緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

対人恐怖症の根本解決とは何か考えてみた

2022-06-21 21:01:17 | 心理
この世には、対人を始めとする様々な恐怖という感情を恒常的に感じるがゆえに、生きづらさを感じながら生きている人がたくさんいる。
このようなことを言う私も、30年以上にわたって恐怖感情に苦しんできた人物である。
しかし長い間の試行錯誤を重ねた後、ある方法(というか考え方)に気付いてから徐々にではあるが時が経過する度に恐怖感が軽減され、今ではかなり能動的な生活を送れることが出来るようになった。
その速度はたまねぎの薄皮をゆっくりと時間をかけて剥がしていくような速度ではあったが、遠回りのようで実は本質的な解決に向かうものだと今では確信している。

恐怖症と言っても千差万別で容易にパターン化出来るものではなく、人によって固有な症状であると言えるが、ここから先に述べることは下記のことを前提にしていることを初めに書いておこうと思う。

・「人」に対する恐怖であること(人から攻撃される、責められる、嫌なことを言われる、される等)。
・特定の場面、特定の人、性別、年齢等に対して恐怖感を感じるのではなく、いつも、絶えず、24時間寝ても覚めても感じていること。
・恐怖の強さのレベルが不安といったレベルではなく、まともに感じるとギャーと叫んで気絶してしまうほどの強さのレベルであること(従って日常生活ではまともに恐怖を感じないようにたいていは意識外にしまい込んでいる)。

では何故、このような堪えがたい辛い恐怖感情を恒常的に持つようになってしまったのか考えてみたい。
それは、今までの人生過程で、恐ろしい体験を長きに渡って数多くしてきたことの結果なのである。
しかも誰も本当の意味で理解してくれたり、助けてくれたりされることがなかったため、恐ろしい目に会うのは自分が悪いからだ、自分に責任があるからだと受け止めざるを得ず、それを頑なに信じて来た結果なのである(自己否定の構えの内面化と潜在意識への自動回路形成)。

対人恐怖症者は自分も他人も信じることが出来なくなっている。意識のうえでは人を信じたいと思っても、無意識ではそれに反してブレーキがかかるやっかいなものだ。
そして次第に他人と接することの辛さから、人を遠ざけるようになり、自分の殻に閉じこもり、孤独な人生を歩むようになる。

そうすると対人恐怖者は殆どの場合、このような状態があまりにも辛く受け入れ難いがために、自分のこの状態を憎むようになるのである。
「これさえなければ、私は他人と同じように幸せな人生を送ることができるのに!」と。
そしてこのあまりにも辛い現実の自分を抹殺し、今すぐにでも楽になって他の皆と同じように生まれ変わって幸福な人生を歩むことを強迫的に求めるようになるのである。
(ここが引っ込み思案とか内気とか言われる人と異なるところでもある)

現実の自分を抹殺して理想の人間像を強迫的に追い求めるということはどういうことであろうか。
それは現実の辛い自分を意識の外に追いやり、自分が思い描く理想の人間像になるべくすさまじい努力をするということである。
自分が思い描く理想の人間像とは具体的にどういう人間か。
例えば、他人に迷惑にならない人間、他人から責められない人間から始まって、人から一目置かれるような優秀で立派な人間、大勢の人から尊敬される人間などである。
しかしその選択の代償はあまりにも大きい。
このすさまじい努力をすればするほど現実の実際の自分との乖離が進行していき、気付いたときには回復不能か回復するのに数十年を要するまで心が崩壊するに至るのである。
乖離が進行すると当然のごとく心理状態がますます悪化していくのであるが、たいていはその悪化による辛さをさらに意識の外に追いやり、意識上は平然とした人間であることを自分にも他人にも演じようとする。
その繰り返しの惨たらしい、精神に著しい害を及ぼす作業も限界に達すると、次第に人の声が聞こえなくなる、しゃべることが出来なくなる、視界が自分の周りしか無くなるなどの症状が現れ、重度のうつとなり精神活動は停止するに至る。
この先に待ち構えているのは自殺である。
私は自殺者で多いのはこのパターンではないかと思っている。

対人恐怖症者は原初体験として恐らく幼い頃に、実際は何も悪くないのに、自分が悪いと受け止めるざるを得ない、しかも誰も味方になってくれないという体験をし、その体験をきっかけとして自分心の中に、絶えず自分を否定し、裁くもう一人の自分を作ってしまったと考えられる。
そして心の中の自己否定するもう一人の自分は年月を重ね、不幸な体験を重ねる毎に雪だるまのように徐々に強大化していき、気が付いた時には意志ではコントロール不能なほど手を付けられない巨大な敵にまでなってしまっているのである。
例えは良くないが、体のあちこちを骨折し、大やけどを負い、深手を負った人間に、もう一人の人間が「そんな状態では駄目だ」、「そんな状態のあなたが大嫌いだ」、「もっと強く活発になれ!」と責め立て、その人を猛烈な勢いで絶えず殴ったり、蹴ったりしている、そのようなことが同じ人間の心の中で起きているということなのである。普通の人にとっては信じがたいことではあるが。
このようなことは経験の無い方には想像の域を超えていると思うが、私の経験からすると重度の恐怖症の方の心の中では間違いなくこのようなことが恒常的に起きていると思っている。

ではこの深刻な状態から抜け出し、穏やかな心で生きられるようになるにはどうしたら良いのか。
この対人恐怖を始めとする恐怖症に対する療法として現在まで様々な方法が試されてきた。
薬物療法、カウンセリング、来談者中心療法、催眠療法、認知行動療法、交流分析、ヒプノセラピー、インナーチャイルドの癒し、TFT、脳覚醒による暗示療法、自律訓練法、イメージ療法、暴露療法、ヒーリング、エネルギー療法、レイキ、気孔、家族療法、グループセラピーなで、私は長い間に渡ってここに挙げた、暴露療法以外の全て療法を受けてきた経験がある。
しかし残念ながらこれらの療法で自分の苦しみが軽減することは無かった。
なぜならばこれらの療法には次に述べるもっとも大切な視点が欠けていたか、重要視されていなかったからだ。

もっとも重要なことは、幼い頃の本来のありのままの自分を責めるという原初体験からスタートして、これまで長い年月に渡って深く傷つき、人を信じられなくなり、孤独になった自分をこれでもかと執拗に責め立て、理想の人間になるべく駆り立てる強大な敵を自ら心の中に内在化させてしまっていることに気付くことなのだ。
心の中でこのようなことが起こっていることに自らが気が付かなければ、どんな心理療法を受けようが、優しい人と出会おうが、ベクトルを改善の方向に向かわせることは不可能なのである。
しかしこの「気付く」ということがどれほど難しいことか。

もしこのことに気が付いたならば、深手を負った自分に対し、長きに渡ってとでんもないことをしてしまったと心底反省するのではないか。金輪際もうやめようと思うのではないか。ここが大きなポイントであり転換点だ。
仮に、深手を負った他人に対しこのようなことをやったとしたら、その人に良心がある限り、酷いことをしてしまったと感じるのではないか。
人は目に見えるものはすぐに感知できるが、目に見えない心の中のことには盲目なものである。
しかしまずこれに気が付かなければ永遠に、死ぬまで苦しみ続けることになるであろう。
あらゆる心理療法を受けてもよくならないという人は、心理療法を受ける動機が、この苦しい状態をすぐにでも「無くそうとする」ことにあるからである。
「これさえなければ自分は幸せになれる」、「この憎き症状をとって欲しい、取るノウハウを教えて欲しい」と求めるからなのである。
この「これ」を憎み否定しているからどんなに頑張って心理療法を受けても治らないのである。
各種の心理療法そのものがこの苦しみを直接治すことは出来ない。

しかし深手を負った自分を責め否定することに気が付いたからといっても、残念ながらその瞬間から解決するわけではない。
自己否定してきた年月が長ければ長いほど、自己否定した結果生じた恐怖の度合いが大きければ大きいほど、恐怖に動機付けられた理想の人間になるべく自ら形成した潜在意識の自動回路が強固であればあるほど、長い時間を要する。10年、20年、30年、それ以上かかるかもしれない。
わすかな時間で解決したとしたら、その問題はその程度でしかなかったと思っていい。
潜在意識に強固に刷り込まれたこのパターンを破壊し、逆に、深手を負った自分をまるごと受け入れ、癒し、肯定し、自分の気持ち通りに生きていけるようサポートしていけるようになるにはとてつもない時間がかかる。

時間がかかるから苦しみは軽減しても残る。だからまた自分を責めたくなる。だけどよくなるためにはこれしかないと踏みとどまる。この繰り返しである。

あと対人恐怖のために、上手く自己表現できなかったり、人付き合いが出来なかったり、能力が発揮できなかったりすることがあるが、決してそのことで自分を責めないことである。
むしろこんなハンディをかかえながら誰からも理解してもらえずともよくここまで生きてきた、それは並大抵のことではないと、言ってあげてもいいくらいなのである。
この自分で何が悪い、という強い意志への選択が必要だ。それはもう失うものがなくなった「捨て身」の心境でもある。
このような生き方を自ら選択してしまったとは言っても、それはそうならざるを得ない、自分自身ではコントロール不可能な理由があったのある。そのことで自分を責めるのは酷というものだ。
もし他人からそのことで、いわれのない事を言われたり、理不尽な扱いを受けたりすることがあるかもしれないが、そのようなことをしてくる人はその程度の人間なのである。
回復してくればこのような感じ方も徐々に出来るようになるし、相手の言うことは自分とは無関係のことだと完全に切り捨てることもできるようになる。
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