人の感じる「美しさ」ってこんなにも違うものか、
と思うことがあります。
苔(こけ)!に美しさを感じて
日本に住み始めたという外国の方や、
割れた茶碗に美を見出す美意識~。
身近では、私がメチャ可愛い、きれい、
と感じるものを娘や友人は
「どこがいいのかわからない」
と言うこともあります。
この「美」への感性が育つのは、
環境が大きいと思いますが、
同じ環境でもまったく違う反応
をすることもあります。
最初に「これは美しい」と感じ、
それを多くの人が「そう思う」
ようになるまでには長い時間と
学習が必要なのかもしれません。
そんなことを考えたのは、
松本民芸館に入ると、
いきなりこんな文章に出会ったからです。
「美しいものが美しい。
では何が美しいかと申しますと
色とか模様とか型とか材料とか色々あります。
その説明があってものを見るより
無言で語りかけてくる物の美しさを
感じることの方が大切です。
-物の持つ美を直観で感じてください」
松本民芸館を創った丸山太郎氏のことばです。
工芸店を営んでいた彼は
「民芸運動」に共鳴し自らの手で、
自分が美しいと思うものを集めたのです。
館のなかは、
本当に美しいものばかりです。(撮影自由です)
櫛
刺し子
この背負子!
しかしですね、この背負子の美しさを
娘は果たして感じるでしょうか。
話したわけじゃないけど、
おそらく「美しい」とは言わないのではないかな。
私だって、これが実際に使われていたときに、
「わあ、この背負子、きれいだわ。
これを私が使っていいんですか。
汚れるわ。ももったないないわ」
とは言わない。(労働拒否かと思われる?)
でも、実際に使っていた人たちは、
ことばにはしなくても、
この背負子の美を感じることで、
労働の辛さを耐えていたのではないでしょうか。
そう、美とは人にパワーを与えるものを
言うのかもしれません
だからこそ、普段使っているものに美を見出すのは、
それが身近なだけにかえって難しいような気がします。
沖縄モンや上布などに
目の色を変えてしまいますが、
それも民芸運動の人たちが
「これは素晴らしい」と伝えていき、
その美をようやく理解できる
ようになったからですね。
工芸館のあとに行った実売のお店。
どんなものでも最初に
「美」を見出す人ってすごい
それを才能っていうんですね。
才能のない私は、
まずはパワーをくれるもの=美を大事にして、
せっせといろんなものを見て、
もっとたくさんの美を
感じ取れるようになりたい。
それって自分のパワーが
増すってことですものね
娘にもせっせといいものを見て、
いい男を選んで欲しい~、あれ、違いますね
娘が同行してくれたお蔭で
民芸品をまた違う目で見ることができました。
感謝
着用したのは、縮んだお召
「絹芭蕉、自分で洗ってみました」のときの失敗例のお召
アンティーク・ショップで千円くらい!で購入した明石縮。
この二つを合体。
これに美を見出すのは私くらいなものだろうな
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