福島市から国道4号線を北へはしり、国見峠を越えて宮城県に入りました。
峠を越えて丘陵地帯をはしると、周囲の景色にヒガンバナの密度が高くなってきました。
分水嶺を超え、気温や降雪量が変わったのかもしれません。
黄金色の稲穂と真っ赤なヒガンバナのコントラストが琴線に触れます。
そして唐突に、赤いカンナが田の脇に現れました。
ん^ん、この地の方のセンスの良さが良く分かります。
この光景でヒマワリは絶対にありえません。
などと、のんきな旅を続けていますが、今回の旅には、もう一つ重要なテーマがありました。
それは、プアメリカスズカケノキの観察数を増やすことです。
ネット検索によれば 宮城県蔵王町の宮小学校には、日本でも数少ないアメリカスズカケノキがある筈なのです。
東京都内のみで観察した株数で、何かを言うことが不安なので、東北地方にも存在するアメリカスズカケノキを自分の目で確認し、観察数を増やしたいと考えました。
南蔵王町に着いて、宮小学校の門前に到着しましたが、平日の授業時間中で、校舎への入り口にジャバラの柵が設置されていました。
躊躇していると、宅配便の方がガラガラと気軽に柵を開き、校舎へと向かったので、すかさず後に付いて行きました。
職員室らしき場所で、「すいません、東京からアメリカスズカケノキを見に来たのですが、その木を見せて頂けないでしょうか」と声を掛けてみました。
職員室から出てこられた、教諭らしき方にご案内頂き、アメリカスズカケノキの前に立つと、その木は一目でモミジバスズカケノキと分かる幹を見せていました。
あぁ、すいません、これはアメリカスズカケノキじゃなくて、モミジバスズカケノキだと思います、とご案内頂いた方に説明しました。
「アメリカスズカケノキは日本に数が少ないので、東京から見に来たのですが、残念です」 と告げると、
教諭の方も同時に「そうですか、残念」と呟かれました。
その気持ちは良く分かります。何しろ、宮小学校の木には教育委員会の名で、「アメリカスズカケノキ」の名札が添えられているのですから。
私は続けて、ご案内頂いた方にお話しをしました。
東京の著名な公園でもアメリカスズカケノキとモミジバスズカケノキを混同する程に両者は紛らわしいことを。
そして、私はそのような状況を改めたいと思い、3種のスズカケノキが見分けられる解説を作る目的で、東北にアメリカスズカケノキを訪ね歩いていることを説明しました。
但し、このブログに事実を書くと、恥をかかされたと感じる方がおられることを危惧しています。
しかしそれにも増して、宮小学校の子供達が、間違いをそのまま鵜呑みに育つことの弊害を正したいと思うのです。
私のように定年を過ぎて、自己流で木を学んだ、素人の意見ではなく、しっかりした専門家の助言を求める作業が速やかに行われることを心から願っています。
それともう一つ、宮小学校の門に立派な石碑が建てられていました。
その横の解説には、大正11年3月に東北大教育学部を卒業し、宮小学校に着任した小野さつき先生が、白石川に野外活動で出かけた折、児童3人が溺れ、それを助けようと小野先生は川に入り、激しい流れの中に消えていったそうです。
先生は22歳という若さでした。この話は瞬く間に全国に広まり、全国から二万円(今の金額で3千万以上)を超える基金が集まり、この石碑が建てられた、のだそうです。
宮小学校の校庭には、裏山の中腹から滑り降りる、見事な大きさの滑り台が設けられていました。
きっと、子供達が楽しみながら山を登り、体力を育てようとの、配慮だと思います。
南蔵王町の教育への意識の高さを垣間見る思いが致しました。
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