つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

身近なキカイのプロフィール。

2018年09月29日 10時04分59秒 | 日記
僕が子供だった頃と比べ、津幡町の夜は明るくなった気がする。

往時より人口が増え、自動車の通行量も増えた。
ライフスタイルが多様化し、日が暮れて以降に活動する機会が多くなった。
夜間の安全を図る意味で欠かせない物の1つが「街灯」である。

昔、江戸時代の夜間照明は行灯や提灯。
その明るさは、満月に敵わないほど暗く、
時代劇の映画やドラマで観るようなナイトシーンとは程遠かった。

やがて、明治時代の初め、京都に石油ランプ、横浜にガス灯、東京・銀座に電灯が登場。
いわゆる「文明開化」を境に、日本の闇は穏やかになった。
ここ、北陸の片田舎にも恩恵が及んで久しい。

ちなみに、前掲の街灯は、大阪に置く本社を置く「丸一鋼管株式会社」製。
気になるお値段は1本当たり、設置費を含め40~50万円程度だろうか?

もう一つ「踏切遮断機」についても考察。

鉄道線路と道路が交差する部分が「踏切」。
大概は、列車接近を報せる「警報機」と、
列車通過の際に道路交通を止める「自動遮断機」を配置している。
こちらも「鉄道」が敷設されはじめた明治の文明開化が起源。

当初は、電車が通過する際、人の手によって開け閉めされていたという。
上下動が電動機付きになったのは、昭和以降。
現代のような自動式は、昭和30年代に登場。
そのお値段は、本体のみでおよそ50万円ほど。

この機械は“三大信号会社”の1つ「大同信号株式会社」製。
警報機の赤いランプが、かつての円形から円筒形になり、より広範囲に注意を促すようになった。
見慣れた身近なキカイも、調べてみるとなかなか奥深いのである。
コメント
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