ひとり紫苑・プチプラ快適な日々を工夫

書籍「年金五万円が教えてくれたお金の向き合い方」「あるもので工夫する楽しい節約生活」は9万部。工夫の毎日は続く。

着物と女と長襦袢の色っぽい関係&理屈はいらないながら

2018-02-13 10:39:11 | 着物のいろは・おさらい

 

着物着るのに理屈はいらない~~と思っていますが、

「それは違う。こちらが正しいでしょう」と

あまりいつまでも、何度も言われると、

いや、ルールなんて誰が決めたの?と

こちら側の根拠を探したくなります。

 

かのTKさんのように、

「正解はない」と、

私がいくら言っても

説得力はないからねえ。

根拠あってこそ、でしょう。

 

で、

まずは先の「長襦袢はチラ見せ下着、だと思う」に


頂いた、とても貴重なコメントです。

ーーーーーーー☆ーーーーーーーー

亡くなった母が瀬戸内寂聴さんの小説だったかを読んでいて、

昔は女性は、ある程度の年齢になると着物でも

地味な色合いのものしか着られなかったみたいです。
(あくまで一般の女性の場合)
ある程度の年齢といっても、

40代くらいだと女盛りの年齢なわけで、

夜の生活はあるわけです。
長襦袢の華やかさはその為のものだというわけです。
チラ見せの色気よりもっと踏み込んだ長襦袢の効用ですね。
母は多分、年を取っても長襦袢が派手でも構わないことを

不思議に思っていたのだと思います。

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この小説、「妻と女の間」かと思っていましたが、

違うかもしれません。

この小説読んでいないので。

ただ、瀬戸内さんの「妻と女の間」を

市川崑監督が映画化しているのを、

たまたま契約している局で見ました。

ストーリーより着物重視、私の場合。


それも「女と着物と長襦袢」の関係が

とてもよく描かれています。


 

厳格キビシイ母親がなくなって形見分けの場面で、

母親が大切にしまっていた

長襦袢を見つけるんですね。

そこには~~、


春画~~。


長襦袢は奥ゆかしくも

密かな女性の願望を象徴する

存在でもあったのですね。

 

襦袢だけではなく、補正についても、

「芸者さんは補正はしない」と。

それにかの山口智子さんも、

きものを脱いだ時でも美しくありたい

だから補正はしたくない、

とおしゃっていました。

高価すぎるカジュアル~山口智子さん」

タイトルはちと違いますが、山口さんの言葉が。


着物は重ね着といって、

表の着物と長襦袢が合わさって

はじめて美しさを表すもの。


書店で見つけたのはこんな本。

「きもの文化と日本」

着物の棚で見てはいたのですが、

着物本、活字よりやはり写真でしょうと

敬遠してた。

でも、手に取ってパラパラ見ると

まさに今のテーマが(笑)。

着物に理屈はいらないけど、

一応押さえてておくと、

いろいろ言われても、

強気でいられます(笑)。


ここには、

着物れ自体が「下着がルーツだった」とも。


で、大きな課題?

「ルール」については、


 

「ルールは本当に伝統なのか」との一章が。

はい、このタイトル自体、ルールではないよと、

言ってますね(笑)。

では、その根拠は~~。

長くなるので、またすぐにアップしますね。

 

というわけで、今回は

女ときものと長襦袢の色っぽい関係、

紫苑には無縁ながら、一応押さえておきました。


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コメント (4)
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