緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

理想のタッチを得る条件(その3)

2023-12-10 22:25:29 | ギター
今日は久しぶりにマンドリンコンサートを聴きに行ってきた。
東京マンドリンクラブと千葉マンドリンクラブの指揮者が振る演奏会と、中央大学マンドリン倶楽部の第125回定期演奏会のどちらかにするか迷ったが、前者の演奏会を選択した(有難いことにチケットもいただいた)。
エルガー、イベール、マーラー、ベートーヴェンといった作曲家の弦楽、管弦楽、交響曲などのクラシック音楽をマンドリンオーケストラに編曲したプログラムであったが、このような演奏会はこれまで目にしたことはない。
編曲も大変であろうが、オリジナルが通常のオーケストラ編成であるがゆえに演奏は困難を極めるレベルであり、短期間(5か月ほど?)でここまで仕上げたな、というのがまず最初の感想だ。
マンドリンオーケストラ界の演奏会において、次第に、100年、200年と長く演奏され、鑑賞され続けられる力を持ったオリジナル曲の演奏割合が減少し、現代的な感覚に満ちてはいるがどことなく物足りなさを感じる曲の割合が徐々に増えつつある状況のなか、偉大な作曲家の手により主に19世紀から20世紀にかけて生まれたクラシックの大曲だけを集めてマンドリンオーケストラで演奏するという試みはこれまでに無く斬新であり、編曲をはじめ技巧面や音楽表現力の困難性に対する大いなる挑戦という、何かこの音楽領域に新たな方向性を見出そうとしているようにも感じられたのである。
演奏はどれもが素晴らしかったが、あえて挙げるとしたら、エルガーの弦楽セレナード第2楽章ラルゲットが最も聴きごたえがあったことを記載するにとどめておきたい。

帰りはたまたま同じ方向に歩いていた東京マンドリンクラブのメンバー数人と出会い、そのまま居酒屋に。
予定外のことだったが、コンサートの後にまっすぐ帰るのも寂しいものだからかえって良かった。

さて、話題は変わり「理想のタッチを得る条件」についての考察であるが、そもそもタッチの仕方というものがどういうプロセスで決まるか、ということを考えてみる必要があると思う。
ギター音楽を殆ど知らない段階で教室の先生に習った方は恐らく、特定の先生から教えられたとおりのタッチの仕方を盲目的に身に付けるものと思われる。そしてそのタッチの仕方は一旦定着するとその後ずっと継続されていくに違いない。このような過程を経て演奏されている方は結構見かける。
これに対して、ギター音楽を聴き、その音に魅力を感じてギターを始めた人は、いろいろな奏者の演奏を聴く中で、「このような音を出したい」という思うようになる。
タッチの仕方はある程度基本というものがあり、教室の先生や教本から教わる必要がある、そこから先は、各自が理想とする自分の音の表出を目指して試行錯誤しながら見出していくものだと思う。
各自がどのような音を理想とするかは自由ではあるが、それでも大切なことは、「ギターにとって魅力のある音とはどういう音なのか」、「他の楽器には出せないギターの音の美しさとは一体どのようなものなのか」というようなことを常に考える必要があると思う。
自分の音を常に客観的に見つめ、自分の出したい理想の音に対する飽くなき追求という姿勢が日々の練習を楽しくするし充実させることは間違いない。
そのためにはやはりギターの巨匠と呼ばれる優れた演奏家の音を出来るだけ聴くことが必要だ。新しいとか古いとかは当てはまらない。
たった1度聴いただけなのに、何故かずっと記憶に残っている音というのがある。そのような音は聴き手の深いところまで届くほど感情エネルギーを内在させている音と言える。このような音をどうやったら出せるのか、ということを考えていくことで自然にそれに見合うタッチが見いだされるのではないかと思う。
(私の場合、高校3年生でラジオで聴いたホセ・ルイス・ゴンサレスの音がまさにそうでした)
客観的に自分の音を見つめるには生の音で録音するとか、人に聴いてもらうという手段がある。

「タッチの前に優れた演奏家の録音をたくさん聴く」
これは理想のタッチを得るための最も重要な前提条件だと思う。

さっき録音したいつもの曲をアップしておく。トレモロがなかなかそろわない。最後ミスりだ。

①アルハンブラ宮殿の思い出 2023年12月10日夜

②スペイン舞曲第5番アンダルーサ 2023年12月10日夜





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