教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

日本教育史の専門用語の英訳と「教育学」という日本語

2024年02月27日 19時06分00秒 | 教育研究メモ
 先日英語論文の拙稿が公表されましたが、英語論文を書いていた時の苦労話を一つ。
 当前といえば当前なのですが、日本教育史の専門用語の英訳には大変苦労しました。まず過去の文部省や諸機関のつくった史料の英文などから引っ張ってきて訳してみましたが、先方の編集の先生から、「ここでその語は使うべきじゃない、その意味では理解できない」というコメントをいただくことがありました。そうなると、現代において意味の通じる英訳を目指すのですが、歴史的な意味まで正確に捉えて訳すのはとても難しい。歴史的な用語、しかも日本教育史の用語を英訳する際に参考にできる資料が少ないなか、国立教育研究所のつくった『日本近代教育史に関する専門用語の英訳語標準化についての調査研究』(1992)という報告書はとても役立つのですが、それでも英語で教育史研究をしている研究者から指摘を受ける場合がありました。英文校正の際も、担当者が変われば違った訳になってしまうこともあって、本当に苦労しました(私の文章が悪いせいもあるでしょうね)。
 どの語を使うかは常に問題で、最後まで迷いました。まず、研究対象であった東京帝国大学の文科大学の訳に困りました。のちに文学部になるので、まず文学部の英語表記を考えたのですが、今の文学部の英称はFaculty of Lettersですけれども、史料にはFaculty of Literatureと書かれているんですよね。(拙稿では後者で書いていますのでご注意ください) 中等教員養成史研究では必須の用語となってきた「教員検定」の語も、英訳に苦労しました。日本語では「検定」一つで済むことが多いですが、無試験検定やら検定試験やらがありますので、言葉を選ばないといけない場面が多々ありました(それこそ「検定ってなんだ?」という悩みと葛藤の連続でした)。
 今回の執筆中、何より一番困ったのが、「教育学研究」の英訳です。吉田熊次のいう「教育学」は、今回取り上げた部分では、多くの文脈で教授学的な意味合いをもっていたので、大事な場面でPedagogyをよく使いました。しかし、文脈によっては社会的教育学や教育哲学、教育科学的な意味で使っていることもあって、語の選択にとても困りました。そういうときは educational studies and research 等を使ったのですが、吉田は一貫して「教育学」を使っているわけです。しかも、ただの「教育の研究」としての意味ではなく、「教育学の研究」として特別な意味を込めて議論していて、「ここの訳って本当にeducational studiesでいいのか?」と常に困っていました。副題に pedagogical research なんて語を使っていますが、これも悩んだ末の結果です。(既存の体系的知識の講義ではなく)学生自身が教授法を科学的に研究することを通して中等教員養成を進めるという吉田の主張を織り込むと、studiesというよりはresearchかな、という判断になったわけです。
 語の選択はもっと議論すべきだろうと思います。今進んでいる研究のグローバル化の状況を考えると、日本教育史の研究ももっと外国語でも発信していかなければなりません。AI翻訳がこれからもっともっと進化していくはずですが、専門用語は専門の学者がちゃんと訳さないと、そもそもAIも学習できません。拙稿がたたき台として多少なりとも役立てば幸いですが…。

 苦労ばかりでなく、教育学者として貴重な気づきも得ました。最大の気づきは、「教育学」という日本語の特徴についてです。
 上でも書きましたが、今回つくづく実感したのは、日本語の「教育学」が単一の語として英訳しにくいということでした。「教育学」という日本語がもつ意味内容を重視すると、簡単に英訳できないのです。イギリスの教育学史を読んでなるほどと思ったのですが、イギリスの教育学は伝統的に哲学・歴史学・心理学・社会学による教育の共同研究の傾向が強いようです。日本の教育学にもそういうところはありますが、かといって、複数の学問領域の寄せ集めだとは割り切れない部分も確実に存在します。「教育学」という日本語は、英訳する上でとてもやっかいな語であるゆえに、とても興味深い言葉なのです。これは、一つの学問としての教育学のアイデンティティにも関わる問題だと思います。そういうことに気づけたのは、私が20世紀初頭日本の教育学史を丁寧に研究してきたからだと思います。そうでなければ、些末な問題と割り切って、悩むこともなかったでしょう。
 日本教育学史の研究って、先人たちが「教育学」という日本語にこめた想いを読み解いていく研究なのかもしれませんね。教育学史って、そういう大事な分野だと思いました。



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20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割

2024年02月22日 19時19分06秒 | 教育研究メモ
 年始にほのめかしておりました英語論文が公開されましたので、お知らせします。

 2024年2月20日、「The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University」と題しまして、イギリスのthe History of Education Society(教育史学会)の研究誌「History of Education」(Taylor & Francis=Routledge社)に掲載されました。まだ紙の論文としては公刊されていなくて(そのため掲載巻号は不明)、ウェブ論文のみの公開です。他の論文を見ていると、紙冊子での公刊はまもなくすぐの場合もあるし、年単位でウェブのみという場合もある様子。よく特集を組んでいるので、編集の都合なのかな。
 オープンアクセス論文にはできませんでしたので、読んでいただくには、大きな大学などの図書館にいくしかないかな、と思います。ごめんなさい。オープンアクセス権の金額を見たとき、目玉が飛び出るかと思いましたので勘弁していただければ幸甚です。

 おおもとは2022年8月の日本教育学会のラウンドテーブルで発表した内容。これを英語論文用に大幅に改訂して、投稿したのが2022年11月。2023年3月に査読結果が送られてきて「resubmit」を要求されたので、5月に再提出。その後、さらに改訂指示が2回あった後、8月1日に「accept」が出ました。そして、長い沈黙のあと、2024年1月に出版契約、2月に校正を経て、先日ウェブ公開になりました。いったんまとめてから約1年半。体感時間はとても長かったのですが、下手をすると2~3年かかるとも言われていたので、結果的には短かったかもしれませんね。
 提出から公開まで、すべてオンラインで進められました。本当に手続きは合っているのかな…と常に不安でしたが、結果的にとても便利でした。

 論文構成は以下の通りです。

The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University
(20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学における教育学研究」論に注目して)
Introduction
(はじめに)
Reform of Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan
(20世紀初頭日本の中等教員養成改革)
The Secondary Teacher Training Curriculum at Tokyo Imperial University in the Early Twentieth Century
(20世紀初頭における東京帝国大学の中等教員養成課程)
Challenges in Secondary Teacher Training in Colleges
(大学における中等教員養成の課題)
Secondary Teacher Training and Pedagogical Research in College
(中等教員養成と大学における教育学研究)
Challenges in Secondary Education and Methods of Secondary Teacher Training after the First World War
(第一次世界大戦後の中等教育の課題と中等教員養成の方法)
Conclusion
(おわりに)

 https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985

 20世紀初頭の日本において、東京帝国大学文科大学・文学部の中等教員養成課程では、教育学関連科目が必修とされました。当時の東京帝国大学(文科大学)における教育学の制度化を主導していた吉田熊次は、教育学の科学的研究は、大学教育の目的だけでなく、時宜にかなった中等教員養成のためにも不可欠であると考えていました(この事実がそもそも新知見かと思います)。本稿では、吉田の理論を通して、20世紀初頭の日本が東京帝国大学において、中等教員養成と教育学をどのように結びつけようとしたかを明らかにしました。特に、1905年の文科大学の中等教員無試験検定の条件改正の運用、そして1920年の文学部教育学科設置時の条件改正の意義について考察する際の留意点を解明できたと思います。単位数だけでいうとわずかな数ですが、そこに込められた意味は、アカデミズムの教員養成観とは異質の意味で解釈しなければならないことがわかりました。
 ほかにもいろいろな新知見がちりばめられています。英文の上に手に入れにくいので、ちゃんと読んでいただくのはお手数をおかけしますが、読んでいただければ幸甚です。


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