世界経済体系の中で構築した、最も廉価で、最も広大なプラットフォームとなっていたのである。これが、中国の貿易依存度が極めて高いことの原因である。しかし、通り一遍の理解しかできない経済学者が、中国の自由貿易における巨大な成果に陶酔している時、世界銀行とIMFが発表した最新の研究は、彼らの頭に冷水を浴びせた。
この研究の結論は、貧困国の貧困の原因は、自由貿易が欠落していることではなく、貿易依存度が40%を超えていることである(これは、富裕国の平均水準に比べて遥かに高い)。
異様に高い貿易依存度が示しているのは、国家貿易の発展の度合いではなく、国家の貧困の度合いなのだ。

 中国独特の体制には、「世界の経済競争の圧力を国内に転嫁し、かつ国内最下層の人民に転嫁する一方で、国家の強大なイメージを維持する機能」がある。
我々が有しているのは、膨大な最下層の人口と、全く競争力のない国内企業である。これこそが、グローバル化の未来図の背後に、我々が目にするもう一つの中国である。


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2 コメント

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「台湾を支配することによる競争力の確保」 (shhm)
2007-01-12 08:33:17
中国戒厳令下で何が予定されているか
2005/03/29中国の極秘プラン

人民代の余白で江沢民は彼の後継者胡錦涛に台湾との戦争を始めるように促した。

確かな情報筋によると、『九評』やその類のものによって発生した共産党への圧力はこのよう
な形で緩和することができるとして、江沢民が言明したとのことである。それによって共産党
の権力保持が固まると彼(等)は主張する。江沢民はさらに、それは台湾の独立に関する賛
成あるいは反対の決定(選択)と無関係ではないと述べた。
“台湾を攻撃するのは早いほどいい。我々は攻撃しなければならない”、と江沢民は胡錦涛に
助言した。汚職事件によって余儀なくされた引退を前に、彼はもう一度台湾征服のための詳
細な計画を提示した。

江沢民の伝記の中でロバート・クーンはつい先頃、江沢民元主席が2000年、中央軍事委員
会副主席Cao Gangchuang曹剛川に台湾征服のための詳細なプランを提示したと殆ど公式
に暴露している。

別の確かな情報筋は、江沢民は2004年春節に際し、高位の共産党幹部たちを呼びつけて
会議を開き、最終的な台湾征服のための時刻表及び計画表を不可逆的決定事項に定めたと
される。根拠として幹部に告げられたものは中国を脅かす数々の問題の存在である。

(これらは一般に推察されているように経済危機、汚職、国営企業などを取り巻く経済危機、
失業の増大である。朱鎔基が引退してから輸入税収は30%落ち込んだ。これは国家財政を
外国の継続的投資のみによってしかカバーできない継続的危機に導くものである。)

台湾征服は次の段階を踏むことが曹剛川及び江沢民により示されている:

1.台湾及び他所での“反中”分子に反対する大々的プロパガンダを行うことにより大衆の愛
国的意識は高められるべきである。ここにオリンピック競技もまたこれに集束させて育成せね
ばならない。

2.党組織を再編成し、権力に逆らう全ての分子から自由にすること。

3.台湾を攻撃する。また、中国国内に戒厳令を発令する。と同時に、戒厳令下の法律を発
効させる。

4.戒厳令下の法律に従っていわゆる私的財産、なかんずく国民の預貯金は国家に帰属す
る。それにより生存を脅かす経済危機は回避される。


5.中国国内の “反政府的”と看做される全てのグループは、最終的に物理的に排除する。
法輪功、地下教会のクリスチャン、チベット活動家、人権活動家、ウィグル人、そして反抗的な
知識人たちである。

6.強制措置により失業問題が解決されることによるこれらの法律への賛同を呼び込む。

未来のために預貯金や私有財産を確実に国有化するために、共産党は憲法の改正に際し
裏扉を開けておいた。先の憲法改正で中国では初めて私有財産の保持が認められた。しか
し第一の解釈として私的財産は“聖なるものであり侵害されない”とある。この用語は、末尾の
説明によってその最終的意味を明らかにしている。

理由は明白である:予定された戒厳令下の法律のもとで私有財産の没収を可能にする言い
訳に、この“聖なる”と銘打つ理由が国防のために存在するのである。もちろん台湾は共産党
のプロパガンダによれば最も聖なる理由である。現時点での憲法の説明では“侵すことので
きない”とだけある。しかしこれは主として他の私人に対して効力を持つ保護条文である。

江沢民プランは薄熙来のような、いわゆる政治局の第二世代メンバーたちによっても支持さ
れている。

反国家分裂法によってあらわになった西側世界の観察者にとり(ウォッチャーにとって)例え
ようもなく奇妙に映る共産党の行動様式の理由は、内部の圧力を外に転化し、外に向かって
弁を開けようとする見せ掛けの必要性に根ざしている。

https://english.epochtimes.com/news/5-3-26/27349.html 
原文=英語
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台湾攻撃 (stopchina)
2007-01-12 16:31:17
情報ありがとうございます。
台湾侵攻は2012年頃とのこと、かなり信憑性が高そうに思います。中国は空母が完成し、訓練が行き届く頃です。それまで中国が持ちこたえるかどうか疑問は残りますが。
米国はどう出ますかね。日本に残された時間は5年。それまでに、大車輪でMDをハリネズミのように増強しなければ、えらいことになります。
返信する

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