差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

ガーベラの季節

2019年12月21日 | 日記

 すっかり淋しくなった庭で年に2度花をつけるガーベラ、その一株だけ遅まきながら季節外れに咲いてくれたのでアップする。これも暖冬の影響か。

 ところで、昨日は休診明けの医院に診察に出かける。開診30分前に出かてたのだが待合室は4,50人ほどで満席だった。7割方ご婦人の面々、それも会話からどうやら常連さんのよう方が多い。「Nさん遅いわねぇ、風邪でも引いたのかしら、、」に始まり、病のことではなくエンタメ情報を始め世間話で楽しそうに会話が弾む。これは一部の方々かも知れないが、そうした方々にはまるでサロンのようである。

 2時間ほど待って3分ほどの治療で解放される。病院は、高齢者の交流の場といわれて久しいが、それを実感した一日であった。

昨日は 9,931歩


アオキ・ピクツラータ

2019年12月20日 | 日記

 万両やセンリョウ(数少ないが)の実は、赤く染まっているのだが、アップしたアオキの実は未だ青いままである。

 アオキの実は鮮やかな赤という印象が強く、これまで気にも留めていなかったがこの様子だと赤く染まるのは年を越してからということか。赤く染まったらまたアップしよう

 さて、手術の治癒具合を見てもらうため(昨日は休診)出かけることとする。若い時と異なり治癒力も衰えているだろう。

 ところで先日アップしたジョロウグモ、まだまだ網を張って頑張っている。ちと勇気をもらえそうだ。

 昨日は 5,303歩


凪の多摩湖

2019年12月19日 | 日記

  東京の水がめ多摩湖は、珍しく水位も下がり2つの取水塔が元の方まで見ることができた。また何時もはさざ波が立っているのに、昨日は湖面が鏡のようで遠く奥多摩の山々が映っていたのでアップしてみた。凪の多摩湖を見るのは、久しぶりである。日々のウォーキング、四季の移ろいを見るのも楽しみの一つである。

 日常の生活も凪のようであって欲しいが、そうはいかない。午後庭の枯草の片づけをしていて2時頃、迂闊にも鎌で指を切る。

・医院で診察腱も切れているので専門医を紹介される。

・S医院へ行き手術を受ける。麻酔注射のいたい痛いこと。

・抗生物質の点滴をということで看護士が試みるがうまく流      れない、3回の刺されて痛い目に合う。別の看護士に交 わり スムースに流れOKとなる。

・7時にようやく放免となる。

 不注意が産んだ事故、これも老人力、、反省しきりの一日であった。

 それにしてもどこも患者さんで混みあっていた。これが現実か。

 昨日は 11,078歩


和水仙、開花第一号

2019年12月18日 | 日記

 あちこちに生えている和水仙、今朝見たら第一号が咲いてくれていたのでアップする。昨年は12月8日にアップしているから10ほど遅くの開花ということか。

 ところで老人力のいたずらか年々嗅覚の衰えが気になる。以前にも記したが撮影してもあの香りが届かない。今朝も撮ってから花を手向けて味わう始末である。まあ。衰えたとはいえあの芳しい香りを近づけて愉しめることに感謝しよう。ホームの兄は嗅覚の楽しみがないという、試しにもっていってみようか。

 昨日は 4,688歩

 

 


落ち葉の絨毯

2019年12月17日 | 日記

 庭の柏や山毛欅は春まで枯葉をつけているが、多くの木々は今盛りと枯葉を散らしている。ひとたび木枯らし吹かば枯葉舞う街となる。

 日頃のウォーキング道路は、今落ち葉で絨毯を敷き詰められているようである。吹き溜まりの枯葉を踏んで歩くと、遠く子供のころひとり山道を歩いて経験した後ろから誰かが付いてくるような懐かしい感じとなる。

 

 今故郷でも車の通らない山道は、誰も通らないため次々と廃道となり、母の里に行くため連れられて歩いたあの懐かしい峠道は藪に覆われその痕跡すら見当たらないようになっている、、、。枯葉の絨毯を歩いてそんなことを想い出した。

 昨日は 11,152歩

 


寒椿が、、

2019年12月16日 | 日記

 寒さの中で寒椿が次々と咲いているのでアップしてみた。チー、チーと囀りながら訪れるメジロたち、周りを警戒しながら蜜を求めている姿が可愛い。

 さてさて、今日は郵便局から年賀状が届く日である。それにしても嘗ては年賀状が売り切れになるというので早く求めたものである。今は郵便配達員さんたちが注文を取り届けるという様変わりとなった。

 そろそろ年賀状を作成に取り掛かるか。年々終活年賀状という年賀状が多くなった。正月早々こんなハガキを見せられるのは淋しい限りである。何か別の方法ですることができないものだろうか。

 昨日は 8,286歩


落椿

2019年12月15日 | 日記

 落椿は春の季語といわれているが、我が家の椿はひとたび昨夜のように強風が吹けば早くもアップしたように落花となっている。山茶花のようにパラパラと散ることなく萼を残してバサッと散る。

 これが人の首が落ちることを連想されることから忌み嫌うという風習があるそうだ。美しい花、椿にはちょっぴり可哀そうにも想える。

 他にも人様の勝手の連想で彼らを傷つけてはいないだろうか。逆に千両のように縁起のいい植物と言うものもあるのに、、、。

 昨日は 3,752歩


カラスウリ

2019年12月14日 | 日記

 すかっり明るくなった林の中で目立つのは真っ赤なカラスウリである。先日採取して庭のウグイスカグラの枝に吊るしておいたところ、今朝見たらたら果肉も種もなく空洞で朱い皮のみであった。

 知らぬ間に野鳥たちの食卓に上がったようだ。よく目立つ色が、彼らを招いたのであろう。種子は消化しないだろうから野鳥があちこちの運んでいくということか。

 さて、今日は親戚の方の1周忌法要で高幡不動に出かける日である。旅立たれて早くも1年ということか。去る者は日日に疎しというが、故人を悼み冥福を祈ろう。

 昨日は 10,308歩


明るくなったぶどう棚

2019年12月13日 | 日記

 今期は黒とう病に侵されたナイアガラ、剪定時期としては早いかもしれないが昨日行う。再生を願って全面に延びていた蔓を半分ほど思い切って剪定した。

 明るくなったぶどう棚を見て来春の芽吹きを想像し、まめに世話をして行こうと想う、、、。

 さて、今日は後輩たちに誘われて数少なくなった忘年会、はるか遠くなった現役時代の思い出話に花を咲かそうか。

 組合活動盛んなころ、その対策に頭を悩まされた諸々(立場の違いから)のことも、今や懐かしい想い出の一つとなったのである。

 昨日は 9,985歩


ジョロウグモの命

2019年12月12日 | 日記

 庭のあちこちに巣を張った3匹のジョロウグモ、彼らの奮闘ぶりを愉しませてもらった。既に2匹は産卵という大きな役目を終えたのか姿を見せなくなってしまった。食料調達もままにならないこの寒空に未だ1匹、生を愉しんでいるのでアップしてみた。何故か励まされているような感じなくもない。

 周りを見渡しても2匹いた雄は見当たらない。彼女の餌食にされてしまったのかもしれないか、、、。毎朝、ささやかな愉しみファーブルに見習ってその生を確かめている。年を越すかな?

 昨日は 11,018歩