スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑬-2&博識

2017-03-11 19:12:19 | ポカと妙手etc
 ⑬-1の第2図で後手の相場は☖7三銀なのではないかと思います。ですがこの将棋では☖4六歩と突きました。これは手筋ですがこの局面で指されるのは珍しいのではないでしょうか。
                                     
 先手としても後で香車が取れるとはいえと金を作らせるわけにもいきません。☗同歩は一方的な利かされですから☗同角はこの一手であったと思います。
 ここでも後手は☖7三銀とは上がらずに☗7五歩と突きました。
 この局面での最善手は☗9一角成かもしれません。ただそれは後手の猛攻を受けることになり,それを受けきった上で勝つということになります。銀河戦のように持ち時間の短い将棋だとそういう勝ち方をするのは困難なので先手は自重して受けに回りました。その判断自体は間違ったものではなかったと思われます。
 受けに回るならたぶん☗7八金と上がっておくのがよかったでしょう。ところが☗同歩と取ってしまったので,☖5四銀と上がられました。
                                     
 ここでも☗9一角成が最善手なのかもしれませんが,☖4七飛成が金取りとなってしまいますので,それは当初の方針と異なります。もし☗7八金が入っていれば成り込まれても金取りではないので,☗9一角成と指せたのではないでしょうか。

 コルデスが何について博識で,どう誠実であったか具体的に記述されていない以上,スピノザが尊敬の念をもち,賞賛したことも,事実でなかったと断定することは避けなければなりません。ある種の博識とか何らかの誠実さは,コルデスがルター派の説教師であったことと無関係に,スピノザにそういった思いを抱かせる十分な理由となり得るからです。
 スピノザは書簡四十三ではフェルトホイゼンLambert van Velthuysenのことを過小評価しています。書簡四十二の内容は,僕が読んでも『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の要約として完成度が高いと考えられるにも関わらず,スピノザはそれを読むのに相応しくない人物という評価しか与えていないからです。しかし後にユトレヒト滞在中にフェルトホイゼンと面会する機会を得たスピノザは,認識を改めました。フェルトホイゼンが誠実であったかは分かりませんが,博識であったことは間違いなく,会話を繰り返すうちにスピノザはそのことに気付いたからです。それによってスピノザがフェルトホイゼンに対して,尊敬の念と表現してよい思いを抱くに至ったことは,書簡六十九の内容から明白といえます。
 しかしフェルトホイゼンはデカルト主義者であり,またキリスト教への信仰fidesを抱いていたのですから,スピノザの思想を全面的に受け入れるということはあり得ませんでしたし,実際にそうでした。つまりふたりは会話を繰り返しても,思想的な一致をみることはなかったのです。そして両者の思想が食い違っているということをスピノザがはっきりと理解していたということもまた,書簡六十九から明らかだといえます。それでもスピノザはフェルトホイゼンに尊敬といっていい気持ちを有するに至ったのですから,同じようなことがコルデスに対して生じることがあったとしてもおかしくありません。極端なことをいえば,コルデスの博識というのがデカルト哲学に対する博識であったなら,スピノザはやはりコルデスのことも尊敬したでしょうし,その気持ちを表明すること,つまり賞賛することもあったかもしれません。少なくともコルデスが説教師であったということは,スピノザから尊敬も賞賛もされない絶対的な原因とはならない筈です。
コメント
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