旅の最後の目的地、宮城県大崎市羽黒山公園に車を停めました。
この公園は、私が十年以上前(平成20年頃)にホームページで「ヒガンバナの名所」を作り始めた頃からリストしていた場所です。
十年以上前の調査では、東北のヒガンバナ群生地は此処以外になかったように思います。
以前のブログ「船岡城址公園『曼殊沙華まつり』に学ぶ」で記したように、花を目的とした旅では、その周辺に群生地や魅力的な場所があれば、必ず訪ねてみたくなりますが、此処は他の群生地と距離がある為、私がヒガンバナの季節に羽黒山公園を訪ねる機会は得られませんでした。
早朝に訪ねましたが、羽黒山公園の小高い丘をヒガンバナが真紅に染めていました。
公園の入り口に掲げられた説明によると、羽黒山公園のヒガンバナが全国に知られたのは平成10年頃からだそうです。
昭和51年から地元有志が「羽黒山をきれいにする会」を結成し、除草や清掃を続けた結果、ヒガンバナが群生するようになったそうです。
以前紹介した、源氏川堤防のヒガンバナも今では、地元有志の方々の努力で群落が維持されているそうです。
羽黒山公園のヒガンバナ群落はまさに、自ら生徒が教室の清掃を行うに、郷土愛に溢れる人々が、自らの手で、自らの意思で、自らの郷土を美しく飾りたい思いで花を育ててきたのでしょう。
功名心や利益の為ではなく、心の声のままに、家族や仲間が暮らす里を美しくしたい思いのみで維持されてきた群落のようです。
新潟県長岡市に雪国植物園があります。
その植物園を運営する長岡「令終会」の運営方針は、
会の名の意味は「人生の終わりを全うする」ということで、
「人生の終わりを全うせしむるに自己の財産を善用し、末を誤ることなかれ」との記載があります。
この長岡の「令終会」に限らず、日本は全国各地に、同様の考えに基づき、
財がある人は財を、時間がある人は時間を投じ、郷里に花を育てる人々の姿があります。
この羽黒山公園のヒガンバナも、まさにそのような人々の努力の賜物なのでしょう。
この国には美しい花を咲かせる為に努力を惜しまない人々の、善意溢れる豊かな土壌が育まれています。
何時の頃からか私は、花を見て暮らしたいと考えてきました。
運よく平和な国の平和な時代に生き、今こうして望み通りに、花を見る日々を過ごせています。
絵を描く人や彫刻家が作品を通して人々の心に感動を伝え、三浦雄一郎や脇坂順一が山に登り続けてアクティブな人生の生き様を示してくれました。
私も全国に花や木を訪ね、お伝えすることを続けて行ければと願いながら、 「東北のヒガンバナを訪ねて」は、この回をもって、ひとまずの終了とさせて頂きます。
ありがとうございました。
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