田舎暮らし~南信州四季折々の記

南アルプスと中央アルプスをのぞむ田舎での四季折々のつれづれの記写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

イタリア旅日記 NO23 ヴェネツィア  

2018-03-21 08:12:13 | 旅行

 

       サンマルコ寺院のファサード     

       

                         

                上部半円の部分を拡大すると ↓

 

         

        マルコの遺骸がアレキサンドリアから運び出される場面が極彩色で描かれています 

 

        

       こちらはサンマルコの遺骸がヴェネツィアに到着したところ

 遺骸がヴェネツィアに到着した時には総督はじめ多くの市民が大歓迎し熱狂的に迎えたようです

   

   マルコの遺骸はヴェネツィア本島のこの寺院の中にありますが 現在ここで亡くなった人の遺体は

 ヴェネツィア本島にはありません ここには墓地も火葬場もありません

 ここで亡くなった人の棺はゴンドラに乗せられます そしてその脇には神父さんなり牧師さんが付き添うといいます

 その後ろを遺族を乗せたボートが続き 供花や親族、友人などを乗せたボートがそれに続くようです

 向かう先はサンミケーレ島 ヴェネツィア本島からは水上バスで10分ほどのところで本島北側からは島が見えるそうです

 このサンミケーレ島は糸杉とレンガの壁でかこまれた上から見ると四角の島だそうです

 ここはいくつかの教会と墓地のみがある言わばお墓の島です 

 もともと本島で亡くなった方々の遺体は本島の各教会の墓地に埋葬されていたといいます

 しかしヴェネツィアは東方貿易の拠点ともいうべき場所だった為 交易品のみならずペストやコレラなどの感染症も

 運ばれてきたようです 感染症で亡くなった人は衛生上の理由などで外の小島などに埋葬されていたようですが

 18世紀に当時ここを支配していたナポレオンの指示によりサンミケーレ島と近くのサンクリストーフォラ島のあいだの

 運河を埋めて墓地専門の島として一斉に墓を移動させたようです

 墓地はカトリック、プロテスタント、ユダヤ教など各宗派に分けられているそうです

 各墓には花が供えられ一年中花が絶えないそうです ほとんどは造花とのことですが・・・

 この島には入れますが墓所の撮影は禁止されています

 ここには日本人のお墓もあるそうです ヴェネチアの日本語学校に教師として派遣されていた方だそうです

 明治維新のころの様です・・・

 

          

          ビザンチンのモザイク画

 

 マルコといえばあの(東方見聞録)で有名なマルコポーロもヴェネツィアの出身です

 彼はヴェネツィアの商人だった父親と叔父とともにフビライ・ハンの支配する元を目指して陸路で旅に出ます

 その時マルコは17歳  ペルシャやアフガニスタン、パミール高原などを通り元の夏の都である上都に着いたときには

 マルコは21歳になっていたといいます

 フビライには大変歓迎され政府の要職にもついていたようで滞在中には元の国内はもとより

 ビルマ、ベトナム、スリランカなども訪れていたようです 

 17年間ここに滞在した後イル・ハン国(現在のイランを中心としたあたり)に嫁ぐことになった王女一行に同行し

 今度は海路での船旅に出発します ベトナム、シンガポール,スマトラなどを経由しインドの南を通りアラビア海を通り

 イル・ハン到着

 2年間にわたる船旅は過酷だったようで ここにたどり着いたのは出発時よりはるかに少ない人数だったようです

 その後マルコはコンスタンティノープルを経てヴェネツィアに戻ります

 ヴェネツィア出発から実に24年の歳月が流れていました

 その後ヴェネツィアで貿易の仕事につきますが ジェノヴァとの間で戦いがはじまり

 ガレー船の指揮官として従軍したマルコは捕虜としてとらえられ収監されてしまいます

 この収監先で出会ったのがルスティケロという人物です 

 彼はピサ出身の著述家でマルコと同じ牢でマルコの体験談を聞き それを口述筆記の形で書き留め

 のちにそれをまとめたものが東方見聞録として世に出ることになりました

 マルコは結婚して3人の娘をもうけ 70歳ころに亡くなったといわれます 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

             

 


イタリア旅日記 NO22 ヴェネツィア  

2018-03-16 19:42:35 | 旅行

    サンマルコ広場方面から海の方をむくとこんな光景です

    

 観光客がひっきりなしに行きかうヴェネツィアの街

 左隅にあるような露店のお土産屋さんが所どころで商売をしています

 商品はどこのお店も同じような物が売られています

  

 前方に見えるのは サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 サンマルコ湾に浮かぶサンジョルジョ島に建つ教会です

 島の大部分はこの教会が占めています

 

  

 サンマルコ寺院の大聖堂

 西暦828年ヴェネツィアの二人の商人がアレキサンドリア(エジプト)から聖マルコの遺骸を運び出し

 その遺骸を安置するために作られたのがこのサンマルコ寺院です

 各扉の上の半円の部分にはマルコがここに葬られるまでのいきさつがフレスコやモザイクなどで表現されています

 

 聖マルコはローマで布教活動をした後アレキサンドリアにわたり教会を作り布教に努めます 

 しかしネロの迫害により教皇ペテロが殉教死した翌年(紀元前68年)マルコも復活祭の最中捕らえられ殉教死します

 焼却される寸前に信者によって持ち出され墓に葬られたといわれます

 時を経て西暦828年二人のヴェネツィア商人によってマルコの遺骸がアレキサンドリアから持ち出されます

 当時のヴェネツィアは一流の海洋国家としての箔をつけるため名のある守護聖人を求めていて

 福音書家のマルコに注目します そのころアレキサンドリアはアラブ人に支配されていて

 キリスト教徒の墓は荒らされていたといいます 

 首尾よくマルコの遺骸を手に入れた商人はこれを運び出すのに知恵を絞ります

 そしてイスラム教徒の忌み嫌う豚肉の中に隠して 無事運び出すことに成功したといわれています 

 この時の遺骸はミイラのような状態だったようです

 

 

 

 

  

           

    

        

        

  

 

 

 

 

 


イタリア旅日記 NO21 ヴェネツィア  

2018-03-04 19:37:33 | 旅行

        水の都 ヴェネツィアは独特の雰囲気を持っている街です

            

      町の中を網の目のように走る水路 水路を渡る橋が要所要所に架けられています

        

 ハトがたくさんとまっていますが 地面に下りて歩き回っているハトはあまり見かけませんでした

               

 水路は道路代わりの大切な交通網 ボートなどが車のように行き交います

 ここには車がないので道をあるいていても車に気を付ける必要はありません  

 もちろんバイクや自転車もありません  

    

    ウインドウに並ぶおいしそうな食べ物

          

 露店のお土産やさんで見かけたヴェネツィアのカーニバルにつきものの仮面

 お土産屋さんで売っているものは値段がやすく作りもそれなりです

 ヴェネチアのカーニバルは世界三大カーニバルの一つだそうです 

 ちなみほかの二つはブラジルのリオのカーニバルともう一つはトリニダード・トバゴの

 トリニダードカーニバルだそうです

 カーニバルの時期は特に多くの観光客がおしよせるので宿泊施設は早めに予約しないと取れないそうです

 しかもホテル代は普段の数倍するところもあるとか

 普段でもヴェネツィアの物価は高いといわれているのに・・・

 2週間程行われるこのカーニバル中は仮面をつけて美しい衣装で着飾った人々が街中にあふれ

 さながらマスカレード(仮面舞踏会)だといいます

 サンマルコ広場を中心にダンスやコスチュームのコンテストなども行われるそうです

 有料ですが観光客にもカーニバルの化粧をしてくれるようです 貸衣装もあるのでなりきって楽しむこともできます

 しかし貸衣装を借りると一式5万円~10万円くらいするそうです 手作りの衣装を持ち込む人もいるようですが

 周りはかなり華やかな豪華な衣装なので中途半端な作りの物だと浮いてしまうそうです

 

           

        

      このレストランでランチタイム ヴェネツィアは魚介を使った料理がたくさんあります

       

 ヴェネツィア名物イカ墨のパスタ シンプルですがコクがあっておいしかったです 

 でもボリュームがありすぎてここでも食べ残してしまいました

 イカ墨パスタにもいろいろあって イカが入っているものやソテーした魚が添えられているものなど・・・ 

 始めてイカ墨パスタを食べたときのこと 食事を終えてお店を出て鏡を見たとき 唇が黒くなっているのに気づき

 慌てて拭いたことを思い出します それ以降こうしたものを食べるときには注意しながら口に運び

 折々に口元をぬぐうようにしています

      

 シーフードのフリッター カラット揚がっていて軽い感じで食べられます 

 海辺なので肉料理よりこうしたシーフードの料理が多いような気がします

      

 デザートのパンナコッタ 

 イタリアのスイーツで パンナは生クリームコッタは煮るという意味 

 生クリーム、牛乳、砂糖で煮てゼラチンで固めたもの 見かけはプリンと似ているけれどプリンは卵を使って固めます

 泡が取り除かれていませんが 高級レストランではないのでこうした点は目をつむり味に絞って評価すれば合格です 

            

            ヴェネツィアらしい運河とゴンドラのある風景 

 人が渡るこんな小さな橋にもきれいな花が飾られていました だれが手入れをしているのでしょうか 

 道路ならちょっと横切れば向かい側に行けますが ここではそんなわけにはいきません

 住み慣れた人には何でもないことかもしれませんが 私にはとても不便に感じられます

        

 サンマルコ広場 回廊のある建物に囲まれた広場でヴェネツィアの中心となる広場です

 広場奥にはサンマルコ寺院がそびえています

 椅子が並んでいるこの場所はカフェラテ発祥のお店としてまた老舗カフェとして有名な

(カフェフローリアン)オープン席です

 回廊の奥側にお店があります 創業以来そうそうたる有名人も訪れているカフェとのこと

 写真右寄りの白いテントのようなものが張り出している下にはピアノが置かれていて複数の楽器による

 生演奏が行われています (演奏時にはミュージックチャージが上乗せされますが)

 外のオープンテラス席だと別途チャージがかかります 演奏はリクエストOKの様です

       

 この日は暑かったのでオープン席のお客さんは少なくて椅子だけがたくさん並んでいました 

 夕方になれば外も涼しくなり良いかもしれません