中国盧溝橋の橋の上で、私。
7月7日は、もちろん七夕の日。でも、もう一つ忘れてはいけなのは、盧溝橋事件が起きて、日本が中国全土への日中戦争へ突入した日です。1937年、7月7日のことです。
今日の赤旗の「潮流」を読んで驚きました。
大学で歴史を教える丸浜先生のアンケートで「1945年に日本が負けた主な国をあげよ」との出題に、クラス40人中34人が中国をあげなかったそうです。
同じアジアの同胞なのに、あまりに中国との戦争の認識がなさすぎるとの指摘です。
2004年に、中国東北部へ旅しました。2010年には南京など南へ旅しました。
満州国と言われたところ、そこには戦争記念館や抗日記念館があちこちにあり、中国の子どもたちの平和の学習の基地になっていました。南京にも、大虐殺された歴史を語る記念館がありました。
たくさんの記念館を見て、私も思いました。日本人はもっと知らなければならない。あまりにも無知だと。
今の中国は、手放しで歓迎できない外交姿勢があります。
しかし、私は戦争記念館を見て心揺さぶられたことの数々を忘れることができません。
その一番が、盧溝橋のそばにあった「中国人民抗日記念館」です。そこには、憲法九条の全文が大きく拡大され掲げられていました。「これが新しい日本の憲法です」と説明されていました。
そしてパンフレットには、「戦争の事実を学びなさい。それはこれから先、未来永劫戦争はしないために、そして日本と仲良くしてゆくためです」との意味の文言が書かれていました。
一方では、吐き気を覚えるほどの残忍な資料です。中国人を殺し肉を餃子にして食べた、とか、中国人の首をどれだけはねたかを競わせ、「〇〇少佐が〇人殺した」と堂々と記載された当時の日本の新聞記事の陳列・・・・
だからこそ、憲法九条の掲載やパンフレットの内容に感動したのです。
尖閣諸島の問題で、日中が対立した時、中国のガイドの湯さんがメールをくれました。「国同士が対立しても、国民は友情で結ばれている」そんな内容だったと思います。
ベトナムの学生を受け入れるについて、国民同士が知り合い交流を深める事が平和の礎だなあと、あらためてそう思いますね。