Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

犬島ノ部屋ニテ幻聴ヲ聞キタルコト

2010-04-29 11:05:12 | Weblog
バーレーンから帰国後、東京と瀬戸内海の島々を訪ねて来た。

岡山県の犬島に上陸すると、美術館のみならず、島の隅々まで歩きながら、歴史散策を行った。古い朽ちた民家など昭和の面影を残すものや、大阪城の石垣となった石切り場などを見学し、古くひなびた神社の奥に、稲荷大神秘文を見つけて、驚いたりした。路上にて、ソラマメを育てる老婦と会話を交わしたりしているうちに、この国が通過してきた歴史性が、一気に蘇ってくる気がした。

銅の精錬所をリノベーションした柳幸典氏のアートプロジェクト「精錬所」では、三島由紀夫の松濤の家の建具が天井からぶら下がっており、その作品を、時間をかけてゆっくりと凝視した。何故、ここに三島の家がある必然性があるのだろう、そして、何故、三島は死んでいったのだろう?そんなことを考えながら、時間を過ごした。

その日の夜、私は大変うなされてしまった。夢枕に、三島の姿が現れたかと思うと、三島由紀夫を森田必勝が介錯する姿がフラッシュバックの様に見えてきた。その直後、突然「うへぇ」という奇妙なうめき声が聞こえてきたかと思うと、パっと目が覚めてしまい、その後は不思議な興奮と恐怖に苛まれ、ずっと眠ることができなかった。こんな風に、夢を見ていて、人の声が聞こえたのは、初めての体験だ。

この悪夢の体験、あの日の夜の体験に似ている。そう、渡嘉敷島にて、集団自決の場所を見学してきた晩のことだ。あの晩は、熱帯夜であったことも関係したと思うのだが、目が覚めてからも、左足を切断される様な痛みを伴う、悪夢だった。どうやら、昼間に聞いた集団自決の話を、私の体が処理しきれなかった様だ。

三島は、ソクラテスの如く、自らの死をもって訴えたかったことが、きっとあったのだろう。そして、三島の言ったことが現実になっている現代の日本において、何がアクチュアルなものであるのか、そして何が芸術たりえるのか、考え抜く必要がありそうだ。

バーレーン日記

2010-04-11 23:07:12 | Weblog
バーレーンの画家、Shaikh Rashid bin Khalifa Al Khalifa氏の美術展のオープニングがバーレーンの首都マナマであり、大使館経由にて招待して頂いた。今回日本からは、私を含む3人が、そして世界中から40人ほどの美術関係者が招かれた。これで海外旅行で訪れた国は、36カ国となった。初めてのビジネスクラスのフライト、そして滞在先が5つ星のリッツカールトンということもあり、期待が高まる。

初日は、La Fontaineという古いイスラーム住宅をリノベーションしたギャラリーへと足を運んで来る。抽象絵画の作家が展示をしており、スパやレストランと一緒になった、とても気持ちの良い空間だった。バーレーンでは、古い住宅のリノベーションをしたプロジェクトが大変多く、特に旧市街のエリアには、そういった建物が数多く見られる。バーレーンは人口100万人規模の小さな島国ではあるが、東京ほど土地が限られている訳ではないせいか、贅沢に空間を使ったスペースが数多く見られた。歴史建造物を活かしたリノベーションには、とても好感が持てた。

下町を歩いていると、アラブ文字のカリグラフィーをベースとしたグラフィティを数多く見ることができた。とても鮮やかなグラフィティなのだが、よく見ると、礼拝する人間を模倣するなど、工夫に富んでいる。内容を聞いてみると、ムスリムの礼拝を称賛するグラフィティだと言う。所変わればのストリートの表現といった所だろうか。

旧市街では、年配の女性たちが編み物をしている空間があり、そのうちのリーダー格の年配の女性がしていた美しいタトゥーに目を奪われた。細密画の様なタトゥーであり、これは何かと聞いてみるとヘナタトゥーだと言う。昨日、お祝いのパーティがあったそうで、その為に手に残っており、2週間ほどで消えるそう。ヘナとは、Pigmentといった意味だそうで、アラブ地域のみならず、ヒンドゥー文化とも関係があるとのことだった。

ツアーを巡って少し疲れてホテルに戻ると、そこにはペルシャ湾に面した海とプールがあり、あまりにも綺麗なので、海水パンツを買うと、海へと一直線。ペルシャ湾デビューだ。海の塩見はやはりしょっぱく、ああ、やっぱり海だな、と何故か納得。

今回のツアーには、ヨルダン王女やサウジアラビアの王族系の方、さらにベイルートやザンビア、ロンドンからも来客があったのだが、母国語の様に流暢な英語を話す彼らの教育レベルの高さに驚かされた。日本はエリート教育のレベルで、彼らと同等以上の内容の会話を、果たして英語で話せるのだろうか?こういった国際的な社交の場で、少なからず多くの物事が進んでいることを冷静に受け止めるのであれば、そういったことができる人材を、日本が育てて行く必要があるのではないか。そうしないと、日本は世界の文化に関する決定事項に、加われなくなってしまうだろう。

食事会では、私と同じNYU出身のバーレーン人が3人おり、かなり話がはずむ。海外のこういった場所にて、学校やNYの話ができると、とても助かる。そこで知り合った男性の一人は、祖父が代々木上原のモスクを作ったそうで、それに関する話を聞く。サウジやバーレーンなどの中東諸国と日本は、文化交流があまり頻繁でない。もう少し交流があっても良いのに、と思う。

そして、中東(Middle East)という呼称に関しても、現地の人たちがあまり心地よく思っていないことも、今回の滞在で理解できた。きっと、日本が極東と呼ばれているのと同じ感覚なのだろう。今回、多くのイスラム圏の人たちとの交流を通じて、いわゆる中東と呼ばれる地域の文化的、政治的な関係性が少しだけだが見えてきた。

ツアーのメインイベントであった、美術館でのShaikh Rashidの展示のオープニングは、盛大なものだった。バーレーン首相を始め、国賓クラスの人たちが集まっていたこともあり、大変高いセキュリティがひかれており(拳銃を持ったセキュリティの人が立っていた!)、何だかものものしい空気が漂っていた。展示そのものに関しても、炎を使った照明や、空間の配置などに関しても、参考になる箇所がいくつかあった。同時に、イスラム圏の美術表現の一つの現在系が、垣間見えた気がする。

日本とイスラム文化圏は、距離的な問題が大きく、十分な交流ができていないが、一旦交流が始まれば、少なからず多くのものが動き出す気がする。私のみならず、より多くの方が、バーレーンや中東の文化に興味を持ってくれたら、と願う。

Gogh Twin - スピノザとAphex Twinから再考するゴッホ

2010-04-08 01:07:54 | Weblog
先日オランダに行った際、レンブラントとゴッホ、そしてフェルメールがとても良く理解できる様になった。ゴッホに関しては、思う所が沢山あったので、忘れる前に書き記しておきたい。

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19世紀後半、近代化の過程におけるヨーロッパでは、まだ近代化しきれない、自然との繋がりを求める残滓の様なものが漂っていたのだろうと思われる。そういった自然との繋がりを残した近代初期のヨーロッパ人としてのゴッホは、自然から切り離されつつある日々の生活環境に対して違和感があり、その回答を求めるべく、最初は牧師(おそらくはカルヴァニズムの目指した禁欲に魅かれたのだろう)、そして画家になったのではないだろうか。

そんな時にゴッホは浮世絵を見て、自然を「すぐそこ」に捉えている日本人の様な視点が欲しい、ゴッホはその自然のメタファーとして、「カエルの視点」、さらに「日本の太陽」という言葉を使い、それを求めて、アルルへと向かったのではないだろうか。しかし、実際にアルルの太陽を見て落胆したゴッホは、「ここはまだ日本ではない」、とコメントしている。

ゴッホは、アルルに着いてみて、太陽や光、といった自然の表象が問題なのではなく、自身の中にしみついてしまった自然観、つまり観念が問題だ、ときっと自覚したことだろう。自然そのものが「すぐそこ」にある様な絵画を書きたい、しかし近代が成立させてしまった遠近法などの体系が身体にしみついてしまったゴッホは、それを完全に捨てることができない、それを彼は上手く言語化できなかったのではないか、そんな風に思える。(画家なので、言語化する必要は無いのだが)

ゴッホの生まれる200年以上前にオランダに生まれたスピノザは、太陽の表象に関して恐るべきコメントを残している。

「表象は、外部の物体の本性よりもより多く人間身体の現在的状態を - しかも判然とではなく、混乱して - 表示する観念である。精神が誤ると言われているのはこれから起こる。例えば我々が太陽を観る場合、それが我々から約二百フィート隔たっていると表象する。我々は太陽の真の距離を知らない間はこのことについて誤っている。しかし我々がその距離を知ったとすれば、誤謬は除去されるが、表象は、言いかえれば太陽の観念 - 身体が太陽から刺激される限りにおいてのみ太陽の本性を表示するような - は除去されない。したがって我々は、たとえ太陽の真の距離を知っても、太陽が依然として我々の近くにあるように表象するであろう。なぜなら、第二部定理三五の備考で述べたように、我々が太陽をこれほど近いように表象するのは、太陽の真の距離を知らないからではなく、精神は身体が太陽から刺激される限りにおいて太陽の大きさを考えるからである。」(スピノザ「エチカ(下) 岩波文庫」P15 公理 定理1より)

スピノザの思考においては、太陽さえも、恐るべき幾何学的思考によって捉えられている。ひるがえって日本、そして日の丸を描いた日本人は、そもそも太陽を何万キロ先にある、と捉えておらず、太陽は観念としてすぐ「そこ」にある、と捉えており、そんな思考そのものが表象化したものが「日の丸」ではないのだろうか。(そして、それは薩摩藩から明治政府への提案であったという有力説を取ると、日の丸は伊勢神宮と同じく、インドネシア周辺をルーツとする南方思想ではないか、と考えることができる)

晩年、ゴッホは木の根っこと幹をモチーフとした作品Tree Roots and Trunksを描いているが、その中では、もう自然物と、大地そのものが同じ様に循環している、恐るべき作品である。晩年のゴッホは、もう自然物をオブジェ化することがほとんど困難になっていたのだろう。それを、もっとスマートに体系化していったのが、大地の割れ目や植物、循環する空と大地を上手く融合させた「サント・ヴィクトワール山」を描いたセザンヌなのかもしれない。

また、ゴッホの自画像を見てとても印象的だったのは、レンブラントの自画像と異なり、ゴッホの青い目の中に何かが映っている、ということである。レンブランドの自画像は、黒い瞳がこちらをみつめ返しており、その中には何も映っておらず、さらに後期のレンブラントは、自画像として成立している絵画が聴衆を見返す、という視点さえ計算して、ターバンをまいて二コリとする等、ある種コスプレ的な作品を作っていた様に思える。しかしゴッホの自画像の青い目は、まっすぐ見据えたその先にある「何か」を、瞳の中に移しているのだ!そこに、かなり描きこんだ形跡を見つけた私は、一つ発見をした気分になった。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが、どうしてここまで自然に魅かれてしまったを考えると、私には、弟テオではなく、彼の兄「ヴィンセント」の存在が大きかったと思う。(不思議なことに、この話は、ゴッホ美術館でも全く触れられていなかった)彼の兄「ヴィンセント」は、画家であるヴィンセントが生まれる同日、ちょうど1年前に生まれ、画家のヴィンセントが生まれる前に、この世を去っている。兄「ヴィンセント」の生まれ変わりとして生を受けた「ヴィンセント」が、後に聖職者、そして画家となったのは、ある意味必然だったと言えるのではないか。

ミュージシャンのRichard D. JamesがAphex Twinというアーティスト名を自ら付けた理由として、同じくRichardと名づけられて、生誕後すぐに死んでしまった兄を、アーティストが双子(=Twin)として認識することから付けられている。Aphex Twinの傑作アルバム「Richard D. James Album」には、ジャケットの裏にRichardの兄「Richard」のお墓の写真が含まれているが、それを考えると、「Girl/Boy Song」のタイトルの、GirlとBoyの間にはいった[/](スラッシュ)の持つ意味が、あたかもヴァン・ゴッホの自画像の様な捩れを含んでいる様に思えてならない。そして、RichardとVincentのある種の「キレ方」は、とても似ている気がする。

こういった視点は、おそらくは、日本に生まれて日本語を話すことで生まれてきた、私独自の視点ではないかと思うので、英語メディアを通じて発信しなくては、と強く思う。あとは実行あるのみだ!

Erykah Baduは叫んでいる

2010-04-04 12:01:19 | Weblog
Erykah Baduが、米テキサス州ダラス市内で全裸になったとして、秩序を乱した不法行為の容疑で出頭命令を受けている、とのニュースを目にした。

Erykah Badu Bares All in Public

このCBSのニュースは、Baduは、自身の生まれ故郷であるダラスにある、ケネディ暗殺の場所となったDealey Plazaにて、次第に服を脱いで行き最後には、全裸になり、その全裸になった黒人女性エリカ・バドゥに対して銃声が響き渡ると、彼女が道路に倒れる、という撮影を無許可で行った、と報じている。

彼女は、大変苦しい生活を迎えていた少女期に、自身の名前をErica Abi WrightからErykahという, 彼女が強く信じているという奴隷名からアフリカン・ネームへと変更し、さらにラストネームBaduという、アラビア語で真実や、光という意味を持つ名前を付けている。彼女の曲には、アメリカ社会の持つ光と影が、あざやかなコントラストとなって光り輝いている。Tyroneや、Amerykhan Promiseを含む、多くの曲の歌詞が素晴らしが、このWindow Seatの歌詞も素晴らしい。

Window Seat

So, presently I'm standing
here right now
you're so demanding
tell me what you want from me
concluding
concentrating on my music, lover and my babies
makes me wanna ask the lady for a ticket outta town...

so can I get a window seat
don't want nobody next to me
I just want a ticket outta town
a look around
and a safe touch down
can I get a window seat
don't want nobody next to me
I just want a chance to fly
a chance to cry
and a long bye bye..

but I need you to want me
I need you to miss me
I need your attention, yes
I need you next me
I need someone to clap for me
I need your direction
somebody say come back
come back baby come back
I want you to need me
come back come back baby come back
come back come back baby come back
come back come back baby come back

so, in my mind I'm tusslin'
back and forth 'tween here and hustlin'
I don't wanna time travel no mo
I wanna be here
I'm thinking
on this porch I'm rockin'
back and forth light lightning hopkins
if anybody speak to scotty
tell him beam me up..

so can I get a window seat
don't want nobody next to me
I just want a ticket outta town
a look around
and a safe touch down
can I get a window seat
don't want nobody next to me
I just want a chance to fly
a chance to cry
and a long bye bye..

but I need you to miss me
I need somebody come get me
I need your attention
I need your energy
I need someone to clap me
I need your direction

somebody say come back
come back baby come back
come back come back baby come back
come back come back baby come back
come back come back baby come back

but can I get a window seat
don't want nobody next to me
I just want a ticket outta town
a look around
and a safe touch down...

I just wanna chance to fly
a chance to cry
and a long bye bye...

--

全てが逆説の様に連なり、彼女のメッセージとなっていることは、この音楽を聴けばよく分かることではないか。

Drove my Chevy to the levee but the levee was dry

という歌詞を聞きながら、Campus Lifeを送った大人たちがきっとCBSの報道の役職に就いている国なのだから、公衆の面前で裸になったことばかりを批判するのではなくて、何故彼女がそういった表現行為を、この曲のミュージックビデオとして、自分の生まれ故郷であるダラスの公衆の面前で行う必要があったのか、それを考えるべきだ。CBSのコメンテーターは、ちゃんと最後までビデオを見て、音楽を聴いて、その背後にどんな意図があったのかを考えて、報道してもらいたい。

最後に、この曲の最後に入るエリカによるナレーションを紹介しよう。

They who play it safe, are quick to assassinate what they don't understand. They move in packs, ingesting more and more fear with every act of hate on one another. They feel more comfortable in groups, less guilt to swallow. They are us. This is what we have become, afraid to respect the individual.

Erykah Baduは、近年稀に見る、素晴らしいミュージシャンだと思う。これからも素晴らしい曲を作り続けて行ってもらいたい。I love you, Erykah!

神々の黄昏 - 森村泰昌「なにものかへのレクイエム」とワーグナーの「ニーベルングの指輪」を巡って

2010-04-04 01:31:17 | Weblog

先日、東京都写真美術館にて開催中の森村泰昌展「なにものかへのレクイエムー戦争の頂上の芸術」を見て来た。作品はもちろんのこと、導線を含む、展示の空間デザインなど、とても素晴らしいものであった。

ウォーホルのスクリーン・テストへのオマージュ、とも言えるビデオ作品は、白を背景にした、女装したモンローらしき女性を演じるウォーホルに扮する森村氏と、黒を背景にした素のウォーホル自身に扮する森村氏のビデオが、上手くタイムライン上にてリンクしたビデオとなっていた。素顔のウォーホルに扮する森村氏が、女装するウォーホルに扮する森村氏を撮影する、というある種入れ子状の作品になっているのだが、これはまるで、ウォーホルの作品である、くしゃみをしている自分自身の映像が背後で流れると、それにつられて本人がくしゃみをしてしまうというウォーホルのビデオ作品、「Outer and Inner Space」を見ているかの様であった。

今回の展示では、20世紀の男性たちがテーマとなっているのだが、このウォーホルのビデオの隣には、デュシャンと、そのオルター・エゴであるローズ・セラヴィが裸となり、東大の大ガラスのレプリカの前でホワイト・チェスをプレイしている、という写真作品がある。レプリカのレプリカのレプリカ、というこちらも入れ子状の作品なのだが、こういった導線を用意してもらえると、セクシャリティとの補助線を引くことができ、展示の意図が汲みやすい。
(デュシャンとレオナルド・ダ・ヴィンチが扱ったセクシャリティへのアプローチに関しても、一度考えてみたい)
(また今回、改めて森村作品を鑑賞していて思ったのは、森村氏は、パフォーマンスという行為を通じて、自分自身の主体(Subject)が、オブジェとしての作品、もしくは「客体A」(Subject A) に入り込んでしまう傾向が非常に強い、という点である。ことさら、三島の薔薇刑をテーマにした作品群は、客体としての三島の立ち位置が森村氏と近すぎる為、危険だな、という印象を受けた。)

展示の後半部分「神々の黄昏」に差し掛かり、1945年にドイツのデッサウで撮影されたカルティエ・ブレッソンの写真をテーマとした作品では、群衆として写っている参加者の顔が、通常の森村作品であれば、森村氏の顔が、全ての群衆に当てはめられている所を、一般の方、つまり森村氏にとっての他者の顔であったのが、とても印象的だった。三島の演説のビデオでは、そのラストのパートにて、彼のメッセージを誰も聞いていない、という日本美術の現状に対する空しさが表現されていたと思うのだが、この作品では、周りにある顔が一つ一つ立っており、決定事項を決めているのは私にとっての他者である、あなた自身である、という森村氏のメッセージがよく伝わって来た。

マッカーサーと裕仁に関する作品では、森村氏の顔が、この二人に似すぎていないのが良かったと思う。これは、おそらく意図的に、似過ぎない様に気を使ったのではないだろうか。自分自身が、逆に客体として、支配者であった二人に乗り移ることで、自分自身が生まれてきた歴史性を内在化し、それを全肯定している、そんな印象を受けた。

私は、最大の他者とは、口をもたない「死者」ではないかと考えているが、この展示を通じて感じたのは、森村氏は、20世紀と男というテーマを設定して、その最大の他者である「死者」との対話をしようとしているのではないか、という点である。重たいテーマではあるが、それは全ての人たちが対峙するテーマではないだろうか。

森村氏の展示を見た後、新国立劇場にて、ワーグナーのリング第三夜「神々の黄昏」を見て来た。なんと6時間半。素晴らしく、贅沢な時間であった。

森村作品を見た後にワーグナーを見ていたら、神と人間の合の子、つまりブリュンヒルデに代表される半神であるワルキューレたちを現代的に表現したのが、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」であり、ヘンリー・ダーガーの「ビビアン・ガールズ」ではないか、と感じた。ポニョ(まだ見ていない・・・)は海の神様と人間の合の子だが、本名はブリュンヒルデであり、あきらかにワーグナーのリングを下敷きにしている。そして、ダーガーの「ビビアン・ガールズ」は、もうワルキューレそのものではないか。

ワーグナーは、リングを作成する際に、ニーベルングの歌のみならず、アイスランド神話である「エッダ」を参考にしたと言う。アイスランドの神話は、ノルマンコンクエストの時代に、ヴァイキングたちにコロナイズされたブリテン島のケルト人女性たちが生み出した物語であると言えるが、そこには、様々な補助線が引けると思う。

昔の日本人は、たたら製鉄が行われることとなった川、つまり鉄分を含んだ赤茶けた川を見て、これは龍の血(龍=谷間を抜ける風+血=酸化した鉄分)である、という想像力からヤマタノオロチ伝説を考えたのだが、こういった想像力のリソースを、上手くくみ取っていけば、日本文化も外部に対して相当面白い発信ができるのではないか、そんなことを考えた。