教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

2023年のまとめ

2023年12月29日 23時55分00秒 | Weblog
 2023年が暮れますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 今年もいろいろありましたが、終わってみれば面白い成果を残すことができました。大学教員としてのお仕事、すなわち教務委員長やチューター、必修科目主担としての仕事は、振り回されつつしっかりこなしてきました。父親業でも新しい経験ができました。わが子の通う園で、コロナ禍で中止されていた運動会と生活発表会が復活し、成長した子どもの新たな一面を見ることができました。

 研究面での仕事についてもしっかり進めてきました。今年の研究は、おおよそ2種類の成果がありました。
 第1に、「教育学としての教育史」というコンセプトのもとに、これからの教育史の方向性を構想し始めました。学問の社会的機能には「研究」と「教育」の2つがありますが、それぞれ「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」(2023年3月)と「現代日本における教育史教育の課題」(2023年12月)の2つの論文でアウトラインを引きました。後者の論文はPDFのウェブ公開までまだ時間がかかると思いますが、図書館を通してのコピーは可能だと思います(内容はそのうちここで紹介します)。
 第2に、教育学と教師の教育研究に関する歴史的研究について、徐々に形になってきました。興味深いのは、その一つ(昨年の日本教育学会で発表した吉田熊次の中等教員養成論の論文)が英語論文として外国の研究誌にacceptを受けたことです。論文自体は実は昨年末から取り掛かっていたのですが、今年の前半の研究時間もほぼこの論文の改稿で「溶けてなくなった」といっても過言ではありません。海外の研究誌はなかなか勝手が違い、いつ活字化するか不明なのですが、まあ結論は出たので、1年以内には活字化するだろうとゆったり構えることにしました。
 また、信濃教育会に文章を寄せられたことも光栄なことでした。20年続けてきた教育会史研究ですが、現在の教育界にアプローチができるなんて考えていなかったので、特別寄稿の話をいただいたときはとてもうれしかったです。

 来年は専門の研究をまとめて単行本にしていきたいな、と思っています。いろいろ研究範囲を広げてきたので、ちょっとずつ畳んでまとまりをつけ、その先に新しい道を切り拓いていきたいです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育学部の初年次教育としての公教育論の研究

2023年12月25日 23時38分00秒 | 教育研究メモ
 広島文教大学教育学部では、教育学科1年生全員に「教育学入門」という探究科目を必修とし、1年間を通して先行研究の整理を中心とした共同研究をさせています。本学科の卒業論文までつらなるカリキュラムのスタート地点となる科目です。本学科の教育上のねらいである様々な教育を「つなぐ」教師、「強味」のある教師を育て、私自身がこれまでねらってきた「研究する教師」を育てるための初年次教育の場としてきました。教育学部創立から実施を始めたので、今年で5年目の実施になります(私が主担当の科目です)。この科目では、学科教員全員からテーマとそのための参考文献リストを提供してもらい、私も複数テーマを出しています。そのなかから、学生は自分の興味のあるテーマを選んで、同じテーマを選んだ2~4人程度で集まって共同研究を進めていきます。
 この科目で私が出しているテーマの一つが、「公教育または公立学校とは何のためのものか」です。各テーマには難易度を設定して学生に知らせていますが、このテーマは一番難しい難易度にしています。本当に難しいのでそうしているのですが、毎回意欲のある学生が取り組んでくれます。今年度後期にこのテーマを選んでくれた学生は特に熱心でした。しかも、科目が終わったあとも自分でこのテーマでもう少し研究したい、と言い出した学生が現れたのは初めてでした。参考文献例として指定している先行研究は下記の4つなのですが、その学生から、4冊の選択意図とさらにおススメの本を教えてくれと言われたため、返信しました。その返信のためにそこそこ時間を使ったので、せっかくですから、その原稿を土台に少し記事にしようと思います。
 もし私の認識が違っていたり、他にもっといい参考文献があるようでしたら、ぜひコメントしてください。私だけでなくこのブログ読者の方々の参考にもなります。

 「公教育または公立学校とは何のためののものか」というテーマについて、私がいま1年生に指定している参考文献は以下の4つです。

 ・藤田英典『義務教育を問いなおす』ちくま新書、2005年。
 ・志水宏吉『学力格差を克服する』ちくま新書、筑摩書房、2020年。
 ・中澤渉『日本の公教育―学力・コスト・民主主義』中公新書、2018年。
 ・苫野一徳『教育の力』講談社現代新書、2014年。

 この4つの主要参考文献は、いわば「共生社会をつくる公教育論」とでもいうべき議論のうち、一般向けに開かれているものの代表的な作品だと思います。

 臨時教育審議会に典型的な構想が見られたように、1980年代以降、新自由主義的な教育改革が形を見せ始めました。英米でも似たような動向が日本より早く見られていたところでした。公教育論はずっと昔からありましたが、1990年代以降の議論を通して一定の方向性を見せ始めます。改革的な教育政策は、一般の教育サービス論などと共鳴して、いわば官民挙げて徹底されていきました。その代わり、これまでにない様々な問題が発生したり、懸念されたりするようになりました。特に、このままいくと1990年代頃から深刻化し始めていた格差社会に拍車をかけるのではないか、という指摘が強くなっていきました。
 教育社会学者の藤田英典さんはこの議論に早くから参加していた人で、2005年の『義務教育を問い直す』はその総まとめともいえる本です。21世紀の初期段階の論点を把握するのにふさわしいと思っているので、まずこの本を選びました。なお、もう少し前あたりから議論をおさえていきたいならば、初期の代表的な論者であった苅谷剛彦さんの本がおすすめですね。(『大衆教育社会のゆくえ』は必読です)

 その後、現在までの議論の中心に位置づくのが、志水宏吉さんだと思います。志水さんも教育社会学者です。志水さんは、特に、共生社会(これは勤務校の大阪大学などの影響もあると思います)をつくっていくために公教育を支えていこうという意図を明瞭に研究されていて、学者だけでなく教育関係者にもその内容をわかりやすく伝えようとされています。格差社会に拍車をかけるのではなく、能力主義社会(メリトクラシー)の良いところを生かしていくために何を問題として、何をすべきかについて積極的に発言されています。『教育格差を克服する』は、志水さんの理論の意図がよくわかる本なので、選びました。そのほかには、志水さんが編集に加わっている岩波講座「教育 変革への展望」の第1巻(教育の再定義)と第2巻(社会のなかの教育)がおすすめです。

 中澤渉さんは、志水さんの次の世代の教育社会学者です。外国の社会学理論を幅広く整理し、藤田・志水両氏が具体的に議論してこなかった「公教育費」という観点から議論していたので、選びました。また、現代日本の事実に即して「公教育」を主題にした一般向けの学術的な本はあまり見ないので、必読書だと思っています。そのほかに現代の公教育論(またはそれに関連するテーマ)を研究するには、耳塚寛明さん、中村高康さん、松岡亮二さんあたりが読みやすい本を出していらっしゃいます。

 最後に、教育哲学者の苫野一徳さんの『教育の力』を挙げました。苫野さんは、私と同世代なのですが、2010年前後に多方面で活躍を始めた人で、上記の人たちと比べるとかなりライト(?)な立ち位置にいる人だと私は捉えています。教育の個別化・協同化・プロジェクト化として、今の教育改革と共鳴する理論を立てています。共生社会をつくる公教育論にも通じる議論をとても読みやすいタッチで展開しているので、教育社会学の議論と異なる立場の意見に触れてほしくてこの本を選びました。苫野さんはたくさん一般向けの本を書かれていますが、『教育の力』を読めばおおよそ彼の教育改革論は理解できます。そのほかには、『「学校」をつくり直す』がおすすめですね。
 教育哲学の議論は学部1年生にはちょっと難しいことが多いので、なかなかおすすめしにくいですが、今の日本教育学会長の小玉重夫さんは現代的問題に関して新書を出されていますね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする