Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

第三回「アトミック・サンシャイン - 9条と日本」東京本部の実行委員会ミーティングの様子

2007-08-31 01:36:49 | Weblog
8月28日、南青山のASOBOTオフィスにて、第三回「アトミック・サンシャイン - 9条と日本」東京本部の実行委員会ミーティングを開催した。場所を提供して頂いたGeneration Timesの編集長、伊藤剛さんにはこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

今回は、アジア・ソサエティーで開催されたパネル・ディスカッションの報告会、そして来年1月12日より開催される美術展そのものの進行状況など、詳細に渡り解説、報告した。ニューヨークにて開催されたパネル・ディスカッションに参加して下さった鈴木邦男さんとジャン・ユンカーマン監督の双方が今回のミーティングにもご参加頂けたのが、とても嬉しかった。やはり、キュレーターというオーガナイザーの立場から全てを説明するよりも、パネリストとして参加して頂いた方から実行委員会の方に様子を説明して頂けるのは、とても有益であった。

しかし、その後、この実行委員会にて最大の問題になったのは、やはり、ファンドレイジングに関する不安である。

現在、私は個人として出来る限りで、有力者や企業への賛同などを募っているのだが、展示の性格もあり、なかなか成功していない。現在の所、展示カタログの制作その他を含め、最低でも70万円が不足している。何とかしなくては、と思っているのだが、難しい。

私が会長を務める展示実行委員会は、展示に賛同して下さった方と共同で、財団へのファンドレイジング書類を連名にて提出すること、また人的リソースの提供(例えばデザイナーさんにはデザインを寄付して頂く等)の色合いが濃く、実行委員会参加メンバーに直接資金援助を求めるのは正直気が引ける所がある。特に、実行委員会に賛同して下さっている方はアカデミズムの側に属する人が圧倒的に多く、決して資金的にゆとりのある人ではない点が、私の考慮する点でもある。

しかし、何とかしなくては。。。

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その後「北川フロムの40年」を読んで元気が出た。
3億円の借金に比べれば70万円ぐらいは屁のようなものじゃないか。

とにかく、頑張ります!

なお、展示への寄付は、こちらにて受け付けます。ぜひご覧になって下さい。

東京日記

2007-08-23 08:29:22 | Weblog
現在、東京に滞在している。マンハッタンのグリッドに慣れてしまった状態から東京に帰って来て、高田馬場の小さな路地を歩いていると、ああ、アジアに帰って来たな、という思いが高まる。日本語という言語の構造そのものが、こういった路地そのものに現れているのではないか、そんな思いさえする。

昨日は上野の東京国立博物館にて、「京都五山 禅の文化」を見てくる。さすが国立博物館で禅の展示をやっているだけあって、クオリティ、そして数もかなりのもの。京都五山と中国の関係、そして足利家の関係をかなり丁寧に説明してあり、専門家でない私にとってとても勉強になるものだった。また、中国の禅画の中に、仏教と儒教と道教の三大指導者、すなわち釈迦、孔子、老子の三者が現れたものがあり、それが面白かった。なお、中国の禅画には、インドの影響が感じられたのが、私にとって収穫だった。少しずつ、アジアそしてヨーロッパの芸術が、自分の中で一本の線で繋がりつつある。

雪舟の「破墨山水図」が見れなかったのが残念。国宝のため、展示期間が限られており、先週の日曜日で終ってしまったのだそう。また今度。偶然、会場でアーティストの安部典子と会い、軽く話し込む。

その後、東京芸術大学美術館にて、「金刀比羅宮 書院の美― 応挙・若冲・岸岱 ―」と、芸大コレクション展である「歌川広重《名所江戸百景》のすべて」を見てくる。どちらも素晴らしい展示だった。

金刀比羅宮の丸山応挙、そして伊藤若冲の襖絵は、傑作の一言だ。これだけの美術品が、たった一つの神社に納められているというのが面白い。また、岸岱という画家の作品は初めて見たのだが、とにかく描写力が素晴らしい。見てよかった。お勧めです。

また、広重の版画展も素晴らしかった。(凄い人の数でビックリ)今更だが、広重の構図の取り方には天才的なセンスが感じられる。アメリカから帰ってきてすぐ広重の名所江戸百景を見た為、広重の作品を見て衝撃を受けたという当時のヨーロッパの画家の気持ちが少し分かった気がする。

その後、日本代表のサッカーの試合を見た後、編集者の友人と日本の現状に関して意見交換をする。なかなか日本における芸術をめぐる状況は厳しい様だが、頑張るしかなさそうだ。

ベルイマンと神をめぐる思考 - 英語を使ってキリスト教を理解することは近道か?

2007-08-16 15:53:24 | Weblog
先日、アントニオーニの「Blow Up(欲望)」を見た後に、少しでも歴史が遠くなってしまう前に歴史から学ぼう、と思い立ち、同日に他界したイングマール・ベルイマンの代表作「鏡の中にある如く(スウェーデン語でSASOM I EN SPEGEL、英題THROUGH A GLASS, DARKLY)を鑑賞した。ベルイマンに関しては昔、大学のシネマ研究会に入っていた時に、「野いちご」や「日曜日のピュ」などを見た記憶があるのだが、他のヌーヴェル・バーグの時代の監督らと比較した際にどうしても夢中になれず、そのままベルイマンから遠ざかってしまった記憶がある。しかし、ある程度宗教について勉強をした後に鑑賞すれば分かるのではないか、と思い、見てみたのだ。

「鏡の中にある如く」は、“神の沈黙”三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』の一本目に当たる作品で61年に制作されており、この作品ではベルイマンの愛人であった女優、リヴ・ウルマンを主人公に、展開していく。(以下はAllcinema Onlineからの引用)
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ベルイマンの信仰と人間の欲望を省察する一連の作品の中でも、最も深刻な、だからこそ見応えのある映画。まるで贅肉と言うものが無く、ことに後半の映像の重なりには息を呑む。孤島の別荘に保養に来た作家ダヴィッドは、精神に不安を持つ娘(H・アンデルソン)の危機的状況を知りながら、文学者としてその事すら冷静に受け止め、表現しなければ--という決意を日記に記す。が、それを盗み見した娘は絶望し、いよいよ発病してしまう。“悪魔に身体を侵される”と訴える娘はまだ年若い弟にすがりつく事に解決を求めるが……。深い孤独に囚われた西欧の近代的自我を、極限の愛を描くことで訴えながら、どこまでも冷静な筆致に恐れをなす程。姉弟が父たちの前でシェークスピアの寸劇を演じるシーンなど忘れ難い。白夜の光陰を捉えたS・ニクヴィストのカメラもまた神々しくすらある。
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バッハの無伴奏チェロ、そして主体の問題、芸術の問題、そして神の問題を扱った、私好みの作品であって良い映画のはずなのだが、どうしても、どこかで違和感を感じてしまう。しかし、それが何故なのか、しばらく分からなかった。

私はこの映画を英語字幕にて鑑賞したのだが、まず、邦題と英語のタイトルが一致していないことにまず気がついた。鏡とガラスのメタファーでは、もっている意味が大分違う。何故だろう?

この映画のタイトルThrough a glass, darklyは、新約聖書において使徒パウロが書いた「コリント人への第一の手紙」:第十三章第十二節の下りであり、アガペー、すなわちキリスト教徒内部におけるお互いへの「愛の賛歌」を説いたものであり、「誰が本物のキリスト教徒か」、というテーマを含んだ文章である。そして興味深いのは、このThrough a glass, darklyは、KJV、すなわちイギリスの欽定訳聖書における言葉遣いであるという点だ。

ヘンリー8世がローマ・カトリックから分離してイングランド国教会を立ち上げるのは16世紀半ばだが、それから半世紀後、ジェームス1世の時代に欽定訳聖書が生まれたことになる。つまり、シェイクスピアの後期に当たる時代だ。

そして、欽定訳ではなく、(American Standard Version、通称ASV)の訳になると、これがIn a Mirror, Darklyとなるのである。しかし、Wikipediaで調べた限りでは、このASVの訳がどの原書を英語訳したか、という肝心な箇所が書かれておらず、また間違いの箇所があることからも、KJVへの回帰運動が起こったりしている様だ。おそらく、ヘンリー8世は元々ローマ・カトリックであったから、KJVの翻訳も、ギリシア語の聖書をラテン語訳したものから、英語へ翻訳したものだろう。

そもそもローマ・カトリックが東方正教会から分離した理由は、ギリシア語からラテン語への新約聖書の翻訳によって移り変わってしまった、三位一体における、言葉を話す主体は誰か、という問題がメインだった訳だが、そもそも主体、Subjectum(臣下)は、神というものに仕える人間、すなわち臣下を主体として捉えたものであったはずだ。そういう所から考えないと、何故ベルイマンがトリロジーとして神を扱ったのか、理解できないだろう。

ちょっと話がずれたので戻るが、日本語のベルイマンの紹介は、私には英語でベルイマンを見たものよりも、しっくりと来るものだったのだ。これが、何故起こったのか、私には分かりかねる。あくまで直感で申し訳ないのだが、英語を使って理解するキリスト教は、実はかなり遠回りをしているのではないか、と感じた。しかし、例えばこのタイトルSåsom i en spegelのメタファーも、ベルイマンが意図したものとは、どうしてもずれているだろう。または信仰や神を扱ったものは、結局神話性の問題であり、ストン、と近くまで落ちてくるような母国語の方は入って来やすい、という単純な理由かもしれない。

それにしても、ベルイマンはよく分からないなぁ。

終戦記念日の今日、嬉しいお知らせです

2007-08-15 13:37:16 | Weblog
2007年8月15日、62回目の終戦記念日の今日、当ブログを読んでいる皆様に大変嬉しいお知らせがあり、ご連絡差し上げております。

ついに今日、展示「アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」の会場、そして会期が決定しました。

会場は、ニューヨーク市ソーホーの非営利美術スペースPuffin Room、会期は2008年1月12日から2月24日までの6週間の期間での開催となりました。

会場であるPuffin Roomはソーホーのど真ん中、ブロードウェイとBroome Streetの交差点近くにある1階のスペースという好立地で、平和をテーマとした展示を多く開催しており、その功績が認められ2年前には雑誌「ネーション」から表彰を受けております。こういった会場で本展示が開催できるのは、キュレーターである私としても大変な喜びです。また、展示スペースも今展示には十分広く、そして天井も高いので、作品も綺麗にインストールできると思います。

ようやく開催にまでこぎつけた訳ですが、ニューヨークにて、この展示に興味を持ってくれる会場を見つけ、契約を取り付けるまで、やはり大変な困難、そしてとても時間がかかった、というのが正直な印象です。前回私が企画した国際展「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ」も、日本で話題となっている万博のコンテクストをニューヨークにて開催する、ということに関してなかなか困難である、という印象を受けましたが、今回の様に日本国憲法第九条、というある意味ドメスティック、そして非常に繊細な問題を扱う展示の開催には多くの困難が伴い、そして相当な覚悟がいる、ということが身にしみて良く分かりました。しかし、開催にこぎつけたからには、とにかく展示として魅力的なものに仕上げて行きたい、と考えております。

私、渡辺真也は8月19日より日本に一時帰国の予定です。帰国中はファンドレイジングに集中し、今展示に興味のある方を訪ねて、寄付を募りたいと希望しております。個人、企業問いません。今展示に興味のある方、
article9@gmail.com
までご連絡下さい。

なお、8月後半には都内にて「アトミック・サンシャイン - 9条と日本」実行委員会のミーティングを行いたいと考えております。メディア関係者、美術関係者、または小額の寄付を希望される方、参加してみませんか?そちらも、
article9@gmail.com
までご連絡下さい。

それでは、展示開催に向けて、全力で頑張ります!

渡辺真也

ニューヨークに流れ着いた人達

2007-08-09 13:25:33 | Weblog
ニューヨークにいると、一つだけ圧倒的に魅力的なことがある。それは、世界中の変わり者に簡単に会える、ということである。さすが世界の大都市ニューヨーク、どこにも適応できない人達がNYに流れ着いて来て、それはもう万国博覧会の様である。私もこの中だと全く浮かないので、なんだか安心できる。

先日、仲良しの双子のペインターのフーバー・ブラザーズがスイスに帰ってしまう、ということで皆でお別れバーベキューをやってきた。アーティストやミュージシャン、科学者やら精神分析医やらでごった返すそんな中、一人Cさんと言う30代後半くらいのとても変わった人がいて、結構話し込んだ。

Cさんはベルギーでの学生時代、マルクス主義の洗礼を受け、卒業後はかなりハードコアな共産主義活動家として活動していたという。しかし、活動家仲間との関係や共産主義革命の意義そのものに疑問を感じ、数年後に活動を脱退、その後マルクス経済学の知識を生かしてニューヨークのヘッジファンドに就職し、今では社内でもかなりの稼ぎ頭だという。

マルクス主義を通過した後に、資本の頂点に立つような活動をして苦しさは無いのか、と聞いてみた所、ない、と言う。それはどうして、と聞いた所、Cさん自身の活動は資本の頂点に立つことによって、圧倒的に搾取されない立場に立っているから、私とは関係ない、と答えた。これは非常に都合の良い答え方だと思うが、こういう形で自分なりに答えを出しているだけ、私としてはまだ好感が持てた。

その後、私は日本で起こったマルクス主義的な活動について少し説明し、その際に今はもう存在しないNAMやQというグローバルな広がりを持つローカル通貨があったことを説明した。そして、私が憲法第九条に関する展示の準備をしている、という話をすると、「じゃあ、あなたの扱う作品をQで買おう」と言ってくれた。なかなか素晴らしい切り替えしで関心した。さすがリスク・ヘッジを仕事にしているだけの事はあるなぁ。

最近気になったことと言えば、民主党の小沢一郎氏がテロ対策特別措置法の延長を巡って米国のシーファー駐日大使と会談した際のニュース。小沢氏は憲法9条で自衛隊派遣に制約があることを説明した上で、「ブッシュ大統領は国際社会の合意を待たずに米国独自で戦争を始めた。米軍を中心とした作戦には参加できない」と述べたと言う。

その小沢一郎氏、国民新党などに参院での統一会派結成を打診している、と公表し、国民新党が求める郵政民営化凍結法案を臨時国会に共同提出することに前向きだと言う。これは凄い。この二つの出来事はセットで考えられなくてはならない。なぜなら、この二つは戦後日本の政治問題の中心そのものだからだ。そこに、日本のジャーナリズムと有権者が追いついてくれれば、日本は良くなると思う。

日本は親米ではない人は首相になれないというシステムになっていると私は感じるのだが、さてこれから一体どうなるのだろうか。

ブラッサイはアルメニア人だった

2007-08-04 11:28:58 | Weblog
最近、ベルイマン、そしてアントニオーニという映画界を代表する巨人が相次いで亡くなった。大変に残念なニュースだが、大変な高齢だったと思う。お悔やみ申し上げます。合掌。

そんな中、最近アントニオーニのBlow Up(邦題:欲望)を見たのだが、本当に凄い映画だと思う。近代の矛盾そのものを扱った不条理劇だが、私も何かを喉元に突きつけられた気分だ。これだけの力を込めて映画を取れる人が、果たして今後現れてくるのか、と思ってしまう程である。現代は、芸術そのものが、後期資本主義の消費行動の中で、磨耗してしまっている印象を受ける。

しかし、そんな中でも何人か私が良いな、と思える映画監督はもちろんいる。サム・ライミ、ポール・トーマス・アンダーソンなんかはハリウッドでも頑張っているし、そして昨日見た映画Ararat(邦題:アララトの聖母)を撮ったアトム・エゴヤンもその中に入る。

昔、映画「スイート・ヒアアフター」を見た際、こんなに鮮やかに北米を描いたのは凄い、と思ったものだが、後になってエゴヤンがエジプト出身のカナダ人と聞いて腑に落ちた記憶がある。その印象は、カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ後の読後感に似たものだった。しかし、そのエゴヤンがアルメニア人だと言うことを知って、俄然興味が湧いた。

アルメニアの詩人サヤド・ノヴァをテーマに映画を撮ったセルゲイ・パラジャーノフがグルジアのゴリ生まれのアルメニア人だということは知っていて大変気にかけていたのだが、まさかエゴヤンがアルメニア人だとは。そして、彼が影響を受けたのが、ベケットとハロルド・ピンターだと言う。そして、この顔。やはり彼も近代の問題を背負っていのではないか。

彼はゴーキ-の人生とトルコ政府が未だ認めないアルメニア人虐殺のテーマを映画の中で扱っているが、このプロットの描き方が抜群に上手かった。素晴らしいの一言。傑作だと思う。これだけの映画が撮れる人は、ハリウッドにはなかなかいないと思う。カナダだからやれるのだろうか?

私が以前から持っていたアルメニアに関する興味が再燃していろいろ調べてみると、私が以前紹介したブラッサイは、実はアルメニア人だそう。私はてっきりユダヤ人だと思い込んでいたのだが、実際そう間違われることが多いらしい。

ブラッサイに関しては何度か書いてきたけれど、彼はハンガリー人の父とアルメニア人の母との間に、現在のルーマニア、そして当時のオーストロ・ハンガリー帝国統治下のブラショフに生まれた、ということが分かった。オーストロ・ハンガリー帝国統治下のチェコに、マイノリティであるユダヤ人として生を受けたカフカと構図的に大変似ている。私は彼の写真の中に見られるアニミズム的要素に大変惹かれてきたのだが、彼がアルメニア人だ、と聞いたことは衝撃である。なぜなら、アルメニアはキリスト教を国教化した初めての民族で、その中でも最も古い、単性説を唱えているからだ。

ブラッサイは明らかに作品の中で神の問題を扱っていて、その近代化の中における捩れのようなものをビジュアル化することだけに活動の幅を絞っていたように思う。そして、ヨーロッパが実存に至るまで随分と時間のかかってしまった、神そのものが人間である、ということを最初から認めてしまったアルメニア・キリスト教である単性論に、私は大変興味が引かれる。

三位一体を生み出したローマ・カトリシズムはフィリオクェという、ギリシャ語からラテン語への翻訳による主体性に関する東西分離の問題を生み出してしまったが、単性論においては、どんな議論があったのだろうか?そして、近代化を果たす際にトルコがアルメニア人を虐殺する過程はナチによるユダヤ人虐殺に酷似しているが、これは一体どうしてだろう?ここにヨーロッパを解く鍵が隠されているように思われてならない。

それにしても、アルメニアのシンボルとされるアララト山は富士山に似ている。何だか不思議だ。

巻上公一、そしてデリダの暴力的「他者」批判

2007-08-02 10:08:12 | Weblog
昨日、友人と一緒に、ライブハウスのストーンに、巻上公一、イクエ・モリ、Sylvie Courvoisierを見に行ってきた。

巻上さんのパフォーマンスは始めて見たのだけれど、あまりの超絶パフォーマンスに驚いた。それにしても、口琴とホーミーが、本当に上手い。それに加えてあのヴォイス・パフォ-マンス。正直、驚いた。

最近、能の演技者がコブシのかかった声を出す際に、頭蓋骨に音を響かせることによって音を作る、という話を聞いたことがあり、巻上さんにも聞いてみた。なぜなら、口琴も頭蓋骨を震わせて音を出す楽器だからだ。すると、巻上氏は「頭蓋骨も使うけれど、僕は全身を使ってます。そうしないと声が出ないんだよね」と言っておられた。納得。

先日、9条の持つ意味に関して、展示実行委員会の方といろいろやりとりをする。その中で、やはりレヴィナスの「他者」とそれに対する批判について考える契機があった。私もいろいろ勉強したいので、チャレンジして書いてみます。間違っていたら、ご指摘下さい。

彼は、ベネチア派以来、芸術は「精神」が見た世界、流動する映像としての世界をリアライズしてきた、あるいは「精神」そのものを提示しようとした(コンセプチュアリズム)。これは「悪」と背中合わせであるが、レヴィナスはこの「精神」が生み出す「悪」に対抗しうるのもまた「精神」だ、ということを指摘した、と述べた。

私は、「全体性と無限」においてこの精神論が出てくるかどうかはちょっと思い出せないが、精神そのものが悪との背中合わせだ、というパラダイムそのものを、問いかけを変更することによって解決しようとしたのがレヴィナスで、その一つの契機になりうるのが他者だ、という理解をしている。すなわち、これは良い精神か、悪い精神か、という二元論的な問いではなく、この良い精神は、十分に良い精神足りえているのか、そしてもしそうなら何故そうであるのか、もしそうでないとするなら、何故そうではないのか、という点に視点を移す際に、「他者」的視点を「モラル」として内部化しよう、と言っているように私には思えるのだ。

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レヴィナスは、「私と依存」という章にてこう書いている。例によって非常に難解な文章から引かれた部分なのだが、考えるヒントになりそうな部分をそのまま抜書きします。

<私>であるとは幸福であることであり、わが家にいることである。これはたしかであるとはいえ、<私>は非充足のなかで充足しているのであって、<私>は<私ではないもの>のうちにとどまっている。<私>であるとは、「他のもの」を享受していることであり、自己を享受していることではだんじてないのである。<私>が原生的であるとは、ことばを換えれば<私>ではないもののうちに根づいていることなのであり、にもかかわらずこの根づきのうちで自存し、分離されているということである。<私ではないもの>との<私>の関係は幸福として生起し、この幸福によって<私>はますます<私>でありつづけるけれども、<私ではないもの>との関係は、<私ではないもの>を引き受けることでも、それを拒否することでもない。<私>と、それによって<私>が生きるものとのあいだには、<同>を<他者>から分離する絶対的な隔たりは広がってはいない。

また、デリダは『暴力と形而上学』にて、レヴィナスの言う主体が他者に先立つ、ということ事態が暴力的な他者の規定である、と批判していたと思う。ちょっと調べてみた限りだと、

デリダは、レヴィナスの「歓待性」(hospitalité)の概念を緻密に分析することから出発する。レヴィナスの他者論においては常に無限者としての絶対的他者と、それを「迎える」私との関係が問題となるが、まさにこの他者を「迎える」ということの意味が問題となる。他者を迎え入れる者が、実はそれに先だって、無条件に他者によって迎え入れられていること、迎え入れを承諾する最初の「諾」(oui)を発するのは常に他者であること、即ち、他者との出会いにおいては、常に「私」よりも他者のイニシアティヴが先行している、ということを批判した、ということだそう。

また、デリダは全ての国民国家および共同体が暴力であり、名づける、という行為そのものに共同体的暴力を見出している。そしてそのエクリチュールとパロールの優位性の決定にも、批判的コメントをしている。(レヴィナスはパロールの優位を述べている)ある意味、デリダはそういう役回りをすることで、読者にとっての「他者」的役割を悪役として演じているのではないか、という印象すら私は受ける。そしてデリダは、「カントにおいて恒久平和、国際法、普遍的歓待性といったものの設立は、現実的であれ強迫的であれ、現実的であれ潜在的であれ、自然的敵対心の痕跡をとどめている。レヴィナスにとってそれは逆である。戦争それ自身が、顔の平和的受け入れの痕跡をとどめているのである。」カントは平和という概念を極めて政治的な次元から思考しているのであり、平和状態は国家の介入なくしては保証されないことになが、レヴィナスは、国家によって設立される平和にこそ「専制的暴力」が隠されており、むしろ政治的次元に先行する、間主体的歓待性の次元にこそ平和の源泉が存在する、とデリダは主張している。

この辺りに、かなりヒントか隠されていると思う。継続して勉強して行きたい所だ。何か訂正や指摘などがありましたら、ぜひコメント下さい。