Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

Performa05 グランドフィナーレ

2005-11-23 23:48:55 | Weblog
先日、ローズリー・ゴールドバーグ主催のNPO団体「パフォーマ」が行う「New York Performance Art Biennale 2005」がついに終了。2,3週間にわたり、NY各所のスペースを利用して大々的に行われたのだが、評判も上々だったように思う。私はマリーナ・アブラモビッチが行った1週間に渡るパフォーマンス「Seven EasyPieces」を見てきたので、また記事を書こうと思っています。

昨日がグランド・フィナーレのパーティだった為、足を運んできました。パフォーマのクロージング・パーティでは、オープニングでDJスプーキーがターンテーブルを回せば、その後、ロバート・ロンゴとジョン・ケスラーが即興パフォーマンス。ファスビンダーの「ベルリン・アレクサンダー広場」のバーバラ・スコヴァやダン・グレアムが挨拶した後、突然出てきたジェン・ワンが中国語で歌を歌ったりと、とにかく盛りだくさんだった。

私は途中で行われたクリスチャン・マークレイとオーキョン・リーのデュオが好きでした。マークレイ氏にとってのターン・テーブルも、オーキョンのチェロも、どちらも打楽器、という感じがして、パフォーマンスとしての音楽という点でも非常に面白かった。久しぶりに音楽を聞いたなぁ、という気分になった。みんな見に来ている人が楽しんでいる感じがして、よかった。

パフォーマの最終プレス・リリースを以下に貼り付けます。パフォ-マは日本でもイベントを行いたいと考えている様ですので、興味のあるキュレーターの方は連絡を取られてみてはいかがでしょう?では、また。


For Immediate Release

PERFORMA05 CONCLUDES INAUGURAL YEAR ON NOVEMBER 21
With Grand Finale Party to Celebrate Success, Look Forward to 2007

New York, November 21, 2005-PERFORMA05, the first visual art performance
biennial in New York City, celebrates its tremendous first year with a
Grand Finale Party at the Bowery Ballroom on Monday, November 21st, 8pm.

PERFORMA05 has been a resounding success, garnering rave reviews and
previews in national and international media in outlets such as The New
York Times, Wall Street Journal, WNYC, Art in America and Art Review. Jerry
Saltz, art critic at The Village Voice, praised PERFORMA05; “You gotta
hand it to RoseLee Goldberg-for changing the New York Art world and
inventing a biennial.”.All performances have been sold out with record
crowds. According to Christian Marclay, a PERFORMA05 participating artist:
“Screen Play attracted the largest and most diverse crowd I have ever
experienced for New Music in the city. There is an interested audience out
there and PERFORMA managed to tap into it."

From the local community to the international art world, many agree that
PERFORMA05 has revived and confirmed the place of performance art in the
lexicon of visual art history. “We have established a biennial to show the
importance of performance in the history of twentieth century art, and its
continuing impact on contemporary art,” says RoseLee Goldberg, founding
director of PERFORMA, the nonprofit organization that produced PERFORMA05.
“We have also brought together a fantastic community of people. The
response from a broad cross section of the public has been thrilling.”

The next biennial will build on the successes of the PERFORMA05 structure
by collaborating with venues throughout the city,while promising to invite
viewers to see visual art through “a new window”. Many from the new
roster of artists will be creating live performances for the first time in
their career. Venues and artists are lining up to participate in the 2007
Biennial. Joseph Melillo is executive director at Brooklyn Academy of
Music, one among many venues planning to become more involved: “PERFORMA05
was a revelatory artistic adventure. I am looking forward to participating
in the 07 Biennial so that BAM can play a role in this visionary program
for all of New York City.” Special commissions for PERFORMA07 will include
British artist Isaac Julien’s new piece The Ice Project, an evening length
work combining film installation with live musicians and dancers that
retraces the steps of Matthew Henson, an African American explorer, who
with Robert E. Peary, was the first to reach the North Pole in April 1909.
MoCA in North Miami will present “Henson’s Journey,” an excerpt from The
Ice Project, on December 2nd 2005, at the opening of Julien’s exhibition
at MoCA Miami during Art Basel Miami Beach.

Monday night’s party, that begins at 8 pm at the Bowery Ballroom on
Delancey Street, will be a fitting celebration to end such a dynamic and
popular event. Harking back to the late seventies, when every artist worth
his or her salt played in a punk band, PERFORMA has put together a line up
of artists’ bands, featuring Robert Longo, John Kessler and famed
Fassbinder actor Barbara Sukowa (The Patsys), Paul Miller (aka DJ Spooky),
Christian Marclay, Maxi Geil! and Playcolt, Mother Inc, and Japanther with
special guest Dan Graham. The Grand Finale will also feature introductions
by surprise guests and a late night DJ set by Spencer Product. Co-hosted
by the Village Voice.


For more information about PERFORMA05, please visit www.performa-arts.org
or call (212) 533-5720.
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マリーナ・アブラモビッチのパフォーマンス

2005-11-07 04:26:06 | Weblog
もう一つの万博にも参加したマリーナが9日から1週間、グッゲンハイムにて連夜のパフォーマンスを控えています。そのタイミングで、マリーナ・アブラモビッチのインタビューがNYタイムスに掲載されています。非常によく書かれた文章ですので、ファンの方はどうぞ。
http://www.nytimes.com/2005/11/06/arts/design/06kenn.html?th&emc=th

ここがグッゲンハイムのマリーナのパフォーマンスに関するページです。歴史的パフォーマンスを再パフォーマンスするというもので、ブルース・ナウマン、ビト・アコンチ、ジーナ・ペイン、ヨーゼフ・ボイスやマリーナ自身の伝説的作品「Lips of Thomas」のパフォーマンスも予定されています。見るのが楽しみ!
http://www.guggenheim.org/exhibitions/abramovic/index.html

今回の企画は私がアシスタントを務めていた美術史家ローズリー・ゴールドバーグ主催のNPOパフォ-マによるもので、NYでは2週間に渡り数多くのパフォーマンス・イベントが開かれています。興味のある方はぜひどうぞ。
http://www.performa-arts.org

PS:インタビューにも書かれているのですが、このパフォーマンスをノンプロフィットでやる、というマリーナの心意気は半端でないと思う。とにかくすごい!

阿部和重に見る「国家内国家」問題

2005-11-04 14:27:26 | Weblog
先日、日本に帰った際、山手線の社内にて突然、とてつもなく感動してしまった。電車内の人の顔が、余りにもバリエーション豊かであったからだ。これも世界中を旅してきた過程、そしてニューヨークという人種のサラダボウルで暮らしていく過程で、私の感性が研ぎ澄まされたからだろう。その瞬間、日本が他民族国家である事が手に取るようによく分かった。そして、よくこの国を単一民族だと言い張る人がいるものだ、とある種関心してしまった。

そして昨日、たまたま阿部和重の小説「ニッポニア・ニッポン」を読んでいて、こんな疑問が湧いてきた。彼がやろうとしているのは、日本国内におけるミクロネーション問題における当事者性から、日本というネーション・ステートに対抗しているのではないか、と。それは彼の他の著作「インディビジュアル・プロジェクション」や「ミナゴロシ」、「シンセミア」にも共通する。

小説の中の主人公、山形出身の上京したての青年鴇谷は、日本の国鳥であるトキ、すなわちニッポニア・ニッポンに関する問題を解決(すなわち日本の国鳥・トキの殺害)すべく、佐渡へと向かう。その青年鴇谷は、佐渡のホテルにて同室になった、東京から出てきた女子中学生にこう告げる。

「ねえ、瀬川さん。あのさ、唐突だけれど俺、じつは日本人じゃないんだよ」
「はあ?!・・・あの、どこからどう見ても、って感じなんですけれど・・・」
「俺、山形出身だって、話したよね。でも、山形以北の地方って、昔は日本じゃなかったんだってさ!」
「山形以北って、東北地方ってことですか?」
「そうそう。あ、いや、ど田舎だからとか、そういう話じゃないからね。新潟と山形の県境にさ、日本国っていう名前の山があるんだよ。知ってる?知らなかったでしょ。日本国って、ふざけた名前だよね。その山はさ、古代日本の境界っていう意味で、日本国って名づけられたんだって。本にそう書いてあったんだ」
「ふうん」
「だからさ、俺はまあ、日本人じゃないってことになるわけ。面白くない?この話」

おそらく作家の阿部氏本人も、東京に出てきた際、山形の方言でさぞかし苦労したことだろう。その際に受けたある種の疎外感から、ふと自分は日本人ではないのでは、という思いが芽生えたのかもしれない。しかし、彼の考えは正しい。そもそも、日本は1920年代まで、自国が他民族国家である事を外国に誇っていたのだから。

そして日本の近代は、こういった人達の犠牲の上に成り立っている。(東京の日雇い労働者の殆どは東北出身者であり、大阪においては沖縄、奄美の人達が多い)これを、ネーション・ステート内部におけるミクロネーション問題とでも名づけよう。

日本でそれをテーマにしているのが阿部和重だとすれば、アメリカにおいてそれをテーマ、そしてその作品という点で、パっと私が思いつく限りでは、カサベテスの映画「Shadows(アメリカの影)」やケルアックの小説「The Subterraneans(地下街の人々)」、スタローンの映画「ロッキー」などだ。カサベテスはギリシャ系アメリカ人であることを強烈に作品の中で主張しており、彼の作品に出てくるマイノリティに対する優しさの様なものは特筆に価する。ケルアックはアメリカの田舎のフレンチ・コミューンに育った為、子供の頃は英語すら話せなかった。そんな彼が黒人の彼女マードゥに寄せる愛情、そして苦悩と後悔は十分に文学的である。ロッキーもフィラデルフィアに生まれたイタリア系であり、黒人のボクシングチャンプに対して「イタリアの種馬」というリングネームを着せられ、悪者として、見世物のように戦わされる。だからこそ、試合に勝利後、彼が叫ぶ彼女のヒスパニック名 - エイドリアン - は感動を帯びる。しかし、こういったアメリカ内部におけるミクロネーション問題は、大きなカテゴリー、すなわち人種、そして宗教に回収されてしまった様に思える。それをボクシング映画を例にとって述べると、「ロッキー」と比較した際、映画「ミリオンダラー・ベイビー」におけるフランキーとマギーに見ることが出来る。二人はテキサスのアイルランド系アメリカ人であったが、彼女がリングに上がる際に流れるのはスコットランドのバグパイプという倒錯が起きている。しかし映画においてそれはそれほど問題ではなく、この映画の中ではフランキーが信仰しているカトリック教会とそのシンボルがより重要視されている。ミクロネーションの分断としての宗教性があるのみで、アイルランドという土地性からくるネーション問題に主軸は置かれていない。そして、マギーをやっつけた悪役ボクサーは、黒人であった。

ネーション問題はさまざまな位相と絡む為、批評が困難であるが、ブログでも使って少しずつでも発言していきたいと思う。

PS:そういえば、私は高校生の読書感想文でケルアックのサブトレーニアンズについて書いたことを思い出した。高校生ながらとても真剣にケルアックについて論じたのだが、もちろん高校の教師には全く相手にされず、その先生に「文学は太宰だ!」と言われて落ち込んだことがある。最近、日本の美大出身の友人から日本の美術教育のシステムの不備について切実に語られたのだが、そういうのは、なかなか変わらないのかなぁ、なんて思ったりもする。

国の中の国

2005-11-02 13:52:46 | Weblog
スペインが揺れている。拡大していく欧州の中で、こういった地方分権・分立の動向からは目が離せない。そもそもEUの拡大そのものが資本の論理が先立つことによって成立しているのだから、こういった反動があっても全く不思議ではない。ゆくゆく、日本も分離していく時が来るのかもしれません。

「国の中の国」認めるか スペイン・カタルーニャ

 【パリ1日共同】スペインのバルセロナを州都とするカタルーニャ自治州が、自治強化に向けた動きを強めている。州議会は9月末、自らを「国(ナシオン)」と位置付け、自治権拡大を盛り込んだ法案を圧倒的多数で採択、首都マドリードの中央議会に承認を求めた。中央議会は2日から法案をどう扱うか議論に入る。
 法案は「カタルーニャは国である」とうたった上で、中央政府との関係の見直しに踏み込んだ。将来的に税金の徴収は州政府が行い、そこから中央政府の取り分を支払うとし、現在とは立場が逆のシステムを目指す。また、司法分野でも州の独自性を高める内容となっている。
(共同通信) - 11月1日17時58分更新

ハロウィーンと民間信仰

2005-11-01 10:25:26 | Weblog
ピンポーン、とアパートのドアベルが鳴った。夜8時のこんな時間に誰だろう、と一瞬思ったのだが、ああ、今日はハロウィーンだった、と思い出した。アメ玉も持たずに扉を開けてもいたずらされるだけかぁ、と思い、結局玄関には行かなかった。アメ玉用意していればよかったなぁ。

しかしアメリカではハロウィーンの日は一般的に治安が悪くなる傾向があるので、私の住んでいる貧民外ではあまり無用心に扉を開けない方が良いと、いうのもある。放火や殺人などもまれに発生する。日本人留学生が殺された事件が昔あったけれど、ああいう話はアメリカでは決して珍しくない。

ハロウィーンは、アメリカにおけるアニミズムの良い出方の例だと言えよう。一般的に一神教地域ではその硬直性に耐えられず、こういった土着的な民間信仰が表面に浮かび上がる場合が少なからずある。おそらくキリスト教徒でなくても、アメリカ人であればハロウィーンは一般的に受け入れられていると言えよう。

ハロウィーンは古代ケルトのドルイド教というものがキリスト教の諸聖人の日とクレオール化したものと言われている。ウィキペディアによると、ドルイド教では新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日であり、さらに収穫祭が毎年10月31日の夜に始まったそう。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げたと言う。ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まるそう。(前回書いた映画「ミツバチのささやき」には、少女が日をジャンプして飛び越えるシーンがあるが、それもこれと同じくスペイン地域のケルト系アニミズム信仰が重なっている)

11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー(Sith)」と呼ばれる。女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。なんだか日本のお彼岸と似ている。

キリスト教化していったヨーロッパの地域にあったこういう伝統が残っているのは、非常に興味深い。19世紀ヨーロッパでは宗教によってネーションが創造されていく地域が多かった訳だが、アメリカにおいてハロウィーンが全国区で認められた、というのは特筆に価する気がする。その理由はおそらく、こういった土着的なものそのものが、全ての人間にとって自然であったから、のような気がする。