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2007年4月25日、美術展示に先駆け、「アトミック・サンシャイン - 9条と日本」実行委員会とアジア・ソサエティーが主催する、憲法第九条に関するパネル・ディスカッションが開かれた。
アジア・ソサエティーの代表を務めるヴィシャカ・デサイさんが挨拶した後に、キャロル・グラックさんが憲法第九条に関する簡単な歴史的経緯、そしてその意味について私見を述べた後、パネリスト全員を紹介してくれた。短いながらも大変見事な紹介だった。
一番最初に紹介されたのは、ベアテ・シロタ・ゴードンさん。ベアテさんは、ユーモアを交えながら、当時の様子を語ってくれた。
ベアテさんはGHQ時代、マッカーサー元帥に仕えていたホイットニー准将から彼の部屋に来るように呼び出され、そこで20名のメンバーと共に日本国憲法を書き上げるように指令を受けたと言う。何よりもたった7日間という短期間で書き上げなければならない、というスケジュールに驚いたと言う。ベアテさんが担当したのは市民権の項目であり、ベアテさん自身が女性であることから、ロースト大佐より女性の権利を書くことを進められる。さらにケーディス大佐から、ワシントンから日本国憲法に含むべき条項が打診されたこと、さらにGHQが日本の市民団体「憲法研究会」の作った憲法草案などからも多くの条項を取り入れたことなどについて、話して下さった。
ベアテさんは戦前、日本の女性が結婚の自由、また相続権や離婚に対しての権利が与えられていないことに対して心を痛めており、それが彼女の憲法起草に対する大変なモチベーションになったそうなのだが、ベアテさんが書いた女性の権利の条項が2ページにも及んだ為、ケーディス大佐に、これではアメリカ憲法よりも日本国憲法の方が、より女性の権利が確保されているではないか、と問われたそうである。その際ベアテさんは、そうです、なぜならアメリカ憲法には女性という言葉が出てきません、と答えたという。ケーディス大佐がこれらの条項は憲法ではなく民法に入れるべきだ、と提案した際、ベアテさんは、憲法にこの条項を入れなくては女性の権利は確保できない、と泣いて訴えたという。それが功を奏してか、憲法第二十四条の女性の権利の条項は守られることとなった。
さらにベアテさんは、この憲法が日本に合っていたこと、そしてこの憲法第九条がイラク戦争の前に世界に知られていたらどんなに素晴らしかったろう、と語ってくれた。
2番目のスピーカーであるユンカーマン監督は、なぜ憲法第九条をテーマとした映画を撮るに至ったか、その経緯を話してくれた。
2004年の冬、自由民主党が党の立ち上げから50周年となる2005年度に、日本国憲法に関する革新的な変更を与える、という宣言をした直後からユンカーマン監督は映画製作を急ピッチで進めることになったと言う。監督は、日本国憲法がどうやって作られたのか、そこに立ち戻って考えようという意向だったのだが、映画を製作する際、憲法起草が60年も前の出来事であった為、当時の日本の歴史的記憶、さらに憲法を作った際のプロセスを知っている人が大変少なくなってしまい、その点で苦労したこと、そして当時の様子を知っている人の人口比が少なくなっていった為、現在は9条の持つ意味が捉えがたくなっている点などを話してくれた。
また兵器を使うことで国際問題を解決すること、そして平和を創造することは不可能だと、十五年戦争を経験した日本人はよく理解しているはずであり、国際紛争を解決する為のオルタナティブな道を模索する歴史であった20世紀の結果、交戦権を持たない、また国際紛争を解決する手段として、他の国の国民を殺す権利を持たない、という憲法を日本が持ったことは、非常に意味のあることだ、と述べた。
3番目のスピーカーである鈴木邦男さんは、まず日本国憲法そのものは一度、見直すべきだと主張した。彼の主張はこうである。
例えば、日本国憲法においてより多くの権利、例えば言論の自由の確保、死刑制度の廃止、核廃絶を世界に訴えるべきだ、と要望する人は多い。つまり、「民主的な改憲を」と心の中では思っているが、そういった意味での改憲を一旦支持してしまうと、自民党の改憲論議に巻き込まれ、9条を改正されてしまうのではないか、ということを恐れている。だから、意に反して、「憲法全体を護る」と言い、改憲論議にも反対しているが、今、改憲論議をしなくては、自民党の余りにも自分勝手な改憲になってしまう。自民党は「自主憲法」といいながら、9条を改正し、アメリカ軍と共にどこにでも行ける軍隊にしようとしている、と批判し、日本は自主憲法をつくるべきだが、現在自民党が進めている「自由のない自主憲法」よりは、「自由のある占領憲法」の方が、まだましだ、との考えを示してくれた。
9条を本当に護りたいなら、9条違反の自衛隊は廃止すべきであり、もしも自衛隊はやむなく認めるというのなら、9条に付け加えたらいい。しかし、「それだけでは済まない」という不安があるのだろう。そこで、まず「歯止め」をかけた上で改憲論議をしたらどうだろうか、というのが鈴木氏の提案である。たとえば、「核はもたない。海外派兵はしない。徴兵制はしかない」の三点を確認した上で論議すれば、護憲派も安心して論議に参加できるはずであり、さらに原爆を落とされた唯一の国、日本だけが「自衛上」、核を持つ権利・資格のある国だが、その日本が永久にその権利を捨てるという旨を憲法に明記し、世界に訴えることを提案した。
自衛軍や国防軍ではなく、あくまで今の自衛隊のまま認め、さらに、将来はこれすらも廃止して、9条の理想に近づく夢や理想も書けば良い。日本は戦力を否定した憲法を持ちながら、1950年には警察予備隊をつくった。それが52年には保安隊になり、54年には自衛隊になったが、その逆のコースをたどったらいい。そうすればもう「警察」なんだから、日本に軍隊はない。「日本を見習え」と世界に対してもアピールできる、と主張した。街宣車の上から話しているのではないかと思わせる、堂々としたスピーチだった。
最後のスピーカーであるフランシス・ローゼンブルースさんは、経済学者らしく数値を用い、戦後の日本とドイツを比較しながら、憲法に関する持論を述べてくれた。
世論調査によると、日本の積極的外交を支持する人たち、すなわち自衛隊を支持し、さらに国連安全保障理事会に参加すべく圧力をかけるべきだ、と考える人たちの数が増加しているにも関わらず、自分は愛国心があると思う、と自称する日本人たちのレートは上昇していない。これはどうして、という疑問を、ローゼンブルース女史はドイツと日本を比較することで述べた。
ドイツは地理的・政治的な理由から、かつての戦争被害者である国々と多角的安全保障条約を結ぶように組み込まれており、その為、ドイツは積極的な和平交渉をせざるを得ず、その結果ドイツはドイツの被害国から純粋に受け入れてもらえた。一方日本は、アメリカと互恵的な条約を結ぶことで安全を保障されていた為、日本と周辺諸国の関係如何を心配する必要がなかった為、ドイツと同じ様な国際的圧力は日本には当初から存在せず、純粋な平和を周辺諸国と作る必要がなかった、それがドイツと日本の教科書問題、歴史認識問題の差として現れている、という指摘である。
さらに、1994年に選挙に比例代表制を導入することにより、日本では左派が相対的に弱くなったのだが、それも比例代表制を導入していながら強大な左派政党があるドイツとは異なっている、と指摘した。しかし同時に、日本における右派そのものが世論調査によると中道になる、という状況があり、ある種のナショナリズムを呈しているのだが、それは少なくとも、日本の国際貢献的役割に対して協力的である、ということを暗示しているのみで、戦前のような軍事的冒険を引き起こしてしまうナショナリズムとは異なる、と述べた。
全てのスピーチが終わった後にパネリスト間の質疑応答がなされ、その後客席との質疑応答となったのだが、これも大変活発なものになった。
アメリカ人の側から、9条を国連など世界の場でもっとアピールしようとする日本人はいないのか、という質問から、なぜ9条がアメリカ人の側から押し付けられた、または日本側から出されたという異なる説があるのかという質問、また自衛隊は憲法違反ではないか、という問いや、さらに日本の保守系メディアが憲法改正に関して世論誘導をやっているのではないか、というかなり専門的な質問まで飛び出した。2時間に渡る内容なので短い文章にまとめるのは非常に困難だが、このやりとりの様子は出版という形で発表して行きたいと思う。
また、鈴木さんが憲法第九条に関してどれだけ知っているのか、とアメリカ人のオーディエンスに逆に質問したりするシーンや、さらにアメリカと日本の状況に精通しているユンカーマン監督が、双方の橋渡し的や役割をしてくれるシーンが多くあり、それがこのディスカッション・イベントを大変有意義なものとしてくれた。また司会のキャロル・グラックさんの見事な仕切りや、ユーモアたっぷりのベアテさんのお話、さらにフランシス・ローゼンブルースさんの膨大なリサーチに基づく的確な指摘が、このイベントを成功に導いてくれた。
一説によると、アメリカで9条の存在を知っている人は3万人足らずだと言う。そんな中、これだけのメンバーをそろえてアメリカという日本国憲法を起草した人達の国で議論ができた事は、大変意義深い事だと思う。こういった相互理解に繋がるイベントを、美術展示のプラットフォーム的なものとして開催できたのは、キュレーターとして大変な喜びである。