バーレーンから帰国後、東京と瀬戸内海の島々を訪ねて来た。
岡山県の犬島に上陸すると、美術館のみならず、島の隅々まで歩きながら、歴史散策を行った。古い朽ちた民家など昭和の面影を残すものや、大阪城の石垣となった石切り場などを見学し、古くひなびた神社の奥に、稲荷大神秘文を見つけて、驚いたりした。路上にて、ソラマメを育てる老婦と会話を交わしたりしているうちに、この国が通過してきた歴史性が、一気に蘇ってくる気がした。
銅の精錬所をリノベーションした柳幸典氏のアートプロジェクト「精錬所」では、三島由紀夫の松濤の家の建具が天井からぶら下がっており、その作品を、時間をかけてゆっくりと凝視した。何故、ここに三島の家がある必然性があるのだろう、そして、何故、三島は死んでいったのだろう?そんなことを考えながら、時間を過ごした。
その日の夜、私は大変うなされてしまった。夢枕に、三島の姿が現れたかと思うと、三島由紀夫を森田必勝が介錯する姿がフラッシュバックの様に見えてきた。その直後、突然「うへぇ」という奇妙なうめき声が聞こえてきたかと思うと、パっと目が覚めてしまい、その後は不思議な興奮と恐怖に苛まれ、ずっと眠ることができなかった。こんな風に、夢を見ていて、人の声が聞こえたのは、初めての体験だ。
この悪夢の体験、あの日の夜の体験に似ている。そう、渡嘉敷島にて、集団自決の場所を見学してきた晩のことだ。あの晩は、熱帯夜であったことも関係したと思うのだが、目が覚めてからも、左足を切断される様な痛みを伴う、悪夢だった。どうやら、昼間に聞いた集団自決の話を、私の体が処理しきれなかった様だ。
三島は、ソクラテスの如く、自らの死をもって訴えたかったことが、きっとあったのだろう。そして、三島の言ったことが現実になっている現代の日本において、何がアクチュアルなものであるのか、そして何が芸術たりえるのか、考え抜く必要がありそうだ。
岡山県の犬島に上陸すると、美術館のみならず、島の隅々まで歩きながら、歴史散策を行った。古い朽ちた民家など昭和の面影を残すものや、大阪城の石垣となった石切り場などを見学し、古くひなびた神社の奥に、稲荷大神秘文を見つけて、驚いたりした。路上にて、ソラマメを育てる老婦と会話を交わしたりしているうちに、この国が通過してきた歴史性が、一気に蘇ってくる気がした。
銅の精錬所をリノベーションした柳幸典氏のアートプロジェクト「精錬所」では、三島由紀夫の松濤の家の建具が天井からぶら下がっており、その作品を、時間をかけてゆっくりと凝視した。何故、ここに三島の家がある必然性があるのだろう、そして、何故、三島は死んでいったのだろう?そんなことを考えながら、時間を過ごした。
その日の夜、私は大変うなされてしまった。夢枕に、三島の姿が現れたかと思うと、三島由紀夫を森田必勝が介錯する姿がフラッシュバックの様に見えてきた。その直後、突然「うへぇ」という奇妙なうめき声が聞こえてきたかと思うと、パっと目が覚めてしまい、その後は不思議な興奮と恐怖に苛まれ、ずっと眠ることができなかった。こんな風に、夢を見ていて、人の声が聞こえたのは、初めての体験だ。
この悪夢の体験、あの日の夜の体験に似ている。そう、渡嘉敷島にて、集団自決の場所を見学してきた晩のことだ。あの晩は、熱帯夜であったことも関係したと思うのだが、目が覚めてからも、左足を切断される様な痛みを伴う、悪夢だった。どうやら、昼間に聞いた集団自決の話を、私の体が処理しきれなかった様だ。
三島は、ソクラテスの如く、自らの死をもって訴えたかったことが、きっとあったのだろう。そして、三島の言ったことが現実になっている現代の日本において、何がアクチュアルなものであるのか、そして何が芸術たりえるのか、考え抜く必要がありそうだ。