林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

青春の旅立ち-只見線完乗の旅1.

2024-04-01 | 鉄道・旅行

 1.只見線-その歴史と長期寸断の厄災

只見線は磐越西線会津若松から上越線小出を結ぶ、
135.2km、非電化単線の地方交通線である。
国鉄分割民営化後は全区間がJR東日本に引き継がれ、
西若松で接続する会津鉄道が会津若松まで乗り入れる。
豪雪地帯を通過し、本来なら廃止されるべき赤字路線だったが、
平行する国道の通行止め時の交通手段として必要であるとして、
国鉄再建法の廃止対象路線から除外された。
個人的にもJR東日本管区の路線で、
唯一乗り潰し出来ていない路線でもある。

只見線のうち、会津若松から只見の区間は、会津線として敷設された。
会津若松から会津柳津までは軽便鉄道法により計画され、
会津柳津から小出の区間は、
改正鉄道敷設法別表に規定する予定線としいて、
「福島県柳津ヨリ只見ヲ経テ新潟県小出ニ至ル鉄道」として計画された。
1926年10月15日に会津若松から会津坂下までの区間が軽便線として開業、
1928年11月20日に会津柳津まで延伸された。
その後、1941年10月28日に会津宮下まで延伸、
戦後の1956年9月20日に会津川口まで延伸、
1963年8月20日に只見まで延伸された。

一方、小出から只見までの区間は只見線として、
戦時中の1942年11月1日に小出から大白川の区間が開業、
戦後の1971年8月29日に大白川から只見まで延伸し、
会津線を編入する形で、会津若松から小出までの区間が只見線となった。

只見線は地元沿線住民の足として活躍する一方、
車窓からの美しい風景が人気を博し、また沿線には秘湯も点在し、
観光路線としての側面もあった。

しかし2011年7月30日に新潟、福島を襲った豪雨により只見川が氾濫、
只見川第5、第6、第7橋梁が流出し、
また会津坂本から会津柳津の区間の路盤も流出する大災害となった。
そのため、会津坂出から小出までの113.6kmが不通となり、
その後、部分的に復旧されたが、橋梁や路盤が流出した、
会津川口から只見の区間は復旧工事が行われず、
そのまま廃止になるのではとみられていた。

福島県や地元の市町村が只見線の全線復旧を要望したものの、
JR東日本は単独での復旧には難色を示し、
長期にわたる協議の結果、上下分離方式による復旧が決定された。
会津川口から只見の区間は復旧費用を福島県が3分の2、JR東日本が3分の1を負担、
復旧工事はJR東日本が担当し、完成した路盤を福島県に無償譲渡、
路盤を福島県が所有、維持管理費は福島県が7割負担、
残りの3割を沿線地方自治体が負担することとして、
JR東日本が第二種鉄道事業者、福島県が第三種鉄道事業者となった。
そして厄災から11年、2022年10月1日に全区間での運転再開が実現した。

只見線は会津鉄道の車両に乗車して西若松から会津若松の3.1kmの区間は乗り潰したものの、
その大半の区間は未乗車のまま放置してきた。
2022年の全線で運転再開のニュースを見て、
この区間の乗り潰しに挑戦しなければと思った。

コメント
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