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日暮里から鉄路1684.8㎞の地 根室に到着

2023-11-15 00:27:05 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は浜松海岸の昆布干場を横目に見て走り、

 


 昆布盛駅に停車しました。


 駅の名は、アイヌ語の「コムブモイ(昆布・湾)」に由来します。

 


 駅の横にミズナラが葉を茂らせていました。

 

 ミズナラで想い出すのが自転車で訪ねた稚内メグマ海岸のミズナラ群落です。


 私はあの頃、ミズナラとカシワを見分けられませんでした。


 両者は葉の縁のギザギザ(鋸歯)と、ドングリを包む部分(殻斗)の形が異なるのです。

 

 

 国道142号線が花咲線に並走します。


 国道142号は根室市と釧路市を結ぶ都道府県道で、国道44号が内陸部を通るのに対し、道道142号は海岸線に沿ったルートを走ります。


 花の咲く季節に、起点から終点までをドライブしたい思いが募ります。

 



 そんな道道142号にスチール製の柵が見えます。

 

 これは吹払式防雪柵と呼ばれる設備で、近くで写した写真を以前のブログに載せましたので、興味のある方はどうぞご覧下さい。

 


 昆布盛駅を出て8分程も走った頃、並走する道路の奥、牧草地の先に家屋が並びました。

 

 根室の市街地です。

 


 そして反対側の車窓に、ユルリ島が見えてきました。


 お分かりでしょうか、牧草地の向こうに海が見え、その海に平たい島が浮かんでいます。

 

 

 近寄って撮影した写真をご覧ください。
 

 島を知らなければ、殆どの人が見落とします。

 

昆布盛台地からのユルリ島・モユルリ島 2020年撮影

 

 島の位置を国土地理院の地図を用いて示すと以下の通りです。

 

出典:国土地理院ウェブサイト


 私は列車が落石駅を出た頃から、ユルリ島・モユルリ島の姿を海上に求め続けていました。


 先のページにも記しましたが、私は帯広畜産大学で自然探査会に所属しました。


 そのクラブ顧問の芳賀教授が、1972年に根室教育委員会からユルリ島・モユルリ島海鳥類の調査を委託され、クラブの学生に調査に同行しないかと誘って頂いたのです。


 昆布盛漁港から漁船でユルリ島に渡り、6月22日から26日までの5日間、ユルリ島カショノ浜の番屋で自炊し、海鳥類の調査を行いました。

 


  私は海鳥類を初めて見ましたが、双眼鏡片手に、あれはエトピリカ、あれがケイマフリなどと教わりながら、両島で海鳥の営巣状態や分布状況などを調べ歩きました。

 

 

 そんな調査で一番記憶に残ったのが、最終日に昆布盛漁港に上陸した後、漁師さんが振舞ってくれた浜茹での花咲ガニです。


 あの花咲ガニは本当に絶品でした。

 

 後にも先にも、あれほど美味いカニを食べたことがありません。


 ということで、ユルリ島・モユルリ島で50年前に観察した幾つかの鳥を、大学後輩の千島淳さんのブログから、許可を得て拝借した写真で紹介します。 

 

 
エトピリカ 撮影 千島淳

 


 ウミウ 撮影 千島淳

 

 
ウトウ 撮影 千島淳

 


ケイマフリ 撮影 千島淳

 

 
チシマウガラス 撮影 千島淳

 

 そして列車は日本最東端の駅として知られる東根室駅に停車し、

 


 15時57分 花咲線の終着駅 根室駅に到着しました。

 

 

 

 

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落石岬はサカイツツジの南限自生地

2023-11-14 00:39:20 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 1067㎜幅の線路が台地に伸びます。


 線路の周囲は灌木と草藪ですが、前方に森の木々が見えます。

 


 列車は淡々と台地を進みました。

 

 轍を浮き上がらせた林道が線路の脇を走り、ササ覆う丘が沢に凹み、その中に濃い緑の木々が茂ります。

 


 ササとカヤに覆われた台地が、青空の下に見えるはずの海を隠していました。
 

 

 そんな台地のカヤに紛れて、ヤマハハコやヤマブキショウマらしき草花を見た気がしますが、確かではありません。

 


 この地に吹く冬の風は熾烈を極めます。


 それに耐え得る樹木のみが、荒野の中に枝を広げていました。

 


 都会の安易に暮らす旅人が、思考を止める景色に身を委ねていると、草の茂みの後ろに突然、海が姿を現しました。

 



 白波寄せる磯の先で、落石岬(おちいしみさき)が海に迫り出していました。

 


 線路脇に、海風を防ぐ柵が並びます。


 防風雪林を設けるはずが、厳しい気象に耐える樹種が見つからないのでしょうか。

 


 車窓から走り来た別当賀や厚床の台地を振り返えると、夏の太陽とは思えぬほどに優しすぎる光が、水色の海を照らしていました。

 


 列車が進むにつれて落石岬が大きくなってきました。


 落石はアイヌ語の「オク・チシ(首のつけね・くぼみ)」が由来で、現在の漁港周辺が岬に繋がる低地の地名です。


 落石岬は海水面からの標高50m程の平坦な台地で、環境保全の為に車両は進入できず、岬を廻る遊歩道が整備されています。


 岬で発見されたサカイツツジの南限自生地として、落石岬は昭和15年に国の特別天然記念物に指定されています。

 

 

 そして今列車は、五稜郭駅に貼られた、花咲線のポスター付近を走り過ぎます。


 ポスターの写真は、海岸段丘を走る列車が、落石岬の基部を横切り、根室方面へ走りゆく様を撮影しています。

 


 私の乗る列車は岬の付け根を通過し、海を見ながら進んで、

 


 落石駅に停車しました。

 


 老婆心ながら、落石駅は商店などのある落石港から3km程も離れ、駅と港を結ぶバスやタクシーはありません。


 ポスターと同じ光景を求めて落石駅に降りたとすると、それなりの覚悟が求められます。


 駅の周囲にコンビニなどはなく、電話ボックスと赤いポストがあるのみです。

 


 落石駅を出た車窓にトドマツの林が並びました。

 


 トドマツ林は2km弱も続いたでしょうか。


 つい先程見てきた別当賀の台地とは大きく異なる光景に興味をそそられます。


 そして思い浮かべるのが野付半島のトドワラです。


 野付半島のトドワラは、海水の浸食でトドマツ林が立ち枯れた光景なのです。

 


 トドマツ林が終わる辺りで振り返ると、浜松海岸の先に、ゴンゲン岬を擁する台地が見えました。


 この辺りのフットパスを歩けば、高山植物に出会えるそうです。

 


 そして、あのテレビドラマ「北の国から」で、黒板蛍が妻子ある医者と駆け落ちしたシーンのロケ地はこの辺りです。

 

 

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牧草地の広さは常識を疑います

2023-11-13 00:12:23 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は浜中駅に停車しました。


 浜中町の浜中駅ですが、駅の周囲の集落規模は茶内より小さく見えます。

 


 浜中駅を出た列車は、根釧原野の南東端の台地を見ながら根室を目指します。

 


 緑以外に何もない台地が、地球と空の間に一本の境界線を描きます。

 

 

 列車は時を忘れる景色の中を東へ走り、姉別駅に停車しました。


 駅舎の中からルパン三世と銭形刑事が、こちらに銃を向けていました


 姉別駅の北では、姉別川「アネペッ(細い・川)」が根釧台地を浸食しながら風連湖へ流れ込みます。

 


 ホーム横の草地に、ヒヨドリバナとゲンノショウコらしき花を認めました。


 珍しい花ではありませんが、この辺りは高山植物を見ることもあるので、花を見たらシャッターを押すことにしました。

 


 動き始めた列車の窓からサイロが見えました。


 浜中町の酪農は、生産履歴(トレーサビリティ)が明確なシステムで生産され、高品質の牛乳は「ハーゲンダッツアイスクリーム」の原料にされます。

 


 姉別駅を発車した列車は根室市の行政区に入り、厚床駅に停車しました。


 厚床の地名は、アイヌ語の「アットゥクト(オヒョウニレ・伸びる・沼)」が由来とされます。

 


 1989年(平成元年)までは、厚床駅から標津線が中標津まで通じていました。


 2023年10月1日には代替バス(厚床駅-中標津間)も廃止となりました。


 バスを運転する大型2種免許保有者の高齢化が進み、バスドライバー不足が深刻化したそうです。


 現在開発が進む、車の自動運転システムの実用化を俟ちますが、

 

 しかしその一方で、殆どの自家用車は座席を余らせ、全てを輸入に頼るガソリンを消費して走ります。

 

 工夫次第と思います。 従来からの常識を疑う、新しい発想が必要です。

 


 厚床駅から先の牧草地の広さは、我々の常識の範疇を越えています。


 国土地理院の調査報告書によると、1950年頃の当地は殆どが森林でした。


 しかし、1975年の厚床原野は、国営農地開発事業(パイロットファーム)などで大規模な畑地(牧草地)に変わり、畑地は2000年、更に拡大したそうです。

 


 一台の乗用車が、列車とほぼ同じスピードで国道142号を並走します。


 国道142号の横に広葉樹の森が見えます。


 1950年以前の厚床原野はこのような森に包まれていたのでしょう。

 


 列車は別当賀(べっとが)駅に停車しました。

 


 別当賀は、アイヌ語で「ペットカ(川の・浅瀬)」の意だそうです。


 この駅も、御多分に漏れず廃止が検討されているそうです。


 そんな駅のホーム脇でハマナスが陽の光を浴びていました。

 


  今は使わなくなったホーム跡に、「野鳥の宝庫風連湖 別当賀」と記した駅名標が見えます。


 この駅から風連湖までは6km程なので、JRの駅としては一番近いのかもしれません。

 


 しかし私は、地図を見ていて、気になる場所を見つけました。

 

 それは「フレシマ湿原」。

 

 そしてこんなブログを見つけました

 

 

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エゾカンゾウの群落が湿原を染める

2023-11-12 00:36:24 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 湿原地帯を抜け出た列車は厚岸町から浜中町に入り茶内駅に停車しました。
 

 茶内の名は、アイヌ語の「イチャンナイ(サケの産卵場のある・川)」に由来するそうです。

 

 
 茶内駅の、駅舎にルパン三世の顔ハメ看板が設けられていました。
 

 場違いな気がして、なんじゃこりゃ? と思いましたが、浜中町は「ルパン三世」の作者、モンキー・パンチさんの故郷だそうです。

 


 現在の浜中町役場は霧多布に置かれ、町の歴史は霧多布に漁民を定住させたことに始まります。


 浜中町は1963(昭和38)年に町政が施行されましたが、町役場付近が、アイヌ語で「オタノシケ(砂浜・の中央)」と呼ばれたのが名の由来です。

 

 霧多布湿原はラムサール条約に登録された道立自然公園で、保護すべき水鳥の生息地です。

 

 更に、霧多布岬の海蝕崖の下には、2016年の秋から野生のラッコが定着し、繁殖しています。


 しかし、観光客が海面低く飛ばすドローンの影響で、ラッコが姿を現す頻度が減少したそうです。


 私は過去数回、この辺りを車で通りましたが、残念ながら霧多布を訪れたことがありません。

 

 霧多布湿原や霧多布岬を訪ねるには、茶内駅から列車の発着に合わせて運行される町営バスを利用しますが、土日祝はデマンド運行なので、予約が必要です

 

 

 車で行く場合は、釧路から国道44号を走り、茶内駅方向への交差点を曲がって約15分、10km程で湿原に至ります。


 しかし私が行くとすれば、厚岸から厚岸大橋を渡り、道道123号経由で霧多布に入るルートが面白そうです。


 このルートの概要は、国土地理院の画像を拝借すれば、以下の赤線の如きになる筈です。

 

 北の太平洋と湖と森が連なるルートには、スコットランド北西部のような景色が待っているだろうと想像します。

 

出典:国土地理院ウェブサイト


 霧多布湿原は、夏になるとエゾカンゾウの群落が湿原を黄橙色に染め広がります。


 私のホームページのニッコウキスゲ(等)の名所「霧多布湿原」の項がありますので、北海道の湿原にエゾカンゾウが咲き揃う季節、目の黒い内に訪ねたいものです。


 列車は茶内駅に4分間停車しました。

 


 暫くすると、根室方面から釧路行きの列車が肩を左右に揺らしながらやってきました。


 私はすぐに、この辺りが釧路・根室の中間点かと思い、確認すると、釧路・根室間の半分は67.7kmで、標茶は釧路から68.6kmでした。

 

 やっぱりですよね。

 


 茶内駅では、釧路発根室行きの都市間バス「特急ねむろ号」が列車に接続します。

 

 花咲線は根室半島の南縁、バスが走る国道44号は根室半島の北縁海岸線の集落を繋ぎます。

 

 そしてバスは釧路市内で日赤病院や労災病院など、主要な医療機関にバス停を構えます。

 

 この地に生きる人々の医療環境が見えてきます。


 ラッコが繁殖し、エゾカンゾウが咲き揃う、美しくも厳しい自然の中に身を置くには、畑正憲(ムツゴロウ)さんみたいなエネルギーと才能が必要かもしれません。

 

 

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別寒辺牛(ベカンベウシ)湿原でシカに急ブレーキ

2023-11-11 00:08:03 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 長閑な海の景色を眺めながら、列車は厚岸駅に到着しました。

 


 厚岸の地名は、アイヌ語の「アッケシト(オヒョウニレ・下の・沼)」が由来だそうです。


 オヒョウニレは北海道-九州、サハリン、東シベリアなどに生育するニレ科の落葉樹で、アイヌはこの木の樹皮から繊維を取り、アツジ(厚司)と称する衣類を作りました。


 厚岸駅は花咲線の途中駅として唯一の有人駅です。

 


 そんな厚岸駅のホーム横に、クロマツかもしれない木を見かけました。


 厚岸は。慶長9年(1604年)に松前藩が交易の為のアッケシ場所を開設し、文化元年(1804年)将軍家斉の命によって官営国泰寺の建立を決定しています。


 古くから和人が関わってきた土地ですから、和人によって、北海道にはないクロマツが持ち込まれた可能性を考えます。

 


 列車は厚岸駅を出ると、吃水湖である厚岸湖の岸に沿って進み

 


 暫く進んで、別寒辺牛(ベカンベウシ)湿原の南端を車窓に映し始めました。


 湿原にアオサギらしい鳥を見たのですが、シャッターが間に合いませんでした。

 


 環境省の資料に因ると、厚岸湖周辺で約240種の鳥類が確認され、100羽以上のオオワシ、オジ ロワシが越冬します。 


 また、厚岸湖岸、別寒辺牛川流域や支流の湿原で、例年約70つがい以上のタンチョウが繁殖するそうです。

 


 列車は別寒辺牛湿原を流れるチライカリベツ川の畔を進みます。


 チライカリベツ川の名の由来は「イトウ(幻の魚)・取る・川」です。


 花咲線のパンフレットに使われていた写真はこの辺りを俯瞰した光景です。

 


 こんな風景を見ると、カナディアンカヌーで湿原を巡りたい思いに駆られます。

 

 

 そんな時突然、列車に急ブレーキがかかりました。


 私は即座に運転席の横に駆け付けました。


 シャッターは間に合いませんが、2頭のシカが線路から逃げる姿を目にしました。

 

 

 かなりピンボケですが、湿原の中に、線路から逃れたエゾシカの姿を捉えました。


 読売新聞のオンライン記事によると、シカの事故が多い花咲線、釧網線の一部列車で冬期に減速運転を行ったそうです。

 

 シカとの衝突を避ける為に急ブレーキをかけ、車輪が損傷し、修繕で車両14両のうち8両が使用できないことがあったそうです。

 


 そう言えば、2019年に青春18きっぷで稚内を往復したとき、ワンマンかーの運転手さんが、シカにぶつかると苦労すると話してくれました。

 

 釧路駅でもらった、花咲線のパンフレットに、この辺りを含め、上尾幌、落石周辺(青紫色に塗られた地区)に、シカが多く出没することが紹介されていました。

 

 

 

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無人駅の花壇に咲く赤いサルビア

2023-11-10 01:13:53 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 上尾幌駅を出た列車はなだらかな曲線を描く丘陵地を進みます。


 森に囲まれた牧草地が陽の光を浴びていました。

 


 列車は尾幌と表示された駅に停車しました。


 尾幌の地名は、アイヌ語の「オポロテッ(川尻の・大なる・かわ)」に由来します。


 駅前広場に一台の乗用車が停まっています。


 この駅に車を置いて、列車で釧路か札幌に出かけたのでしょう。


 この駅は無人駅ですが、駅の花壇を赤いサルビアの花が飾ります。


 厚岸町の関係者か、近隣住民のボランティアでしょうか。


 朝と夕に、この駅へ女子高生を送迎する、ばあちゃんの姿が見えた気がしました。

 


 列車が駅を離れる時、駅名表示板に隠れていた駅舎が見えました。


 この駅舎は貨物列車の車掌車(ヨ3500形車掌車)で、1986(昭和61)年に設置されたそうです。

 

 

 尾幌駅を出た列車の窓から、牧草地に草を食む馬の姿が見えます。


 その背後に丘陵地が連なり、その後ろは太平洋です。

 


 列車が走る場所は尾幌川が作る沖積低地(尾幌原野)の泥炭地です。


 明治40年頃、尾幌駅の辺りから海への分水路を開削しました。


 尾幌原野の排水を促し、尾幌川の氾濫原を農地に変えたのです。


 列車は尾幌原野を国道44号と並走しながら根室を目指します。

 


 列車が次の門静駅に停車する直前、車窓右手に砂利を敷き詰めた広場を目にしました。

 

 皆さんはこれを何だと思いますか?


 これは昆布の乾燥場です


 ということは、海はすぐそこです。

 


 そして門静駅に停車しました。


 門静は、アイヌ語の「モイスッ(入江・の根本)」に由来するそうです。

 


 門静駅は無人駅で、洒落な雰囲気の駅舎に小さな待合所が付属します。


 地図で確認すると、門静駅の北側を国道44号線が走り、300m程南側の場所に厚岸湾が浪を寄せます。


 海辺に20~30軒程の集落が軒を並べ、湾に付き出す小さな漁港を認めました。

 


 門静駅を出ると直ぐに、車窓に海が広がりました。


 厚岸湾の先に、湾に接する厚岸湖を囲む丘陵地の一部が見えます。

 


 振り返えれば、太平洋に突き出た尻羽岬(しれぱみさき)と仙鳳趾村の台地が望めます。

 

 仙鳳趾村は、尾幌分水を町境として厚岸町に接する釧路町の村です。

 


 つい最近、そんな仙鳳趾村の放牧地で、OSO18の名で怖れられてきたヒグマが駆除されました。

 

 OSO18は2019年から標茶町や厚岸町で牛66頭を襲い、北海道庁が特別対策班を設置するほどの凶悪なヒグマでした。


 そんなヒグマの住む牧草地の道を辿り、農道終点の駐車場から10分程歩いた岬の下にラッコやアザラシが暮らしています。


 そんな仙鳳趾の海は夏でも海水温が低く、太平洋の潮の流れの影響を受けてプリプリの牡蠣が育ち、年間を通して、美味しい牡蠣を食べることができます。

 

 

 

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花咲線の旅が始まりました

2023-11-09 00:09:02 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 花咲線の釧路発根室行き普通列車は、定刻の13時25分に釧路駅を発車しました。


 花咲線は根室本線の一区間、釧路駅-根室駅間の愛称です。

 

 根室本線は1921(大正10)年に西和田駅-根室駅間が開業し、滝川-根室間が全通しています。


 しかし花咲線は根室本線の一部ですが、特急や急行は走らず、快速列車が運行されるのみです。

 


 私が花咲線に乗車するのは多分1972年以来と思いますので、51年振りのことです。


 しかし私は、花咲線が走る根室半島を、車で幾度か訪ねていますので、この地が半世紀振りという訳ではありません。


 そんな花咲線の旅がいよいよ始まりました。

 


 釧路駅発車した根室行き普通列車「道北 流氷の恵み」号は釧路、根室を含めた17の駅を経由し、135.4kmを2時間32分かけて走り通します。


 釧路駅を発車した列車は4分後、釧路と網走を繋ぐ釧網本線の起点となる東釧路駅に停車しました。


 しかしこの時、私は「花咲かにめし」弁当の昼食中でしたから、東釧路駅の写真はありません。

 


 列車は東釧路を発車した2分後に武佐駅に停車しました。


 武佐駅は1988(昭和63)年に釧路市東部の新興住宅地の利便性を図り、線路脇に一面のホームが設けられた駅で、武佐はアイヌ語の「モサ」、「モセ」、「ムセ」などがイラクサの意なので、同じ趣旨の由来だろうと説明されます。

 


 列車は武佐駅を出て1~2分で釧路町に入りました。


 今回初めて知りましたが、釧路町は釧路市に接する、釧路市とは全く別の行政区なのです。


 釧路町が誕生した経緯は、1920年に行われた北海道区制施行に遡ります。

 

 釧路が区となる為には、総面積に比して人口が集中する市街地の割合が大きい必要があり、釧路は市街地以外の郊外を切り離しました。


 分離したのは釧路川以東の別保(ベッポ)地区と湿原区域の雪裡太(セチリブト)で、この地域と昆布森(コンブモリ)村が合併した後、1980(昭和55)年の町制施行で釧路町が誕生したそうです。


 釧路町の約80%が海抜100m前後の起伏のある山間地帯で、約20%が西部の平野と泥炭地です。


 花咲線は釧路町に入り、山間部を流れる別保川に沿って川岸をウネクネと蛇行します。

 


 そして私はまたも、「花咲かにめし」弁当に気を取られ、別保駅を撮り損ねました。


 別保駅を出て暫く走ると、車内に蛍光灯が灯り、列車はトンネルに入りました。


 この辺りに線路が設置されたのは1917(大正6)年ですから、なるべく工事がし易いルートを選び、トンネルで繋いだのでしょう。


 今の技術を持ってすれば、ほぼ一直線にトンネルを穿つルートが選定されるはずです。

 


 そして列車は上尾幌(かみおぼろ)駅に停車しました。


 上尾幌の名は尾幌川の上流にあることが由来です。

 


 2023年8月21日、上尾幌駅の花壇にコスモスの花が揺れていました。


 北国の駅の突然の秋の気配に、遥かなる旅路を意識させられました。

 

 

 

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根室行き普通列車「道北 流氷の恵み」号

2023-11-08 00:16:40 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 釧路駅に降りると、向かいのプラットホームの屋根が鈍色に輝きました。


 昭和を感じさせる、ホームの鉄柱の上にスチール屋根が乗り、庇の雪止め鋲が微妙に波打ちます。


 小説「挽歌」の主人公玲子が札幌行きの汽車に乗ったのも、こんな景色のプラットホームだったかもしれません。

 


 改札口を出る為に地下通路へ降りると、通路の途中に風よけサッシのドアが設けられていました。

 

 北海道で暮らした人以外に、この地の冬の寒さを伝える言葉を私は知りません。


 


 釧路の街を見たくて、駅の外へ出ました。

 

 釧路の名は、アイヌ語で「クシュル(通路・交通の要所)」の意だそうです。


 駅から幣舞橋「ヌサオマイ(神を祀る儀式を行う場所)の橋」へ続く北大通が、水蒸気を含んだ空色の空の下に続いています。

 


 振り返ると、赤錆色の駅舎が、素っ気無い素振りで陽の光を浴びていました。

 


 もうこれで十分です。

 

 駅の外で釧路の風を浴びた瞬間、数年前に夜の繁華街をうろつき、釧路川の岸辺のフィッシャーマンズワーフで呑んで食べた記憶が蘇りました。


 駅ビルの中に戻り、幾つかの飲食店を覗いた末に、今日の昼飯を「花咲かにめし」弁当に決めました。

 


 土産物屋で「純米吟醸 福司」に大きく心が動きましたが、今これに手を出せば、青春18きっぷの旅が白日夢の旅に変質します。


 ぐっとこらえました。

 


 改札を済ませ、地下通路から階段を上ると、コンクリートのホームにクリーム色の鉄柱が等間隔に並び、幾何学模様を描く鉄骨に、板を並べた屋根が続いていました。


 1970年代後半の頃、函館駅で青函連絡船に乗り継ぐとき、こんな雰囲気のホームを、大勢の乗船客と並び歩いた記憶があります。

 

 あの頃は、大きな荷物を両手に抱えた旅人が、深夜の函館駅のホームに溢れていました。

 


 2番線で、根室行き普通列車「道北 流氷の恵み」号が発車準備を整えていました。

 


 まずは「道北 流氷の恵み」号に席を確保し、


 隣の3番線に停まるノロッコ号を見学に行きました。

 


 ノロッコ号は、1989(平成元)年に登場した日本一遅い展望観光列車で、釧網本線の釧路-塘路間を走ります。

 



 毎年5月のゴールデンウイークから10月上旬にかけて、1日2~3往復運行されます。

 


 ノロッコ号はノロノロと進むトロッコ列車が名の由来で、展望車はトロッコのような窓のないオープン車両が使われています。

 


 車内に入ると、外を眺めて縦に置かれたシートと通常のボックスシートが並んでいました。
 

 

 2号車のカウンターで記念品やお弁当などが販売され、カウンターのお姉さんにレンズを向けると、一緒に旅したくなるような笑顔を返してくれました。

 

 

 

 

 

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釧路の年合計日照時間は少なくない

2023-11-07 00:01:10 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 庶路駅を出た列車は海岸線に沿って釧路を目指しました。


 天気の良い日にこの辺りを車で走れば、海の向こうに釧路が見えます。

 

2020年夏撮影

 

 線路の左手に海岸段丘らしき地形が見えます。


 線路の横にササ原が続き、その後ろにヤナギ科の低木が茂ります。


 多分それら樹木の下に水路が潜むはずです。


 庶路川流域は厚さ約 30cmの泥炭層が広がりますので、この辺りも同様でしょう。


 そんな場所に「ユーラス白糠ソーラーパーク」という看板が掲げられていました。

 


 ソーラー発電のパネルが、一面に並べられています。


 しかしちょっと待って下さい。


 確か、釧路地方は春から夏にかけて海霧が発生するので日照時間は少ない筈です。


 ソーラー発電は採算が取れるのでしょうか? 

 

 実は釧路の年間の合計日照時間は1957.6時間、東京は1926.7時間、札幌は1718時間で、釧路は太陽の出ている時間は東京より少し多いのです。


 釧路の夏は海霧で太陽が隠れますが、秋冬は晴天が多い為に、年間合計日照時間は長くなります。

 

 釧路の泥炭地は畑作に不適ですが、ソーラー発電なら土地の有効活用にピッタリです。

 


 そんな光景の中に線路は続き、

 


 阿寒湖を源とする阿寒川を渡りました。

 


 列車は大楽毛(おたのしけ)駅に停車しました。


 大楽毛の名は、アイヌ語の「オタノシキ(砂浜・の中央)」が由来だそうです。


 ウィキペディアに拠れば、大楽毛は第二次世界大戦直後まで軍馬の集散地として発展し、戦後の1959(昭和34)年、駅のすぐ近くに本州製紙(現王子製紙)が東洋一の巨大製紙工場を開設しました。


 当時の釧路は人口が少なく、従業員の確保が困難で、本州製紙は東京から特別寝台列車を仕立て、従業員の大移動を実行し、工場を稼働させたそうです。

 


 私の乗る列車は3分後に新大楽毛駅に停車しました。


 この駅は製紙工場の社宅、新興住宅地、釧路西高校の利便性を図り、1988(昭和63)年に新設された一面一線の無人駅です。

 


 新大楽毛を出ると列車は高架を走り始めました。


 北海道の主要都市、札幌、旭川、帯広などでJRは、高架化を図ってきました。


 それらの駅は列車運行本数が多く、バスやタクシー、自家用車などが駅周辺に集中する為に高架化が求められました。


 しかし、釧路駅そのものが地上線なのは片側が海という地形特性に因るのかもしれません。

 


 列車は次に新富士駅に停発車しました。


 富士製紙(現日本製紙)の専用線を分岐させる為に、1923(大正12)年に開業した駅です。

 


 そして列車は新釧路川を渡り、

 


 帯広からの128.3kmを約2時間半かけて釧路駅に終着しました。

 

 

 

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茫々としたとはこんな風景

2023-11-06 00:02:39 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 釧路行きの普通列車は、幾多の川が海へ流れ込む河口を避けながら、霧にかすむ海岸を進んでゆきます。

 


 音別町の市街地手前で音別川を渡り、

 


 音別駅に停車発車し、再び波打ち際に戻りました。

 


 茫々とした、とはこんな風景を指す言葉かもしれません。


 列車は馬主来(バシクル)沼の畔を進みました。


 馬主来沼は馬主来川が海に流れ込む河口の沼で、海の潮位よりも、堰き止められた沼の水位が高くなると水が海に流れ出す珍しい沼です。


 馬主来(バシクル)はアイヌ語でカラスを意味し、この地名に関わるアイヌ伝説があります。


 昔、小舟で西の方から来た青年が、霧の海に巻かれましたが、カラスの鳴き声に導かれて陸影を見つけ「パ(見つける)・シリ(陸地)・クル(影)」と叫んだそうです。

 


 そして列車は白糠駅に停まりました。


 私は地図を確認しながら記事を書きますが、ちょっと面白いことに気付きました。


 白糠駅の住所は白糠郡白糠町東1条南1丁目ですが、今まで列車が走り来た音別の住所は釧路市音別町なのです。


 つまり、釧路市音別町は白糠町を間に挟んだ、釧路市の飛び地だったのです。


 列車が白糠駅を出発し、海岸線に出た辺りの地図で、石炭岬と記された場所に気付きました。


 そして近くに「北海道石炭採掘創始の碑」があります。


 気になってググってみると「5万分の1地質図幅説明書 白糠」というページがヒットしました。

 

 そこに、

 「白糠町石炭岬附近において安政 4年、徳川幕府は函館奉行の白糠出所をおき,同所附近の石炭を採掘したことがあり,これが釧路炭田開発の発端となっている。」と記されていました。

 

列車は国道38号線と並走しながら、東へ向かいました。

 

  

 この光景を何と言えばいいのでしょうか?


 国道脇の便利そうな土地がただの草地なのです。


 普通なら田んぼや畑、あるいは果樹園などがあっても良さそうなのに、何もないのです。


 もしかするとJRの所有地かもしれませんが、JRと国道に接する場所が草茫々です。

 


 そんな景色を眺めていると、列車は西庶路駅に停車しました。


 西庶路駅は庶路の西に位置するの意で、庶路は、アイヌ語の「ソオロ(滝・のところ)」が語源と考えられます。


 庶路駅は1901(明治34)年の開業で、西庶路駅は1941(昭和16)年の開業ですが、庶路駅よりも西庶路駅周辺に住宅が多いそうです。


 白糠町は2018(平成30)年に小中学校を統合し、西庶路駅から1.1㎞程の津波の被害を受けにくい場所に、全生徒数150人程の白糠町立庶路学園を設けました。

 

 

 そして列車は、阿寒富士に源を発し、シシャモが遡上する川として知られる庶路川を渡って庶路駅に停車しました。

 

 

 

 

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根室本線の車窓に海が広がりました

2023-11-05 00:21:12 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は丘陵地を流れ下る川に沿って走り、厚内駅に停車しました。


 厚内の地名は、アイヌ語の「アプナイ(釣り針・川)」や「アックナイ(小獣を捕る川)」が由来と説明されます。

 


 厚内の集落の様子が知りたくて「厚内駅」で検索すると「海の見える駅」というページがヒットしました。

 

 その記事に、予想通りの街並みを写した写真が掲載されていました。

 

厚内駅 | 海の見える駅  村松 拓 撮影


 町の通りや厚内駅の跨線橋から海が見えるそうです。

 

厚内駅 | 海の見える駅  村松 拓 撮影


  列車が厚内駅を出ると直ぐに車窓に海が広がりました。

 


 根室本線に並走するのは国道336号線です。


 この国道は日高山脈の西側に位置する浦川郡浦河町を起点とし、

 

2015年9月 撮影

 襟裳岬のあるえりも町、

 

2015年9月 撮影


 十勝の広尾町や浦幌町を経て、浦幌町厚内と釧路市音別町で国道38号と重複しながら釧路に至ります。


 この国道336号は、国道マニア涎垂の名物国道です。


 この道が通じる、えりも町庶野と広尾町間は、日高山脈が海岸にせまる交通の難所で、建設に際し、黄金を敷き詰める程に膨大な費用を要したことから黄金道路と呼ばれるようになりました。


 そしてこの国道が十勝川河口を渡る区間は、1992年に十勝河口橋ができるまで旅来(たびらこ)渡船という渡し舟が国道の機能を担っていました。

 

十勝川河口の風景 2020年夏

 


 そんな名物国道336号ですが、私は2015年に自転車旅でこの道の一部を走り、2020年の夏に、それまで未訪問だった十勝川河口と釧路市音別町間をドライブしています。

 

 帯広から車で釧路へ向かう場合、以前は国道38号、今は道東道を使うのでしょうが、時間に余裕があれば、海沿いの長閑な風景を眺めながらのドライブも楽しいものです。

 

昆布刈石海岸展望台からの光景 2020年夏
 

 列車は霧に包まれた海を見ながら釧路を目指します。


 この辺りから釧路にかけて、6~8月の季節に霧が発生しやすくなります。


 太平洋高気圧が強まる夏型の気圧配置になると、暖かく湿った空気が南から流れ込み、冷たい千島海流(親潮)に冷やされ霧が発生します。

 


 帯広を中核とする十勝地方は、冬の寒さが厳しく、夏は暑い大陸性気候で、全国的にも有数の日照時間に恵まれます。


 しかし釧路地方の気候は、寒流の影響を受けて、春から夏にかけて発生する海霧で日照時間は少なく、夏季における気温は20℃前後です。


 見方を変えれば、釧路地方の夏は、他所とは異なる過ごしやすい季節とも言えます。


 十勝の内陸部はジャガイモやトウモロコシ、ビートなどの畑作が盛んですが、釧路地方は夏が涼しく畑作は向かないので、列車の窓に牧草地が広がりました。

 


  厚内駅を出発して10数分後に列車は特急列車の通過を待ちます。


 多分ここは、直別信号所の筈です。


 直別信号所は1907年に直別駅として開業されましたが、利用者が減少し、2019年に旅客取り扱いを廃止して、信号所となりました。

 

 

 

 

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十弗を何と読みますか?

2023-11-04 01:19:36 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 池田駅を出た列車は沖積地に広がる畑を見ながら、十勝川の流れに沿って南下します。

 


 根室本線の下り列車は池田駅の次に、十弗(とおふつ)という駅に停まりました。


 それにしても北海道の駅名は、多彩で本当に面白い。


 残念ながら、駅名の表示物を撮影することは出来ませんでしたが、これを地名と知らない人に、いきなり「十弗」の字を見せれば、多くの人が10ドルと読むはずです。


 私は確認できませんでしたが、10ドルメモリアルボードが2000年にホームに建立されたそうですが、今もあるのでしょうか。


 地名は、アイヌ語で「トプッ(沼の・口)を意味するそうです。


 そういえば、網走と小清水町の間に濤沸湖(とうふつこ)という汽水湖がありますが、同じ意味だと思います。

 


 列車は更に南下を続け、豊頃(とよころ)駅に停車しました。


 豊頃町は十勝川の河口を擁します。


 十勝地方の開拓は、十勝川を遡って行われた経緯から、河口の大津地区には十勝地方発祥の地の碑が設けられているそうです。

 



 そして、豊頃町のシンボルがハルニレの木です。


 日立グループのテレビCMに映された「日立の木」に似ていることで人気を集め、1991にドリカムがリリースした「Eyes to me」の歌詞中の「ハルニレをバックに空に手を広げて」はこの木を指すとされます。

 

 そして、ドリカムのボーカル吉田美和は隣町の池田町の出身なのだとか。

 


 豊頃駅を出た列車は緑果てない風景を見ながら進み、町境を越えて浦幌町に入りました。

 


 浦幌町に入ってすぐ新吉野駅に停車しました。


 新吉野駅は、当初下頃辺、アイヌ語の「シタコロベ(犬を産んだ所)と名付けられましたが、語義が悪いので、駅前の吉野桜をヒントに新吉野に改名されたと説明されます。

 


 新吉野駅を出た列車は進行方向を北東に変え、十勝川流域を離れました。

 


 列車は白糠丘陵の西縁部の丘の中へ進み、浦幌川を渡ります。

 


 橋を渡ると民家が現れ、周囲を丘に囲まれた平地の中の浦幌駅に停車しました。


 浦幌の地名は、アイヌ語の「ウララポロ(霧・多い)」に由来するそうです。

 


 駅の周囲に貯木場が見えます。


 十勝郡浦幌町は大部分が丘陵と台地で、町の面積の約70%を林野が占め、豊富な資源を活用した林業が営まれます。

 


 浦幌を出た列車は丘陵地の中を進みました。


 そして今、根室本線は全線が単線の筈なのに、景色を写した画像の中に線路が写っていることに気付きました。


 撮影時間を確認すると、浦幌駅を出てから5分後のことです。


 ネットで検索すると、「常豊信号所」の、根室本線が右に緩くカーブする様子や、線路の右に保線詰所らしき建物が見えることから、「常豊信号所」かなと思います。

 

 

 

 

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十勝ワイン セイオロサムの意味が分かった

2023-11-03 00:02:40 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車の窓から牧場が見えました。


 放牧場に黒い肉牛が居ます。

 

 白黒まだらなホルスタインではありません。


 十勝平野で思い浮かべるのは酪農ですが、酪農は乳牛を育てて乳を搾る畜産業の一部門です。


 なので、肉牛飼育は畜産業ですが酪農業ではありません。


 酪農の酪は、「酉」【「液体を入れる器」の意が転じて「時間をかけて発酵させる」を意味する】と「各」【久(下向きに降りてくるの意)+口(固くなるの意)】をあわせた字で、数千年前に、西アジアで山羊の乳から作られたチーズなどの醗酵乳製品を意味する字が、全ての乳製品を意味するようになりました。

 


 十勝川を渡ると、丘陵地を背にした緑の畑が続きました。

 


 幕別駅を出た列車は6分後に利別駅に停車しました。


 利別はすぐ傍を流れる利別川に由来します。


 利別の名は、アイヌ語の「トウシぺッ(網・川)」とされ、十勝アイヌと釧路アイヌの境界争いで、十勝アイヌが河口に網を張って釧路アイヌを妨げたことに由来するそうです。


 その利別川は、陸別町と置戸町との町境、十勝と北見の分水嶺である山岳地帯を源とする延長150㎞の一級河川です。


 十勝川の延長が156kmですから、その長さは本流に引けを取りません。

 


 次に列車は池田駅に停まりました。


 現在の池田町付近一帯は以前、アイヌ語で「セイオロサム(貝殻・の処・の傍)」と呼ばれ、「凋寒(しぼさむ)」の字が当てられました。

 

 そして十勝ワインには「セイオロサム」という銘柄があります。


 しかし根室本線が開通し、徳川慶喜の五男が営む「池田農場」の敷地に駅が設置されて池田駅と命名、その後1926年の町制施行時に、町名を「池田」としたそうです。


 そして池田町と言えば十勝ワインです。


 列車の窓から「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」通称ワイン城が見えました。


 十勝ワインは、当時町長だった丸谷金保氏の発案で開発されたワインで、1964(昭和39)年に池田町に自生する山ブドウから作られたワインが国際ワインコンペティションで銅賞を獲得し、注目を集めました。


 その後、フランス産のセイベルという品種から、実付きの良い赤ワイン品種「清見」を選別し、山ブドウとの交配を重ね、耐寒性の高いワイン用ブドウの品種開発が行われました。


 今では、全国のコンビニで十勝ワインを見かける程に名が知られています。


 ちなみに、池田ワイン城の住所は、池田町清見83番地の4です。

 


 更に、ちょっとトリビアな話題を二つ、


 町長だった丸谷金保氏の長男の池田智保氏はセイコーマートの会長だそうです、北海道にセイコーマートが多い理由が分かりました。


 そして、小説家の冲方丁が、2011年発生の東日本大震災原発事故で、福島市から一時池田町に避難していたことがあるそうです。

 

 

 

 

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人の人生も、結果が全てではない気がします

2023-11-02 00:27:12 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は札内川を越えて2~3分後に札内駅に停車しました。


 帯広駅から5分程ですので、西帯広駅-帯広駅間より近いのですが、私はこの駅の名を知るばかりです。

 


 札内駅を出た列車は畑の中を走ります。


 左手奥に平坦な丘陵地が見えますが、あの丘の下に十勝川が流れ、その川の畔に十勝川温泉が湯けむりを上げます。

 


 そして列車は猿別川(さるべつがわ)を渡りました。


 ところで、北海道には登別、芦別、士別、紋別など、「別」の字が付く地名が沢山ありますが、これらはアイヌ語の「ペッ pet(川)」に「別」の漢字を当てたものです。


 なので上記地名は全て、アイヌ語の川に関わる地名が由来なのです。


 そして猿別は、アイヌ語で「サルペッ(ヨシ原の川)」を語源とする地名です。

 

 

 猿別川を渡った列車は幕別駅に停車しました。


 幕別の地名も、アイヌ語の「マクンペッ(奥の方・にある・川)」に由来します。


 幕別町で特筆すべきは、1983(昭和58)年にパークゴルフを考案した町です。


 パークゴルフはゴルフに似たスポーツで、専用のクラブ、ボール、ティーを用い、9ホール合計でパー33が設定されます。

 

 パークゴルフは公園を用いて競技が考案され、幕別町のパークゴルフ場は無料で公開されています。


 以前紹介した長万部あやめ公園のパークゴルフ場も、使用料は一日僅か300円で、パークゴルフは貧富の差もなく、誰もが余暇を楽しめるスポーツです。

 


 幕別駅を出た列車は2~3分後に十勝川を渡りました。


 十勝川は十勝連峰の十勝岳と上ホロカメトック山を結ぶ稜線の北側を源流とする一級河川です。

 


 以前紹介した空知川は上ホロカメトック山と下ホロカメトック山を結ぶ稜線の南側を源流としますので、上と下のホロカメトック山を結ぶ稜線が石狩川と十勝川の分水嶺です。  

 

 下の写真で、一番奥の尖がったピークが下ホロカメトック山で、左手の谷が十勝川の源流部です。


 雨が、この稜線上の左右どちらに降ったかによって、僅か10㎝の差であっても、その水が太平洋へ下るか、日本海に注ぐかの運命が決まります。


 人間の人生もそんなものかもしれません。結果が全てではない気もします。

 


 列車は十勝川の幅広い河原の上を越えて行きます。


 河原の奥に濃い緑の丘陵地が見えました。


 十勝平野は台地性の平野で、東は白糠丘陵に接しています。


 この辺りは標高100~200mの洪積台地が広がり、河川沿いに狭い沖積地がみられます。

 

 

 

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それにつけても、帯広の空の青さ

2023-11-01 00:07:07 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 根室本線は帯広貨物駅を過ぎた頃から高架を走り始めました。


 列車が柏林台駅に停車すると、車両の下に、片側2車線の道路が見えます。


 地図で確認すると、道道151号、通称弥生新道のようです。


 南は帯広畜産大学方面へ、北は平原大橋を渡って道東道の音更帯広ICに至ります。

 



 南の方角に高層階のマンションらしき建物が見えていました。


 これ程土地に余裕のある帯広でも、高層マンションの需要があるのでしょう。


 主要幹線道や公共施設の近くに住むと利便性が高いのかもしれません。


 そして今回、帯広の市街地図を見て、帯広厚生病院が西13条に移転したことに、今気づきました。


 私は1985年から5年間、札幌に家族を残して、常泊出張で帯広に通い、帯広厚生病院などの医療機関を訪問する仕事を続けました。


 三男誕生の知らせを聞いて、知人の車を借りて札幌の自宅まで300kmの夜道を走り続け、朝の4時頃、翌日の仕事に間に合うように、帯広にとんぼ返りしたこともありました。


 あの頃は、有給休暇が当たりまえに取れる時代ではなかったのです。


 そんな時代に親しくして頂いた、帯広のK先生と今もお付き合いを頂いております。

 

 今回お会いしたかったのですが、都合が付かなかったことが心残りです。

 


 列車が帯広駅に近づくと、市内中心部が見えてきました。


 しかし、線路が帯広駅に入る手前の帯広厚生病院が定かではありません。

 

 この文章を書き始めるまで、私は何か変だな~と思い続けてきました。


 まるで浦島太郎みたいな気分です。

 


 そして列車は10時20分に帯広駅に終着しました。


 それにつけても、その時の写真を見て改めて思うのは、帯広の空の青さです。

 


 次に乗り継ぐ釧路行きの普通列車は、6分後に帯広駅を発車しました。


 私の学生時代、そしてホテル住まいの頃も、根室本線は地上を走っていました。


 しかし列車は今、高架線の上を走ります。


 なので私が、こんな位置から帯広の街を眺めるのは初めてです。

 


 そして多分、帯広の街もJRが高架化されたことで、道路網が再構築されたのでしょう。


 見慣れぬ道路が、駅の南側から東へ伸びていました。

 


 駅を出ると程なく、列車は札内川の鉄橋を渡りました。


 河川敷に、ソフトボール場らしき緑の芝生が広がっています。

 


 その先で列車は札内川の流れを越えました。


 札内川は過去に幾度も「清流日本一」に選ばれています。


 札内の名は、アイヌ語で「サツ・ナイ(乾いた川)」を意味し、夏に水が涸れることが名の由来ですが、渇水期に水は扇状地の砂礫下に伏流し、大部分が再び札内川に復帰します。

 


 そして札内川の水は、十勝川流域の水道の半分近くをまかなっています。

 

 

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