Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

ヨーゼフ・ボイスは何故日本でコヨーテになったのか?

2016-11-18 08:45:28 | Weblog
現在、私が共同キュレーターを務めたワタリウム美術館のナムジュン・パイク展「2020年 笑っているのは誰 ?+?=??」にて、ナムジュン・パイクとヨーゼフ・ボイスの最後のコラボレーション作品となった草月ホールでのコンサート「Coyote III」が展示されているが、この作品の持つ意味や背景があまり深く理解されていないという印象を受けた。そこで、パフォーマンス直後にボイスが行った質疑応答の一部をここに掲載することで、その理解の一助としたい。

Q 何の助けもなしにコヨーテになるのですか…。

「どんな人間にでもできます。その為には相手に対する気持ちや関心が必要です。関心がまず第一になければなりません。それからもちろん絶えざる訓練や練習が必要です。最初にやってみてうまくいかなくても、諦めて止めてしまわず、相手の背後にあるものにさかのぼり、相手を理解しようとする気持ちが必要でしょう。そしてそこにある成長するエネルギーの流れを自ら体感することが必要です。これは、米を作り植物を育てるお百姓さんならよく理解できることだと思います。植物を理解し育てようと思えば、植物の成長のエネルギーというものを理解する用意や努力がなければうまくいかないのです。 そもそも植物や自然そのものと対話する気がなければ成功することはありません。自然の物と対話というともちろん、自然科学者がやっていることとは違います。自然科学者はすべてを正確に分析し計量し、そしてそれを使えるかと言う事だけを考えているのです。科学からは非常に複雑な体系も出てきていますが、そのような形で自然と対するのではなくて、自然と直接に交感することです。 自然と対話する能力は、実際にはどんな人間にも備わっている一般的な特性です。違いがあるとしたらそれはある程度、専門家されているだけの差だと思います。しかも全力で持ってそれに到達しようと努力した-ということが多少の違いとしてあるかもしれません。 今晩のコンサートの中にでてきた幾つかの言葉の中に、意志と言う言葉がありました。もちろんそれはドイツ語であるために理解されなかったと思います。意志と言う言葉は若干そういう意味で使いました。それからゼーネン – いわゆる憧憬というものをもっていなければなりません。既存の物事を理解するためには、あこがれが必要です。
 我々は絶えず健全な感情を新しく展開していかなくてはなりません。自然の中には、物理的な植物や動物がいます。植物や動物や自然そして惑星全体が、実は人間の外部的臓器なのです。それが無ければ人間は生きていくことができません。人間が心臓や肝臓あるいは脳髄がなければ生きていけないのと同じことです。我々は外部的な内臓を必要としています。人間は、肺がなければ生きていけないわけですが、肺にとって必要な酸素は木や植物から生まれてきます。幾つかの動物の種類が死に絶えるなら、実は沢山の人間が心的な意味で死に絶えていくのだと言ってかまわないと思います。」

ドキュメント ヨーゼフ・ボイス 1984. Ein Dokument: 1984 Joseph Beuys in Japan. 西武美術館 P.200,201より引用


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