Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

踏ん張りどころ

2007-10-31 13:50:36 | Weblog
カタログ用テキストの締め切りや、展示保険の手続き、日本での会場決定と今後の助成金の手続き、通訳の依頼、ギャラリーからのHelpの依頼、雑誌の原稿の締め切り、ヨーロッパからのお客さん、複数のアーティストとのフォローアップ・・・一気に仕事の山場が押し寄せてきて、てんてこ舞いだ。今が踏ん張りどき。でも、人間は追い詰められれば実力が発揮できるもの。そう思って頑張りたい。

美術という道を選んだ限り、私は人の心と正面から向き合う仕事を選んだ訳だ。その意味では、人間の心に対して、真摯に取り組んで行きたい。どうしても、心を扱う、ということは負担が発生しやすい領域ではあるが、最も面白い領域の一つでもあると思う。

町を歩きながら、今までのニューヨーク生活をぼんやりと振り返っていたら、今、という時間がいかに貴重か、ということを痛感するようになった。そうだ、私はニューヨークに挑戦をしに来たのだ。うかうかしてられない。前進あるのみ。前へ、前へ。

畜生、前進だ!

足で稼げ!

2007-10-27 14:27:54 | Weblog
今日はニューヨークで行われた神風特攻隊をテーマとした映画の上映をニューヨークにて企画している関係者のイベントにお邪魔し、そこで与えられた機会を上手く利用して、私の活動について話させてもらう。そのうち何人かは、私の活動について感心を持ってくれ、しばらく話し込む。今日は一日でこれらのイベントのランチ、晩御飯と周り、名詞と企画書を配る、という営業活動を行う。こうなったら、足で稼ぐしかない。しかし、これらのイベントも$20($30から無理を言って割り引いてもらった)、$45と高級な為、なんとかして元を取らなくては、と焦る。

ディナーの場所は、アメ★ドリという、アメリカン・ドリームを追う日本人が集う場所での2分間のスピーチであった。しかし、この「アメリカン・ドリーム」を追っている人たちが、経済的成功を追っている人が多いことに少し引いてしまった。一攫千金でニューヨークに来ている日本人が多い、ということだろうか。

夢というのは、もっと大きなものだと思う。金持ちになりたい、というのは本当に夢なのだろうか。いや、何か大きな夢を実現する為に金持ちになる、というのが本当の夢の実現方法ではないか。お金が目的になった人というのは、本当の「価値」というものを自ら見出すことができなかった人の様に思う。

私は、トロイアの遺跡を発掘したい、という子供からの夢を実現させる為に、ビジネスマンになってお金を稼ぎつつギリシャ語を学び、仕事をリタイアしてから発掘作業に取り掛かったシュリーマンを、本当のドリーマーと呼びたい。あくまでお金を稼ぐのは、大きな夢の実現の手段ではないか。

ユニオンジャックと英国人のアイデンティティ

2007-10-24 14:09:35 | Weblog
私は現在、孤独な作業に突入しつつある。ただ黙々と、なすべき仕事をこなして行く。しかし、どうしても思い通りにいかないことが多く、悩みも深い。私個人では解決できない問題がそれだ。それでも、できる限りでやって行くしかない。

カタログを製作していく上で一つだけ分からないことがあり、ケンブリッジで政治経済を勉強していたイングランド人の友人レオに、ユニオンジャックに関して質問してみる。

イギリスでは大英帝国の国旗であるユニオン・ジャックをひっくり返すとSOSサインになる、という面白い機能があるそうなのだが、その裏返しの旗というのが大英帝国の人以外には非常に分かり難い為、敵にばれずにSOSサインを送れるという隠れた機能があった、と聞いたことがある。この話はイギリス国内では知られた話なのかどうか、そしてこのさかさまの国旗というモチーフを使って芸術作品に近い行為をしている人がいたら、教えて欲しい、と聞いてみた。そして、現在の大英帝国において、この国旗をさかさまにすることは、挑発的な意味合いがあるのかどうか、それも伺ってみた。

レオの答えは、さかさまの国旗にSOSという機能があるとは知らなかった、というものである。そして、国旗における挑発的な意味合いに関しても、イングランドではSex Pistols, Vivianne Westwood, The Whoなどの歴史があり、国旗を使ったユーモア表現みたいなものはいくつかあるが、今同じことをやってもほとんと意味はないだろう、というものであった。例えばアメリカにおいて国旗を燃やすことは違法であるが、大英帝国においては特に犯罪とは見なされないという。

また、現在の大英帝国においては学校などの教育機関でも国旗を見かけることはほとんどなく、国旗を意識するのは極右の人たちくらいだ、と言っていたのが印象的だった。その理由の一つは、やはり昔の植民地主義の歴史を彷彿とさせるからだそう。この傾向は、日本と似ているかもしれない。昔の日本だったら普通の家庭でも、田舎に行けば祝日の日には日の丸を掲げていたものだが、今同じことをやったら、それこそ勘違いされかねない。

国旗というネーションのシンボルに自らをアイデンティファイする、というのは、やはり近代の傾向ではないかと私は考える。しかし旗、というメディアがグローバルに存在していた、という意味の方に、私は興味を惹かれる。

私へのインタビュー記事+ヨーロッパの新アイデンティティ

2007-10-20 07:24:09 | Weblog
「憲法メディアフォーラム」という憲法問題にフォーカスしたジャーナリスト向けのホームページに、私のインタビュー記事が掲載されました。ご覧になってみてください。明珍美紀さん、インタビューの掲載、ありがとうございました。

今日、日本のアマゾンから取り寄せた本が到着する。その中でも特に楽しみにしていたのが、小学館の写楽ブックスから1982年に出版された名著の誉名高い「日本国憲法」である。憲法全文が、日本の風景写真などと一緒に配置された、いわゆるビジュアル本である。とてもひねりの効いたデザインかつ、飾っていない「日本」が垣間見える、素敵な本であった。

びっくりしたのは、デザインの欄を見たら、「松永真」と書いてあるではないか。そう、あのフランスのタバコ「ジタン」のロゴやベネッセのロゴを作った松永氏である。やっぱり、世界的に成功するデザイナーというのは、若い頃から良い仕事をするものなんだなあ、と思って関心した。

日本国憲法―ピースブック
「写楽」編集部
小学館

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また、セルビアのベオグラードで現在個展中のデヤン・カルジェロビッチから連絡があり、展示の様子の写真などを送ってもらう。そして私がもう1年以上も前に書いた、彼の作品Europolyに関する記事「Cogito ergo Europe - New European Identity and Its Limitations」をWebに載せることで許可を頂いたので、早速掲載してみました。

この企画は世界から10人ほどの筆者が、ヨーロッパの新しいアイデンティティについて書いたものが、モノポリーの様なゲームの形を取った、東ヨーロッパ人がEU市民権を獲得する、というゲームのルールブックとして付随するという意欲的な試みだったのだが、予算の都合上、実現しなかったのである。ライターに関してはジジェクにも打診していたというので、私も負けるものかと思って張り切って書いたのだが、お蔵入りになってしまったものだ。

2006年2月当時の情勢に合わせて書いたので、ウクライナのオレンジ革命と宗教的分断とネーションの問題について述べ、それを日本の大東亜共栄圏の内外問題に関する論争とパラレルして述べる、ということをやってみました。この機会に、ぜひ皆様ご高覧下さい。

参加アーティスト発表!

2007-10-18 08:04:13 | Weblog
今日、久しぶりにWebサイトを更新した。自分ひとりでWEBを作ってしまったことを、今更後悔してももう遅い。Webのメンテナンスには、とにかく時間がかかってしまうのだ。

しかし、今回の展示に関しては、Another Expoほど凝った作りではなく、最低限の情報だけ公開しようと考えている。前回はWebに情報を公開しすぎた為、カタログ販売が伸びないという問題が発生してしまったのだが、今回はカタログ系のテキストはなるべくWebに載せずに、カタログのみの掲載にしよう、と考えているからだ。

そんな訳で、以下が展示の詳細です。

美術展覧会: "Into the Atomic Sunshine - Post-War Art under Japanese Peace Constitution Article 9”
(邦題:アトミック・サンシャインの中へ - 日本国平和憲法第九条下における戦後美術)
キュレーター: 渡辺真也

会場:Puffin Room (ソーホー, New York)
435 Broome St
New York, NY 10013

会期:2008年1月12日土曜日 - 2008年2月24日日曜日(6週間)

参加アーティスト(アルファベット順)

ヴァネッサ・アルベリー
ジェニファー・アローラ & ギレルモ・カルサディーラ
コータ・エザワ
エリック・ヴァン・ホーヴ
松澤宥
森村泰昌
大浦信行
オノ・ヨーコ
下道基行
照屋勇賢
柳幸典

キュレーターである自分にとって、これほどの優れたアーティストたちがこの展示に参加して頂くこととなり、とても嬉しい。特に高校生時代からのあこがれであったオノ・ヨーコさんとご一緒できるのは、私にとって大変な幸福です。

展示カタログ"Into the Atomic Sunshine - Post-War Art under Japanese Peace Constitution Article 9”は、12月に完成の予定です。今回は「もう一つの万博」カタログ
http://spikyart.org/anotherexpo/cataloguee.htm
よりも大きめで、52-56ページ、フルカラーとなります。著者は、

渡辺真也
富井玲子(美術史家)
加治屋健司(広島市立大学芸術学部 准教授)
前嵩西一馬(コロンビア大学大学院博士課程 文化人類学専攻)
鈴木邦男 (新右翼団体「一水会」創設者)
伊藤剛(GENERATION TIMES 編集長)
Max Black(コロンビア大学大学院博士課程 文化人類学専攻)

という豪華!というか濃い顔ぶれになりました。美術展とは思えぬほどの、かなり読み応えのあるカタログになりそうです。そして、デザインはAizawa Officeの相澤幸彦さんが担当して下さいます。表紙は・・・見てのお楽しみ!

展示が迫って来ておりますが、未だに実行資金が不足しており、皆様からの寄付を募っております。寄付は一万円からで、全ての寄付者の名前をカタログに表記いたします。なお、10万円以上の寄付者の方には、広告を載せ、さらに実行予算に関するレポートも提出します。企業からのスポンサーシップ、大歓迎です。

またニューヨーク在住の方で、大型のフラットTVスクリーンをお持ちの方、展示期間中お借りできませんか?展示作品には3点ビデオ作品が含まれ、そのうち2点はハイビジョンDVDによる作品です。展示を最高の状態で開催する為にも、ぜひ理想的な環境での上映を目指しております。貸しても良い、という方、または何らかのご提案のある方、
article9@gmail.com
までご連絡下さい。

なお、展示作品の中で、花をインスタレーションの一部として使用する作品があります。ニューヨークのお花屋さんでスポンサーになってくれそうな場所がございましたら、ご紹介願えると大変嬉しいです。

それでは、皆様からのご協力、お待ちしております。失礼します。

展示カタログ製作と「トスカの接吻」

2007-10-15 15:57:59 | Weblog
今、淡々と展示の準備を進めている。しかし、細々とした作業、そして決して公にしないで裏方として進めるべき作業の類が多く、ブログに詳細を書くのが難しい。もうちょっと全てがはっきりしたら、詳細を書いていきたい。小出しにしてしまうと、私の中のモチベーションが下がってしまうのだ。展示に関しては、プロフェッショナリズムを貫きたい。

特に今はカタログ製作に関するコピーライトの取得や、ネガからのイメージのデジタル化のスキャン作業、カタログテキストの最終調整などに追われている。こういう作業は、個人でやっていると時間がかかってしまうのが問題。。。しかし、ニューヨークの写真家、そして国立国会図書館から第一級の資料のコピーを製作する許可を頂けたことで、歴史的なカタログが作れそうだ。

今日はそんな中、息抜きにダニエル・シュミット監督のドキュメンタリー映画「トスカの接吻」を見る。映画は、イタリアのカーサ・ベルディが舞台。ヴェルディは死の間際、老人向けの音楽家の憩いの家の製作に力を注いだのだが、その音楽家向けの老人ホーム(?)のドキュメンタリー映画がこの「トスカの接吻」である。

美しい映画だった。二人の老いた元オペラ歌手の男性と女性が、一緒にピアノを前にベルディを歌いながら、感極まってお互い手を握ってしまうシーンなど、本当に神々しいまでだった。これぞ、ドキュメンタリー、すなわち、カメラの前で何が起こるか、ということの面白さの醍醐味である。老いる、ということに対して恐怖がある人は、この映画を見たら考え方が変わると思う。一つ、音楽という文化に身をささげた人間が、いかに素晴らしい人生を全うできるのか、の賛歌であった。こんなドキュメンタリーが取れる人は、今いるのだろうか。または、居たとしても、こんな企画は現代では通らないかも(笑)

また、「トスカの接吻」というタイトルも素晴らしい。(トスカの接吻とは、愛する画家を守るために、女性歌手トスカが持ち出したナイフによる殺害のことである)死という、年配の方々が接するリアリティを、若かりし頃トスカを演じたであろう老女が、老いた男性をナイフを持った身振りの右手で刺し殺す、というカーサ・ベルディの日常。そこには、トスカ、というプッチーニのオペラにおける美と恋愛の美しさに囚われた、音楽に身を捧げた老芸術家の、生のほとばしりがある。老人の生をここまで詩的に美しく捕らえたドキュメンタリーは、私は他にはブエナ・ビスタくらいしか思いつかない。マストロヤンニの後期の映画なんかより、よっぽどよかった。

ダニエル・シュミットには以前から興味があったのだが、今回初めて彼の映画を見た。そして、彼のことを少し調べて、シュミットがダグラス・サークのドキュメンタリーを撮っていると知って、俄然興味が湧いた。ダグラス・サークは隠れた名匠として、私が所属していた早稲田のシネマ研究会時代にメンバーの間でかなり話題になっていたのだが、そんな矢先、イリノイ大学留学中にImitation of Lifeを見て、とても影響を受けた記憶がある。私のよくやる、作品を監督のルーツから考える、という行為も、サークから学んだ部分があるように思う。そして、その辺りから、私のドイツや東欧に対する興味が湧いてきたと思う。そういう接続がないと、例えばベケット的な文学の意味、というのは私には理解不能な様に思う。

それはさておき、どうやらマリア・カラスは「トスカ」を演じたら世界一、ということで知られていたのだが、その映像がyoutubeにアップロードされている。ここにおける凄さは、マリア・カラスの歌唱力のみならず、演技力、そして舞台におけるシンクロのレベルの高さではないか。私も生きているうちに、これくらいの芸術作品の高みを味わってみたいものだ。

ベースボールを見ながら考える言葉と歴史

2007-10-11 09:39:54 | Weblog
先日、ダンサーの山崎広太さんと晩御飯をご一緒しながら、いろんな話に花が咲く。今月NYで開かれる多くの舞踏のイベントから、アートのこと、ジェネレーションのこと、本当にいろいろなことをお話した。

広太さんは、前回のベッシー賞を受賞したのだが、その話になるととても嬉しそうだった。私も広太さんがセネガルのダンサーに振り付けをした、ルワンダの虐殺をテーマとしたダンスFagaalaのビデオを見てとても感銘を受けたので、彼があの作品で受賞したことはとても嬉しい(写真はベッシー賞の賞状を掲げる広太さん)。そんな広太さん、身体における「言語」をもうちょっとしっかりと構築して行きたい、と言っていたのが印象的だった。

食事中、たまたまヤンキース対インディアンスとの地区シリーズ第4戦をやっていたので、一緒に野球を見ながら、「言語」について考えていていた。

野球でピッチャーとキャッチャーのことをバッテリーというが、あのバッテリーは電池ではなく、あれは砲列、砲台という意味である。脅迫と暴行、という言い方を英語ではassault and batteryというが、ここにおけるbatteryとは、一方的暴力、という意味で使われると考えて良いだろうまた、NYの自由の女神の近くにあるバッテリー・パ-クは、オランダ人とイギリス人が港を守る為に砲台を置いたことから付けられている。つまり、バッテリー・パークとは砲台公園という意味である。(ちなみに電池がバッテリーと呼ばれるのは、セルが結合したものという意味らしい)

そこまで読んでみると、ホームベースがhome base、すなわち基地であることが分かる。home baseを無理やり日本語に訳せば、大本営ということになるだろうか。アウトにならずに、3つのベース(=塁=砦、基地)を回って大本営まで戻ってくれば1点ということなのだろう。ということは、野球はチェスの様に、戦争を模倣したゲームの一形態と言えるだろう。ということは、ピッチャーが大砲、そしてバッターが何になるのか、など象徴的意味を追ってしまう。

いつも思うのだが、野球はbaseballが日本化したものだと思う。日本の野球はアメリカよりも根性勝負みたいな側面が強く、アメリカでは豪快なパワーゲームという印象を受ける。日本では、マグワイヤみたいなステロイド製腕力だけみたいな選手は人気が出ないだろうし、アメリカでは川相の様なバント職人は全然人気が出ないと思う。そして、甲子園で敗北した高校生が砂を持って帰る高校生は、ある意味土着的信仰を具現化している様だ。あれをアメリカ人が見たらどう思うのだろう。仮にアメリカ人高校生でマグワイヤみたいのが助っ人外国人として日本の高校野球に出て、甲子園で敗北したとしたら、そのマグワイヤみたいな高校生も、甲子園の砂を拾って帰るのだろうか。これこそ、超芸術トマソンの世界ではないだろうか。

ミャンマー情勢に思う

2007-10-07 09:10:55 | Weblog
西ヨーロッパ人の友人からBulkメールが送られて来た。ミャンマーの軍事政権を批判する為の署名に参加して欲しい、というメールだ。複雑な思いだ。私もミャンマー情勢に関してはまるで素人だが、おそらくそれ以上分かっていないこの善意あるれる西ヨーロッパ人の友人に、私が考えていることを正確に理解してもらえるのだろうか、と自問してみた。答えは、うーん、難しいかな、ということだ。

私はミャンマーの軍事政権自体はもちろん支持したくないが、ミャンマーが果たして本当に民主化できるのか、という視点から考えないと、現在の軍事政権はそう簡単に批判できないと思う。もしスーチーの政権になったら、昔のフィリピンの様にアングロサクソンの傀儡政権が誕生してしまう可能性が大であり、それを推し進める為に、「民主化」というお題目が使われている様に私には思える。もしそうなると、形態としてはカラー革命と似ており、それが東ヨーロッパの旧共産圏から、アジアの発展途上国に移ってきた、という感じだろうか。金余りで資本剰余に困っている欧米の資本家にとって、この機会はミャンマーの軍事政権を民主化の元に打倒し、利権を得よう、という千載一遇のチャンスとして見ているのではないか、と私には思えてしまう。

現在のミャンマーが1948年までイギリス領であったことを忘れてはならない。そして、スーチーの夫もイギリス人であったはずだ。そして、スーチーは本国ミャンマーではそれほど人気が無いにも関わらず、海外でもてはやされている、という話もある。マハティールや日本の政治家が仕方なく現在の軍事政権に肩入れしているのは、スーチー率いる民主化によってミャンマー情勢が不安定化し、アジアそのものが一気に欧米の利権の中に組み込まれるのを見越しているからだろう。そして、それを一番警戒しているのが、中国共産党だと思う。2007年1月にアメリカとイギリスは国連安保理に、ミャンマーの軍事政権に対し、スーチーを始めとする全ての政治犯の即時釈放を求める非難決議案を提出したが、ここで拒否権を使用したのが中国とロシアであった。つまり、アングロサクソンの利権に対し、中国とスラブが敏感に反応しているのである。

これはもしも、でしかないが、もしもミャンマーの軍事政権が突然弱体化し、治安が悪化した場合、治安維持を理由にNATO軍が入ってくる可能性がある。そうなると、旧ユーゴ、アフガン、イラク、ハイチの様な状態が発生しかねない。泥沼である。

そもそも、今回のミャンマーでのデモは、石油価格の高騰によって生活が苦しくなった僧侶によって引き起こされたものだが、どうして石油価格を上昇させたのだろう?軍事政権による単純な搾取が目的だったのだろうか?それとも、OPECと世界経済によって引き起こされた原油価格の高騰が直接石油の値段を押し上げているだけなのか?または、2000年にアメリカで起こった謎とされた石油価格上昇の様に、ネオコン系のサプライヤーが価格をコントロールしたとでも言うのだろうか?これは分かりかねる。

これは余談だが、ビルマが19世紀のイギリスと戦った際の1852年、最後の首都の名前がマンダレーと言う。ふと思ったのだが、ラース・フォン・トリアーのマンダレーは、この地名と関係しているのだろうか?この映画の中で、アメリカ中部のマンダレーの町に、黄金の心を持った若い女性が流れ着き、「1年後に助けに来るから」と言ってギャングの親分である父親は去っていくのだが、一年後、この女性が鞭で奴隷を叩いているシーンを見た父親は、それを見て安心し、女性を置いて帰ってきてしまう。例えば、アラン・レネは映画「去年マリエンバードで」の中で、マリエンバードと呼ばれる、ゲームを始めたものが必ず負ける、というゲーム理論を地名として採用しているが、トリアーもそういう事はやりかねない。なんだか、深読みしたくなってしまうのは、私だけだろうか。

Making a Home展、オープンしました

2007-10-06 10:06:46 | Weblog
ジャパン・ソサエティーにて開かれた展示"Making a Home"のオープニングに行ってくる。この展示、私もカタログテキストの一部を書かせて頂いたのだ。私の友人のアーティストも多くが参加しており、プレビュー当日は大変な賑わいだった。なんでも33人のアーティストが参加したグループ展なので、アーティストの関係者だけでも大変な人数に昇っていた。会場では、私の友人やお世話になっている人が多く、あいさつ回りをする。

展示作品を見て回る中、友人たちと一緒にオノ・ヨーコさんの作品を観賞する。母に向かってメッセージを書いてください、とだけ書かれたホワイトボードには、いろいろな国の言葉で、様々な人たちが母へのメッセージを綴っている。「はい、これ」とペンを渡され、さて母に向けて何を書こうか、と考えると、なかなか言葉が出てこない。みんなが既に書いているメッセージを参考に読みながら、何とかして短いメッセージを書いた。みんな、自分の名前を書いているので、私も最後に「真也」と書いたのだが、なんだか照れくさかった。

その後、展示を一緒に見て回った、「Into the Atomic Sunshine」展への出品作家であるヴァネッサ・アルベリーと一緒に、ご飯を食べながら出品を予定している新作について話した。これから作品を作る、というアーティストと一緒に、具体的な話をするのはとても楽しい。しかしそのプロセスの中には、多くのアーティストの悩みや葛藤、ジレンマ等が存在し、それを理解した上で助言や、方向性、カタログテキストを用意していくのは、私にとって喜びそのものである。

しかし、話をしているうちに、かなりヘビーな話になってしまった為、どうやら消化不良に陥ってしまったらしい。その後、まったく眠れず。

昨日は、ニューヨークの「時の番人」に会ってくる。彼はSOHOのアパートにひっそり暮らしていて、ふと気づいた頃に連絡を下さり、一緒に食事をする仲である。

今回もとにかくとりとめのない話になったのだが、AgainとAgainstというのは、同じ語源であり、ヨーロッパ全般の言語について言えることだが、これを日本語において理解するのは不可能だ、という話になった。物事に対峙する、ということは、オブジェ性を見つめるということであり、それは日本において希薄である、ということなのだろうか。

また、「I got up」とは「I wake up」とは違う、そして、got upという言葉、そして水平なイメージのみで構成された絵葉書から、I got upという垂直的想像力を働かせるということ、そして絵葉書そのものに異なった意味、すなわち二面性があり、その伝達には第三者、という郵便性が付加されている、という話になる。

毎回、「時の番人」との芸術論はきりがないが、時の番人にとって、アートはコミュニケーションではない、と言われているのが印象的だった。あれだけコミュニケーションに興味がある人を、私は知らないのだが(笑)


Making a Home: Japanese Contemporary Artists in New York (Japan Society Series)

Japan Society Gallery

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