ツイッターを覗いていると「右翼」とか「左翼」といった言葉を、よく見かけます。
右翼とか左翼というのは、もともとはフランス革命後の議会で、
保守派が右側の席に座り、革新派が左側の席に座ったのが語源と言われていますが、
今では街宣車に乗っている人がウヨク、共産主義がサヨクといった使われ方をされているようです。
(ウソです、いろいろな使われ方があるということです!
実際に街宣車に乗っている人たちは、日本人以外の方が大半だそうですが)。
わたし自身は、右でも左でもあまり極端な考えは好きでないのですが(キッパリ!)、
ときに「ウヨク」と言われることもあって、「うーん?」と思うこともあります。
ブログでは南京事件に疑問を呈していたり、フジテレビやNHKの偏向報道を批判していたり、
死刑廃止論に真っ向から反対をしていたり云々・・・。
そして、何よりも自分の国が好きで大事に思ってますから、
人によっては右翼に見えるかもしれませんが、わたし自身では常識論を述べてるつもりです。
ただ、人間というのは「常識論」とか「普通に考える」ということが、意外にできません。
たとえば死刑廃止論にしても、
これを主張する人たちは、「加害者に更正の機会を」とか
「人が人を裁いて良いのか」「国家による殺人」などという理由を並べます。
しかしながら、
加害者に更正の機会を → 殺されてしまった被害者は、加害者が更正したら戻るのか?
人が人を裁いて良いのか → じゃあ、誰が法を犯す人間を裁くのか。
神さまが裁いてくれるのか?
国家による殺人 → では、もともと人を殺したのは誰か?
加害者が人を殺すのは大めに見られ、国家が人を殺すのは許されないのか?
・・・という風に、ごく普通の市民の感覚に立ち返れば、
戦時下でもないのに、法を犯して何人も人を殺した人間を、税金を使って食べさせておくのは、
法治国家として如何なものかと思います。
サヨク系の人たちにありがちなのは、彼らの言う平等に固執するあまり、
人間の自然な感覚や感情に目がいかないことだと思います。
(死刑廃止論者はあまり右翼左翼に関係ないかもしれませんが、その傾向はあります)
さて。
左翼=共産主義とは、いちがいに言えませんが、
たしかに共産主義というのは、国や地域がまだ貧しい時にはうまく機能するシステムだと思います。
誰しも働きさえすれば、生活が保証されるという意味ですね。
ところが国が豊かになり、その国民に欲が出てくると難しくなります。
働いても働かなくても、収入が変わらないからですね。
(鄧小平が黒い猫でも、白い猫でも、ネズミを取る猫は良い猫だと言ったのが、
自国民のことをよくわかっていたのですね)。
大事なのが、この普通の感覚です。
男女は平等でないといけないから、着替えも同じ場所でしないといけない。
人間は平等でないといけない。
かけっこをして足の遅い子が傷ついてはいけないから、みんな手をつないで一緒にゴールする。
これは別の意味の平等に固執するあまり、人間が普通に持っている感覚を失ってる印です。
足の遅い子は、それで良いかもしれないけど、
走る以外に能のない子は、いったいどこで活躍すればいいのか?
ある意味、平等の押しつけ、ファシズムではないかと思えることもしばしばです。
先にブログで申し上げた障害者がおかす犯罪についても、
そういったものによる考えです。
みなさまは如何思われるでしょう。
画像は拙作「チャンドラとスーリア」。
チャンドラとはヒンディー語で月。
スーリアは太陽です。
長い事放置していたホームページですが、今月から大幅に改定する予定です。
お楽しみに!
右翼とか左翼というのは、もともとはフランス革命後の議会で、
保守派が右側の席に座り、革新派が左側の席に座ったのが語源と言われていますが、
今では街宣車に乗っている人がウヨク、共産主義がサヨクといった使われ方をされているようです。
(ウソです、いろいろな使われ方があるということです!
実際に街宣車に乗っている人たちは、日本人以外の方が大半だそうですが)。
わたし自身は、右でも左でもあまり極端な考えは好きでないのですが(キッパリ!)、
ときに「ウヨク」と言われることもあって、「うーん?」と思うこともあります。
ブログでは南京事件に疑問を呈していたり、フジテレビやNHKの偏向報道を批判していたり、
死刑廃止論に真っ向から反対をしていたり云々・・・。
そして、何よりも自分の国が好きで大事に思ってますから、
人によっては右翼に見えるかもしれませんが、わたし自身では常識論を述べてるつもりです。
ただ、人間というのは「常識論」とか「普通に考える」ということが、意外にできません。
たとえば死刑廃止論にしても、
これを主張する人たちは、「加害者に更正の機会を」とか
「人が人を裁いて良いのか」「国家による殺人」などという理由を並べます。
しかしながら、
加害者に更正の機会を → 殺されてしまった被害者は、加害者が更正したら戻るのか?
人が人を裁いて良いのか → じゃあ、誰が法を犯す人間を裁くのか。
神さまが裁いてくれるのか?
国家による殺人 → では、もともと人を殺したのは誰か?
加害者が人を殺すのは大めに見られ、国家が人を殺すのは許されないのか?
・・・という風に、ごく普通の市民の感覚に立ち返れば、
戦時下でもないのに、法を犯して何人も人を殺した人間を、税金を使って食べさせておくのは、
法治国家として如何なものかと思います。
サヨク系の人たちにありがちなのは、彼らの言う平等に固執するあまり、
人間の自然な感覚や感情に目がいかないことだと思います。
(死刑廃止論者はあまり右翼左翼に関係ないかもしれませんが、その傾向はあります)
さて。
左翼=共産主義とは、いちがいに言えませんが、
たしかに共産主義というのは、国や地域がまだ貧しい時にはうまく機能するシステムだと思います。
誰しも働きさえすれば、生活が保証されるという意味ですね。
ところが国が豊かになり、その国民に欲が出てくると難しくなります。
働いても働かなくても、収入が変わらないからですね。
(鄧小平が黒い猫でも、白い猫でも、ネズミを取る猫は良い猫だと言ったのが、
自国民のことをよくわかっていたのですね)。
大事なのが、この普通の感覚です。
男女は平等でないといけないから、着替えも同じ場所でしないといけない。
人間は平等でないといけない。
かけっこをして足の遅い子が傷ついてはいけないから、みんな手をつないで一緒にゴールする。
これは別の意味の平等に固執するあまり、人間が普通に持っている感覚を失ってる印です。
足の遅い子は、それで良いかもしれないけど、
走る以外に能のない子は、いったいどこで活躍すればいいのか?
ある意味、平等の押しつけ、ファシズムではないかと思えることもしばしばです。
先にブログで申し上げた障害者がおかす犯罪についても、
そういったものによる考えです。
みなさまは如何思われるでしょう。
画像は拙作「チャンドラとスーリア」。
チャンドラとはヒンディー語で月。
スーリアは太陽です。
長い事放置していたホームページですが、今月から大幅に改定する予定です。
お楽しみに!
今日のお話はわたくしも常々感じている『逆差別』というものですね。
以前、大阪府の知事さんが女性にもかかわらず土俵に上げろとのたもうたことを思い出します。『今は男女平等の世の中なのだから!!!!』
「平等」にこだわりすぎて、伝統や神事や、それこそ『自然の大いなる摂理(男女は違う作りなのだということも』を無視する言動に背筋が凍ったのを覚えています。
わたしは、女性には『土俵に上がらずに下から見上げて「お相撲さんかっこいい」と言って目をハートにする権利』があると思っています。特権です。
いつも「ひのまる にゃんこ」楽しく拝読しています。
たいへんな手間ですが、ぜひ続けていただきたいですね~♪
>(ここ笑うとこです)
笑っちゃいますね~。
>以前、大阪府の知事さんが女性にもかかわらず土俵に上げろとのたもうたことを思い出します。
>『今は男女平等の世の中なのだから!!!!』
ありました、ありました。
当時、わたしは会社員をしてまして、
会社のおばちゃんたちに「女を土俵に上げるべきではない」と言ったらヒンシュクを買いました。
「神事なんだから」と言っても、
トンネル工事だって、最近は女性を入れるというのが理由だそうです。
(山の神は女性の神ですからね~)。
そんなことをしてたから、日本はダメになったと思うのですが、
相撲界はさすがに未だに女性を土俵には上げませんね。
逆に男子禁制の場所だってあるんだし、
意味は違うけど、だったら女性専用車両なんて作るなって。
そもそも、ホントの相撲ファンの女性に土俵にそんなに上がりたいのか、聞いてみたいものです。
あのおばちゃん知事で、大阪はますますダメになったんじゃないかな。
なんて、女性を前にスミマセン!