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東北のヒガンバナを訪ねて index

2018-10-09 13:37:47 | 東北のヒガンバナを訪ねて

「花の旅」 総合目次 

 

東北のヒガンバナを訪ねて index

 

  1  そうだ、ヒガンバナを見に行こう  ヒガンバナとプラタナスに出会う旅

 

 茨木

  2  西蓮寺のヒガンバナ  常陸の高野山が赤く染まる

      西蓮寺:茨城県行方市西蓮寺504

 

  3  常陸太田市の昭和レトロ  有形文化財が並ぶ街

 

  4  源氏川堤防のヒガンバナ  一市民が育てた名所

      源氏川堤防:茨城県常陸太田市新宿町1163番地~1382番地

 

  5  ヒガンバナが咲く条件  ヒガンバナは人里植物

 

  6  中舟生と奥久慈のヒガンバナ 田舎の駅と茶の里を飾る

      中舟生駅:茨城県常陸大宮市舟生

      奥久慈茶の里公園:茨城県久慈郡大子町大字左貫1920

 

 福島

  7  矢祭町戸津辺のヒガンバナ  古木桜の裾を朱に染める

      戸津辺:福島県矢祭町大字中石井字戸津辺88

 

  8  いわき市山王町と梅林寺のヒガンバナ  懐かしい風景の中の紅色

      膳棚:福島県いわき市山王町膳棚

      梅林寺:福島県いわき市常磐水野谷町千代鶴283

 

  9  安達ケ原公園のヒガンバナ 日本一を目指して

      福島県二本松市安達ケ原4

 

 10  福島市内のヒガンバナ 心和ませる野辺の赤い花

      石畑:福島県福島市飯野町明治字石畑

      下鳥渡:福島県福島市下鳥渡

 

 宮城

 11  アメリカスズカケノキは紛らわしい 教育熱心な学校のプラタナス

      宮城越河宿一帯のヒガンバナ

      宮小学校:宮城県蔵王町宮字井戸井33

 

 12  船岡城址公園「曼殊沙華まつり」に学ぶ 桜百選の町の戦略に学ぶ

      船岡城址公園:宮城県柴田郡柴田町大字船岡字舘山

 

 山形

 13  長谷堂城址公園のヒガンバナ 市民が育てる赤い花

      長谷堂城跡公園:山形県山形市大字長谷堂字城山

 

 14  霞城公園のプラタナスとヒガンバナ  桜の名所のヒガンバナ 

      霞城公園:山形市霞城町1-1

 

 15  寒河江市 慈恩寺のヒガンバナ 出羽の古刹を染めて咲く

      慈恩寺:山形県寒河江市大字慈恩寺地籍31番地

 

 秋田

 16  秋田県潟上市のヒガンバナ 雪国のヒガンバナ 

      天王グリーンランド:秋田県潟上市天王字江川上谷地109-2

 

 青森

 17  最勝院 日本最北のヒガンバナ  日本最北が二つ

      最勝院:青森県弘前市大字銅屋町63番地

 

 18  十和田湖へ 秋の日和の贅沢なひと時

 

 岩手

 19  蛇沼牧場のアメリカスズカケノキ  地域振興の夢を伝えるプラタナス

      蛇沼牧場:岩手県二戸市上斗米字上野

 

 20  北上市 如意輪寺のヒガンバナ  歴史の里に赤い花咲く

      如意輪寺:岩手県北上市稲瀬町内門岡68

 

 宮城

 21  宮城 羽黒山公園のヒガンバナ  郷土愛が育てた群落

      羽黒山公園:宮城県大崎市古川小野字羽黒72番1

 

  付録   ヒガンバナの開花に関する考察 

      東京と青森のヒガンバナが同時期に咲く訳

 

  全ての「花の旅」 総合目次

 

ヒガンバナの名所   ヒガンバナの謎を探る

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宮城 羽黒山公園のヒガンバナ

2018-10-08 19:53:24 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 旅の最後の目的地、宮城県大崎市羽黒山公園に車を停めました。

 

 この公園は、私が十年以上前(平成20年頃)にホームページで「ヒガンバナの名所」を作り始めた頃からリストしていた場所です

 

 十年以上前の調査では、東北のヒガンバナ群生地は此処以外になかったように思います。

 

 以前のブログ「船岡城址公園『曼殊沙華まつり』に学ぶ」で記したように、花を目的とした旅では、その周辺に群生地や魅力的な場所があれば、必ず訪ねてみたくなりますが、此処は他の群生地と距離がある為、私がヒガンバナの季節に羽黒山公園を訪ねる機会は得られませんでした。

 

 早朝に訪ねましたが、羽黒山公園の小高い丘をヒガンバナが真紅に染めていました。

 


 

 公園の入り口に掲げられた説明によると、羽黒山公園のヒガンバナが全国に知られたのは平成10年頃からだそうです。

 

 昭和51年から地元有志が「羽黒山をきれいにする会」を結成し、除草や清掃を続けた結果、ヒガンバナが群生するようになったそうです。

 


 

 以前紹介した、源氏川堤防のヒガンバナも今では、地元有志の方々の努力で群落が維持されているそうです。

 

 羽黒山公園のヒガンバナ群落はまさに、自ら生徒が教室の清掃を行うに、郷土愛に溢れる人々が、自らの手で、自らの意思で、自らの郷土を美しく飾りたい思いで花を育ててきたのでしょう。

 

 功名心や利益の為ではなく、心の声のままに、家族や仲間が暮らす里を美しくしたい思いのみで維持されてきた群落のようです。

 


 

 新潟県長岡市に雪国植物園があります。

 

 その植物園を運営する長岡「令終会」の運営方針は

 

 会の名の意味は「人生の終わりを全うする」ということで、

 「人生の終わりを全うせしむるに自己の財産を善用し、末を誤ることなかれ」との記載があります。

 

 この長岡の「令終会」に限らず、日本は全国各地に、同様の考えに基づき、

 財がある人は財を、時間がある人は時間を投じ、郷里に花を育てる人々の姿があります。

 


 

 この羽黒山公園のヒガンバナも、まさにそのような人々の努力の賜物なのでしょう。

 


 

 この国には美しい花を咲かせる為に努力を惜しまない人々の、善意溢れる豊かな土壌が育まれています。

 

 

 

 何時の頃からか私は、花を見て暮らしたいと考えてきました。

 

 運よく平和な国の平和な時代に生き、今こうして望み通りに、花を見る日々を過ごせています。

 

 絵を描く人や彫刻家が作品を通して人々の心に感動を伝え、三浦雄一郎や脇坂順一が山に登り続けてアクティブな人生の生き様を示してくれました。

  

 私も全国に花や木を訪ね、お伝えすることを続けて行ければと願いながら、 「東北のヒガンバナを訪ねて」は、この回をもって、ひとまずの終了とさせて頂きます。

 

 ありがとうございました。  

 

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北上市 如意輪寺のヒガンバナ

2018-10-08 16:38:57 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 二戸から国道4号を南下し、北上市稲瀬町の如意輪寺へやってきました。

 

 予定ではもう少し早い時間に到着するはずだったのですが、二戸の図書館で予定外の時間を費やしましたので、今日も到着が日没間際となってしまいました。

 


 

 住所をナビに入力していたのですが、地方へ行くとよくあることですが、住所区分が大きすぎて、近くに行っても目的とする場所が分からないことがあります。

 

 今回も同様で、ナビが「目的地に到着しました」と告げても、それらしい光景が見当たりません。

 

 今回も同様に、車の窓を開けて、犬の散歩をされていたご婦人に、「如意輪寺へ行きたいのですが」とお尋ねし、何とか無事に寺の駐車場へ車を進めることができました。

 

 寺の山門の脇に、鎌倉時代初期に作られた、県指定文化財の釈迦三尊座像の説明が掲げられていました。

 

 帰宅後に分かったことですが、如意輪寺がある辺り一帯は、9世紀から12世紀の頃にかけて、平泉が栄える200年も前に北上盆地における仏教の中心地である国見山廃寺跡の一隅に位置するようです。

 

 平泉に中尊寺が完成する以前の国見山廃寺は700を超える堂塔や36の僧房を備えた大寺院だったようです。

 


 

 如意輪寺の山門から本堂へと続く参道の両側に、ヒガンバナが並び咲きます。

 


 

 山門から先へ進んで見上げると、ヒガンバナの花群れの奥で、本堂が五色幕を張り巡らせていました。

 

 如意輪寺で何か祭礼が執り行われているのかもしれません。

 


 

 石段の左右の斜面を数多くのヒガンバナが赤く染めていました。

 

     

             

 

 地元の新聞に如意輪寺のヒガンバナが報じられたようで、駐車場に次々と車が出入りし、多くの方達が、寺を赤く染めるヒガンバナにカメラのレンズを向けていました。

 

 

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蛇沼牧場のアメリカスズカケノキ

2018-10-08 00:28:34 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 十和田湖生出から発荷峠に上り、頂上の展望台で十和田湖に別れを告げました。

 


 

 国道103、104号、県道32号を経て、目的の蛇沼牧場に到着しました。

 

 

 

 牧場の玄関口に、県道に面して、見事な樹形のスズカケノキが枝を広げ、その横に。樹高34m、幹回り5.25mと記された解説板が添えられていました。

 

 牧場の方にご挨拶をと思い周囲を見回しましたが、人影がなかったので、そのまま木の観察を始めることにしました。

 

 

 

 最初に幹を確認しましたが、下の小石川植物園のアメリカスズカケノキとは異なるように思えます。

 

 

 

 次に葉を確認しました。

 

 

 

 何とも言えませんが、小石川植物園のように明らかな五角形を示す葉がなく、葉の切れ込みが深いように思えます。

 

 また、小石川植物園の木に発現する異形葉性は認められません。

 

 蔵王町と山形市で見て来た、アメリカスズカケノキが全てモミジバスズカケノキだったことから、私はかなり疑い深くなっています。

 

 高い枝を見上げ、他の葉と重ならずに、葉形が確認できる葉を、可能な限り撮影し続けました。

 

 葉脈の形態なども撮影し、92枚の葉の画像を得ることができました。

 


 

 観察を終え、周囲の環境などを確認していると、牛舎の方で人声が聞こえたので、近づいてゆき、東京から蛇沼牧場のアメリカスズカケノキを観に来たことを伝え、木の来歴などを教えて頂きたいとお願いしてみました。

 

 すると、一人の方のご案内で母屋に導かれ、お婆様からお話を伺うことができました。

 

 この木は明治45年に北海道大学から、数多くの苗木を持ち込んだうちの一つで、当時はこの周辺に街路樹として、あるいはシンボルツリーとして葉を茂らせていたそうです。

 

 苗木はアメリカから持ち込まれ、当初からアメリカスズカケノキと認識されていたそうです。

 

 この話をお聞きして、アメリカスズカケノキの可能性は高いかもしれないとは思いました。

 

 しかし、自分で直接木を観察した印象は拭い切れず、しかも、日比谷公園のアメリカスズカケノキがモミジバだと判断されたことなどを踏まえ、更なる検討が必要と考えています。

 

 牧場の方から、二戸図書館に行けば、この木に関する資料があるかもしれないと教えられたので、牧場を辞した後、予定を変えて二戸市内へと車をはしらせました。

 

 

 図書館のカウンターで訳を話し、関連する複数の資料を探し出してもらいました。

 

 その中の一つ、教育委員会編纂の「二戸の先人たち」という、小学校の副読本に、蛇沼牧場を開拓した蛇沼政恒(1849~1921)が紹介されていました。

 

 極めて興味深い内容なので、項を改めて紹介したいところですが、このブログの主題から外れますので、要点だけを記しますと、

 

 蛇沼政恒は1849年(嘉永2年)青森県三戸郡猿辺村蛇沼に生まれました。

 

 蛇沼家はその地に700年以上住む、有名な武士の一族だったようです。

 

 政恒は21歳の時に江戸に出て慶應義塾に学びました。

 

 やがて政恒は、大久保利通が奨励した緬羊飼育を二戸で行う夢を持ち、東京駒場で緬羊飼育の研究を始めました。

 

 そして明治9年、政恒は25頭の緬羊をつれて、徒歩で二戸に向かい、23日後に二戸に到着しました。

 

 順調に子羊が育ち始めたやさきの明治13年秋に突然、緬羊牧場が狼に襲われ、全滅するという悲劇に見舞われました。

 

 しかし政恒は再度江戸から徒歩で、二百頭の緬羊を連れて二戸に戻り、冷害で緬羊を失うなどの苦労を重ねながら、牧場経営を続け、1921年(大正10年)に72歳で世を去りました。

 

 この資料の末尾に、「彼の夢を見守り続けたアメリカスズカケノキは、日本一の大きさになって、今でも上野地区を見守っています。」と記されていました。

 

 二戸図書館で資料を数十枚コピーし、14時半頃に次の目的地へと車を走らせましたが、車の中でフーとため息をついて、まだ昼食を摂っていないことに気付きました。

 

 蛇沼政恒と蛇沼牧場に関連する資料に記載されていた、夢とロマンに溢れる物語は、それほどまでに私を夢中にさせてくれたのです。

 

 

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十和田湖へ

2018-10-07 20:23:28 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 次の目的地は岩手県二戸町の蛇沼牧場です。

 

 どうやって行くのだろうかと思いましたが、旅は道なりナビ任せです。

 

 車は弘前市街を出ると、国道102号線に入り、黒石市街を抜けて山の中へと進んで行きました。

 


 

 途中で「←酸ヶ湯」などの案内標識を目にしながら、車は標高を高めてゆきます。

 

 今渡る橋は二庄内橋のようです。

 

 あのランプの宿で有名な 秘湯・青荷温泉はこの先の山道を、左に曲がったその先のようです。

 


 

 道幅は徐々に狭まり、交通量が極端に少なくなってきました。

 


 

 この辺りの102号線は、十和田道と呼ばれているようです。

 

 十和田道は浅瀬石川の流れに沿って、まるで新緑を思わせる緑のトンネルを進んで行きます。

 


 

 車は青森県と秋田県の境をなす滝ノ沢峠で十和田道と分かれ、国道454号を十和田湖へと下り始めました。

 

 この辺りの景色が素晴らしかったのですが、急カーブが連続し、片手カメラのシャッターを押すことはできません。

 

 道が狭すぎるので、車を停めて写真を撮る場所も見当たりませんでした。

 

 そんな、私好みの道をはしり続け、生出(おいで)と表示された場所に到着しました。

 

 左下の案内図の一部を拡大したのが右下図ですが、図上の滝ノ沢から図下の生出まで十和田湖の西岸に沿って南下してきたことになります。

 

 

 

 そして明治36年にこの場所で、あの和井内貞行が北海道の支笏湖からヒメマスを取り寄せ放流したのだそうです。

 

 

 十和田湖の湖面に伸びる桟橋を歩いてみました。

 


 

 左手に、今はしり抜けて来た十和田湖西岸の森が見えます。

 

 

 正面には、十和田湖の南岸から伸びる中山岬が湖面に影を落としていました。

 


 

 視線を右へ回すと、十和田湖周辺では最も標高の高い戸来岳が雲の下に微睡んでいました。

 

 

 さわ風が心地良い、緑の山稜に包まれた湖で、静かな初秋のひと時を味わうことができました。

 

 

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最勝院 日本最北のヒガンバナ

2018-10-07 15:37:06 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 秋田の潟上市を後に、夜の国道を青森まではしり、夜明けを待って弘前市内の最勝院を訪ねました。

 

 最勝院は1532年(天文元年)に弘信上人が荻野という場所に伽藍を造営したことに始まり、その後二度移築され、明治時代の神仏分離令の後に現在の場所に寺籍を構えたそうです。

 


 

 山門を入ると、見事な五重塔が聳えていました。

 

 この五重塔は、国の重要文化財としては日本最北端に位置するもので、1667年(寛文7年)に津軽3代藩主津軽信義、4代藩主津軽信政の寄進により、初代藩主津軽為信が津軽統一の過程で戦死した人々を供養する為に建立されたそうです。

 


 

 ちょっと驚いたのが、山門の両脇に並んだウサギの像です。

 

 

 

 普通の寺院であれば、狛犬が置かれている場所に立ったウサギと伏せたウサギが設けられていました。

 

 今まで様々な土地で、様々な寺社を訪ねてきましたが、どんな謂れがあるのか、帰宅後に調べてみますと、

 

 津軽地方独特の習慣で、自分の生まれた年の干支を守り神とする信仰があるそうです。

 

 津軽二代藩主津軽信牧が自分の一代様を城の鬼門に創建した事に始まるとされます。

 

 何だか、今度弘前を訪ねた時は、一代様を全て訪ねてみたくなりました。

 

 でも全ての一代様の門に、このような像が設置されているのでしょうか。

 

 と疑問に思ったのでネットで検索してみると、

 

 こんなブログ記事を見つけました。

 

 津軽一代様ってなに?

 

 

 さて、少し本題から外れましたが、この最勝院の庭には確かにヒガンバナが育っていました。

 

  

 

 しかし、以下の写真で御覧頂くように、株毎の花茎の数がかなり疎らです。

 

 

 

 北茨木や福島辺りのヒガンバナの生育状況と見比べても、その差は明らかです。

 

 この差は、ヒガンバナが光合成を行う季節に、葉が雪で覆われてしまうからに違いありません。

 

 

奥久慈茶の里公園          福島市下鳥渡 

 

 ではありますが、そのようなヒガンバナ育成の困難を克服して、弘前市の最勝寺は、日本最北の露地植えヒガンバナが花を咲かせる場所であることに間違いはなさそうです。

 

 

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秋田県潟上市のヒガンバナ

2018-10-07 01:01:49 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 山形県村山市から国道13号を北上し、ナビと時計を見比べながら、秋田へ行くか岩手へ行くか、どうしようかな~ と考え続けました。

 

 そして、秋田県横手市が分岐点なので、横手に着いた時に判断することにしました。

 

 しかし、国道13号をはしると、高速道が無料で提供されていたり、バイパスが細切れに現れたりで、予想以上に距離を稼げました。

 

 横手の手前の湯沢に着いたのが17時少し前でした。

 


 

 この時刻だと、高速道路の秋田道をはしれば、秋田県潟上市のヒガンバナに何とか間に合うと判断しました。

 

 今日中に、秋田県唯一のヒガンバナを消化できれば、その後は弘前から太平洋側を南下し、時間に余裕があれば、仙台市野草園などに寄り道することもできます。

 

 横手ICで秋田道に入り、片側一車線の高速道を順調にはしり始めました。

 

 しかし、気が付くとガソリンメーターがゼロに近づき始めていました。

 

 そしてとうとう、メーター中の赤ランプが点灯し始めたのです。

 

 片側一車線でガス欠になれば、多くの人に迷惑を掛けるのは火を見るより明らかでした。

 

 でもしかし、秋田道は森と丘に囲まれ、ICが近づいても周囲にガソリンスタンドがあるようには思えないのです。

 

 やっとの思いで、秋田中央ICに辿り着き、接続道へ下りて、しばらくはしった先の反対車線に見つけたガソリンスタンドで給油を済ませることができました。

 

 とは言っても、リッター151円だったので、2千円分しか入れてません。

 

 この判断が大正解でした。

 

 翌日、青森郊外でリッター138円のスタンドを見つけ、満タンにすることができたのです。

 

 勿論、浮いた分は全て、その晩の晩酌代となって胃の中に消えてゆきました。 

 

 でも青森郊外のガソリンスタンドは何でこんなに安いの? 皆さんご存知でした?

 

 などと、ドタバタ劇を演じながら、秋田県で唯一ヒガンバナが咲くとの情報がある、潟上市の道の駅天王グリーンランドにやって来ました。

 

 ところで、今原稿を書きながら、PCの画面半分にネット地図を広げていますが、地図の中に「金足」という地名を見つけました。

 

 おや、やっぱりそうですか、甲子園で話題沸騰の金足農高は此処なのですか。

 

 選手の皆さんは今でもここで、日夜練習に励んでおられるのでしょうね。

 

 吉田投手、大谷投手のような活躍を期待していますよ。

 

 道の駅の売店でヒガンバナの情報を頂き、道の駅に隣接する公園の中へと入ってゆきました。

 


 

 既に陽は落ちて、周囲の木立は闇に紛れ始めました。

 

 しかし何とか執念で、ヒガンバナを見つけ出すことができました。

 

 東京から遠路700㎞ほどの道をはしって来ましたので、花が見つからなければ、今夜はこの道の駅の駐車場に泊まる覚悟でしたが、万事めでたしめでたしです。

 

 

 

 道の駅の店員さんは、以前はもっと沢山のヒガンバナがあったそうですが、今は無くなりそうだとお話しされていました。

 

 写真より肉眼の方が、もう少しはっきり見えていましたが、この場所のヒガンバナは、6畳ほどの広さに10株程度、花数で4~50個程度でしたから、管理を怠れば、いずれは消滅してしまうかもしれません。

 

 車へ戻る途中、道の駅の展望台が池の水面に影を映していました。

 


 

 暗闇が少しずつ湧き出して、周囲の景色を夜の帳の中へ隠し始めました。

 

 

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寒河江市 慈恩寺のヒガンバナ

2018-10-06 00:07:10 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 

 寒河江市の慈恩寺にやってきました。

 

 予備知識ゼロで訪問しましたが、帰宅後に調べてみると、

 

 慈恩寺境内は国指定の史跡で、奈良時代天平年間に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられ、江戸時代は寺領2800石を有する東北随一の古刹でした。

 

 無料の駐車場に車を停め、境内へは自由に入ることができました。

 

 重要文化財の本堂は1618年(元和4年)に築造され、寛慶作1298年(永仁6年)の本尊木造弥勒菩薩など数多くの重要文化財が安置されています。

 

 

 1608年(慶長13年)に築造された三重塔は、1823年(文政6年)に焼失し、1830年(文政13年)に再建された、山形県指定の有形文化財です。

 

 塔の横に、昭和60年慈恩寺文化調査の責任者であった阿部西喜夫氏が詠んだ

 

 いにしえのたくみのわざをもるごとしやまふところに慈恩寺の塔

 

 の石碑が建てられていました。

 

 

 

 1736年(元文元年)築造の山門も山形県有形文化財です。

 


 

 このような格式の寺を予想していませんでしたので、思わぬ拾い物をしたような気分になりました

 

 ところで、ヒガンバナは何処だろうと周囲を見回しましたが、それらしいものが見えないので、本堂におられたお寺の方に尋ねると、本堂を右手に進んだ華蔵院の方だと教えられました。

 

 教えられた方角に向かうと、華蔵院南面の土手一面に、ヒガンバナが赤い花を咲かせていました。

 


 

 華蔵院の庭の一隅に子安地蔵を祀る祠がありましたので、その前で手を合わせ、

 

 

 すぐ脇の門から出ると、「寅さんの腰掛け石」と記した看板が掲げられていました。

 

 何のことだろうと、説明を読むと、

 

 寅さんとは、「男はつらいよ」の映画の主役を務めた渥美清のことで、昭和50年にロケで訪ねた渥美清が景観に見とれて腰かけた石なのだそうです。

 


 

 そして、これがその石です。

 

 いかにも座り心地の良さそうな、座布団に似た形の石ですが、寅さん人気を伺わせる、ほんわか気分のエピソードでした。

 

 しまった、座ってくるべきだった・・・

 


 

 

 慈恩寺を出発し、次の目的地の村山市湯野沢の天満神社へと車を走らせました。

 

 しかし、目的地に着いて、近くで作業をしていた方にヒガンバナの所在を聞きましたが、首をひねるばかりで、此処ではとうとう、ヒガンバナに会うことはで来ませんでした。

 

 

   

 ということで、事前に調べた限りでは、ここが山形県内にヒガンバナが咲くとされる最後の目的地なので、後は秋田県潟上市か岩手県北上市のどちらかへ向かうことになります。

 

 時間を確認すると14時45分でした。

 

 どちらにしても、陽の明るい内に着くのは無理そうですから、取り敢えずは国道13号を北へ向かうことにして、車のキーを回しました。

 

 

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霞城公園のプラタナスとヒガンバナ

2018-10-05 00:05:36 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 山形市の霞城公園にやって来ました。

 

 この場所での目的は二つあります。

 

 一つはヒガンバナ、二つ目がアメリカスズカケノキの確認です。

 

 ヒガンバナは目に付きやすいので、何とかなるだろうと思いましたが、問題はアメリカスズカケノキです。

 

 広い公園の中で一本の木を見つけ出すのは容易なことではありません。

 

 そこで、管理事務所をお訪ねして、職員の方にアメリカスズカケノキが何処にあるかお聞きしてみました。

 

 すぐには分からなかったのですが、多分あの辺だろうと、自転車に分乗して、一緒にご案内して下さることになりました。

 

 公園の北西側に進むと、頭一つ突き出た高木が見えてきたので、近づく前に、すぐにそれと分かりました。

 


 

 しかし、その根本の名札には、

 

 スズカケノキ(プラタナス類) Platanus×acerifolia と記されていました。

 

 「Platanus×acerifolia」はモミジバスズカケノキを意味します。

 


 

 幹を見て、葉を見上げましたが、結論が出ているので、見かたはおざなりです。

 

 

 

 事務所に戻ると、2年程前に作成した公園の案内図に、この木をアメリカスズカケノキと記していることが分かりました。

 

 それがインターネットで拡散したようです。

 

 学名で「Platanus×acerifolia」と記されたものが、何故アメリカスズカケノキと紹介されたのでしょうか?

 

 東京のモミジバスズカケノキの街路樹の名札に、スズカケノキの学名が記されていたように、もしかすると、学名を確認していない ?!

 

 そんなことはあり得ないとは思いますが・・・

 

 

 モミジバスズカケノキを確認した後で、ヒガンバナの所在も聞いてみました。

 

 東大手門の堀の斜面辺りにあると言うことなので、行ってみますと、急斜面の水際で横一列に咲く赤い花を目にしました。

 


 

 東大手門から北へ続く堀壁の上にも、桜の木の下にヒガンバナがひと塊に花群れをつくっていました。

 


 

 山形ではヒガンバナが珍しいのか、市民が熱心にヒガンバナにレンズを向ける姿を認めました。

 

 前回の記事でご紹介したように、この辺りではヒガンバナの葉が光合成を行う1~3月に雪の下に埋もれてしまうので、ヒガンバナが大きな群落を作れないハンディキャップとなっているようです。

 

 それつけても、忙しい時間を割いて、ご案内頂いた管理室の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

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ヒガンバナの名所   ヒガンバナの謎を探る

 

スズカケノキ3種の観察

 

 

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長谷堂城址公園のヒガンバナ

2018-10-04 12:54:39 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 船岡城址公園を11時前に出発しました。

 

 次の目的地は山形市です。

 

 事前にナビへ入力した目的地の到着予定時間が計算されていました。

 

 山形市周辺の目的地4か所を全て巡り終えると20時を過ぎることが分かります。

 

 私は毎日が日曜日ですから、時間はたっぷりありますので、このような旅では、通常一般道をはしるのですが、今回は高速道路を利用すれば、今日中に山形市周辺の4か所全てを消化できることが分かりました。

 

 時間を節約する為に、村田ICから山形道に入りました。

 

 山形で最初に訪ねたのは長谷堂城址公園です。

 

 公園の駐車場に車を停めて、周囲を見回しましたが、駐車場の片隅に一列のヒガンバナが咲くだけで、それらしい光景は見当たりませんでした。

 

 多分、城山で咲いているのだろうと、山頂へ遊歩道を登ることにしました。

 


 

 鬱蒼と木立茂る森の中に、石段が続いていました。

 

 

 木立の切れ間から、山形市街と思われる街並みが見えていました。

 


 

 しかし、こんなふうに広葉樹と針葉樹が交じる森の中にヒガンバナが咲くことはあり得ないので、半信半疑で歩を進めて行きます。

 


 

 12、3分で山頂に到着しました。

 

 山頂では、一本のケヤキの下に長谷堂城址の石碑が見えましたが、案の定、ヒガンバナの姿がありません。

 


 

 やっぱりそうかと思いながら西側斜面を下り始めると、その場所に花開き始めたヒガンバナが並んでいました。

 


 

 ヒガンバナの横に、本沢地区振興協議会の名で「長谷堂城址公園のヒガンバナを保護育成しています」と書かれた掲示板が掲げられていました。

 

 そこにはヒガンバナの生活史が図示され、左下に平成21年11月の日付が記されていました。

 


 

 花は9月16日から22日まで、

 

 その後葉の活動期間が12月まで続き1~3月は雪の下となり、

 

 4月に再度の葉が活動し、5~8月が休眠期間となります。

 

 ヒガンバナの発芽率は10~15球に1~2個であることも併せ記されていました。

 

 つまり、山形のような雪国では、ヒガンバナの葉が光合成を行う1~3月に雪の下に埋まりますので、球根は十分に栄養を蓄えることができず、繁殖効率が低下することが分かります。

 

 この場所の株毎の花茎数を見ても、今回の旅で見てきた、茨木県北部辺りと比較して、平成21年頃から育成を図ってきた割に、かなり疎らであることが分かります。

 


 

 しかし、着目すべきことは、この場所での開花日が、9月16日~22日と記されており、このタイミングは、九州などでのヒガンバナの開花日と殆ど差がありません。

 

 このことから推測すると多分、ヒガンバナの開花には、日照時間が大きな影響を与えているのだろうと考えます。

 

 

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船岡城址公園「曼殊沙華まつり」に学ぶ

2018-10-04 00:26:21 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 南蔵王町から国道4号をはしり、柴田町の船岡城址公園を目指しました。

 

 柴田町の船岡城址公園と白川堤は、全国さくら100選に宮城県で唯一選ばれている桜の名所です。

 

 東北を巡る「花の旅」でも、幾度となく訪ねている場所ですが、ヒガンバナの季節の訪問は今回が初めてでした。

 

 隣町の大河原橋で白石川を渡り、奥州街道を通って、船岡城址公園に向かいました。

 


 

 船岡城址公園は、伊達騒動で城主の原田氏断絶後に柴田氏が居住した館跡が明治維新まであった場所で、昭和45年に山本周五郎作のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」で有名になった樅の木が、白石川を見下ろす高台に聳えています。

 


 

 山頂に観音像が建立され、中腹に設けられた駐車場までは車で上ってゆけます。

 

 中腹に至る道の両側の、公園の山裾から、赤いヒガンバナに染められていました。

 


 

 道の脇に曼殊沙華まつりの幟が並び、

 


 

 公園内の三ノ丸広場の草地では、散策路に沿って、無数のヒガンバナが秋の陽を浴びていました。

 


 

 駐車場に車を停めて、樅ノ木へと続く道を進むと、反対側の斜面にヒガンバナの赤富士を望むことができます。

 

 この赤富士は、底辺30m、高さ12mで、一万本のヒガンバナによって描かれたそうです。

 


 

 白石川を見下ろす樅ノ木まで続く散策路の周囲は、他では類を見ないヒガンバナの光景が広がっていました。

 

 

   

 この船岡城址公園の「曼殊沙華まつり」は今年が第6回目だそうです。

 

 ということは、企画されてから10年は経ていないことになります。

 

 数回前の、このブログに書きましたが、ヒガンバナが花を咲かせる為の必要条件があります。

 

 一つは、秋から冬にかけて茂る葉に太陽光が届く場所であること。

 

 もう一つは、花が咲き始める9月中旬までに、地面が他の雑草などで覆われる場所でないこと

 

 の二つです。

 

 船岡城址公園は殆ど全山が桜や落葉樹で覆われていますから、秋から冬にかけて、ヒガンバナの葉に届く光を遮るものはありません。

 

 更に、船岡城址公園は全国有数の桜の名所ですから、ヒガンバナを咲かせる以前から除草などの維持管理が行われていたはずです。

 

 つまり、ヒガンバナの群落をつくるために、それほど多くの費用や手間をかけずに、秋に新たな観光シーズンを創設したことになります。

 

 花の名所は、複数個所が程良い距離に連なることが効果的です。

 

 例えば、福島の海通りの双葉町辺り、福島市の花見山か国見山辺りにもう一か所ヒガンバナの大群落があれば、紅葉の季節の前にバスでそれらを巡り、蔵王温泉辺りで一泊するような観光コースが完成するはずです。 

 

 しかも、日本のヒガンバナはソメイヨシノと同じ栄養繁殖なので、同一のDNAを持つと考えられ、全ての場所の開花日が揃うという、観光スケジュール上の大きなメリットがあります。

 

 そのようなヒガンバナの特性を考えると、2011年の東日本大震災の復興の一助として、新たなリソースとなるヒガンバナの名所が、限られた費用で、比較的容易に、創設し得るだろうと考えます。

 

 地域振興ボランタリー行為として、以上のような企画アイデアを提供します。

 

 宮城県、福島県知事と企画課、関連地域の自治体の皆様、如何でしょうか。

 

 

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アメリカスズカケノキは紛らわしい

2018-10-03 21:42:41 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 福島市から国道4号線を北へはしり、国見峠を越えて宮城県に入りました。

 

 峠を越えて丘陵地帯をはしると、周囲の景色にヒガンバナの密度が高くなってきました。

 


 

 分水嶺を超え、気温や降雪量が変わったのかもしれません。

 

 黄金色の稲穂と真っ赤なヒガンバナのコントラストが琴線に触れます。

 


 

 そして唐突に、赤いカンナが田の脇に現れました。

 

 ん^ん、この地の方のセンスの良さが良く分かります。

 

 この光景でヒマワリは絶対にありえません。

 


 

 などと、のんきな旅を続けていますが、今回の旅には、もう一つ重要なテーマがありました。

 

 それは、プアメリカスズカケノキの観察数を増やすことです。

 

 ネット検索によれば 宮城県蔵王町の宮小学校には、日本でも数少ないアメリカスズカケノキがある筈なのです。

 

 東京都内のみで観察した株数で、何かを言うことが不安なので、東北地方にも存在するアメリカスズカケノキを自分の目で確認し、観察数を増やしたいと考えました。

 


 

 南蔵王町に着いて、宮小学校の門前に到着しましたが、平日の授業時間中で、校舎への入り口にジャバラの柵が設置されていました。

 

 躊躇していると、宅配便の方がガラガラと気軽に柵を開き、校舎へと向かったので、すかさず後に付いて行きました。

 

 職員室らしき場所で、「すいません、東京からアメリカスズカケノキを見に来たのですが、その木を見せて頂けないでしょうか」と声を掛けてみました。

 

 職員室から出てこられた、教諭らしき方にご案内頂き、アメリカスズカケノキの前に立つと、その木は一目でモミジバスズカケノキと分かる幹を見せていました。

 

 

   

 あぁ、すいません、これはアメリカスズカケノキじゃなくて、モミジバスズカケノキだと思います、とご案内頂いた方に説明しました。

 

 「アメリカスズカケノキは日本に数が少ないので、東京から見に来たのですが、残念です」 と告げると、

 

 教諭の方も同時に「そうですか、残念」と呟かれました。

 

 その気持ちは良く分かります。何しろ、宮小学校の木には教育委員会の名で、「アメリカスズカケノキ」の名札が添えられているのですから。

 

 私は続けて、ご案内頂いた方にお話しをしました。

 

 東京の著名な公園でもアメリカスズカケノキとモミジバスズカケノキを混同する程に両者は紛らわしいことを。

 

 そして、私はそのような状況を改めたいと思い、3種のスズカケノキが見分けられる解説を作る目的で、東北にアメリカスズカケノキを訪ね歩いていることを説明しました。

 

 但し、このブログに事実を書くと、恥をかかされたと感じる方がおられることを危惧しています。

 

 しかしそれにも増して、宮小学校の子供達が、間違いをそのまま鵜呑みに育つことの弊害を正したいと思うのです。

 

 私のように定年を過ぎて、自己流で木を学んだ、素人の意見ではなく、しっかりした専門家の助言を求める作業が速やかに行われることを心から願っています。

 

 それともう一つ、宮小学校の門に立派な石碑が建てられていました。

 

 

 

 その横の解説には、大正11年3月に東北大教育学部を卒業し、宮小学校に着任した小野さつき先生が、白石川に野外活動で出かけた折、児童3人が溺れ、それを助けようと小野先生は川に入り、激しい流れの中に消えていったそうです。

 

 先生は22歳という若さでした。この話は瞬く間に全国に広まり、全国から二万円(今の金額で3千万以上)を超える基金が集まり、この石碑が建てられた、のだそうです。

 

 宮小学校の校庭には、裏山の中腹から滑り降りる、見事な大きさの滑り台が設けられていました。

 

 きっと、子供達が楽しみながら山を登り、体力を育てようとの、配慮だと思います。

 


 

 南蔵王町の教育への意識の高さを垣間見る思いが致しました。

 

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福島市内のヒガンバナ

2018-10-03 01:18:13 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 二本松市の安達ケ原を出て、福島市へ向かいました。

 

 ネット検索で「ヒガンバナ 福島」と入力して見つけた、福島市飯野町明治字石畑を目指しました。

 

 どんな場所か分かりませんが、2007年頃にスタートさせた、「花のガイド」のコンテンツ「ヒガンバナの名所」を自分の目で確認し完成させたいので、ヒガンバナの群落を見逃し、後で臍を噛むようなことはしたくありません。

 

 ナビが目的地に到着しました、と告げた場所は東光寺という寺の前でした。

 

 お寺であればヒガンバナが咲いていても不思議はありません。

 

 しかし、それらしい光景が見当たらないのです。

 


 

 それならばと、県道から見えたヒガンバナへ、田の畔を近づいて行きました。

 

 少し小高くなった場所に幾つかの墓石が並び、その周囲をヒガンバナが赤く飾っていました。

 

 

 

 ヒガンバナの花群れを絵にしようと、カメラアングルを探しました。

 


 

 カメラはキャノンIXYというコンパクトデジカメですが、実際より良い印象の写真は撮れましたが、ここを「ヒガンバナの名所」に加えるかどうかは、悩ましいところです。

 


 

 飯野町の次は福島市下鳥渡へとハンドルをまわしました。

 

 ナビのガイドで田園地帯を進む途中から、車の周囲に、ヒガンバナの赤い花が見えていました。

 

 しかし景色が広すぎて、何処が核心部なのかが分かりません。

 

 犬の散歩をしていたご婦人に「この辺りにヒガンバナが咲くと聞いて来たのですが、どのあたりでしょうか」と聞いてみました。

 

 すると、「この先の信号を右に曲がって・・・」と、丁寧にヒガンバナが群れ咲く場所を教えて頂くことができました。

 

 参考までに、詳細を記しますと、

 

 国道4号線から、通称自衛隊通りと呼ぶ道を西へ進み、東北道の手前の大森地区から真っすぐ北に向かう道へ右折し、300m程進んで小さな小川を渡る辺り、ということになります。

 

 地元の方はこれでご理解頂けるはずですが、東京から福島のヒガンバナを見に行く人は、そう多くはないでしょうから、これでどうぞご容赦下さい。

 

 ところで、遠くに見えるのは、何という山なのでしょうか。

 

 本当にのどかで、心和む光景です。

 


 

 田を縫って流れる小川の縁に、黄色い稲穂を背にしたヒガンバナが秋を告げていました。

 


 

 車を路肩に停めて、田の畦道を100m程も歩いた先の、木立の下に見える赤い花に近づいて行きました。

 


 

 真っ赤な曼殊沙華が、苔むした石碑に添う風情を見せながら花を並べていました。

 

 まだ青い実の柿が、石碑と曼殊沙華を見下ろしています。

 

 木の傍らに、赤く錆びた三脚が柿の枝へと梯子を伸ばしていました。

 

 

 

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安達ケ原公園のヒガンバナ

2018-10-02 21:44:47 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 阿武隈川の河川敷に停めた車の中で朝を迎えました。

 

 昨晩は郡山市内のスーパーで弁当を買い、スーパー内のイートインと称するスペースで夕食を済ませました。

 

 電子レンジで弁当を温め、無料の暖かい茶のサービスもあって、本当に便利な世の中になったものです。

 

 スーパーで夕食を済ませ、すぐに二本松市の安達ケ原公園へ向かいました。

 

 21時過ぎに安達ケ原公園に到着すると、河川敷に臨時駐車場を見つけたので、迷わずに車を停めて、寝袋の中で買い求めた缶ビールを飲み干すと、後は白河夜船とばかり朝まで熟睡しました。

 

 朝日とともに目が覚めて、早速安達ケ原公園にヒガンバナを見に行きました。

 

 河川敷から歩いてゆくと、「曼殊沙華まつり」の幟が目に入りました。

 


 

 その先へ歩を進めると、建物の周囲にヒガンバナが点々と花を咲かせています。

 

 

 今まで数多くのヒガンバナの名所を見てきましたので、このように花径が疎らな状況はヒガンバナを育て始めてから間がない筈と思いましたが、記事を書くに当たって、調べてみると2015年頃からの育成であることが分かりました。

 

 その先に立派な五重塔が見えました。

 

 塔の周囲のヒガンバナの植栽エリアは広大ですが、株毎の花径数が少ないので、見ごたえあるヒガンバナの光景が完成するまで、もうしばらく年月が必要かもしれません。

 

  

 

 河川敷に設けられた臨時駐車場から帰路の矢印に従って車を走らせると、阿武隈川の堤防にも無数のヒガンバナが植栽されていました。

 

   

            

 

 近い将来、此処は確実に、日本有数のヒガンバナの名所として知られているはずです。

 

 ところで、車を停めて夜を過ごした場所のすぐ横に、見事なスギの大木が聳えていました。

 

 

 夜遅く着いたので、その時は分からなかったのですが、

 

 ヒガンバナを見終えて、スギの根本の掲示板を確認すると、ここは黒塚と呼ばれる、著名な場所だということが分かりました。

 


 

 掲示板には

 

 「奈良時代の726年(亀神3年)紀州熊野の僧、東光坊が如意輪観音菩薩を念じ、矢で鬼婆を射て、埋葬したところである。 

 

 平兼盛が 『みちのくの 安達ケ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか』 の歌をはじめ、歌舞伎、謡曲、浄瑠璃で昔から演じられている安達ケ原の鬼婆の物語は、全国的に知られている。

 

 また、菩提寺の観音寺には正岡子規の

 

 『涼しさや 聞けば昔は鬼の家』 の句碑がある」

 

 と記されていました。

 

 この鬼婆は、宿を求める旅人を殺し、生血を吸い、肉を喰らい、いつしか「安達ケ原の鬼婆」といわれるようになったのだそうです。

 

 つまり私は、そのような旅人を襲う恐ろしい鬼婆を埋めた塚のすぐ横で一夜を過ごしたことになります。

 

 道理で、夜明けまで、いやいや、夜が明けてからも、誰も周囲に近寄ってこなかった訳だ。

 

 皆さん、黒塚横の臨時駐車場は闇が深く静かで、熟睡できますので、車中泊にお勧めですよ。

 

 

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いわき市山王町と梅林寺のヒガンバナ

2018-10-02 00:25:09 | 東北のヒガンバナを訪ねて

 

 国道118号を少し戻って、矢祭小学校の脇で国道349号へ左折しました。

 


 

 その先、国道は名も知らぬ久慈川の支流に沿って阿武隈高地へと入ってゆきます。

 


 

 次なる目的地は、福島県いわき市山王町膳棚です。

 

 ナビが「目的地に到着しました」と告げる前から、田畑の脇に赤いヒガンバナの炎が揺れていました。

 


 

 どうということのない、いつかどこかで見たことのあるような、懐かしい里村の風景が周囲に広がっていました。

 


 

 道路わきの法面が赤い花に染まっています。

 

 少し日が暮れてきたためか、花色が濃さを増したように感じられます。

 


 

 明るい場所の花色は、赤よりも紅とでも呼ぶべきかもしれません。

 

 淡い黄金色の稲穂を背に、ヒガンバナの紅が目に染みます。

 


 

 日本中どこにでもありそうな、それでいて、殆どの人が目にしたことがなさそうな、不思議な感慨を伴う光景が、秋の虫の音を伴いながら、私を包み込んでゆきました。

 

 一瞬、夕闇が近づく気配で我に帰り、今夜はどうしようかと、俄かに現実に引き戻されました。

 

 いわき市ではもう一か所、常盤水野谷町の梅林寺というお寺にヒガンバナが咲くはずです。

 

 今日中に梅林寺を訪ねることができれば、夜道を二本松市まではしり、明日からのスケジュールが随分と楽になります。

 

 ナビで到着時間を確かめると、18時前後を示していました。

 

 ん~ ちょっと微妙ですが、何とかなるかもしれません。

 

 がしかし、いわき市周辺で夕方の渋滞に巻き込まれました。

 

 とは言っても、ナビは信号が連なる都会の速度で計算していますので、陽が山影に沈み込んだ時間に少し遅れて、梅林寺に到着しました。

 


 

 山門横の駐車場に車を止めて、本堂に上る石段の下に立つと、両脇をヒガンバナが赤く染めていました。

 

 

 そして、刻一刻と周囲は闇に包まれてゆきました。

 

 

 

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