つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

テレビドラマではなく 1

2011年06月25日 | 徒然に、

23年も前の話しで恐縮だが、私の結婚にまつわる出来事はなかなか凄い!テレビドラマもかくありなんというものだ。旦那と私は東京の飲み屋で知り合った。その経緯はまたの機会に譲るとして、あれやこれやで話がまとまりあと4日ほどで札幌に向かうという日に旦那から電話があった。

「お袋が、地下鉄の駅で転んで腰骨を折った」

言葉が出なかった。こういう時にどうするもんなのだろう……なあんにも考えられなかった。そこまでに至るまでもいろいろな面倒なことを決めて、やっとたどり着いた東京での最後の時間だった。どうしたらよいだろうと親、仲人さんと話し合い、式は予定通り行うことにし札幌に向かい、まずお姑さんになる人の元に見舞いに行った。医者は、このままベッドで安静にしていても骨はくっつくけれど年齢が高いので手術をして早くベッドから離れた方がいいだろうという診断で、式の翌々日にやりましょうという話になった。そのため予定していた新婚旅行はとりやめた。

なんとボケないために受けたこの時の手術で、姑はぼけてしまった。手術室から出て来た時の様子が違った。普通は疲れた様子はみせてもはっきりとしているものだが、この時の姑は朦朧として反応が無かった。とんでもない状況になっていた。意識のない姑に「何でもいいので声をかけて下さい」と言われた。好きだという踊りのテープを流し声をかけ続けたが、私はその日までに姑とは何回かしか会っていなく、何を話していいのかもわからず、ただただ自分の毎日の出来事を話していた。やがてゆっくりと戻ってきた意識は、すっかり頓珍漢だった。モノをとられたという妄想がひどく、一度いいだすと手に負えなかった。パートで働いていたのだが、その給料を盗まれたと病室中探しまわらされた。旦那は息子ということがわからず姑の弟の愛称「もっちゃん」と呼ばれた。骨がくっつきリハビリが始まると、今度は徘徊した。柵をつけられたり、拘束したり、ナースセンターの近くにベッドを置いたり病院側もいろいろやってくれたが、ある日行くとベッドが取り払われ床にマットレスを置かれていた。勝手にベッドから抜け出そうとして落ちて、今度は手首の骨を折っていた。そうして、とうとう病院から追い出された。あとは通院でいいでしょうという一言だった。若いころからの持病があり長年その病院に世話になっている舅は、理不尽に思えるその病院の対応を受け入れた。

つづきはまた・・・

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