緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

受験時代を思い出す

2018-02-12 00:35:59 | 学問
今日の朝刊に「受験する君へ」と題する記事が出ていた。
2人の男女が自らの体験を紹介し、これから受験する人たちにアドバイスするという内容だった。

私も今から40年くらい前に高校受験、大学受験を経験した。
中学2年生まで社会科以外はろくに勉強していなかった私は、3年生になり不安になり受験を意識するようになった。
3年生の1学期までは部活(バレーボール)をやっていたので、勉強は夜遅くに集中してやった。
しかし社会科以外の数学、理科、英語はどうやって勉強していいか分からず、札幌の紀伊国屋にいって参考書や問題集を買ってみたものの、この類のものは難関高校受験用のものが殆どなので、問題を解いてみるもののお手上げ状態だった。
3年生になると業者による模試が3か月に1回くらいの頻度で実施されるようになったが、500点満点で230点とか良くて270点くらいだった思う。
内申書で5段階評価でオール3が300点くらいでGランクだったから、中の下という位置付けだった。
それでも何とかGランクの高校に行きたくて、3年生1学期は夜中の2時くらいまで勉強した。
1学期に友達に誘われて塾に入った。
部活の練習が終わってから通ったが、2、3回ですぐに止めてしまった。
母親がその後、その塾に挨拶に行ったみたいだった。
帰ってきたら塾の先生から嫌なことを言われたのか、母は落胆した様子だった。
私に何か言いたげであったが、必死にこらえているような表情をしていた。
中学校最後の夏休みに北大学力練成会とかいう夏季講習にいった。
友達とザリガニ採りに行って、足を大量の蚊に刺されて帰ってきて、その足で夏季講習に行ったのを覚えている。
その時の授業で、はっきりとは覚えていないが講師に何か嫌味を言われた。
それっきりその講習会はやめてしまった。
2学期になり10月になり秋らしくなってきた頃、英語の勉強に行き詰っていた私は、苦し紛れに旺文社から出ていた「赤尾の豆単」という単語集を買った。
英語は単語さえ覚えれば何とかなると思った。
この豆単で単語を必死に覚えた。
しかし無情にも英語の試験は全くというほど点数が上がらなかった。
2学期も終わり近くになるとあせりが増し、夜中の3時半くらいまで勉強するようになった。
夕方5時くらいまで学校で遊び、帰宅してから2時間仮眠を取り、7時に起きて夕飯を食べ、またすぐに勉強という毎日を過ごした。
紀伊国屋から買った問題集を訳が分からなくてもやみくもに暗記しようとした。
問題が有名校向けで難問であることなど当時は全く気付かなかった。
教科書をやればいいと言われるかもしれないが、教科書には問題の答えが付いていなかった。
授業で解いた結果もノートに書いていなかった。
必死に努力したにもかかわらず、2学期最後の模試は280点くらいしか取れなかった。
この模試を受けた時のことは今でも覚えている。
北海道の晩秋の曇天の物凄く寒さを感じる季節であった。

3学期になって高校の願書を出す時がきた。
第一志望はGランクのC高校だった。
この高校に行きたかった。でも入れるかどうかリスクがあった。
願書を提出する日の前日、徹夜で考え抜き、志望校を変えることにした。
前年に出来たばかりの高校だったが、Iランクと低ランクの高校だった。
一瞬気が楽になった。
3月初めの試験まで、最後の最後までどの参考書をやったらいいのか迷っていた。
試験はわりに易しかった。自己採点で300点ちょっと。
もしGランクの第一志望校にしていれば間違いなく受かっていたに違いない。
しかし私は安全策を取った。これが後の不幸の始まりだった。

入った高校の連中は中学時代とはまるで違っていた。
何せ他校と暴力事件を起こしてクラスの3分の1が停学となるような学校で、盗みもあった。
高校2年生の時、新しい自転車を買ってもらい、その自転車で通学し学校の駐輪場にダイヤル式のチェーンを付けて止めていたが、初日にそのチェーンの鍵がもう外されていた。
そんな学校だった。
とにかくこの高校から一時でも離れていたかった。
中学3年生の時一生懸命頑張ったのにも関わらず、内申書が上がらなかったくやしさから高校受験直後から人が変わったように勉強に励むようになっていた私は、高校に失望したこともあって、そこから逃避するためにますます勉強に力を入れるようになっていった。
学校もよくズル休みした。
3年生の1学期のある日、その日はズル休みしていたのだが、たまたま親が外出していた。
そして電話がかかってきた。私はその電話に出ようとしなかった。
何度も何度も電話のベルが鳴り続けた。
しかたなく電話に出たら学校からだった。
これから始まる授業に出ないと卒業できなくなるかもしれないと言われた。
しかし私は学校に行かなかった。
その後しばらくして、学校の担任から親に、あなたの息子は出席日数が足りないのであと1日休むと卒業できません、と電話がかかってきた。
1学期の最終日に成績表を受け取ると、出席日数が赤字で記載されていた。
出席日数の赤点だった。

1学期の時は担任からよく顔色が悪いね、と言われた。
やけに何度も嫌味っぽく言われた。
それから親に養命酒を買ってもらい飲んだ。顔色はほどなくして回復し、担任から嫌味を言われなくなった。
受験勉強は英語は美誠社の高梨健吉シリーズをまんべんなくやっていたので自信があった。
問題は数学だった。
どうしようもない高校だったので、普通、高校1年生で終える「数学Ⅰ」が高校2年生の2学期までかかった。
そして高校2年の3学期から「数学ⅡB」に入った。
しかし3年生の1学期の途中で、たしか積分をやっている途中だったと思うが、 数学ⅡBの授業をそこで打ち切り、また数学Ⅰをやりだしたのである。
これは私にとって大変な痛手となった。
何故ならば志望校の2次試験にこの「数学ⅡB」が必須科目としてあったからだ。
直ぐに数学の先生に抗議に行った。今から思うとおとなしい私がよくやったものだと思う。
しかしその先生曰く。「その志望校は理系の人も受験するくらいなのだから、あなたは理系にいくべきだったんじゃないのか」。
信じられない回答。あきれてものが言えなかった。
先生も最低の学校だった。
やむを得ず、「数学ⅡB」は独学することになった。
まず教科書の虎の巻を買って、残りの積分、行列、ベクトルなどをやった。
教科書併用問題集もやった。しかし参考書は使わなかった。その余裕はなかった。
3年生の2学期から1日も休めなかった。
夕方帰ってから古文や漢文を布団に入りながらやったのが思い出される。
志望校は10科目の共通一次試験と、その後の2次試験、科目は数学ⅡBと英語が受験科目であった。
3年生の2学期まであらゆる努力をした。全くの独学だった。
学校の授業で受験対策など無かった。塾や講習会など一切行かなかった。
ある時生物の授業で他の科目の参考書を内職していたら、その先生に教科書で思いっきり頭を叩かれた。

3年生の冬休みに今まで3年間で受けた業者のテストを全てやり直した。
旺文社や福武書店などの学力テストである。
高校1年生の時にまだ英語が中学2年生程度だったレベルの時に受けたテストの業者が作成した回答事例に、私の回答が悪い回答の見本として掲載されていたことに思わず笑ってしまった。
何せ訳せない単語はそのまま英語で書いて訳文としていたので、業者の採点者の怒りを買ったに違いなかった。
しかしこのテストをもう一度やるという勉強は楽しく、試験直前の対策としてとても役立った。

1月中旬過ぎに共通一次試験を受けた。
生物が易しく予想以上の自己採点が得られたが、数学が難しかった。確か200点満点で40点くらいだったと思う。
しかし、他の科目はそこそこ手ごたえがあり、志望校に願書を出すことができた。
一次試験が終わった直後に札幌駅ビルの本屋に立ち寄り、英単語の参考書を買った。
この時期から合格発表までがとても充実していた。
これまでずっと暗く灰色の学校生活だったが、何か明るさが灯っていた。
睡眠時間も1~2時間長くした。それまでは4、5時間だった。

2月に入ると授業は無くなり、自宅待機となった。
2次試験対策として、数ⅡBは「出る順シリーズ」と手帳サイズの薄い問題集をやった。
この問題集の問題と似た問題が2次試験で出題され幸運だった。
英語は朱牟田夏雄(多分字が違っている)という人の英文読解の参考書、高田政孝(これも多分違っている)という人の英作文の参考書をやった。
それから旺文社の英文読解の問題集をやった。

2次試験の前に兄と友達で試験会場の大学の下見に行った。
帰りのバスで、乗り合わせたH高校(甲子園にも出た私立高校)のがらの悪い連中から馬鹿にされた。
帰りの汽車(車体が紺色、こげ茶色の昔の車両で、木製の椅子)で兄と友達がタバコを吸おうとした。
当時真面目だった私は思わず怒ってしまった。
2次試験は冷静に受けることができた。
英語はやや難しかったが手ごたえはあった。
3月13日が合格発表だった。
大学には行かなかった。
自宅の2階の自分の部屋で頭から布団をかぶり、合格発表のラジオを聞いた。
かなり時間が経った。
自分の受験番号が近くなった。
自分の受験番号がアナウンスされた時、1階の部屋から母と姉の歓声が聞こえてきた。
これでやっと合格を実感した。
高校を卒業し、春休みに少ないながらも出来た友達とすすきので宴会をやった。
「番屋」という店だった。初めて酒を飲んだ。
飲み会に行く途中で狸小路の菊屋に行って、武満徹の12の歌の「ミッシェル」の楽譜を買った。
帰りに皆で友達の家に泊まった。

【追記20180212】
大学受験の時に使った問題集等を撮った写真が出てきたので掲載します。

独学した数学ⅡBの教科書と虎の巻。



教科書併用問題集。数学Ⅰと数学ⅡB。ぼろぼろなのは数学Ⅰの方。







二次試験対策で使った、数学ⅡBの問題集。






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