tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

大學の稽古から大學の会場へ・・・

2018-10-31 22:18:26 | 茶会の準備
10月31日(水)
今朝の寒さは秋深しを充分に感じさせてくれました。
今日も大學へ行って来ました。

   
   自然の光

何時もの事ですが、自然の光陽のお茶室でのお稽古でした。
こちらの大学も、学園祭前最後のお稽古でしたので、御園棚が初めての二年生には二回続けて稽古をしてもらい、充分出来るという自信を感じさせてあげました。

   
   花

花は、フジバカマとノコンギクです。
さすがに菊類ばかりになって来ましたが、今が盛りの花ですので綺麗です。

   
   学園祭

大學の稽古が終わると、その足で昨日の大学へ行って、明日から始まる学園祭の会場作りです。
机や椅子を運び出してしまえば、ガランとした部屋ですが、ここにお茶会らしい雰囲気を作って行きます。

私が大學へ着いた時は、道具類が運び込まれておりましたので、幕を張り御園棚を設らえれば完成ですが、これが中々スムースに行かないところが大学生の集まりです。

二時間くらいかかってしまいましたが、まずまずの出来栄えでした。
明日の正午からお客様を迎えるそうです。
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お稽古にも力が入り・・・

2018-10-30 17:28:16 | K大學の稽古
10月30日(火)
気持ちの良い程の快晴でしたが、午後からは、真冬のような北風が吹き抜けておりました。
この風で、色づき始めた葉も吹き飛ばされてしまったかもしれません。
今日は大學へ行って来ました。

   
   御園棚

学園祭まで最後の稽古日でしたので、本番さながらのお稽古になりました。
お点前の手順は誰もが完全に覚え切りましたので、後はこまごましたところですので、今日は余り注意をしないようにいたしました。

   
   お菓子

「みやびもち」という銘の付けられた新作のお菓子だそうです。
羽二重餅にくるまれているのは、グラウンド・チェリーという名の鬼灯で、一個そのまま入っていて、上手に切らないと中々切れませんが、口の入れると何とも不思議な味のお菓子でした。

羽二重餅の甘さとホオズキの酸味が丁度良いほどに口の中で絡み合い、とても美味しい味がいたしました。
これは売れるかも知れません。

グラウンド・チェリーは、9月から12月しか手に入らない貴重なものだそうです。

   
   一服

三時に出してくれました。
「みやびもち」を頂いた後ですので、口の中は、かすかな酸味が残っておりますしたが、お抹茶の味を邪魔する事なくいただけました。

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映画「日々是好日」に行って・・・

2018-10-29 17:19:54 | 観覧
10月29日(月)
雲ひとつない穏やかな一日でした。
月曜日でストレッチ教室の日でしたが、急用ができて欠席してしまいましたが、用事が早く終わったので、見たかった映画を見て来ました。

   
   日々是好日

映画「日々是好日」を見て来ました。
下町のお茶の先生役の樹木希林さんが、お茶の先生を演じ若い人達に、茶道の手ほどきをする場面など、実によく研究されていると感心してしまいました。

お弟子さん役の黒木華さんも、多分一生懸命練習をされたと思います。
みなさんとても自然に演じておりましたので、街の小さな茶道教室の雰囲気もよく出ていたと思います。
久し振りの映画を堪能致しました。
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炉開きを済ませて・・・

2018-10-28 17:51:40 | 自宅稽古
10月28日(日)
秋晴れの爽やかな一日、自宅で炉開きの茶事を行いました。
毎年懐石での炉開きでしたが、今年はちょっと横着をして、仕出しのお料理に致しました。

   
   床の間

軸は、「関 南北東西活路通」を掛けて、茶人正月と言われております炉開きを祝いました。

   
   花

花は、太神楽椿とニシキギです。今朝庭に出て椿を探していたら目に飛び込んできたのが、この椿「大神楽」でした。葉の形も申し分のない椿です。

   
   香合

香合は、信楽焼の「ガラン」を使って見ました。
今病床に臥せっている友人への応援歌ともいえる香合です。

   
   炉

お客様の入る前に下火を入れて準備が整いました。
久し振りの炉の火です。赤々生きているように燃えておりました。

   
   お弁当

炉開きで初めての仕出し弁当です。
何もしなくても良い・・・・何と楽なのでしょう。

   
   煮物椀

松茸の入った煮物椀です。
香りも味も・・・秋でした。

   
   ぜんざい

お弁当が食べ終わると、ぜんざいを運び出しました。
お弁当でかなりお腹がいっぱいになっているはずですが、皆さんペロリと召し上がったようです。

一旦中立ちをして、お濃茶へと入って行きます。
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道具を出すのは楽しいもので・・・

2018-10-27 17:23:23 | 茶会の準備
10月27日(土)
朝の雨が嘘のように晴れあがり、爽やかな一日となりました。
今日は一日かけて、明日の炉開きの準備でした。

     
   準備なった茶室

すべての道具を出し切ったのが、お昼を挟んで2時頃でしたので、それから掃除を始めましたので、やはり夕方までかかってしまいました。

明日はまだ10月で、お茶の世界では、「名残り・・」という独特の楽しみ方がある時期ですが、学園祭を控えておりますので、11月に入ってからではとても無理ですので、明日の開催となりました。

今日はゆっくり休んで明日に備えたいと思っております。
道具を出すのにどうして時間がかかってしまうのでしょう・・・。

答えは簡単で、道具を出しながらほかの道具などを出して見ているからです。
道具出しは、あれこれ考えながら出しておりますので、一番楽しい時なのかも知れません。

自分の道具ありながらが、余り見る事がありませんから、出しては仕舞い、仕舞っては出して眺める・・・楽しいひと時になっているようです。
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盆略点前ですが・・・

2018-10-26 18:26:04 | 非常勤講師奮闘記
10月26日(金)
朝は寒いようでしたが、日中はちょっと暖かく感じられるような一日でした。
今日は高等学校へ行って来ました。

   
   お菓子

お菓子は見た通りの大きな栗でしたので、生徒たちは大喜びで食べておりました。
こちらの高等学校でも、文化祭の日程が決まりましたので、それに向てのお稽古です。

週一度、限られた時間内での授業ですので、大学生のようなわけには行かず、盆略点前がやっとといったところです。

それでも、みんなやる気十分ですので、お稽古も熱が入ります。
3限90分、20分の休憩時間とって、4限90分の授業ですが、最初から最後まで、ずっと喋りっぱなしといった状態でした。

何とかできそうです。
そして、みんな楽しそうにやっております。
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畳替えは重労働ですが・・・

2018-10-25 17:42:37 | 自宅稽古
10月25日(木)
何となく暖かく感じた一日でした。
今日は朝から、お医者さん巡りで午前は終ってしまいました。といっても、帰って来たのが2時頃ですから、お医者さんを回っているうちに病気になってしまいそうです。

   
   炉の仕度

遅い昼食を済ませてから、畳の入れ替えと襖の入れ替えをしました。
この畳替えが、風炉から炉へ、炉から風炉へと変わる時、最も重労働のひとついなっております。

畳など入れ替えないで、炉の上を畳か小板で蓋をしてしまえば、それはそれで風炉のお稽古は出来ますが、先生がそう云う横着が嫌いな先生でしたので、自然とそうなっておりました。

畳を入れ替え、炉壇据えて灰を入れ、釜を乗せて高さの調整をすれば終わりです。
夕闇が迫る頃やっと終わることが出来ました。

大學の学園祭は、11月1,2,3,4日ですが、その前に、我が家の炉開きをしなくてはなりませんので、気持ちばかり焦っております。

病気なんてしてはいられません。
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学園祭までのカウントダウンが・・・

2018-10-24 17:33:41 | 大學の稽古
10月24日(水)
朝の冷え込みは秋深しです。
とうとう暖房を入れ始めました。
今日も大學へ行って来ました。

   
   御園棚

学園祭までカウントダウンが始まりましたので、とにかく御園棚のお稽古です。
下級生は、お菓子の出し方、お茶の運び方など繰り返してお稽古をして来ました。

   
   床の間

花は、ツワブキです。
暗くて逆光で分りにくいと思いますが、綺麗に生けてあります。

上級生は御園棚のお稽古に没頭しておりますが、手の空いている上級生は下級生のお稽古を見てあげるようにしております。

    
   夕方の空

東の空の、入道雲の上の方だけに日が当たり珍しい光景でしたので撮って見ました。
こんな時に限り、カメラを忘れて持っていませんでしたので、スマホ出の一枚です。


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酔芙蓉がやっと水をあげて・・・

2018-10-23 17:01:40 | K大學の稽古
10月23日(火)霜降
朝の冷え込みは秋の深まりを十分に感じさせてくれます。
今日は霜降。霜が初めておりる日といわれ、暦通りの寒さになっております。

今日は大學へ行って来ました。

   
   花

花は、酔芙蓉です。
何度か水切りをして、何とか立ち上がりました。

   
   切り柄杓

落ち着いてお点前が出来るようになって来ました。
学園祭まであと2週間ですが、お点前に関しては心配することはないと確信しております。

   
   お菓子

わらび餅でした。
当然のことで、黄な粉が乗っておりますので、皆さん食べるのに一苦労と云ったところですが、美味しかった・・・

黄な粉が落ちないように気遣ってくれて、セロハンの上に乗せて出しくれました。

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興津宿から府中宿まで

2018-10-22 20:24:58 | 東海道五十三次の旅
10月22日(月)
雲ひとつない快晴です。
今日のストレッチ教室は休んでしまいました。

東海道五十三次散歩の備忘録的ブログにですので、少し長くなっておりますがお読みいただければと思っております。

   
   興津宿

前回のゴール地点から出発です。

   
   旧東海道

興津宿の東海道ですが、土曜日のためかたまに車が通る程度の静かな宿場町でした。

   
   興津宿の碑

東海道17番目の宿場町で、興津という地名は、「象潟神社」の興津宮を勧進してお祀りしたことに由来しているそうです。

   
   脇本陣

脇本陣水口屋初代当主は武田信玄の家臣であったといわれ、武田家亡き後は、商人として財を成し、江戸時代には脇本陣になり、明治以降は、政治家、皇族、財界を始め多くの文人墨客が訪れる別荘旅館になっていったいえで、現在はギャラリーとして、水口家に伝わる資料を公開しております。

   
   清見寺

徳川家康の幼小の頃の「手習いの間」が残っており、寺紋として「三葉葵」が許されていたお寺でもあります。
障子の手がかりなどにも三葉葵がくっきりとはめ込まれておりました。

   
   清見寺

これ程由緒あるお寺ではありますが、明治政府が東海道線を敷く時には、このお寺の境内を真っ二つに分断してしまっておりますので、お寺の門と境内の間を電車が走っております。

徳川の世が終わった象徴のように力を見せたのだといわれております。
このお寺には、鎌倉幕府の重臣だった「梶原景時の血天井」と呼ばれている天井がありました。
説明は、長くなるので省きます。

   
   東海道線

このように真っ直ぐです。

   
   坐魚荘

敷地が300坪もある京風な二階建てのお屋敷は、西園寺公望の別荘「坐魚荘」です。
坐魚とは、魚を釣りながらのんびり過ごすという故事から名付けられたそうですが、当時は、「興津詣」といわれるほど来客がありのんびりしてはいられなかったといわれております。

今は、一般に公開されてボランテアスタッフが案内方々説明をされております。

   
   波除け

坐魚荘の前に石垣が積んでありますが、当時ここまで海であった証だそうです。
今は二階から遠くに海を見るほどに埋め立てられております。

   
   井上馨

明治の元勲井上馨像です。
井上馨がここ興津の別荘で、喜寿の祝いを開催した時、出欠の郵便の数が多く、井上馨方が、「このポストに郵便を入れるように」と、ポストを赤く塗ったそうで、今、ポストが赤いのは、その時の名残りからだそうです。

   
   岡崎信康の墓

浄土宗の江浄寺というお寺に、「岡崎信康公の墓」があります。
徳川家康の長男であり、信長の婿でもあったのに、武田方と内通しているという疑いを掛けられ切腹させられてしまった武将であります。

   
   江尻宿

江尻宿に入りましたが、宿場の入口にあるはずの木戸の痕跡すら残っておりませんでした。
ウオーキングリーダーが、宿に入る前から、「江尻には何もありません」といい続けておりましたが・・・本当に無かった。

   
   本陣跡

真新しい本陣跡の碑を発見。
まだ建てたばかりです。「江尻寺尾本陣跡」と書いてありました。

   
   江尻宿木戸址

この木戸址の説明が面白かった。
いつもここを通る時にここはごみ収集場所で、ごみが山積になっていたそうで、今日はたまたま土曜日で収集日ではなかったらしく、木戸址が現れていたのだそうです。
こんな大事なところを、ごみ置き場にしている面白さ・・・

   
   稲荷神社

通称「サッカー神社」と呼ばれているところで、大きなサッカーボールが鎮座しておりました。
「お孫さんがサッカーをしている人は良くお参りしていってください。」とリーダーの一声で、何人もお参りをしておりました。

   
   追分ようかん

名前の通り追分に店を構えている「追分ようかん」で、ここで「是より志ミづ道」と書いた道標が、追分であることを証明している。
羊羹が名物で、江戸昔から製法は変わらずに味を保っているというお店です。
同行の皆さん大量にお買い上げです。

   
   石松の敵討ち

清水次郎長が、森の石松の敵討ちした場所で、討たれた都鳥一家の供養塔だそうです。

   
   一里塚

草薙の一里塚は、江戸より43里(170k)43番目。
塚は、9m高さ1.8mあり、脇には高札場があったそうですが、今はこの碑が建っているのみです。

交通量が多く写真も命がけなんて言ってた人もありました。
この日は、ここで日が暮れてしまいましたので、迎えに来てくれたバスに乗って、夕食を済ませてからホテルへ向かいました。

10月21日

   
   草薙神社

日本武尊を祀った神社で、創建は分かっていないそうです。
伝えによれば、蝦夷平定に向かった日本武尊は、ここで敵の火責めにあったが、「天叢雲の剣」(あめのむらくものけん)を抜き、呪文を唱えながら燃える草原を薙ぎ払って難を逃れたといわれております。
これが神社と周辺の地名になった由来だそうです。

   
   富士山

快晴の東海道ですので、歩いていると随所に富士山が見えます。

   
   東海道の行き止まり

ここで東海道は旧国鉄の操車場の開設のために切り取られてしまいました。
私達は、新設された地下道を通って向こう側へと歩いて行きました。

   
   一里塚

長沼の一里塚、江戸から44番目の一里塚です。

   
   静岡市

静岡市の中心地に近づいております。ビルの間から富士山が見えております。

   
   曲金

もうすぐ府中宿に入ります。

   
   金曲観音

この観音様は、清見寺の時に出て来た、梶原景時を祀った観音様です。
ここで討ち死にをした梶原景時の供養のために地元の人たちが建立したそうです。

   
   府中宿

府中宿に入りました。

   
   府中宿

宿内の案内の碑。

  
  本陣跡

最近の街道歩きの人気に後押しをされて設置された本陣跡の碑です。
今は跡形もありません。

   
   西郷隆盛談合の碑

幕末にここで、西軍西郷隆盛と幕府方山岡鉄舟が会見をしたところです。
西郷「慶喜公を差し出して・・・」鉄舟「御断りいたします。・・」こんな会見がされたそうです。

   
   高札場

ここに高札場があったそうです。
今は静岡市いちの繁華街になっております。昔も、こうして人通りの多いいとこに高札場を設置したそうです。

   
   わさび漬

家康以来のお店で、代々受け継がれた味を今でも味わう事の出来る唯一のお店だそうです。
皆さんたくさん買っておりました。

   
   一里塚

府中の一里塚、45番目。

   
   由比正雪碑

正雪の乱の首謀者由比正雪の碑です。
犯罪人ではありますが、有名人でもありますので、生家や泊まったお宿などは繁盛しているという事です。

   
   安倍川もち

有名な安倍川もちです。
家康が領内を視察していた時に立ち寄ったところで、きなこ粉をまぶしただけの餅を出したところ、大変気に入り、以降「安倍川もちにしてはどうか」といわれ、それ以来続いているという、お店です。

私も甘い餡子に負けてとうとう買ってしまいました。

   
   安倍川

広い川ですが、水は余り流れておりませんでした。

   
   駿府城

徳川家康の隠居城ですが、各大名は江戸と同じように駿府詣でをしたそうです。

   
   駿府城公園

今年は、秀吉の瓦が発見されたという報道で見学者が一日に3000人も来るそうです。

   
   浅間神社

地元では「おせんげんさま」世呼ばれて親しまれている神社です。
徳川家康がこの神社で元服式を行っている事から、徳川幕府から手厚い保護を受けていたそうです。
今回の東海道五十三次散歩はここがゴールとなりました。
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