14:27 from web
連続ツイート「ヨルダンのペトラ遺跡で考えたこと」
14:28 from web
(ペトラ1)昨日はイスラエルから国境をまたいでヨルダンへと渡り、ペトラ遺跡を訪ねて来た。2年ほど前にバーレーンのシェイク・ラシード氏主催のカクテルパーティにて、ヨルダンのアブドラ2世国王の母であるムナ王妃とお話する機会があって以来、ヨルダンをどこか身近に感じていた。
14:29 from web
(ペトラ2)砂漠の中に浮かび上がったペトラは、とにかく巨大な遺跡だった。モーゼの谷からペトラの宝物殿まで往復6kmほどだったが、それでも40キロ四方あるというペトラ遺跡の半分すら見れていない。古代ローマ最大の遺跡であるトルコのエフェソス遺跡と同じくらいの規模だろうか。
14:29 from web [ 1 RT ]
(ペトラ3)エジプトのイシス神をローマのコリント様式の柱が支える形で、一枚岩から彫り出された巨大なペトラの宝物殿は、まさに圧巻だった。紀元前の時代を生きていた彼らは一体、どうやってこの高度な技術を身につけたのだろうか?現代の技術を用いても、簡単なことではないと思う。
14:30 from web
(ペトラ4)道中、古代ナバテア人たちが作ったとされる、いくつもの小さな神殿を眺めた。現地のガイドさんが、石の壁から四角く無造作に切り出されたものを指差して「これが山の神です」と言うのだが、私はその四角いオブジェと信仰の対象である山のイメージがどうしても接続できず、苦しんだ。
14:31 from web
(ペトラ5)エジプトの神や旧約聖書、ギリシャ神話やローマ帝国などに関する知識は、宝物殿を読み解く上では有効だったが、道中に奉られた古代ナバテア人の神を理解することにおいては無効だった。これは一体、何を意味しているのだろう?
14:32 from web
(ペトラ6)イスラム教が広まったアラビア半島周辺には、神話が存在しない。動物を神として崇める習慣もアラビア半島ではなくペルシャ起源のものである。だからこそ、アラビア半島近くに位置するペトラに、四角く掘り出された石を山神と見なす様な信仰が生まれたのだろう。
14:32 from web
(ペトラ7)街の歴史と物語性に圧倒されたからだろうか、イスラエルに来てからやたら夢を見ている。そして私は、アラビア半島周辺における自然の擬人化である神話の不在は、その自然の厳しさ故に、人間の自然への還元さえ不可能だったことに根ざしているのではないか、と考えるに至った。
14:33 from web
(ペトラ8)ギリシアやローマの遺跡と比べた際、ペトラ遺跡は墓場だらけで、圧倒的なネクロポリス(死者の都市)だと感じた。宗教は約1万年前に人間が定住を始め、死者との共生が必然的になるにつれて発達したが、ペトラが初期の石造りネクロポリスとして巨大化したのも理解できる。
14:34 from web
(ペトラ9)一方、自然が豊かであったギリシアでは、完璧な人間は神聖だと考えられ、それ故に人間は、自然の擬人化として、神話における神々の姿へと移り変わり、低地にある死者の街ネクロポリスに対して、高地にあるアクロポリス(生の都市)を形作った。
14:35 from web
(ペトラ10)私は芸術とはある種の普遍性を目指すものだと考えるが、それは個人的な主観から生まれたものを超越した所に定義が生まれることで成立する。また言語的なものはプライベートランゲージとして存在することができず、共有を前提としている時点で、主観的なものではない。
14:35 from web
(ペトラ11)意識を持ってしまった人間は、自然への還元を常に望んでおり、それは宗教や社会倫理のみならず、芸術の中にも現れる。しかし意識を持ってしまった人間は、残念ながら、その本質を捉えるよりも先に、言葉で考えてしまう傾向が強い。
14:36 from web
(ペトラ12)つまり、言葉とは自然への還元を望む、本質に対する命名であったにも関わらず、いつの間にか、それを指す言葉が本質を超えてしまい、命名された実体が言葉に対する定義を含んでしまう、というシュミラクルな状態に陥ってしまった。
14:37 from web
(ペトラ13)その自然という高次元の普遍に向かって、初めて自己を開いたのが、自然を扱ったギリシア哲学の偉大さではないか。故にギリシア哲学は主観を中心に据えるヘブライズムと激しく対峙しても崩壊することはなく、さらにヘブライズムはそれを内部化することで、ルネサンスが花開いた。
14:37 from web
(ペトラ14)京都を理解する為には奈良に行くことが不可欠な様に、私はペトラに行くことで、ギリシア世界と旧約・新約聖書の世界の違い、さらにはヘブライズムにおける言葉の意味とギリシアや日本における言葉の意味の違いなどについて、より深く考えられる様になった気がする。
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以上、連続ツイート「ヨルダンのペトラ遺跡で考えたこと」でした。
by curatorshinya on Twitter
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(ペトラ1)昨日はイスラエルから国境をまたいでヨルダンへと渡り、ペトラ遺跡を訪ねて来た。2年ほど前にバーレーンのシェイク・ラシード氏主催のカクテルパーティにて、ヨルダンのアブドラ2世国王の母であるムナ王妃とお話する機会があって以来、ヨルダンをどこか身近に感じていた。
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(ペトラ2)砂漠の中に浮かび上がったペトラは、とにかく巨大な遺跡だった。モーゼの谷からペトラの宝物殿まで往復6kmほどだったが、それでも40キロ四方あるというペトラ遺跡の半分すら見れていない。古代ローマ最大の遺跡であるトルコのエフェソス遺跡と同じくらいの規模だろうか。
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(ペトラ3)エジプトのイシス神をローマのコリント様式の柱が支える形で、一枚岩から彫り出された巨大なペトラの宝物殿は、まさに圧巻だった。紀元前の時代を生きていた彼らは一体、どうやってこの高度な技術を身につけたのだろうか?現代の技術を用いても、簡単なことではないと思う。
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(ペトラ4)道中、古代ナバテア人たちが作ったとされる、いくつもの小さな神殿を眺めた。現地のガイドさんが、石の壁から四角く無造作に切り出されたものを指差して「これが山の神です」と言うのだが、私はその四角いオブジェと信仰の対象である山のイメージがどうしても接続できず、苦しんだ。
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(ペトラ5)エジプトの神や旧約聖書、ギリシャ神話やローマ帝国などに関する知識は、宝物殿を読み解く上では有効だったが、道中に奉られた古代ナバテア人の神を理解することにおいては無効だった。これは一体、何を意味しているのだろう?
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(ペトラ6)イスラム教が広まったアラビア半島周辺には、神話が存在しない。動物を神として崇める習慣もアラビア半島ではなくペルシャ起源のものである。だからこそ、アラビア半島近くに位置するペトラに、四角く掘り出された石を山神と見なす様な信仰が生まれたのだろう。
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(ペトラ7)街の歴史と物語性に圧倒されたからだろうか、イスラエルに来てからやたら夢を見ている。そして私は、アラビア半島周辺における自然の擬人化である神話の不在は、その自然の厳しさ故に、人間の自然への還元さえ不可能だったことに根ざしているのではないか、と考えるに至った。
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(ペトラ8)ギリシアやローマの遺跡と比べた際、ペトラ遺跡は墓場だらけで、圧倒的なネクロポリス(死者の都市)だと感じた。宗教は約1万年前に人間が定住を始め、死者との共生が必然的になるにつれて発達したが、ペトラが初期の石造りネクロポリスとして巨大化したのも理解できる。
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(ペトラ9)一方、自然が豊かであったギリシアでは、完璧な人間は神聖だと考えられ、それ故に人間は、自然の擬人化として、神話における神々の姿へと移り変わり、低地にある死者の街ネクロポリスに対して、高地にあるアクロポリス(生の都市)を形作った。
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(ペトラ10)私は芸術とはある種の普遍性を目指すものだと考えるが、それは個人的な主観から生まれたものを超越した所に定義が生まれることで成立する。また言語的なものはプライベートランゲージとして存在することができず、共有を前提としている時点で、主観的なものではない。
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(ペトラ11)意識を持ってしまった人間は、自然への還元を常に望んでおり、それは宗教や社会倫理のみならず、芸術の中にも現れる。しかし意識を持ってしまった人間は、残念ながら、その本質を捉えるよりも先に、言葉で考えてしまう傾向が強い。
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(ペトラ12)つまり、言葉とは自然への還元を望む、本質に対する命名であったにも関わらず、いつの間にか、それを指す言葉が本質を超えてしまい、命名された実体が言葉に対する定義を含んでしまう、というシュミラクルな状態に陥ってしまった。
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(ペトラ13)その自然という高次元の普遍に向かって、初めて自己を開いたのが、自然を扱ったギリシア哲学の偉大さではないか。故にギリシア哲学は主観を中心に据えるヘブライズムと激しく対峙しても崩壊することはなく、さらにヘブライズムはそれを内部化することで、ルネサンスが花開いた。
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(ペトラ14)京都を理解する為には奈良に行くことが不可欠な様に、私はペトラに行くことで、ギリシア世界と旧約・新約聖書の世界の違い、さらにはヘブライズムにおける言葉の意味とギリシアや日本における言葉の意味の違いなどについて、より深く考えられる様になった気がする。
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以上、連続ツイート「ヨルダンのペトラ遺跡で考えたこと」でした。
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