小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

展覧会は11月第2週頃に開催予定です!

2018-07-31 17:30:52 | Weblog

母との二人展は11月第2週頃に開催予定となりました。
はっきりとした開催日は後ほど当ブログにて申し上げますが、1週間から10日を目安に開催です。

今までは、一日だけのイベントが多かったですが、日数が増える分、スケジュールが合わせやすくなると思います。
その時期より少し前に出版もその頃に上梓予定です。
今回はオールカラーの絵本になり、できれば原画もいくつか発表したいと思っています。

今、絶賛描き込みちうですので、どうぞ皆様、お楽しみに!

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「ジーニアス・ピカソ」のアントニオ・バンデラスが凄い!

2018-07-30 10:48:23 | Weblog

昨日は暑さの中、家内と上野アメ横周辺で買い物です。

初めて上野アメ横食材センター(写真は地下)という、どこの国にいるのかわからないディープな場所に行きました。

いや〜、さすがにここで生鮮品を買う勇気はないな〜。ということで、ここに入っている野澤屋というスパイス店で、もろもろの香辛料を購入です。

家内はスポーツウエアを購入、多慶屋(たけや)で食材を購入し、帰宅して夜に放送されるアントニオ・バンデラスが何と、あのピカソを演じるという「ジーニアス・ピカソ」第一回の放送にそなえました。

アントニオ・バンデラスといえば、「暗殺者」や「デスペラート」で知られる、スペイン出身の典型的ラテン男。濃厚なセクシー派男優(今どき、言いませんが)として知られたハリウッドスターです。

▼いくらピカソが同じスペイン出身とはいえ、どーなんだろうと思いますが、いや、役者とは大したものです。

本編を見れば、余計にそうなのですが、どう見てもピカソにしか見えません。
なんでもバンデラスはピカソと同じアンダルシアのマラガ出身で、この地元が生んだ天才にひとかたならぬシンパシーを抱いているとか。

ハリウッドで世界的になる前、バンデラスはスペインではもっと普通の男性の役をやっていたようで、アメリカに行くと、みんなステレオタイプにその国を見せる役になってしまうようですね。

なんでも、こちらは「ジーニアス・シリーズ」と言って、ナショナル・ジオグラフィックが世界の天才をドラマにして取り上げるシリーズの第二回目で、第一回はアインシュタインだそうです。
シーズン1のアインシュタインより、日本ではシーズン2のピカソが先に放映されるようですね。

ドラマ第一回は幼少時代から青年時代のピカソと、あの大作ゲルニカに取り組む56歳のピカソが交錯する形式です。
最初のシーンは、生まれたばかりの赤ん坊ピカソが、まったく動かずにいるので死産と思いきや、葉巻の煙でゴホゴホして大声で泣くところからはじまります。

ご存知ない方のために申し上げておくと、ピカソは幼少の頃からあまりにデッサン力がありすぎて、子供らしい絵を描いたことがありません。
ピカソのあの不思議に破壊された画面は、そんなピカソがようやく子供の絵に到達したと本人も言っているのですね。

第一回のドラマでは、そんなピカソが描いたリアルな時代の絵と、あのキュビズムの到達点と言われた「ゲルニカ」に取り組みピカソの姿が交錯するのです。

ゲルニカはスペイン北部にあったゲルニカ村が、ナチスの空爆で無差別な殺戮に遭ったことをテーマに描いたピカソの代表作ですね。

テーマの高邁さに比べ、ゲルニカを前にしたピカソが奥さんと愛人とケンカをさせる史実も盛り込まれる点も面白いところ。

「怖い絵」の中野京子先生も、「ピカソは結婚しては愛人を作り、誰ひとり幸せにしなかった」と言っているほど女性に奔放だったそうですから、その点アントニオ・バンデラスの映画のキャラクターにも重なるところでしょう。

画家を主人公にしたドラマというのは、どういうわけかつまらないものが多いのですが、この「ジーニアス・ピカソ」はその中では面白いと思います。

とにかく、バンデラスの化け方が半端なく、それを見るだけでも価値があると思います。全10回あるそうですが、今後の展開が楽しみです。

ナショジオが見られる方は、ぜひ一度ご覧くださいませ。

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こよりさんのご子息たちが治っていく顔をイラストにしてみました!

2018-07-26 10:22:00 | Weblog

栗本さんの花風社コンディショニング講座から、あっという間に1ヶ月近く過ぎてしまいました。その時、花風社あ@花社長から頼まれた「こよりさんのご子息たちが治っていく顔」をようやくイラストに起こしてみました。

鉛筆画のラフですが、どうかご容赦のホドを(笑)。

こよりさんは花風社クラスタにはお馴染みですね。
自らが自閉っ子で、同じように障害を持ったご子息二人を治しながら、きちんと就職できるまで育てあげた方です。

こよりさんについて詳しくはご著書を購入して頂くとして、6月30日栗本さんの花風社コンディショニング講座で同席した時、ご子息のお写真を見せて頂き、その治っていく過程に驚いたものです。

写真はプライベートなものなので非公開ですが、どんな風に治り変化していったかは、イラストにした方がわかりやすいかもしれませんので、以下をご覧いただけると嬉しいです。

▼先ずはこちら。

こちらは次男さんのごく幼い時の表情です。
正確な年齢はわかりませんが、2〜3歳という感じでしょうか(こよりさん、もしイラストでだいたいの年齢がわかればご教示頂けると嬉しいです)。

これらは、どれも写真から起こしたイラストなのですが、上の写真を見てびっくりしたことがひとつあります。

この顔、この表情……10数年前に中国の北京や上海で見た、いわば一人っ子政策によって生まれた「小皇帝(シャオ・ホァンディ)」と呼ばれた子たちに、このような顔が数多く見られたからです。

なぜ似てるのかは、皆目わかりません。
小皇帝は特に障害があるわけでもない。でも、こより次男さんと違うのは、このイラストの顔は2〜3歳ですが、小皇帝の小たちはもっと大きく、当時小学校低学年くらいだったでしょうか。

▼それが小学校低学年くらい(?)になると……。

だいぶ表情が出てきたのが、おわかり頂けると思います。
これはVサインの練習をしてる時のものですが、Vの字は親指と人差し指になっていて、まだぎこちないのがわかります。

▼それが、もっと上の学年になると。

いや、どう見てもフツーの子ですね。
目の焦点がはっきり定まってきたのが印象的でした。

▼さて、こちらがご長男14歳の時のもの。

なんだか14歳に見えませんが、実際のところこんな感じ。

花風社クラスタ小松さんの思春期も、こんな感じだっかのかな。小松さん、如何でしょうね(笑)?

▼で、こちらが20歳で就職を決めたあとのものかな。

しばらくぶりに会った同級生と談笑する姿ですが、イケメンの好青年ですね。

実はご子息だけでなく、こよりさん自身も最初にお会いした時に比べて、顔つきから表情にかけて大きく変わりました。

「治る」という言葉はお医者さん以外使ったらいけない、なんて意見もあるようですが、それを言えば松崎先生の言うように、風邪を自分で治したら医師法違反なんですね、ということでしょう。

治る、良くなる人々に幸ありますように!

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日本の猛暑 vs インドの猛暑

2018-07-25 08:16:21 | Weblog

昨日までの猛暑に比べると、やや落ち着いた感じの東京ですが、関西から東海、九州はまだまだ猛暑が続くようで、どうぞみなさまお気をつけくださいませ。

今のこの時期、日本はインドやタイより暑いなんて言いますね。
あの地域が一番暑いのは実は4月5月でして、年間通じて30度を超えるようなあの地域では「酷暑期」なんて言い方をするようです。

私が最初にインドに行った1988年は、たまたま4月の暑い中真っ最中。
この年はインドでも猛暑の日々だったようで、それは暑かったのを覚えています。

デリー、バラナシ、ジャイプールは連日40度超え。ジャイプールでは47度という、インドでもしばらくぶりだった猛暑日を記録しました。
列車に乗ると、ドライヤーのような風が吹いてきて余計暑い!

 

当時、インドでエアコン付きのホテルは最高級でしたから、当然長い貧乏旅行ではそんなホテルに泊れない。
毎晩、あまりの暑さに何度も起きてはお湯のシャワーを浴びたのを覚えています。

インドで40度を超えると、汗は出なくなります。
正しく言うと、毛穴から水蒸気になって水分が出ていくというワケ。

先日、東京でも40度という記録が出ましたが、インドと違うのは40度でも汗はドバドバ出てくることです。

インドに最初に行ったのは20代でしたから単純に比較はできないけど、今年の日本の猛暑は、インドの酷暑期に比べてもかなり危険という感じです。
先週、エアコンつけずに60号のキャンバス張りをしていたら、クラっときて危ない感じでした。熱中症にはならなかったようですが、気をつけないとね。

インドでも実は、毎年酷暑期にはお年寄りが大勢なくなっているそうで、 インド人だから大丈夫というわけではなさそうです。実はあの人たち、暑いのが大嫌いだしね(笑)。

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5年前の反省〜食中毒にならないビシソワーズのレシピ

2018-07-24 15:18:05 | Weblog

5年前に書いた「食中毒になりました!」のアクセスが伸びています。
やっぱり、みんなこの暑さで気になるのでしょうね。

記事を読み直して思いましたが、熱してすぐ密封すれば真夏だろうが何だろうが、1日2日経っても大丈夫ですが(あくまで経験値)、熱したもの冷まして6時間放置したらダメですね。

ビシソワーズなんて、食中毒と結びつきにくいものだから、油断していたのでしょう。大事に至らなかったのは運が良いだけかもしれません。

それにしても、連日の猛暑で食物のアシが早い。
昨日は、前の日に58円の特売で買った茶色えのき茸が、粘って酸っぱい臭いを出していたので、迷わず廃棄しました。その日に使えば良かったでしょうけど、まあ58円で腹痛起こしても意味ありません。

ともかくも真夏に、けっこうな分量のスープを加熱しないで食べたのはいけませんね。素人がビシソワーズを作るのであれば、作った分をすぐに冷やして食べるのが良いと思います。

というわけで、先日ふかしたジャガイモの残りがあったので、それで作ったビシソワーズのレシピです(2人分)。

1、ふかしたジャガイモ(1個)の残りをレンジでチン。

2、玉ねぎ半分をバター適量で炒め、しんなりさせる。

3、牛乳コップ1杯を温める。

4、固形ブイヨンをコップ1杯の熱湯で溶かす。

5、1〜4をミキサーに入れて攪拌、ざるなどで漉す。

6、5を熱するか冷やしていただく。

手間はジャガイモをふかすだけで、うちではポテトサラダに使った残りでやりました。余った、ふかし芋がある時にでもお試しくださいませ。

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「縄文 JOMON」展、行って来ました!

2018-07-23 10:43:43 | Weblog

昨日は酷暑の中、縄文展を見て参りました。
いや、凄い、すごい、楽しいの一言!

暑い中、なんでわざわざ見に行ったかというと、ツイッターの公式ページで「並ばず入れます」と書いてあったです。あんまり暑いと人が町に出ないようで、上野の町も人出があるようで、普段の日曜日に比べて少なめ。
「縄文 JOMON」展、会場に行ってみると確かに普通の混雑で、比較的余裕で見ることができました。

最近の研究で、縄文時代というのは豊かな時代だったということが明らかになってきたようで、私が子供の頃にあったような「縄文=はじめ人間ギャートルズ」みたいな(若い人は知らないか)イメージは、次第に払拭されてきたようです。

“縄文”といえば、その名の由来になった力強い土器の数々、そして土偶を思い浮かべますが、先ず最初の展示室に入って驚いたのが、意外に繊細な土器や装飾品が多いということです。

骨で作った釣り針や、石を磨いて作った斧などは、この時代に高度な文明や地域社会があったことを示すもの。

耳たぶに穴を大きく広げたイヤリングなどは、この時代の高い身分にあった人がつけていたものでしょう。数千年を過ぎた今でも輝きを失わずにいるものも多く、その当時に見たら、さぞや美しかったことでしょう。

とはいうものの、やはり縄文といえば土偶と土器ですよね!

▲やっぱり白眉は国宝6件が勢ぞろいしていたことかな。

俗に国宝、重要文化財なんて言いますが、やはり国宝というの権威とかそんなことではなく、歴史的にも美術的にも別格なものが選ばれます。

右から、縄文の女神、中空土偶、縄文のビーナス、仮面の女神、合掌土偶、火焔型土器とありますが、私が好きなのは右から2番目の中空土偶。

なんでもこの中空土偶。北海道に出張に行った友だちに聞いたところ、函館の道の駅に置いてあるらしく、その点も珍しいところ。友だちは楽しみにして見に行ったところ、中空土偶は上野に出張中で見られなかったと残念がっておりました。
まあ、展覧会に行ってくださいってカンジかな(笑)。

コーヒー豆のような愛嬌のある目鼻をつけた中空土偶、男性女性、両方にも見える性器をつけていますが、おそらくは両方なのでしょう。

人の形に似てはいますが、おそらくは神さまとか精霊の姿を象ったものだと思います。▲えっへんと威張っているような「遮光型土器」(真ん中の”まだまだある 縄文の美”)も本展には満載。

これって、どう見ても生きてる人間を模したものじゃありませんよね。
宇宙人説が出てくるのも不思議ではありませんが、わたしは宇宙人でなく精霊をもしもの、もしくは胎児などを象ったものでないかと思います。

それにしても1万年、数千年の時を超えて、土偶から「どうだ」とか「えっへん」「よっこいしょ」などといった声が聞こえてきそうなのが不思議に素晴らしい♪

「これ、この土偶……誰か見たことある人なんだよね」

「あれでしょ、女酒場放浪記に出てくるハーモニカ奏者!」

「そうそう、ハーモニカ奏者! 名前、何て言ったっけ?」

なんて調子に、見たことある人の顔も勢ぞろいです。


かの岡本太郎画伯の原点も間違いなく縄文ですね。
あの時代に縄文に傾倒していた文化人は少なからずいたようで、そのコレクションも見どころでした。

私の個人的な好みで言うと「この日の一点」 は、最後の展示室に飾られていた、かの益子焼の陶芸家・濱田庄司所蔵の土偶でした。

まるで、先生のつまらない話に退屈した子供が「早く終わんないかな〜」と、だらしなく塩垂れてるような姿は、とても他人に思えませんでした。
これから縄文展に行かれる方はぜひご注目を。

ところで縄文展に関係ありませんが、帰り道の上野公園。正岡子規の野球場で、長袖のユニフォームを着て練習に励んでる子供たちがいましたが、あんなことさせて良いのかね。
日なたではたんぱく質が凝固するレベルの熱さの中で、体動かして野球がうまくなるのかね。危険なだけじゃないのと、指導者の良識を疑った次第です。

上野広小路近くのABABの前では、救急車に搬送される若い女の子がいて、今年の猛暑の凄まじさを実感しました。

まあいいや。
猛暑の中の「縄文 JOMON」展、意外にすいていて狙い目です。
暑さ対策を充分にしてお出かけすることをオススメいたします。

 
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再訪〜京フレンチのブランピエール!

2018-07-21 08:59:05 | Weblog

関西での結婚式から早や一週間経ちますが、記事を書くのが遅れ気味です。
ほかにも頼まれたイラストなど、UPしたいものが目白押しなのですが、ここはご勘弁でお付き合いのほどを。

結婚式は一泊か日帰りで、そのままトンボ帰りでも良かったのですが、神戸から京都に行った目的のひとつには、京都御所近くにあるフレンチ店ブラン・ピエールでランチをとることでした。
で、最終日に再訪ということで、上の写真は鴨肉のベリーソース、つるむらさき添え。こちらの定番料理です。

ここは2年前の9月、 結婚前に家内と一緒に入った店であります。
ブログには誰と入ったとは書きませんでしたが、まーそんなことで(笑)。

今回は義母も一緒で3人での入店です。

▼こちらはサーモンのコンフィ、温泉玉子添え。
こちらは前回行った時にも注目したようですが、まったく記憶にありませんでした。

▼エビのクスクス、カルフォルニア風ソース添え。クスクスはこうやって使うお手本のような……ちゅうか、家でできる料理ではありませんが(笑)。

▼特製ビシソワーズ。 さすがフレンチの本格ビシソワーズはひと味違います。
もともと、この料理はアメリカで生まれた米国人シェフの料理だそうで、日本で言えばカルフォルニア・ロールみたいなものか。

▼鶏肉の柑橘ソース添え

▼ラム肉の果実ソース添え

▼鯖のテリーヌ、アンチョビソース添え。

▼詳細を忘れてしまったものも多く、書ききれないので以下は写真で!

京都は本日も38度超えだそうですが、暑い夏は美味しい料理、涼やかな料理で乗り切ってみては如何でしょう。

次の再訪はいつになるか。また是非行きたいお店です♪

 
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猛暑の結婚式は申し訳ないほどのご馳走三昧でした

2018-07-19 17:00:35 | Weblog

▲こちら、神戸での結婚式の日の朝食です。

家内の従妹の結婚式に呼ばれたこの日は、申し訳ない程されるがままのご馳走三昧。

家内の親戚は広島周辺の出身で、知り合いに水害に遭ったなどという方のことを直に感じましたが、そこはそこ。目出度い席なので、有り難くご馳走になりました。

猛暑の中のお式ではありましたが、無事にこの日を迎えられたのは運が良かったと言えるでしょう。私の友だちには、2011年3月11日が結婚式だったという人もいて、それはそれで忘れられない式に(もちろん途中で中止)なったそうで、夫婦仲はおかげで良いようですが、滞りなく式が済むに越したことはありません。

結婚式と披露宴はANAクラウンプラザホテルの35階で開かれました。

家内の叔父さん夫妻と長女の方は、昨年の結婚式でお会いしましたが、 もちろん私は新郎新婦とも会うのは初めてです。
式はホテル内のチャペルで行われましたが、式のあとのフラワーロードは猛暑の屋外とあって、いや暑い暑い暑い〜!

それでも美人の花嫁に、お嫁さん好き過ぎ感満載の花婿さんは、実に縁起良い取り合わせです。

自分の時もそうですが、最近の披露宴は花嫁花婿とも、ご飯もお酒も頂く傾向にあって、まあオープンな雰囲気。良いのではないかな♪

さすがANAのホテルとあって、出て来るものの美味しいものを出しますね〜。

余興も少なく、来たお客さんに美味しいものを食べて、楽しんで帰ってほしいという感じの宴で何よりでした。

わたくしはといえば、例によってこの調子(家内撮ル)。

さて、結婚式と披露宴は3時にお開きでしたが、花嫁の父(家内の叔父さん)が、なぜか午後6時にANAホテルからすぐ近くにある中華を予約していました。
軽く飲んで挨拶かと思っていたら、なぜかフルコース‼️ さすがにもう食えんと思いましたが、意外に一通り食べてしまいました。

いや、食べた食べた。これもお祝いのひとつですね。

花嫁花婿さんに祝福がありますように!

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西の横綱、有馬温泉♨〜こんな湯はほかには有馬温泉!

2018-07-17 16:11:20 | Weblog

家内の従妹の結婚式に出席するため、2年ぶりに関西に出かけました。
今年のはじめ、ちょうど「ぶらタモリ」で有馬温泉をやっている時に声をかけられ、「行く」と承諾。結婚式は新神戸ですが、その前日に有馬温泉へ日帰りという運びです。

ダジャレに「そんなこと有馬温泉♨」なんて使っていますけど、行くのははじめて。
家内と義母とわたしの3人での初めての二泊三日です。

期せずにして7月のこの連休、関西は滅多にない猛暑です。
いや、暑い暑い!

有馬温泉も暑い暑い!
こんな日に温泉かよって感じですが、私たち夫婦より義母のことが心配。

坂の多い有馬温泉ですが、目的にしている「竹取りの湯」はかなり上の方で、義母に気を使いながら上に上がり、果たして到着すると、何と改装中で休業です。
今の時期、有馬温泉は改装中のところが多いのね。

落胆していたところ、竹取りの湯の従業員の方が親切にも、その上にあったかんぽの湯まで車を出してくれました。捨てる神あれば助ける神あり。
次回は竹取りの湯に行かないと!

実際に有馬温泉の湯に浸かって驚いたのが、今まで経験したことのない強烈な湯であること。金の湯と銀の湯があるそうで、この日は、塩辛く黄色に濁った金の湯のみを体験いたしました。

猛暑の中ってこともありますが、入って5分で出たくなるほど湯が強烈で、のんびり温泉という感じではありません。ガマンしながら入るという感じかな。

それでも30分ほどは入っていたでしょうか。
出たあとの汗のかき方が、W杯じゃないけど半端ないです♨

しかしながら、待ち合わせのロビーで涼んでいるうちに、 妙に体が軽くなるのを感じるではありませんか! これが世に言う「西の横綱・有馬温泉」(本当は江戸時代の番付なので大関です)か!!

どうやら、デトックス効果は抜群なようです。

湯のあとは坂道をゆっくりゆっくり下り、数10年ぶりのサイダーで一服。
湯の町は意外に洗練されていて、お土産も魅力的なものが勢ぞろいでした。

いや、まさしくこんな湯はほかに有馬温泉♨・・・なんて、ウフッ♪

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西日本豪雨で思い出した赤坂の浸水

2018-07-13 09:49:52 | Weblog

西日本の豪雨、あまりの被害の大きさに驚いています。お亡くなりになった方々のご冥福と、被災されてる方の無事と息災を再度願いお祈り申し上げます。

東京は先の大戦による空襲を人災とすれば、大きな自然災害は大正12年(1923年)の関東大震災から来てないそうで、現時点では日本はもちろん、世界で最も安全な都市と言えるかもしれません。

ところが今回の洪水でまたも思い出したのが、赤坂の実家であった浸水です。

昔の私の実家は、今でこそ赤坂は知名度の高い繁華街ですが、私が子供の頃はイチ地方都市、下町という面持ちでした。
特に実家のある一ツ木通り周辺というのは、青山近辺に大名屋敷が多かったの比べ、下級武士が多く住んでいたところだったらしく、「溜池」などという地名も、もとは溜池があって渡し船で向こう岸に渡っていたような場所でした。

そこに流れてきたのが現在の赤坂芸者であり、今とは様子の違う場所だったわけです。

今、駅名にもなっている溜池山王の近くにあった実家は、文字通り、当時は大雨がふるとけっこうな水かさになり、うちの玄関にあった下駄や靴がプカプカ浮かんできたものです。

私は子供だったので、その様子を見て「あ〜、下駄がプカプカ浮かんでる〜!」と喜んでいましたが、それを見て母がイヤな顔をしていたのが、今更になって思い出されます。

いつの間にか、上下水道が整ったのでしょう。私が中学に上がるくらいには、玄関に水が入ってくることはなくなり、もう何十年もそんなことがあったのを忘れていたのが、今回の豪雨で思い出しました。

それにしても建て替える前の赤坂の実家は、今考えると、ひどい欠陥住宅だったなあ。廊下でビー玉を転がすと、玄関の方に流れていったし、雨漏りもひどく、柱も曲がっていたから、冬は隙間風が寒かったです。
お風呂場にはカマドウマがいたし、ナメクジもいました。

雨漏りは、玄関の浸水同様、あるたび私は喜んでいましたけど、やはり母はカンカンになって「このボロ家は」と怒っておりました。生まれた時から住んでいたから、自分の家がボロとも何とも思ってなかったけど、今だったらどうなのでしょう。

今回の西日本豪雨に比べれば、そんなものは微々たるものに違いありませんが、もしかしたら運が良いだけで、大きな災害はいくらでも東京に近づいていたのかもしれません。

明日から関西に出かけますので、ブログは3日ほどお休み。もちろんボランティアなどではありませんが、西で少しお金を落としていくつもりです。

 
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ルーヴル美術館展〜ヨーロッパ王様はサッカー選手のファンタジスタ?

2018-07-11 08:17:58 | Weblog

先週の日曜日、六本木の新国立美術館で開催中の「ルーヴル美術館展」に行ってきました。

何度となくわが国で繰り返し開催されるルーヴル美術館展ですが、いつも思うことが、その度にほとんどの作品が現地で見たという記憶がないものがほとんどということでしょうか(笑)。

手前味噌になりますが、私も拙著「堪能ルーヴル」の取材で何日にもわたってルーヴル美術館をくまなく見た方ですが、いかんせん収蔵作品が多すぎることに加え、大半の作品がバックヤードに眠っているので、記憶がない作品が多いというのは至極当然のことかもしれません。

逆に言えば、日本にいながら巨大すぎるルーヴルの至宝をピックアップしてくれる展覧会は有り難いと言えましょう。

そんな中、本展は肖像画に焦点を当てた展覧会になっており、ポートレート画の面白さを余すところなく見ることができるものです。

肖像画の面白さのひとつに、実際の歴史上の人物を目の当たりに出来ることがあります。本展で言えば、目玉にもなっているナポレオンの肖像。それにルイ十四世、フランソワ一世、それからアレクサンドロス大王といった、歴史上のスター軍団が勢ぞろいしているのが楽しいところです。

アレクサンドロス大王(BC356〜BC323)……英語表記ではアレキサンダー大王、正しくはアレクサンドロス三世は若干20歳でマケドニア王に即位。ペルシャ帝国を撃破し、インドからエジプトという広範囲に一大帝国を築いた希代の英雄です。

展覧会の案内によれば、大王は自分の肖像を3人の彫刻家にしか許さなかったと言います。本展の彫刻はどうやらその1人による、ご本人を目の当たりにした貴重な一点です。

本展のアレクサンドロス大王の肖像彫刻こちら

面長なようで、横のボリュームもあるこの顔。
どこかで見たような……そうだ! 元ブラジル代表、元日本代表監督のジーコ氏にどことなく似た骨格です(本物の彫刻を見るともっと似てますよ)。

現在、W杯開催中ということもあって、勝手にそう見えるだけかもしれませんが、ヨーロッパの王様の顔の中には、国家を代表して戦っているサッカー選手を彷彿させる顔が多々見られました。

2mを超える長身だったというフランソワ一世は、ゴールキーパーにいそうな風貌ですし、本展の目玉になっているナポレオンはまさしく、破壊力抜群のファンタジスタといった感じでした。

ナポレオンに関して言えばデスマスクも展示されているので、肖像画と比べてどんな感じだったかも見ることが出来るのが楽しい♪
グロが20歳の時に描いた「アレコル橋を渡るボナパルト」 に比べ、後年のぽっちゃりしたナポレオンを比較して見るのも面白いです。

印象的だったのは、クレオパトラの娘クレオパトラ二世の顔の怖いこと!

まさしく「怖い絵展」のはるか上を行くコワさです。
wikiを見ても、この方がどんな生涯を送ったかはわかりませんでしたが、きっと苛烈な生涯だったんでしょう。

対照的に穏やかなのが、下写真の一番左下。
アングルが描いた肖像画。この方は31歳で惜しまれつつ亡くなったそうですが、この肖像画を見ながら皆、胡人を偲んだことでしょう。

ルーヴル美術館展は9月3日まで。まだ余裕ですので、興味おありの方は今のうちに足をお運びくださいませ。

 
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西日本豪雨で思い出した鶴見川流域での生活

2018-07-10 11:22:02 | Weblog

昨日までは真っ白なキャンバスでした。

先ずは、この度の西日本豪雨でお亡くなりになった方々のご冥福と、被災されてる方の無事と息災を願いお祈り申し上げます。

大雨が来るのはニュースでわかっていたことですが、意外と言ってはいけませんが被害が大きいのに驚いているところです。日本に住んでいる以上、こうした災害は避けられないことですが、それにしても“天災は忘れた頃にやってくる”という言葉を、今更ながらに思い出しました。

検証・豪雨被害】大学はなぜ避難勧告の中、休講にしなかったのか

災害があるたび、こうした報道が絶えませんが、この中で「学生も自分で判断できる感性を」と書いてあったことに、何か違和感を覚えました。

いや、私自身はこのような大災害に遭遇した経験はないのですが、たぶん目の前に来てもなかなかわからないのではないかと思いました。

今を去ること20年以上も前になりましょうか。横浜東横線沿線の綱島に住んでいた時に大きな台風が来たことがあります。
わたしが住んでいた場所は大曽根という、鶴見川からすぐそばのアパートでしたが、この鶴見川という一級河川……たまに大雨が降ると逆流をするという、昔から有名な暴れ川だったそうです。

わたしといえば横浜の人間ではないので、そんなことは露知らず。
どっちから流れているのかわからない川だなとくらいにしか思っていませんでした。

親はそれを知ってたのか知らなかったのか、台風の時に赤坂の実家に帰るよう言っていたのですが、わたしはタカをくくっていてそのまま帰らず。しかしながら、その時の台風時の川の音は凄まじく、轟々と今にも川の水が溢れ出そうな様子が家の中で聞こえてきて、正直これは危ないかなと思った記憶があります。

幸い堤防が氾濫することはなく、何ごとも起らずに済んだのですが、この西日本豪雨ではからずもそのことを思い出した次第です。

▼こちら昨日の真っ白なキャンバスは、このような姿に変わりました。そのつもりはありませんでしたが、一夜開けて眺めると西日本の豪雨と重なるように見えてきます。自分に何が出来るわけでもありませんが、せめて未来に希望が持てる絵になればと思いました。

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栗本さんの花風社コンディショニング講座〜佐々木正美先生とマザーテレサ、そして飯山陽の「イスラムの論理」

2018-07-06 06:34:55 | Weblog

▲拙著「インドのアチャールくん」より

4人の名前を入れた盛り盛りのタイトルながら、本当にUPしようと思っていたのは、“こよりさん”のご子息が治った過程のイラストです。ただ、思いついたことがあって、そのイラストと記事は土日か来週以降にUPすることにしました。

なぜかといえば、その記事を書こうとした時、こよりさんが佐々木正美先生にノーギャラで地方講演に引っぱり出されたという話を思い出したからです。

私自身は佐々木正美先生についてよく知っているわけでも何でもないので、称賛も批判もする立場ではありませんが、先日たまたまNHKの「おはよう日本」で大きく取り上げられているのを見て、この方のお顔を凝視してしまいました。
先生のご尊顔はどこかで拝見した記憶はありますが、意識してまじまじと見るのは、実はこの時が初めて。

あれれ、この顔……どこかで見かけたような??

いかにも慈愛に満ちた佐々木先生のお写真でしたが、こよりさんの記事を書こうと思いつつ、なぜかマザーテレサのお顔が浮かんできました(ほめてません)。

え? マザーも佐々木先生も敬虔なクリスチャンだろうけど、別に似てるわけじゃないって? 

たしかに顔立ちから言えば、お二人は似ても似つきません。

マザーはシワに刻まれた厳しいお顔ですし、佐々木先生も慈愛に満ちた笑顔………いやいや。これは怖い笑顔です。
私は、佐々木先生はたいへん怖い人なんじゃないかと思い、自分でそこに納得しました。一方でマザーが実は怖い人だったというのは、拙ブログにも紹介したことがあります。

マザー・テレサは怖い人だった?

そうだ。佐々木先生もマザーも怖い人なんだ。

私は実際にマザーハウスでボランティアをした経験が(ちょっとだけ)ありますので、その怖さは身を以て感じてはいるのですが、あれはキリスト教独特なイエス・キリストの痛みや苦しみを共有する怖さとでも申しましょうか

マザーが偉大な人であったことは疑う余地もありませんが、彼女を批判する意見もわからなくはありません。

私が行った時の「死を待つ人の家」は、衛生面では劣悪だったし、実際にボランティアの中には死を待つ人と一緒に、あちら側に行ってしまった人も少なくなかったというのを、当時居合わせた島根大学医学部の方から聞いたこともあります。

「マザーハウスには、どんな病人がいるかわからない」というのが、医学部の人から聞いた話で、「マザーだけは神の加護があるのか、大丈夫なんだよね」というオマケ付きの言葉も頂きました。

ある意味、「死を待つ人」を神のもとに送れば、ボランティアはどうなっても構わない……というか、ボランティアが神に召されれば、それはそれで神のご意志という考え方があっても不思議ありません。

飯山陽の「イスラムの論理」を読むと、イスラム教やキリスト教などの一神教は、人間よりも「神のご意志」をプライオリティにしていることがわかります。良いとか悪いとかではなく、彼らにとって大事なのは人より神なのですね。

こよりさんのノーギャラ問題も、実は人よりも神を優先した行為だったのか??

これはあくまで、私が感じたことなので、とんでもなく間違っているかもしれません。ご批判、炎上は甘んじてお受けいたしますので、ご意見伺えればと思います。

それにしても6月30日の花風社のコンディショニング講座は活気がありました。

ちゅん平さんの元気な姿をはじめ、ついこないだまで小学生だった子が美大に入学できるまでになるとか、こよりさんのご子息たち、うちの近所で就労を果たしたご長男など、実際に「治った」人が大勢参加していることもありましょうか。

まあ、花風社講座は栗本さんのような、治せる以外にとりえのないおっさんがメインスピーカーです。

この日もエミールとか、ルソーとか、昨日今日知った話をしようとして失笑を買ってましたが、彼が教祖になることもない利点があるのかもしれません。

私はこの日、夏越の大祓式に行ったので、「饗宴」でどれだけダメなおっさんぶりを発揮してたか見られず残念でしたが、まあ間違いなく腕はたしかで、人の体によりそって治す人なんで許してあげましょう。

そんなことを今朝方思った次第です。

 
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FMのアンテナとAMアンテナを間違えていた件

2018-07-04 09:31:18 | Weblog

▲「今時、CDなんか聞いているの!?」と友だちに言われてしまいました。

今朝方、つい先ほどまで掃除をしていた時に気がついたことです。

私はクラシック愛好者なので、朝はNHKを聞いていることが多いのですが、うちのコンポはイマイチNHKの受信状態が良くありません。

払いたくもない受信料をキチンと払っていますので、もう少しなんとかならんかと思っていたところ、たまたま今朝掃除している時に、FMのコードと思われるものが、グルグル巻きに収納されていたのを発見しました。

このグルグル巻きを何とかすれば、受信状態が良くなるかも!

コンポの後ろはコードがとぐろを巻いてる状態だったので、本体を持ち上げて裏を見ると、あらら、このグルグル巻きになったコード……FMのコードとつながってないじゃないの。

なんだ、グルグル巻きになってたコードってAMに接続されてたのか。そう思って、コンポの後ろをよくよく見ると……

今までFMコードだと思っていたものは、実はAMラジオのコードだったのです。どうりで、何度アンテナの位置を変えても音が良くならなかったはずだ!

見た目がいかにもアンテナなんで、ずっとFMアンテナだと思い込んでいたのですね。

はたしてグルグル巻きになっていたコードをほどき、電気スタンドにひっかけてみると、果たして雑音が消えて実にクリアーな音になりました。

コンポを買って3年めになりますが、なんで今まで気づかなかったんだろ。

あらためて自分の思い込みの愚かさに呆れた次第。
まあ、音が良くなったからまあ良いか(苦笑)♪

▼写真はエリック・サウス渋谷店。ここのクオリティ、全店で一番かも!?

 
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日本 vs ベルギー戦〜逆転負けは口惜しいけど、よくやったのではないでしょうか。

2018-07-03 05:48:39 | Weblog

日本 vs ベルギー戦、見ちゃいました。

目が冴えて二度寝できないのでブログを書いてますが、 タイトルにも書いたように勝ってた試合に逆転負けは口惜しいけど、よくやったのではないでしょうか。

私はセネガル戦、最後のパス回しは肯定派ですけど、2点リードしながらの逆転負けは、けっきょくセネガル戦のツケがまわってきたようにも思えます。あの試合で勝ち上がっても、最後はそれより上に上がれないということでしょうか。

とはいえセネガル戦のパス回しがあったからこそ、決勝トーナメントでベルギー戦が見られたわけで、そこは素直に徳をしたと思った方が幸せですね。
ベルギーにとっては良い試合、日本にとっては口惜しい試合でしたけど、W杯がはじまる前はボロカスに言われていた日本代表……ここまで行けたのは充分だと思います。

なんかロシアW杯……4試合をトータルで見ると、色々考えさせられる日本代表の試合でした。
西野監督の「何が足りないのでしょうね」がすべてを物語っているようにも思えます。この人こそ大賢は大愚に似たりを地で行く人かもしれません。

ところでベルギー vs ブラジル。
みなさんはどちらを応援しますか?

 
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