津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(16)

2019-12-05 13:59:44 | 家紋

   二ヶ月弱お休みをした「家紋」を取り上げます。長い空白を生じお詫びいたします。今回は16回目となります。


                       

・岡田仙太郎は「岡田省三家(南東55-11)」の5代目・千太郎(七郎右衛門)御前様御附・御裏方支配頭之支配 御前様御附 百石だと思われる
 家紋はこれが本来のものか、印刷ミスか測りがたいが、同じく家紋が紹介されている「肥陽諸士鑑」には省三家の存在そのものがが見受けられない。
 「茶の実紋」もしくはその変形である。
・岡 陳五左衛門は「岡 孫一家(南東15-17)」の6代目・辰之助(彦兵衛・陳五左衛門)御鉄炮二十挺頭 有吉組 四百石)である。
 家紋は「丸に剣柏紋」である。
・岡 弥十郎は「岡 弥十郎家(南東15-2)」の8代目か、時代が下るように思えるが同名人物は8代目のみである。御番方・遠坂関内組 二百石
 家紋は二つ、「蛇の目紋」並びに「隅切り平角に五つ丸」
・岡 小平太は「岡 兵三家(南東15-4)」の6代目・小平太(貞之允)御番方・松下清蔵組 二百石である。
 家紋は二つ、「隅立て角に両引」「隅立て角に三つ両引」である。
・岡 半右衛門は「岡 助次家(南東15-1)」の7代目・慶吉(半右衛門)である。
 家紋は「隅立て角に四つ丸」「平角に四つ石紋」
・岡 源之進は「岡 眞人家(南東15-3)」の6代目か(8代目にも同名の人物在り)
 家紋は「?」と「岡 孫一家」と同様の「丸に剣柏紋」である。祖を一にする同族である。
・越生秀助は「越生 猛家(南東15-18)」の7代目・佐敷御番二百石である。越生の読みは「おごせ」であろうか?
 家紋は「子持ち六角紋」
・興津栄喜は「興津宗也家(南東13-15)」の9代目である。養子であり八代御城附八代尾版頭組二百石。
 初代は忠興公に殉死した興津弥五右衛門で、森鴎外の小説「興津弥五右衛門の遺書」で勇名である。
 家紋の一つ目は名前がよくわからない。興津一族の紋として「剣紋」があるが、「三つ剣」の変形か?
 今一つは丸の中に同上の形が三つ配されているが、表示が小さく判読しがたい。
 本妙寺にある同家の墓石には「細川九曜紋」が刻まれている???
・荻 吉九郎は「荻 吉九郎家(南東55-1)」の7代目(250石)である。
 家紋は「左巴紋」及び「隅切り立角に・・・」

・岡松丈英は御医師「岡松駿甫家(南東57-12 医)」の4代目・文英か?、丈英と名乗ったのかもしれないし、誤植の可能性も否定できない。
 家紋は「丸に武田菱紋」である。
・緒方五左衛門は「緒方嘉十郎家(南東14-12)」の6代目・大太郎(五左衛門)である。
 家紋は「蛇の目紋」である。
・緒方新右衛門は「緒方助十郎家(南東14-14)」の5代目・新右衛門、新左衛門とも名乗ったらしい。天保四年から十年にかけ各地の郡代を勤めた。
 家紋は「隅切り平角に杏葉紋」家紋からすると臼杵氏系の緒方氏か?
・緒方藤蔵は「緒方藤三郎家(南東14-15)」の4代目である。
 家紋は「丸に六つ丁子紋」である。
・緒方平兵衛は「緒方喜一郎家(南東14-13)」の5代目・万助(平兵衛)である。
 家紋は「丸に頭合わせ三つ蔦」か、不明
・尾本胃之允については「細川家家臣略歴にはその名前が登場しない。「肥陽諸士鑑」に尾元勘右衛門300石とあるが、関係者か?
 家紋は「竪木瓜」
・尾崎十次郎は「尾崎十次郎家(南東13-18)」の人物で最後の当主の名前であるが時代が合わない。5代・藤一あたりではないかと推測する。
 家紋は「隅切り角に加賀梅鉢」?
・渡辺道柳は御医師の「渡邊柳園家(南東57-14 医)」の3代目・源之進(金右衛門・道柳)である。
 家紋は「隅立て角に平角地紋・一つ雁金」?
・和田金右衛門は「和田平也家(南東11-28)」の2代、新陰流の剣術師範である。

 家紋は「隅切り平角に八つ薺」? 

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