寒河江市の慈恩寺にやってきました。
予備知識ゼロで訪問しましたが、帰宅後に調べてみると、
慈恩寺境内は国指定の史跡で、奈良時代天平年間に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられ、江戸時代は寺領2800石を有する東北随一の古刹でした。
無料の駐車場に車を停め、境内へは自由に入ることができました。
重要文化財の本堂は1618年(元和4年)に築造され、寛慶作1298年(永仁6年)の本尊木造弥勒菩薩など数多くの重要文化財が安置されています。
1608年(慶長13年)に築造された三重塔は、1823年(文政6年)に焼失し、1830年(文政13年)に再建された、山形県指定の有形文化財です。
塔の横に、昭和60年慈恩寺文化調査の責任者であった阿部西喜夫氏が詠んだ
いにしえのたくみのわざをもるごとしやまふところに慈恩寺の塔
の石碑が建てられていました。
1736年(元文元年)築造の山門も山形県有形文化財です。
このような格式の寺を予想していませんでしたので、思わぬ拾い物をしたような気分になりました。
ところで、ヒガンバナは何処だろうと周囲を見回しましたが、それらしいものが見えないので、本堂におられたお寺の方に尋ねると、本堂を右手に進んだ華蔵院の方だと教えられました。
教えられた方角に向かうと、華蔵院南面の土手一面に、ヒガンバナが赤い花を咲かせていました。
華蔵院の庭の一隅に子安地蔵を祀る祠がありましたので、その前で手を合わせ、
すぐ脇の門から出ると、「寅さんの腰掛け石」と記した看板が掲げられていました。
何のことだろうと、説明を読むと、
寅さんとは、「男はつらいよ」の映画の主役を務めた渥美清のことで、昭和50年にロケで訪ねた渥美清が景観に見とれて腰かけた石なのだそうです。
そして、これがその石です。
いかにも座り心地の良さそうな、座布団に似た形の石ですが、寅さん人気を伺わせる、ほんわか気分のエピソードでした。
しまった、座ってくるべきだった・・・
慈恩寺を出発し、次の目的地の村山市湯野沢の天満神社へと車を走らせました。
しかし、目的地に着いて、近くで作業をしていた方にヒガンバナの所在を聞きましたが、首をひねるばかりで、此処ではとうとう、ヒガンバナに会うことはで来ませんでした。
ということで、事前に調べた限りでは、ここが山形県内にヒガンバナが咲くとされる最後の目的地なので、後は秋田県潟上市か岩手県北上市のどちらかへ向かうことになります。
時間を確認すると14時45分でした。
どちらにしても、陽の明るい内に着くのは無理そうですから、取り敢えずは国道13号を北へ向かうことにして、車のキーを回しました。
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