思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

日本的近代人

2010年07月23日 | 哲学

          (写真:昨日の出勤時の常念岳です)

 連日の暑さで山の残雪はほとんどなくなりました。先週の連休から夏山に上る登山客も増え、落雪事故に遭遇しなくられた方も出ています。

 梅雨後の山、特に集中豪雨などの大雨の後の山は、沢の堆積する岩石の状態は不安定で、登山道は当然沢を利用しますので足元を注意しなければなりません。また斜面の上部からいつ落石があるかもわかりませんので、落石音には十分注意する必要があります。先を急ぐのではなく、ゆっくりと周辺の地形を観察しながら登る、これが今のシーズンの鉄則です。

 さて今朝の話になりますが、本当に朝鮮半島がきな臭いのか、単なる互いの政治的駆け引き、けん制なのか分かりませんが、朝鮮半島の戦争が起きても不思議でないような報道がされています。

 対韓航空機爆破事件の北朝鮮元工作員の来日、拉致被害者との面談が行われました。いまだに不法な拉致誘拐を継続している北朝鮮に対する制裁措置、平和外交が一番良いのでしょうが有効策は中国がこのような国を作り上げた責任を自覚し優秀な工作員を送り込み軌道修正を行うが一番ではないでしょうか。

 政局の不安定の中、憲法改正も活発になってきそうです。世界遺産的な憲法9条、イマジンの世界も持ってもらいたいのですが、きれいごとのみ、反米思想に裏打ちされた思想的背景の「国民は」的な「みんなのバカ」だけは論外にしてもらいたいものです。

 さて今朝は、群馬県上野村に住む哲学者内山節先生の『正常な精神』(信濃毎日新聞社版)から「日本的近代人」について紹介したいと思います。

 私は時々内山先生の思想を紹介しています。それは思考する機会を多く与えてくれるからです。正しいか正しくないか、それは個人がしっかり勉強し咀嚼するすることであって、与えられた以上自分の身体で消化してもらいたいものです。

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(同書p182~p184)

日本的近代人

 近代社会は、個人を基調とする社会としてつくられた。個人が一人一人バラバラになって生きる社会といってもよいし、個人の尊厳を大事にするという理念によってつくられた社会、と考えてもよいだろう。
 
 だが、近代以前の社会に個人が存在しなかったのか、といえばそうではない。たとえば平安時代に紫式部によって書かれた『源氏物語』をみてみよう。主人公の光源氏や登場人物たちは個人として描かれている。個人であるがゆえに生じてくるさまざまな苦悩や喜び、悲しさが、この小説の題材でもある。
 
 鴨長明の書いた『方丈記』も個人の苦悩が描かれている。ただしこちらは、「都」のシステムからはじきだされてしまった個人の苦悩で、自分を受け入れない「都」に対するうらみ、つらみが書かれている。個人の深い悲しみを表現していく『源氏物語』とくらべると、『方丈記』の個人は私には薄っぺらにみえる。個人としての存在のなかに苦悩があるのではなく、社会に受け入れてもらえない個人のいきどおりしか、この本からは読めないからである。
 
 そういう違いはあっても、『源氏物語』も『方丈記』も、個人として生きる人間の姿を描いていることに変わりはない。ところが武士の世界を描いた文学になると様子が変わってくる。たとえば平将門について書いた『将門記』をみても、そこで描かれているのは将門個人というよりも、武家の総領として、武士の共同体とともに生きる将門である。いわば共同体の代表として、将門は登場する。そして共同体の代表として死を受け入れる。

 歴史を振り返るなら、次のように考えたほうがよいのだろう。古代社会においては、支配階級である貴族たちのなかに、人間を個人としてとらえる思想が生まれていた。しかし普通の民衆はおそらくそうではなかった。自然とともに、共同体とともに人間は存在していて、自然や共同体と共に生きてこそ人間だった。だから農村を根拠地とする武士の人間観も、民衆のそれに近いものになる。
 
 もっとも江戸時代になると武士が農村から離れて城下町に暮らすようになるから、民衆と武士の人間観は分かれていくのだけれど、中世までの武士は一族郎党と共に生きる武士だったのである。

 それは次のことを示している。人間が自然や共同体と共に生きているときは、個人を独立したものとしてとらえる思想は生まれない。自然や共同体という「他者」があってこその個人なのである。ところが人間が自然や共同体から離れていくと、人間に「自分だけの世界」が現れ、それが『源氏物語』では深い悲しみとして、『方丈記』では社会に受け入れられなかった個人のいらだちとして描かれていく。近代が個人をつくりだしたのではなく、自然や共同体から離れた人間が、個人という心性をつくりだした。
 
 その個人は、自分を何よりも大事にする。自分を守ることを、である。
 
 戦前の日本の社会で生まれていたものは、みんなと共に生きるという一面と、自分自身のために生きるということとの奇妙な統合だったのではないかと思う。といっても、「みんなと共に生きる」という側面も、明治以降の近代化のなかで変化していた。近代国民国家が形成されていくにしたがって、自然や共同体という「みんな」から、国家の一員としての「みんな」に変わった。国家のために生きることが、「みんな」のために生きることに変容したのである。
 
 他方、自然や共同体から離れ、都市に暮らした人々はもっと自己中心的だった。自分自身が生きるために、自分自身を守るために、あるいは自分が出世していくために、戦争という流れに同化していった人がいかに多かったことか。太平洋戦争の渦中では、「この戦争は誤りだ」とか「この戦争は敗ける」と裏では言いながら、実際には戦争を支持し、参加していった人たちが多かった。自分自身のためにそうしたのである。その意味では個人の社会は、戦争への個人の抵抗をほとんど生みださなかった。
 
 近代国家の形成によって、「みんな」のために生きることが国家のために生きることに変わり、他方で個人の社会の成立は、自分が損しないように生きることを最優先する人々を生みだす。そしてその両面をとおして、戦前の戦争体制は確立していった。それが近代以降の時代の現実である。

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 みんなで田舎暮らしをしてのんびり生きようという話ではありません。みんなで生きる以上はみんなのことも思って生きなければならないことです。

 自分の居場所を、自分の立場、背負っているもの、そういうものをしっかりと掴み、自分を忘れないことです。

 親を忘れないこと、教育者であることを忘れないこと、国家公務員であることを忘れないこと、お互い様のご近所の中に生きていることをわすれないこと、忘れちゃならないことがたくさんありますが、みんなで忘れないようにしなければ、この国はもっとよくなる気がします。

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