tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

大根と蕪の絵の茶碗は・・・

2018-12-31 17:04:03 | 今日の一服
12月31日(土)
慌ただしい年の瀬も今日は大晦日です。
我が家も片付け事に時間をとられてしまいましたが、何とか新しい年を迎える準備は整いました。

   
   三時に

朝から働き通しでしたので、三時には休みました。
美味しいお菓子を頂いての一服です。

大根と蕪の絵の茶碗で頂きました。
なぜ、この時期になると大根と蕪なのでしょう。
諸説色々ですが、先生がおっしゃっていた言葉が一番私の気持ちに落ち着きました。

随分前の話ですが、「大根と蕪の絵の茶碗でね。お抹茶を頂くと、風邪を引かない、そして、何より中風にならないのよ」この言葉がずっと残っております。

これからも、聞かれたら先生と同じ答えを言うつもりです。
皆様も風邪など引かぬように良いお年をお迎えください。
コメント (2)
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茶室の飾り付けも・・・

2018-12-30 17:46:42 | 日常雑感
12月30日(金)
相変わらずの寒さです。
朝から掃除そうじまた掃除で、何とかお茶室も掃除と飾り付けが終わりました。

   
   茶室

フローリングのところは、すべてワックスを塗り込み、畳の部屋は乾拭きをして、掃除機をかけて終わりました。

茶室は何時もきれいになっているので、それほどの力を入れてする掃除でもありませんが、ワックスがけはきつい作業でした。
終ってしまえば気持ちがいいものですが・・・

玄関、待合、床の間と飾り付けは全部終わりましたのでホットしております。
残すはあと一日、思っていた事がすべて終了するか・・・

終わったら自分に拍手です。

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蹲踞にタワシが・・・

2018-12-29 17:10:29 | 自宅の庭
12月29日(土)
今日も冷たい風が吹いておりました。
師走の風をまともに受けながら、残っていた庭の掃除です。

   
   蹲踞

庭の中でも最も綺麗にしなくてはならない所ですので、力も入りますが、水を流しながらですので手が痛くってしまいます。
海と云われるところは、落ち葉をひとつずつ拾っては袋に入れるという細かい仕事ですが、手袋をはめておりますので、小さな葉は拾えません。
やはり庭師の方々のようにピンセットが良いと気が付きましたが、そのまま仕事は続行です。

全部の掃除が終わりましたので、ブログ用にと写真を撮ったまでは良かったのですが、パソコンに取り込んで見た映像には、タワシがしっかりと映っておりました。
アングルもバッチリだったのに・・・

   
   夜泣き石

昨日の東海道散歩に乗せるのを忘れてしまいました。
明治政府によって取り除かれた夜泣き石は、久延寺が買い取り境内に移されるも、幾多の変遷を経て、今は国道1号線脇の土産物店小泉屋の所有となって裏山に保存されております。

当時ですから、あの大きな石を移動するだけでも大変な作業だったと思います。
久延寺の和尚さんに育てられ成長した子供の後日談がありますが長くなりますので省略です。

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島田宿から日坂宿まで・・・

2018-12-28 17:28:45 | 中山道六十九次散歩
12月28日(金)
冷たい風が吹いております。
午前中ひと仕事を終えて、午後からは先日の東海道五十三次の備忘録の続きをまとめて見ました。

12月23日第2日目
6時30分朝食、8時には出発というスケジュールです。
8時前には集合して2日目のスタートです。昨日バスに乗ったところまで連れて行って貰っての散歩開始になります。

   
   大井川

この辺りから川越しをしたそうです。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われたほどの急な流れに旅人は難儀したといわれております。

   
   マンホール

川越の遺跡にはこんなマンホールありました。
大井川の土手を駆け上がり、少し先の橋まで行って旅人が難儀をしながら渡った橋を歩いて渡りました。

   
   大井川の橋

大井川には一度も橋が架けられることなく明示を迎えております。川幅が広く流れも急だったために当時の技術では不可能であったためだそうで、よく言われる「江戸の防衛のため」は後から考えだされたものでしょうと講師の先生は言っておりました。

   
   日本左衛門の墓

江戸中期の大盗賊で東海道周辺を荒らしまわり、日本で最初に全国指名手配になり、安芸の宮島で自分の手配書を見て自首したそうです。
京都で処刑され、この地で晒されていた首を、この地に葬ったのがこのお墓だそうです。

後に歌舞伎の「白波5人男」として描かれております。

   
   トーマス

この日は日曜日でしたので、大井川鉄道出トーマスが運転さるるようで、煙モクモクと準備をしておりました。

   
   金谷宿

ここの宿場も何も残っておりませんでした。大井川を渡ってすぐにある宿場ですのでかなり繁盛していたといいますが、面影すら残っておりませんでした。
そして、宿外れから峠が始まります。

   
   宿の外れに

宿の外れに来ると、大きな標識が建っており、「石畳」の道の始まりを教えてくれます。
この石畳は、町の人達が一人一石運動で、7万個の石を運んで復元した石畳だそうです。
そして430mの石畳ができたそうです。

   
   石畳の始まり

ここから石畳が始まります。
この日は小雨が降っておりましたので、足元を見ながら慎重に歩きます。

   
   石畳

言われてみれば新しい感じがいたします。
この石畳も歳月を経て、埃や落ち葉などに埋もれるように平らになって行くのでしょう。

   
   峠

ひと汗かいてホッとしたとこです。
青い橋が渡って来た箸です。そして、煙の出ているあたりが、川越しの行われていたところです。
随分上りました。

   
   菊川の石畳

この石畳も、町の人達の協力で復元した石畳です。161mあります。

   
   石畳

新しい石畳です。
石が馴染んでいないのと、この日が小雨でしたので、とにかく歩きにくく難儀な事でした。

   
   江戸時代の石畳

こちらは江戸時代からの石畳ですが、雨にさらされ石がゴロゴロしていてもっと歩きにくかった。やはり整備をしないとこんなになってしまう事がよくわかりました。

今では人が歩かないから余計に荒れてしまうそうです。(歩くのは私たちのような人だけだそうです)

   
   間の菊川宿

石畳を下りきると間の宿の菊川です。
間宿とは、正式な宿と宿の間に出来た宿で、旅人を泊める時は、宿の許可が必要だったそうです。
いよいよ、小夜の中山の始まりです。

   
   道しるべ

菊川と日坂宿の道しるべです。

   
   久延寺

小夜の中山の峠にある古刹です。
夜泣き石を保存していたことで有名になりましたが、今境内にある「夜泣き石」は代わりの石で本物は、日坂宿小泉屋さんの裏山に保存されております。
ここで昼食。お弁当屋さんが届けてくれた名物弁当でした。

   
   山に茶

昼食も済ませ、元気を取り戻した私たちは、日坂宿目指して歩き始めました。
山に茶の字が描かれております。

目立ちますのでどこからでも見えます。
さすが茶所です。

   
   小夜の中山

ここは、中山峠で、箱根峠、鈴鹿峠と共に東海道三大難所だそうですが、峠を上り切るとこんな長閑な風景が続きます。
峠を上っている時は、登る事だけで後の思考は全くなくなります。
汗びっしょりになって登り切れば後は平たんな長閑なものです。

   
   西行法師

中山峠の茶屋の前に西行法師の歌碑が建っている。
西行法師69歳で峠を越えた時の歌で、「年たけて また越ゆべしとおもいきや 命なりけり さやの中山」と詠んで以来一躍有名になったといわれております。

西行法師の歌碑ですが、何ともおかしな歌碑でした。
普通に自然の石に彫り込んだ方がずっと西行法師らしいと思うのですが・・・

   
   一里塚

佐夜鹿の一里塚で54番目です。

   
   夜泣き石跡

広重の絵にも描かれていた石も、明治政府によって邪魔という理由であっけなく移動されてしまいました。
ここにあったという証拠が記されております。

   
   日坂宿

日坂宿に入りました。
最初に迎えてくれたのがマンホールでした。

   
   本陣跡

ここに本陣があったというだけのものですが、跡地は公園になっているようです。
この宿場は、鉄道が通らなかったの幸いしたのか、比較的昔の建物が残っております。

家々が、古地図と照らし合わせて、屋号を掲げて、宿場の面影を作り上げようとしております。

   
   橋

今回の旅で初めて知った事は、川にかかっている橋ですが、私達は「何々ばし」と濁音で呼びますが、江戸時代は、「何々はし」と呼んだそうです。
答えはいたって簡単で、「水が濁ると困るので・・・」だそうです。
知らなかったのは、私だけだったのでしょうか?

   
   事任八幡宮

「ことのまま」と読み、どんな願い事でも叶えてくれるという有難い神社です。
「願い事のまま叶う」から来ており、全国からお参りに来るそうです。

今回の東海道五十三次散歩のゴールでした。

総歩数 47.900歩 キロ数32.6kでした。

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年賀状じまいはいつに・・・

2018-12-27 17:04:29 | 日常雑感
12月27日(木)
午前中は穏やかでしたが、午後からは約束でもしてあるかのように強い風が吹き荒れておりました。
そんなお天気に従うように、午前中は庭掃除、午後は年賀状書きをしました。

   
   年賀状

いつかはとタイミングを窺っておりますが、中々「年賀状じまい」と言う訳にいかず今日もせっせと書いておりました。

私共のような仕事をしていると、こちらからは中々言いにくい所ですので、新たな人は極力書かないようにして何とか枚数を減らしたいと考えております。

後は学生達です。
新年早々稽古がありますので、年賀状など必要がないと思いますが必ず届きますので、私も必ず返事の書くようにしております。

子供の頃、学校の先生に出すと返事が来ますので、その時の嬉しかった気持ちが今でも私のどこかに残っております。
今の学生達もそうかな・・・・などと思い込んで返事を出しております。

明日の午前中には投函しようと思っております。
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庭の掃除も花を楽しみながら・・・

2018-12-26 17:07:34 | 自宅の庭
12月25日(水)
風もなく穏やかな日でしたので、朝から庭掃除でした。
落葉樹を所々に植えてありますので落ち葉がすごかった・・・かなり詰め込みましたが、ごみ袋四つになってしまいました。

   
   蝋梅

今が盛りです。
今日は何度も蝋梅の横を通りましたが、その都度いい香りがしておりました。
ソシンロウバイで鮮やかな黄色が何とも素敵です。

   
   数寄屋侘助

侘助の中でも比較的新しい品種で、昭和侘助と呼んでいる方もおります。
上品な薄いピンクが特徴で秋の深まる頃から咲き始める侘助です。今年はちょっと開花が遅かったように思います。

   
   紅侘助

植えてから30年くらい経つと思いますが、大きくなってしまい切り取るのに一苦労です。
それでも芯を止めましたので、高さは抑えられております。

椿を生けるのは、蕾はもちろんですが、何といっても葉の付き具合で使える使えないを決めますので、この侘助のように大きくなってしまうと選ぶのが大変です。

明日も庭掃除が続きそうです。

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小夜の中山夜泣き石の伝説は・・・

2018-12-25 20:32:55 | 東海道五十三次の旅
12月24日(火)
今日はクリスマスを楽しんでいらっしゃると思います。
私共では、何時もの通りの静かな一日が終わりました。

   
   広重の浮世絵

東海道五十三次之内 日坂(佐夜ノ中山)の絵ですが、中央の丸い石が夜泣き石です。
広重の時代から街道の真ん中に大きな石があった事が解ります。

この石には悲しい伝説があり、誰もが石を動かすことはなかったそうです。
伝説では、お石という女がここの石に寄り掛かる様に腹痛に絶えているところへ、轟業右衛門という者が通りかかり介抱したが、お金を持っていることを知ると切り殺してお金を奪って逃走してしまった。

   
   名物子育飴

お石は懐妊していたので、傷口より赤子が生まれたという。お石の魂が石に乗り移り、石が夜な夜な泣いたそうで、里人は石を「夜泣き石」と呼んで恐れたといわれております。

生まれた子供は、乳が無いので水飴で育てたという伝説から生まれたのが「子育て飴」です。

出かけてもあまり土産を買った事がありませんが、子供の頃の紙芝居屋さんの売っていた水飴を思い出して、つい買ってしまいました。
浮世絵の絵の中で、道の真ん中に描かれているのが伝説の石ですが、明治になって、この峠を明治天皇が通られる際に、邪魔であると、現在のところに移されたそうです。
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島田宿の川越しと蓬莱橋は・・・

2018-12-24 16:52:40 | 東海道五十三次の旅
12月24日(月)
寒く冷たい北風が吹いております。
東海道散歩から帰ってきましたが、足の筋肉が痛くて仕方がありません。
忘れない内にまとめて置きたいと思いますので、備忘録的ブログになります。

第一日(22日)
朝暗いうちに出かけて皆さんと合流しての出発です。
前回のゴール地点、藤枝宿の千貫堤までバスで行き、そこからが今回のスタートになります。

   
   上青島一里塚

日本橋より51番目の一里塚です。
出発してから、所々に松並木の何本かが残っているような街道を黙々歩いていると、案内の先生が、「一里塚跡ですよ」と言うので皆さん一斉に顔を上げてビックリ・・・
写真のような案内板が建っておりました。

   
   島田宿

島田宿に入りました。
奴さんの街でもありますので、街の至る所奴さんがおります。

   
   マンホール

島田市のマンホールです。
奴さんが帯を掲げて歩いておりますが、帯祭と言う面白い祭りがあるそうでマンホールにデザインされております。

   
   一里塚

日本橋から52番目の一里塚です。
小さな石碑が建っているだけでした。

   
   大井神社

島田宿の産土神社で、洪水を鎮め安産をもたらす神社としてこの土地の人達に信仰されている。

   
   奴さん像

帯祭の奴さんが鎮座している。
島田に嫁いだ新婦が大井神社に詣でて氏子となった報告と安産を祈願した後に、晴着を着て宿中を歩いて披露して回るという仕来りがあったというが、宿場の拡大に伴い大変なことになったため、持参した帯を神前に捧げ、神社の大祭の祭に行列に供する大奴の大太刀に帯を掛けて宿内を歩き披露するようになったのが、今に残る帯祭の始まりだそうです。

   
   石垣

大井神社は洪水を鎮める神様として崇められておりましたので、川越人足達が仕事が終わるたびに川の石を持ち帰り、その石を積み上げて土手にしたが今に残っております。

   
   大善寺の鐘

このお寺の鐘は、明け六つ(夜明け)暮れ六つ(日没)を知らせ、川越の合図になったそうです。

   
   大善寺

大井川の近くにあったために、天明4年に時の鐘として設置されたそうです。

   
   川越し遺跡

今でも家に暮らしているところもありますが、大方の家はどちらかに引っ越されて、今では「川越し遺跡」などと呼ばれております。

   
   関

大井川が氾濫すると、ここに板をはめ込んで、水が宿内に来ないようにしていたとこです。
どれほど機能していたのでしょう。

   
   島田といえば

女性の髪型です。
文金高島田などここが発祥だといわれております。
色んな髪型が並んでおりました。

   
   番所の人形

人気のない家の中に入るとこんな人形がおりますので誰もが驚きます。

   
   番所の中

使われていた連台が無造作に置いてあります。
この上に板などを敷いて川を渡るのだそうですが、怖かったでしょう・・・

   
   川越しの値段

幕府によって統制されるまでは、渡り賃もまちまちで、中には安く請け負って、川の中ほどで、高値を請求する者も現れだしたので幕府によってその料金が決められたといわれております。

川越の値段は、川会所と言われる幕府の直轄するところで、その日の水深を計って川越賃を決め、川札を販売し、旅人はその川札を人足に渡し、それぞれの料金に従って川越をしたそうです。

   
   高連台

身分の高い人達が乗ったそうですが、大名行列が全部渡り切ると100万円くらいかかったそうです。
ここ大井川が水かさが増すと「川留め」になり、旅人があふれてしまうそうで、島田宿に泊まれない旅人は、藤枝宿に引き返して水の引く(川明け)のを待ったそうです。

川留めになると、宿場は大勢の旅人が飲んだり食べたり遊んだりで宿は大儲けしたそうです。

   
   蓬莱橋

今回一番行きたかったところです。
ここがあったから、東海道に興味を持ったのかも知れません。
夕闇迫る蓬莱橋に行って来ました。

   
   勝海舟

橋のたもとに勝海舟の像が建っております。
誰もが「??」と思ったはずですが、説明を聞いて全員が納得しました。

この橋を渡った先には、「牧之原」という幕臣たちが開墾して開いた茶畑があるために、どうしても橋が必要になり海舟の出番となったようです。

   
   蓬莱橋

同行の皆さんが渡り始めました。
全長897.4mあり、今でも有料で観光資源になっているらしい。

   
   時代劇

こんな感じで時代劇に出て来そうです。
最近でも撮影が来ていたと係の方が自慢そうに言っておりました。

   
   蓬莱橋

秋の台風で流木のため、橋脚が痛められてしまい半分までしか歩けませんでした。
それでも充分満足でした。
心穏やかにしてくれる橋のでした。
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島田宿から日坂宿を目指して。。。

2018-12-23 17:08:02 | 東海道五十三次の旅
12月23日(日)天皇誕生日
昨日からの続きで東海道を歩きました。
今回のゴール地点から、バスに乗り帰宅途中です。

   
   島田宿

まだ人通りの少ない6時ころに撮りました。
島田宿の現在の風景です。昔の面影はまったくありませんでした。

   
   島田宿マンホール

島田宿のマンホールです。
奴さんが、
帯を掲げている図柄ですが、ここでは帯祭りが有名ですのでマンホールに画かれております。


今日はここから、金谷の峠そして、小夜の中山を経て日坂宿まで歩きました。
くたくたになった体をバスに委ね帰宅途中です。
帰りましたら備忘録ブログにまとめたいと思っております。
大渋滞ですので、何時に帰れるか予測不能です。

   
   



   
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東海道五十三次 島田宿で。。。

2018-12-22 16:59:09 | 東海道五十三次の旅
12月22日(土)冬至
今日は暗い内に家を出掛け、東海道五十三次散歩で静岡県島田市に来ております。
天気予報の通り、バスを降りる頃には雨がシトシト降りだしました。

   
   昼食の弁当


歩き出して一時間で昼食です。
この地方の名物弁当で、お弁当のパッケージには、「やじさんきたさんも食べた」と書いてありました。
染飯弁当と言うそうで、お弁当好きな私はにたまらないお弁当になりました。

   
   地元名物弁当

明日は峠をふたつ越えますので、かなりハードな1日になりそうです。
今晩はゆっくり休んで明日に備えようとおもいます。 
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