教育史研究と邦楽作曲の生活

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目次詳細(研究する教育者を目指す? 第10~13章)『教育の理論②教師・保育者論―研究する教育者』Kindle版

2022年05月27日 19時57分00秒 | 目 次
 やっと週末…皆様お疲れ様です。私は余裕がなさすぎて自転車操業状態です。

 さて、ズルズルと引き延ばしているような感じで失礼しておりますが、テキスト第2巻の第2部の紹介をさせてください。これで既刊の紹介は完了です。
 第2巻は教師・保育者のあり方を論じる巻ですが、第2部は副題にある通りに「教師・保育者=研究する教育者」を目指すために必要な知識として、教育学研究や教育研究の基礎基本を論じています。教師・保育者は日々変化する人間を相手にし、様々な課題を乗り越えようとする中で進む成長を支援する職業です。そのため、常に課題に直面し解決する必要性に迫られることになります。その際に課題発見・課題解決に取り組むことが必要になりますが、この課題発見・解決の行為こそが研究です。教師・保育者とは保育士・幼稚園教諭・小学校教諭・中学校教諭など様々な職種を指しますが、課題発見・解決のための研究が必要な仕事であることはみな同じです。これらの職種を一括してとらえるために、本書では「研究する教育者」という言葉を使っています。
 第2巻の第10章は教師・保育者の研究とは何か、どのような意義があるかについて論じます。第11~13章は、研究の基礎基本として、研究テーマ・課題設定と、文献検索・調査、レジュメ・論文作成、研究発表・質疑応答について、その意義と基本的な方法について論じています。なお、具体的な研究方法には様々なものがありますが、本書で取り上げる方法は本当に基礎中の基礎、どんな研究でも必ず行うべき方法について論じるにとどまっています。多様な研究方法について学びたい場合は、それぞれの専門書をご確認ください。本書は、教師・保育者にとっての研究の意義とその基本的な方法について学び、「研究する教育者」のスタート地点に立つことを目指しています。


白石崇人『教育の理論②教師・保育者論―研究する教育者』Kindle、2022年。

……
(第1部 教師・保育者論)
 第2部 教育学入門
第10章 教師・保育者はなぜ研究するか?
 1.教育学研究と教育研究
 2.教師・保育者にとっての研究の意義
 (1)問いをもつこと
 (2)教育・保育をつくるカリキュラム・マネジメントの基礎
第11章 研究テーマと課題の設定
 1.研究テーマの設定
 2.課題設定の方法
第12章 文献検索・調査・レジュメ作成・論文作成
 1.文献資料の検索
 (1)資料の出どころに注目する必要性
 (2)資料調査・文献検索の方法
 2.文献資料の調査・レジュメ作成
 (1)文献資料の調査
 (2)文献資料のレジュメ作成
 3.論文作成の基本的な注意点―引用と考察
第13章 研究発表・質疑応答
 1.研究発表・質疑応答による研究成果の質向上
 2.研究発表と質疑応答の方法
結 章
以上
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5 コメント

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“教育研究とは”? (作って遊ぼう)
2022-06-04 17:15:53
 作って遊ぼうと言います。以前コメントしたものです。自身としても興味深い“教育研究”についての記述でしたのでコメントさせてください。
 私も教育現場におりながら考えた教育実践をやってきました。学級担任としては本年度の子どもたちの実態を踏まえて“学級目標”を定めたり、幾人かの個々の生徒の成長を目標を定めたりします。そしてその実践を生徒と一緒に一年間頑張ります。教科(理科)においては、これまでの反省を基にスパイラル的に教材研究・実践を進めていきました。ほとんどが教材の開発でした。例を2つ〔太陽の動きと黒点の観察装置〕といって、太陽をOHPスクリーンに投影します。〔廊下で、太鼓をたたいて音の速さ測定〕といって、スピーカーを廊下に2つ置いて、その間を通る音の通過時間をパソコンで計る装置です。発表は学級経営と教科経営を交互にやってきました。
 指導主事のときに教育研究の場を企画する仕事をしたことがありました。先輩諸氏は“教育研究論文”を募集しようと言われますが、私は“教育実践論文”でなければいけませんと主張しました。それは学校に勤めていては“研究”はできないのです。仮説を証明できる手立てがないからです。これまで見てきたどの研究発表も“こういう仮説でこうやったらこんな結果が出ました。”そして結果が良いところと改善の無いところと考察します。これでは証明したとは言えません。この一連の流れは一つの事例でしかありません。他の学校で同じようにやったからといって同じ結果が出るとは限りません。学校ですから“子どもたちの成長”という結果を求めて先生方が発表の文章には現れない実践をされていると思います。
 大切なのは“よりよい実践”だと思います。子どもの成長のためにはどうすればいいかを念頭に置いて“どうするか”を常に考えながら実践を積み重ねていく。“どうするか”=仮説であるとすれば、常に状況を把握して“仮説”がダメであれば“新しい仮説”を考え実践する。失敗は許されません。そして成果を生徒とともに称え合います。
 このことは、教育現場だけでなくどんな職場でも同じことだと思います。市役所の職員も市民の幸せを求めて日々最良の“実践”を求めて努力を重ねています。会社員も農業者も・・・・etcも同じです。これを一般には“創意工夫”と表現するのが普通ですが、教育現場だけなぜ“研究”と表現するのでしょうか。“研究”では決してないと思います。
 勝手な思いを書かせてもらいましたがお許しください。元教師のたわごとかもしれません。
Unknown (白石崇人)
2022-06-05 22:47:10
いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
お取り組み、興味深く伺いました。毎日の実践のなかでの「創意工夫 」について、その価値付けを問われたのではないかと推察します。教育に限らず、どんな職種でも「創意工夫」をして創造的に仕事されています。教育上の「創意工夫」をわざわざ「研究」と称するのは、明治から実践現場で使い続けられているかなり歴史の長い用法です。時代に応じてその含意は異なります。戦後は、政治や経済の論理に飲み込まれがちな教育実践を自律的にとらえるために、科学的な教育研究が目指されてきました。特に1960〜80年代は授業研究の科学化が盛んに試みられました。教職を専門職にするためにも授業や指導の科学化は必須でした。1980年代頃に、教育現場で、仮説検証型の教育研究方法が定型化しています。先輩の先生方はそういう雰囲気のなかで「教育研究」にこだわっていらっしゃったのではないでしょうか。
今となっては、科学的研究は仮説検証だけではありませんし、政治や経済と教育の関係も根本的に見直し、かつ教職の専門職化も他職種との連携を大前提にして進めていかなければいけません。私が教師に教育研究が必要だと考えるのは、皆さんの「創意工夫」を継続・蓄積可能なものにし、問題解決の質をより高めて、子どもたちの学習権保障を確実にしていくためです。今やこれまでの質が低いという意味ではなく、もっと高みを目指しましょう、という意味です。質を高める方法は色々ありますが、少なくとも、教育研究における先行研究(先行実践)の整理や現状分析の吟味のレベルを上げ、公開して研究交流を活性化していくことが必要だと思っています。
現場での研究は、実践のための研究、子どもの成長のための研究でなければなりません。論文は書くがあえて「研究」の文字を使わない、という取り組みはその意志の現れとしてとても貴重な取り組みだと思いました。とはいえ、私は日常的に繰り返される実践の「創意工夫」が、先行研究(先行実践)として積み上がっていくには、やはり「研究」となり、学問・文化として他や後の世代につながっていく必要があると感じます。
お相手をしていただきありがとうございます。 (作って遊ぼう)
2022-06-06 17:00:42
 お忙しい中にお相手をしていただきありがとうございます。
 教育研究の時代的背景を教えていただいたことは十分わかっているのですが、割り切れないというか自分自身は研究とは言いたくないというのが心境です。偏屈爺さんです。
 若いとき(30数才)は理科サークルを小学校の同僚と二人で呼びかけて15人ほど集めて月一回の勉強会をしていました。その時は“研究”という言葉で表現していたと思います。若い先生から授業や学級経営の悩みを聞いて、それこそ創意工夫を出し合っていました。解決が難しいときは当時校長先生をしておられた先輩に顧問のようなことをお願いしたこともありました。その先輩の指導案を見せてもらったときは授業で児童が活動する様子が目に映るようでその衝撃は今でも忘れません。
 実践の積み重ねが教育の進歩につながっていくことは明らかです。私の実践の発表は「自分の生徒だけのものではなく、広く皆さんに知って役立ててほしい」という思いでした。発表した内容が教科書に採用されたことがありました。指導主事で授業の指導をしますが、その折、授業の若い先生がそこのところを授業されて「こうすると生徒の理解が格段とよくなります。」と自分で考えたように説明していました。実は指導書に実験のノウハウを私が詳しく書いていたのです。その時は何も語りませんでしたが何とも嬉しい思いがしました。
 児童生徒の成長につながらない“研究”がいっぱいあります。“研究”という取り扱いなので、創意工夫や実践がなおざりにされている(こともある・ことが多い)思いです。授業ひとつとっても“新たな試み”だけではなく、児童生徒とどう接するか、授業を役者とシナリオと(私は)表現しますが、指導案を児童生徒を前にして、教師がどう演じるかは“心”や“教育技術”が必要です。先生方が子どもたちの成長のため(児童生徒の学習権)に働くにはここが大切と思うからです。“研究”と銘打って取り組まれるのでこのような間違いが起こると考えに至ったのでした。
 素晴らしい研究もいっぱいありますが、そうでない“研究”のための研究があります。
 何とか“ひとり”でそんな研究をされている若い教師に、この考えを伝えてきました。

 こんな感じです。書き始めは穏やかにスタートしましたが、最後は“本音”になってしまいました。お許しください。


 
  
Unknown (作って遊ぼう)
2022-06-07 18:14:14
 再び作って遊ぼうです。ご迷惑かと思いますが、もうひとつ《研究》の柱が私にあります。それは中学生の自由研究です。教職生活の34年間力を入れてきました。30代の時には 日本一の自由研究の学校 とじしんよ子どもたちに呼びかけて取り組んでいました。7月になると《研究》についての説明から始まります。生徒はひとりまたはグループをつくって研究計画書を作成します。勿論、私と協議して現実的な計画にします。「研究は自分の力を総動員して知りたいことを探す作業です。知的好奇心は誰でもありますから、理科の成績には関係ありません。だれにもできます。勿論あなたにも。」という感じです。
 夏休み中は自身の動静を生徒たちに公表して相談を受けます。私も教材研究のかきいれどきですからできるだけ学校にいます。
 求めがあれば他校の専門の先生を紹介してつなぎます。他校からも私を求めて相談にのったりもします。「⚪⚪さんが参加してくれない。」というような相談もあります。できれば自力解決できるよう努めます。9月は発表会です。全て取り組んでくれたことは誉めること以外にありません。いいところを見つけて「すごい」と言います。10月は地方展県展ですから、優秀作品を追加研究したり書き直したりと生徒に頑張ってもらいます。ほとんどの生徒は選ばれたことにプライドを持って取り組んでくれます。4月から半年間の研修で学校にいないときがありました。9月の終わりに学校に帰ってくると、全校生徒が自由研究をやっていて「先生、自由研究を見てください。やりましょう。」と言ってきました。嬉しいですね。生徒指導で問題になっている生徒もちゃんと仲間にいれてやってくれていました。そんな子ほど誉めることには弱いです。頑張って取り組んでくれます。私の提案で学級研究、学年研究を始めました。その地域の気象と川です。「ここの川や天気は誰も研究していません。誰もその特徴をまだ知らないんです。みんなで研究しましょう。」川はいろんな切り口がありますからあるクラスは「川の流れ」「川の生き物」
「川の水温」「汐留の堰がなかったら」「川の石砂の大きさ」色々研究をしました。天気は温度計を学年のみんなが持ち帰って朝夕時間を決めって測定します。家族の協力もいっぱいあります。お盆近くの1日は終日一時間毎に記録します。できなかったからと言って攻めることはありません。みんながデータを集めるとすごいことがわかります。地域別の特徴が明らかになります。
 《研究》は主体的に学ぼうとする生徒を育てます。
 指導主事も終わって教頭の時大学のある町に引っ越しました。買い物の帰りに「あら、先生、私は理科の成績は2でしたが、自由研究は好きでした。今、大学にいっているのはあの自由研究のお陰です。」と言ってくれました。「友達と先生の話をする時に『♪流紋、安山、玄武岩、火口、センリョク、ハンレイ岩、石英、長石、黒雲母♪』を合唱するんですよ。他にも頭にいっぱい入って忘れません。先生の生徒の証です。高校の理科もよくわかったし、大学の入試でもいい点が取れました。」と言ってくれました。自由研究の成果として嬉しいですね。

 教育研究は、実践・児童生徒の具体的な成長を裏付けとした研究であってほしいですね。

 これからの先生をよろしくお願いします。
Unknown (白石崇人)
2022-06-09 07:17:12
作って遊ぼうさん、たくさんの情報提供ありがとうございました。忙しくしておりまして、丁寧な返信がすぐできず、失礼しますが、まずはお礼と少しでも返信しなければという気持ちです。
お話をうかがっで、先生の教職への想いがよく伝わってきました。「研究」といいたくない気持ちが、いわゆる「研究のための研究」への批判であることもよくわかりました。教育研究は問題解決であると私も思います。
また、「研究」はむしろ生徒たちにしてほしいことだ、という想いもよくわかりました。探究のなかでの学習や自ら学ぶよろこびを大事にすること、私も同感です。
その上で私の考えを申し上げると、学術研究や学問もすべてが個人的な趣味や問題解決から離れた「研究のための研究」ではないと思います。また、すぐ生徒たちの成長につながらなくても、研究を積み重ねることで(体系をもつことで)生徒たちの成長につながる研究もあります。気を付けるべきは問題設定・課題設定であると思います。教師の教育研究(教育学研究)は、何のために研究しているかをよく考え、生徒たちの成長につなげていくことを忘れないことが大事ですね。
学生たちの研究をたくさん指導してきた経験から申し上げても、問題設定・課題設定は自然にできるようにはなりませんので、その能力と技能を育てる必要があります。教員養成・教師教育の使命の一つだと思って、これからも意識的に取り組んでいきたいと思っております。
また一つ思考がクリアになりました。私こそ、いつもお相手ありがとうございます!

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