つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

薔薇は、たゆたえども散らず。

2022年05月21日 05時05分05秒 | 手すさびにて候。
                            
学生時代、歴史の節目を「語呂合わせ」で覚えた。
例えば---「火縄燻る、バスチーユ」。

かつて、フランスでは君主が主権を有する「絶対王政」が敷かれていた。
また、社会構造は「3つの身分」に分かれる。
聖職者が「第一身分」、貴族は「第二身分」。
彼ら全人口の10%に満たない特権階級を支えるのが「第三身分」の平民。
およそ300年続いた「体制」は、18世紀末に大きく揺らぐ。

莫大な浪費と、戦争により国家財政は火の車。
それを補うため、平民に重税が課された。
国中に不穏な空気が充満し、募る不満は爆発寸前。
やるせない気持ちで顔を上げたパリっ子たちの目には、
古めかしい石造りのバスチーユ監獄が“悪政の象徴”に映った。

そして、1789年7月14日、ついに蜂起。
平民を中心にした群衆がバスチーユ監獄を襲撃。
フランス革命の火蓋が切られた。
その「ひなわく(1789)すぶる現場」で命を散らしたヒロインが今回の主題だ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百一弾「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」。



漫画「ベルサイユのばら」は、昭和42年(1972年)からおよそ1年半に亘り、
「週刊マーガレット」で連載。
今年(2022年)、開始から50周年を迎えた。
著者は「池田理代子(いけだ りよこ)」氏。
フランス・ブルボン朝晩期、ルイ15世統治末から、
王妃「マリー・アントワネット」の処刑までを描いた歴史ロマンである。

主人公の1人「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」は、
フランス王家近衛兵を率いる伯爵家の末娘。
男児に恵まれなかった為、幼い頃から男性として養育される。
若干14歳にして近衛連隊の大尉となり、
隣国から嫁いできた「アントワネット」の護衛を務め、
程なく、大佐、准将と順調に階段を駆け上がってゆく。
その背景には、王妃の寵愛があった。
少々早すぎるステップアップに戸惑いは感じるものの、感謝し誠実に仕える「オスカル」。
しかし、絶対王政を支える民衆の苦しみを知り、思い悩むようになる。

「私は、国家と国民のために働きたい」
そう考え、王宮警護の近衛隊を辞し、人民を護る衛兵隊へ編入。
華麗なエリートコースを降りて、危険と隣り合わせの職場を選んだ。
更に、革命勃発時には爵位を捨てて一平民となり、
志を同じくする衛兵隊士と共にバスチーユ襲撃に参加。
敵弾に倒れ、生涯を閉じる。
享年34の若さだった。

--- 正直、当初、食指は動かなかった。
宝塚歌劇団による舞台版の大成功。
作中で「オスカル様」が他界した際は、ファンによる葬儀執行。
彼女の死に殉じ、恋人を捨て、婚約を破棄する女性が続出。
そんな「騒ぎ」は耳にしていたが、読む気にはならなかった。
少女漫画というジャンルに抵抗があったのだろう。

だが、TVアニメ版のオープニングを観て、考えを改める。



主題歌「薔薇は美しく散る」。
作曲「馬飼野 康二」氏(代表作/愛のメモリー、ひと夏の経験、艶姿ナミダ娘など)
作詞「山上 路夫」氏(代表作/二人でお酒を、翼をください、瀬戸の花嫁など)
大人のヒットメーカーがコンビを組んだ曲は上出来。
やや陰鬱で絵画的な映像もカッコいい。
感じ入った僕は「ベルばら」の単行本を揃え始めた。

王侯貴族たちの優雅な暮らしぶり。
王宮内の権力闘争と伏魔殿ぶり。
精緻なロココ様式の装飾描写。
それまでの価値観を何もかも覆してしまう大革命。
民衆の罵声を浴び、断頭台の露と消える王妃。
ストーリーは実に骨太である。
歴史物として、大変読みごたえがあった。

一方、没入しきれない面があったのも事実。
コマのあちこちに突然現れる「花」や「光」などの演出。
舞台劇さながら、芝居っ気たっぷりの台詞回し。
(少年漫画に比べ)迫力に欠けるアクションシーン、戦闘シーン。
読み進むうちに慣れてはくるが、最後まで腑に落ちなかった。
良い悪いではなく「好み」の問題である。

思うに、やはり総じて「ベルサイユのばら」は名編であり、
「オスカル」は優れたキャラクターだ。
半世紀前に描かれた美しい大輪の薔薇は、未だ散らず、色褪せてもいない。
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津幡短信vol.101 ~ 令和四年 皐月。

2022年05月15日 21時53分53秒 | 津幡短信。
                     
津幡町で見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回の投稿は、以下の2本。

【水田そばにて。】



とある住宅街の一角にて撮影。
田植えが終わった水田に農業用水が注がれていた。
家屋に囲まれたそこで風に揺れる早苗はやがて天へ伸び、草原になる。
稲穂が実り首を垂れるまで、あと4ヶ月あまり。
それまで、どうか無事に過ごして欲しい。

【津幡小学校にて。】



「津幡町立 津幡小学校」前にて撮影。
桜の若葉越しに「二宮金次郎」像が通学する子供たちを見守っている。
現在の在校生はおよそ400名。
僕が通っていた当時と比べ少なくとも1/3程度か。
少子化なのである。

先月、総務省が発表した2021年10月時点の人口推計によれば、
65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は28.9%。
外国人を含む総人口は2020年10月と比べて64万4000人減。
統計を取り始めて以来、いずれも最高値を更新した。



わが津幡町は、人口、世帯数は微増傾向。
少子高齢化の進展度合いも全国と比べ、
15 歳未満の割合が高く、65歳以上の割合が低い。
つまり「マシな方」なのだが、むろん安心はできない。
人口減少と高齢化の進展は不可避だ。

<津幡短信 vol.101>
                   
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monotone Journey 9.

2022年05月14日 16時06分06秒 | 白と黒の旅
                    
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第九篇。



光は、まっすぐに進む性質がある。
行く手の一部をさえぎると、光が進むところと届かないところができる。
光が届かずに黒くなったところ、それが影だ。



屋外での影の形は、時間によって変わる。
太陽の高度や方角が一定ではないからだ。
まるで光に引っ張られたような木陰は、朝の僅かな時間だけの景観。
シャッターを切った数分後には消えて無くなってしまうだろう。

写真は光がない世界では写らないのだが、
世界に光しかなかったら面白みに欠ける。
光の対極---影のお陰で二次元に立体感が生まれ、
ある種のドラマ性を醸し出してくれる気がする。
そんな錯覚を起こさせてくれるのは、
カラーよりもモノクロの方が顕著ではないだろうか。







そもそも写真や映画をとる「撮影」は「影を撮る」と書く。
美しい色を刻むのもいいが、美しい影を捉えることも重要。
カメラのド素人である僕は、そんな風に考えてしまうのである。
                 

                      
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Only Time ~ れきしる 春の民俗資料展示。

2022年05月08日 21時29分29秒 | 日記
                  
カレンダーを見れば、本日(2022/05/08)は大型連休最終日。
明日からの日常に溜息を突いている人は、少なくないだろう。
「休み(の時間が過ぎるの)は、あっという間だな」
--- そんな風に考えてしまうのではないだろうか。
だが、もちろん時間が進むスピードに変化はない。
1秒、1分、1時間、1日、1ヶ月、一年、いつも同じペースで刻まれている。

楽しく感じる日も、苦しさの中で悩む日も。
季節が変わっても、国が違っても、宇宙でも。
古代でも、現代でも、未来でも。
たとえ人類が滅んでも、地球がなくなっても。
唯一絶対に止まらないもの。
それが「時」だ。
滔々とした流れは決して目に見えないのだが、
それを「可視化」した道具が「時計」である。



津幡ふるさと歴史館 れきしる」にて、春の民俗資料展示「時を知る」が開催中。
先日、お邪魔してきた。


展示物の中で、もっとも年代が古いものがコチラ。
今からざっと120年以上前、明治時代に造られた掛け時計。
製造元の「松下時計」は大阪にあったメーカーである。


手前に写る丸い掛け時計。
学校統合によって今は無くなった「能瀬小学校」にあったもので、
大正12・13年卒業生の寄贈品。
メーカーは「ANSONIA U.S.A.」とある。
ネットで調べた限り、アンソニアは1854年創業。
アメリカの名門時計メーカーだとか。

その隣には立派な柱時計が並んでいる。
これとはサイズもメーカーも違うのだが、
僕の生家にも茶の間に黒い柱時計があった。
長針・短針それぞれの場所にハンドルを差し、
ゼンマイを巻き上げる古式ゆかしい手巻き式。
正時、半時に音が鳴り、家の中の時を刻んでいた。

--- あれはまだ僕が2~3歳の頃だろうか。
その時計の下で祖父母が言い争いをしたことがあった。
話の内容はまったくわからないが、
激しい剣幕の舌戦にボーンボーンと鳴る時計の音が重なる光景と、
怖ろしく感じて泣いた自分自身のことはよく覚えている。


閑話休題。
これは、津幡小学校の教材として活用された腕時計のパーツ標本。
寄贈提供元は、金沢・香林坊の「ユアサ時計店」。
朧気ながら、小学生時代に見た記憶がある。
小さなボディに沢山の部品が収まっているのを目の当たりにし驚いたものだ。

つらつらと書き綴ってきたが、紹介した「れきしる」春の民俗資料展示は、
6月26日(日)まで開催している。
時間と都合が許せば足を運んでみてはいかがだろうか。
ちなみに期間中に迎える「時の記念日(6/10)」は、ちょうど100回の節目だ。

--- さて、最後に時にまつわる歌を一つ。

Who can say where the road goes
(この道を行けばどうなるものか誰も教えてくれない)
Where the day flows, only time
(この一日の流れつく先を知っているのは「時」だけ)
And who can say if your love grows
(愛の行く末もわからない)
As your heart chose, only time
(時が経ち振り返って初めてわかるものなのよ)

Enya - Only Time/(    )内、意訳りくすけ

                        
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大津旅行記2~ 歴史とポップアート。

2022年05月07日 14時14分14秒 | 旅行
                   
GW日帰り大津旅行記録パート2。
前回投稿では「寺院のあをもみじ」「青瓦を葺いた教会」「碧水の競艇」---
“三つの青”を取り上げた。
今回は「歴史とポップアート」と題して紹介してみたい。
時間と都合が許せば、お付き合いくださいませ。



大津市歴史博物館は、美しい自然に恵まれ、
早くから豊かな歴史と文化を育んできた先人たちの足跡である
文化財や資料を収集し公開する目的で造られた施設です。
歌川広重の近江八景や江戸時代の大津の宿場の賑いを復元した模型をはじめ、
数々の復元模型やイラスト、映像などによって分かりやすく解説され、
親しみやすく楽しく大津市の歴史を学べるように、展示内容も工夫されています。
高台にある当館からの眺望もすばらしいです。
(※滋賀県 公式観光ガイドより引用/抜粋)



ベランダから手前に商業高校、その奥は陸上競技場。
尖塔が並ぶ建物はパート1ラストシーンの舞台「びわこ競艇場」。
その向こうに広がる琵琶湖。
大津の対岸、草津の町並みも望める眺望は確かにナイスである。
そして、ほゞ撮影OKのナイスな方針のお陰で、充実した展示を観覧できた。



東海道五十三次の「宿場町」、琵琶湖水運の「港町」、三井寺の「門前町」。
3つの顔を持ち繁栄した大津は、江戸時代「大津百町」と称された。
事実、江戸時代中期には、ぴったり100の町があり、
湖と山に挟まれたコンパクトな場所に1万5千人余りが暮らしていたという。
京都・大坂に近く、東海道と北国海道が交わる地点だけに、
さぞ賑わったであろうことは想像に難くない。



マザーレイク・琵琶湖は、昔から美しい風景を持つ。
中国・湖南省にある洞庭湖の八景にちなみ、
室町時代の関白「近衛政家(このえ・まさいえ)」が選んだと伝わるのが「近江八景」。
今回の旅は時間が限られていた為、ビューポイントを回ることはできず。
博物館内の大きなジオラマで全体像を把握したに留まる。
また改めて、それぞれの現地を訪れてみたいものだ。

その「近江八景」を世に知らしめたのは、
「歌川広重」ら江戸時代の浮世絵師たちによる風景画。
そして、大津には、浮世絵と並ぶ民画「大津絵」がある。



大津絵は、肉筆画ではあるものの、手早く仕上げて客を待たせず売るために、
型紙摺り(かたがみずり)など様々な技法を組み合わせて描かれています。
型紙で体のパーツを刷毛で一気に塗る「合羽刷り」、
顔などの細かな描写をスタンプで済ませる「版木押し」、
他にも鬼の念仏の鉦などは、ぶんまわし(コンパス)で描くなど、労力と手間を省き、
熟練の絵師でなくても制作を手伝うことができる工夫が盛りだくさんです。
絵具の色が5~6色と少ないのも、その一環です。
(※博物館、説明文より引用)

つまり大津絵は、江戸時代のポップアート。
大津宿で土産物として描き売ったのが始まり。
当初は神仏を画題にしていたが、次第に世俗画や戯画が増えていったという。
その主なモチーフの一つが「藤娘」である。



黒の塗り笠、藤づくしの衣装、花枝を担げた可憐な姿は一種のポップアイコン。
歌舞伎・日本舞踊の演目、長唄の題材、
日本人形や羽子板の押絵等でもお馴染みではないだろうか。
上掲画像中心の作品---
大正時代の女流画家「大林 千萬樹(ちまき)」の作に触発され筆を執ってみた。
出来栄えは本家に遠く及ばないが、
拙作をご覧に入れて今投稿の結びと致します。

では、また。


                    
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