ジャパン・ソサエティーにて開かれた展示"Making a Home"のオープニングに行ってくる。この展示、私もカタログテキストの一部を書かせて頂いたのだ。私の友人のアーティストも多くが参加しており、プレビュー当日は大変な賑わいだった。なんでも33人のアーティストが参加したグループ展なので、アーティストの関係者だけでも大変な人数に昇っていた。会場では、私の友人やお世話になっている人が多く、あいさつ回りをする。
展示作品を見て回る中、友人たちと一緒にオノ・ヨーコさんの作品を観賞する。母に向かってメッセージを書いてください、とだけ書かれたホワイトボードには、いろいろな国の言葉で、様々な人たちが母へのメッセージを綴っている。「はい、これ」とペンを渡され、さて母に向けて何を書こうか、と考えると、なかなか言葉が出てこない。みんなが既に書いているメッセージを参考に読みながら、何とかして短いメッセージを書いた。みんな、自分の名前を書いているので、私も最後に「真也」と書いたのだが、なんだか照れくさかった。
その後、展示を一緒に見て回った、「Into the Atomic Sunshine」展への出品作家であるヴァネッサ・アルベリーと一緒に、ご飯を食べながら出品を予定している新作について話した。これから作品を作る、というアーティストと一緒に、具体的な話をするのはとても楽しい。しかしそのプロセスの中には、多くのアーティストの悩みや葛藤、ジレンマ等が存在し、それを理解した上で助言や、方向性、カタログテキストを用意していくのは、私にとって喜びそのものである。
しかし、話をしているうちに、かなりヘビーな話になってしまった為、どうやら消化不良に陥ってしまったらしい。その後、まったく眠れず。
昨日は、ニューヨークの「時の番人」に会ってくる。彼はSOHOのアパートにひっそり暮らしていて、ふと気づいた頃に連絡を下さり、一緒に食事をする仲である。
今回もとにかくとりとめのない話になったのだが、AgainとAgainstというのは、同じ語源であり、ヨーロッパ全般の言語について言えることだが、これを日本語において理解するのは不可能だ、という話になった。物事に対峙する、ということは、オブジェ性を見つめるということであり、それは日本において希薄である、ということなのだろうか。
また、「I got up」とは「I wake up」とは違う、そして、got upという言葉、そして水平なイメージのみで構成された絵葉書から、I got upという垂直的想像力を働かせるということ、そして絵葉書そのものに異なった意味、すなわち二面性があり、その伝達には第三者、という郵便性が付加されている、という話になる。
毎回、「時の番人」との芸術論はきりがないが、時の番人にとって、アートはコミュニケーションではない、と言われているのが印象的だった。あれだけコミュニケーションに興味がある人を、私は知らないのだが(笑)
| Making a Home: Japanese Contemporary Artists in New York (Japan Society Series)Japan Society Galleryこのアイテムの詳細を見る |